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1995年12月31日、私は、ボリビアの法律上の首都、スクレに滞在していた。ここはラパスよりも標高は低く、二千七百九十メートル。温暖な気候は長旅の疲れをいやしてくれて、居心地がよかった。
山の斜面に広がる、白く塗られた家並みのなかを歩いた。道路にせりだした窓台に咲き乱れる赤い花、昼間も人気のない通り、点在する教会の塔。どれもが私の目を奪う。
私がこの町に来たのには理由があった。郊外のタラブコ村で日曜日ごとに開かれている、先住民族のマーケットを見学するためであった。
午前7時ごろ宿屋を出て、停留所に向かった。その乗り場が見つからないので諦めかけていたら、日本人と思える女性の2人連れに出会った。同じマーケットに行くような素ぶりだったので後ろについて行く。
町外れの広場には、多くの乗り物が待機していた。私は彼女たちと同乗した。私を含んで8人の乗客が集まると、小型の車は出発した。日本人らしいと思えた女は香港から来たと言った。服装からでは昨今、日本人も香港人も判別できなくなった。
村までは悪路の連続で、ぬかるみの坂道に差しかかると、運転手は乗客を降ろさせた。私たちは歩き、身軽になった車は、先に進んで待っていてくれるという有り様だった。
2時間かかって、村の入り口で降ろされた。すでに多くの観光客であふれていた。路地を進むと、広場の周囲には露店が出ていて、土産ものを並べていた。
人込みのなかで、鎌倉時代に武士がかぶった兜の形をした黒い帽子に、マントに似た赤色のポンチョを羽織った民族衣装の人たちが、私の目をひいた。
彼らは近在の村からやって来て、生活必需品の買い物をし、観光客のなかを歩きまわっていた。
彼らの時代錯誤の格好を見て、私はポンチョを土産に欲しくなった。必ず旅行時には、自分の土産を買うことにしている。
私はそこで気に入ったポンチョを見つけた。土産を買うつもりはなかったので、十分なお金を持っていなかった。帰りのバス代金を残して、有り金を財布ごと店主に見せた。店主はしぶしぶ了解し、言い値の三割引きで買った。
2人の香港女性は私の買い物を察して、昼食をご馳走してくれた。彼女たちは別々に旅行していてラパスで知り合い、半年間の旅程の半分が過ぎたと語った。アジアの女性のたくましさに感心する。
3時間ぐらいぶらぶらして、戻る時間になった。もう少し余裕があったらと思いながら、午後1時ごろスクレ行きの大型のバスに乗る。網棚には、乗客が買った数羽のにわとりがいて、口を開けて水を欲しがっているようであった。
私の隣に、先住民族のケチュア族の青年が腰かけた。彼の名前はエディといい、家族で教会のミサへ参列した帰りで、酒を飲んでいた。色黒で彫りの深い顔立ち、一瞬話しかけるのをためらったが、勇気をふるって話しかけた。
青年は、私にケチュア語の数字を教えてくれた。私も簡単な日本語を教えた。私にとってボリビアが身近になったように思えた。
夕方、私はスクレのボリバール公園のベンチに腰かけていた。すると、親子連れが私の隣に座った。耳をそばだてていると、聞き慣れぬ言葉で話していた。私はすべての人がスペイン語を話していると思っていたが、彼らはケチュア語のようであった。
ベンチの脇の道端では、ケチュア族の女性が駄菓子を売っていた。先住民族の人たちは貧しい生活を強いられ、物売りなどで生計を立てている。この国の複雑な人種構成を知った。彼女たちがいつまでも民族の文化を失わないでいて欲しいと思った。
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