
トヨタが生み出した名キャッチである。
今でこそトヨタは自動車販売で一人勝ち、国内はおろか世界でも有数のメーカーであるが、数十年前は日産と技術・販売ともに競い合っていたのである。
“技術の日産”は宣伝が下手でした。
トヨタを凌駕する高性能の車を多く持ちながら、一般の私達にはどっちが良いのか伝わってこなかった。
一方トヨタは車の性能とは別の部分、つまり宣伝や販売が強力だった。
分かり易い系図である。
終身雇用が当たり前だった頃の、長く勤めていれば自然と出世し、乗る車も自然とグレードアップしていく世の中だった。
今でこそベンツやBMW、国内でもセルシオなどクラウンを超える車は多く存在する。
しかし、この「いつかはクラウン」というキャッチは未だなお私達の胸の奥に響く、成功へのキャッチなのである。
そして自分はこのクラウンには手が届かない生活をしている。
最近、楽天日記というものにはまりこんでいるが、どなたかの日記に非常にブラックなネタがありました。
私達が「最後に乗る車=霊柩車」がクラウンが多いのだそうだ。
もちろん、人間は自分が乗る霊柩車の車種を決めることは出来ない。でもそれまでに一度もクラウンを所持したことの無いまま、死んでから一番の高級車に乗る人生と言うのは、何かこうきゅーっと胸が締め付けられるような悲しさ、儚さを感じてしまいます。
もっと借金してクラウン乗ろうかなあ。
とか言っても、借金って無制限に貸してくれる訳でも無いですからね。サラ金でもない限りね。
最近は高級セダンが久し振りに人気で、クラウン以外でも
なんかそそられますよね。
パチンコ、競馬、宝くじ、何をやっても儲かりませんでしたね。
高級車には一生縁が無さそうです。
でもよく考えたら、いつかはクラウンという言い方は、何台も車を乗り継いで段々良い車になっていくことで、クラウンに辿り着くまでには相当のお金を注ぎ込んでますよね。
昔は高級車っつうと“白”だったなあ
つまりクラウン以前には1台も車を持たずにコツコツと貯金をし、お金が貯まった時にいきなりクラウンを買うのである。
最終的には中古を買えば良いんです。
何年も昔の名前だけの「クラウン」を。
そこまでしなくても…
と思う気持ちと、霊柩車の前には自家用車として乗りたいなあという気持ち。複雑ですねえ。