掌蹠膿疱症性骨関節炎(頚椎炎)

〜35日間の入院体験記〜

                                     著者:奈良久志


はじめに

 「ショウセキノウホウショウ」(掌蹠膿疱症)という病気をご存知だろうか。

 最近、女優の奈美悦子さんがТVなどで闘病生活を明らかにしたのが、この掌蹠膿胞症である。

 手のひら(掌)と、足の裏(蹠)に赤い小さな発疹が次々とでき、膿疱になって破れ、破れてめくれた皮膚が角質化してボロボロと剥がれ落ちてくる症状の病気だ。奇妙なことだが、手のひらと足の裏だけにしか症状が出ないので「掌蹠」という名前がついている。決して他人に感染する病気ではない。

 症状は周期性があり、出ては消える―を繰り返す。そして、やっかいなのは、この病気は原因が不明と言われていることである。治療法も確立されていない。治療法としては、ビタミンHを補充する「ビオチン療法」が患者の間では有名だが、確立された治療法というまでにはなっていないようだ。そのため、診察を受けた皮膚科医などからは「一生治らない病気」と宣告されることになる。
 
  さらにやっかいなのは、この病気に罹った人の何割かは、胸(肋)骨や胸鎖間接などに炎症を起こし、極めて激しい痛みに七転八倒することだ。「掌蹠膿疱症性骨関節炎」という病気である。
 私も、「掌蹠膿疱症性骨関節炎」(私の場合は「頚椎」に炎症を起こした)を併発した一人である。この本は、その闘病記である。

 ところで、掌蹠膿疱症の患者数はどの程度なのだろうか?
 残念ながら患者数を詳細に調査したデータはないようだ。「一万人に一人」とか「500人に一人」「200人に一人」などといわれることもあるが、それさえも大きな開きがある。
 仮に「500人に一人」説を基に大胆な計算をすると、全国で25万人くらいということになる。糖尿病の740万人(予備軍880万人)や高血圧症の3100万人(予備軍2000万人)といわれる患者数と比べたら明らかにマイナーであるが、少なくない数字だと思う。

 それなのに、この病気を知っている人は意外に少ない。
 この病気は、水虫に似た症状が出るので、水虫と勘違いしている隠れ掌蹠膿疱症の人も多いと思われる。症状が出ても、しばらくすると症状が消えるという周期性があるために、深刻に考えていない人もいるのだろう。
 がんのように生命の危険が差し迫っている病気でもない。他人に感染する病気でもない。手足の皮膚が角質化してボロボロと剥がれ落ちる症状を人目に触れないように隠して、一人悩んでいる病気である。

 私も、手のひらの症状を人に見せた時に嫌な顔をされた経験がある。それ以来、できるだけ人目に触れないようにしてきた一人である。
 それが、この病気が世間に知られていなかった理由なのではないのだろうか。私も知らなかった一人である。

 だが、この病気を知ってからは、「もしかしたらこの人もそうなのではないか」と思う場面に何度か出会っている。私の症状を説明した時などに、「私も、時々手のひらに小さい赤い発疹ができて破れる」といって手を見せてくれたりする人がいる。掌蹠膿疱症の極めて初期の、そして極めて軽症の段階の症状とそっくりなのである。「いずれ症状が進行するのだろうか」と、その人の手を見ながら思っていた。

 もしもそうだとするならば、症状が進行して皮膚科などに通っている人が25万人だとしても、その予備軍は何倍もいると考えてもよさそうだ。

 手のひら(掌)と足の裏(蹠)だけに、赤い小さな発疹が出て破れる(皮膚がめくれる)症状を繰り返したら、掌蹠膿疱症を疑って欲しい。症状が進行すると、骨や関節に炎症を併発し、激しい激痛と苦闘することになるのだから。(了)

Vol.1  「ショウセキノウホウショウ?」

2003年夏。
足の裏に水虫が出来たと思ったのが始まりだった。

 北海道生まれの北海道育ちだが、学生時代に上京。卒業後も30歳まで東京にいた。そのためか、一時期だが水虫になったことがあった。
 今思い出してみると、それは水虫ではなかったのだと思う。今回の症状とそっくりだったのだから、おそらくは掌蹠膿疱症の症状だったのだろう。治らないはずの水虫が3年目の夏には消えていたのだから。しかし、当時は水虫だと思っていた。

 そのため、北海道に帰ってきて4年目だったが、水虫が復活したのだと思っていた。冷静に考えるとおかしな話だと思う。一時期水虫になったとはいえ、その後何年も発症していなかったのが、梅雨のない北海道に帰って4年も経過してから水虫が復活するだろうか。それほど、水虫とそっくりの症状、薬局のポスターなどで見かける水虫の症状にそっくりだったのだ。

 最初はほっといたのだが、あまりにも痒かったので、ドラッグストアで水虫薬を買って塗ってみた。一週間以上塗ったが、一向に良くならなかった。そのうち、左手だけだが、手のひらにも症状がでてきた。水虫が手にも出ることがあると聞いた記憶があったので、「やっぱり水虫だ」と頓珍漢な納得をしていた。そうこうしているうちに、手のひらの発疹の数が増えだし、痒みがさらにひどくなってきた。特に、足の裏の痒みがひどく、皮膚がボロボロと剥がれ落ちていた。靴下を脱いで裏返すと、角質化して剥がれ落ちた皮膚が一面に張り付いていた。

 それで、思い切って皮膚科診療所に行った。医師は手のひらと足の裏を見て「水虫ではないと思います。念のため、皮膚を採って検査します」という。
 検査の結果は、聞いたことのない病名だった。

「ショウセキノウホウショウ」

 医師が「掌蹠膿疱症」と紙に書いて、「掌」は手のひらを意味し、「蹠」は足の裏を示す意味であることを説明してくれて、やっと理解した。
 その時の医師の説明は、概略次のようなものだった。

 ・手のひら(掌)と足の裏(蹠)だけにしか症状が出ない。
 ・通常は、両手に症状が出るので、左手だけというのは珍しい。
 ・小さな赤い発疹がいくつも出て、膨れては破れる−を繰り返す。
 ・皮膚が角質化してボロボロと剥がれる。しばらくすると良くなるが、また症状が出る。
  その繰り返しの間隔期間は人によって違う。
 ・原因は不明。
 ・治療法として確立した根治療法はない。軟膏を塗って痒みを抑えるぐらい。
 ・扁桃腺を切除すると治るという話もあるが、確立した治療法ではない。
 ・だから、一生付き合う病気だ。
 ・そして、他人には絶対に感染しない――

 変な皮膚病だなと思いながら、痒み止めのワセリンが入った軟膏を処方してもらって帰ってきた。(続く)

Vol.2  肩甲骨内側に激痛・激疼き

 掌蹠膿疱症を発症してから5ヶ月が経過していた。
 その間に、3度ほど軟膏の種類を変えた。痒みを和らげる効果があるワセリンが入っているため、塗ると少しの間だが痒みを忘れることが出来るので、ついつい期待していたのだ。皮膚科診療所の医師に、もっと効果的な薬はないのかと突っかかって、軟膏の種類を変えてもらっていた。
 だが、手足の症状はひどくなる一方だった。足の裏の痒みが特にひどかった。処方して貰った軟膏は、種類を変えてもやはり気休めでしかなかった。

 発症から5ヶ月が過ぎたその年(2003年)の12月上旬。突然、首から左側肩甲骨の内側、左脇腹に筋肉痛が起きた。左腕の上腕部にもかすかな痺れ感があった。

 実は、その3日前から肩こりがひどくて、ダンベルを使ってストレッチをやっていたので、そのせいで筋肉痛になったのだろうと思っていた。「それにしても、ひどい筋肉痛だな」と思っていた。
 ところが、数日たっても痛みは消えない。痛みが消えないまま一週間が経過。おかしいと思いながらシップを貼ると、少しは効果があった。
 そして、ある朝、痛みに耐えかねて眼を覚ました。起きようとしても首の辺りが痛くて、起き上がる際に首を持ち上げることが出来ない。それでもなんとか姿勢を入れ換え、必死の思いで「エイッヤー」と心の中で叫んで起き上がると、もの凄い激痛が左側肩甲骨の内側に走った。

 激痛と書いたが、これ以上にひどい痛みを表現する言葉を知らないので「もの凄い激痛」と書くしかない。「激鈍痛」あるいは「激疼き(うずき)」と言う方が表現としては的を得ているかもしれない。起き上がることが出来ない。寝ることが出来ない。姿勢を変えることが出来ない。少しでも動くと激痛が走り、30分、1時間と続いた。

 あまりの痛さに、座っていても体が自然と前後左右に動いた。気を紛らわすために体が自然に動くのだ。不思議なことだが、人間は痛さに我慢できなくなると、ついつい笑ってしまうという奇妙な経験もした。

 我慢も限界になったのと、病院が年末年始の休みになるのを思い出して、近くの病院の整形外科を受診した。
 痛さを我慢しながら、首と肩のX線を数枚撮った。結果、「第6、第7頚椎の頚椎症」と診断された。頚椎は全部で7個あり、上から順に数えるので、第6と第7は首の付け根部分ということになる。まさに頭を支えている付け根だ。だから、首を少しでも動かすと激痛が走るのだろう。

 診断後、鎮痛剤と多目のシップを貰って帰ってきた。しかし、冗談じゃない。この痛さは生まれて初めてだ。シップで消えないから病院に行ったのだ。事実、病院でもらった鎮痛剤を飲んでも30分から1時間くらいしか効果がなかった。(続く)

     

 コラム 「痛みの症状を、どう訴えるか」


 頭痛や、関節痛など何らかの原因で痛みを感じたとき、医師に対して、自分の症状を的確
に伝えることが出来ているでしょうか? 家族や周囲の人達に症状を伝え、理解してもらえて
いるでしょうか?

 熱が出ている場合などは、「熱っぽい」と漏らすだけですぐに理解してもらえますが、「身体
の痛み」「疼き」などは相手になかなか理解してもらっていないのではないでしょうか。相手に
伝わらないもどかしさで、イライラしてさらに痛みを感じてしまう。そんな経験はないですか?

 実は、一昨年12月中旬、突然、首の付け根部分と左肩甲骨の内側に、激しい痛みを感じま
した。これまでの人生で感じたことのない、激しい痛みでした。

『 ある朝、目覚めて、布団から起きだそうとした時、首の付け根が痛い。痛くて首を動かすこ
とが出来ない。それでも、痛みをこらえながら何とか体勢を入れ替え、心の中で「エイッヤー」
と叫んで起き上がった。その途端に、左肩甲骨の内側の一部分に、言いようのないほどの痛
みが走った。擬音で表現すると「グワ〜ン、グワ〜〜ン・・・」といった痛さだった。「我慢が出
来ない疼き」と言ったほうが当たっているかもしれない。1時間くらい続いた後、少しずつ激し
さが治まったが、首を少しでも動かすと「グワ〜ン、グワ〜〜ン・・・」を繰り返した。その晩、
布団に入ろうと、身体を横たえようとした時、首を支えることが出来ず、またもや「グワ〜ン、
グワ〜〜ン・・・」が始まり、治まってきてウツラウツラしても、寝返りを打ったときに痛くて眼を
覚ましてしまう。こんな症状が続いた。』

 これが、私なりの表現です。どうですか? どの程度理解していただけたでしょうか?

 ある製薬メーカーが「痛みに関する一般意識調査」を行なったことがあります。
 調査結果によると「これまでの記憶に残る最も強い身体的な痛み」を感じたとき、約7割の
人が「不安を感じ」、その内9割がその痛みを「誰かに伝え」ていたそうです。そして、痛みを
我慢せずに周囲に伝えたり、相手が痛みに共感を示してくれることで、痛みの感じ方が軽減
されたと思っている人が3割近くいることがわかりました。
 ただし、他人が痛みを訴えてきた場合、「痛みを気遣う気持ち」はあっても、痛みの程度まで
は「よく分からない」人が多数を占めたということです。
 痛みをどの様に訴えて理解してもらうか、難しいということのようです。
 
 私は、この痛さを、妻と、近所の整形外科医、大学病院の脳外科医、脳外科専門病院の医
師の順で受診し、説明しました。

 大学病院の脳外科医は、X線・MRI検査がすぐにできなかったのですが、詳しく問診してくれ
て私の痛さを理解してくれ、「単なる頚椎症以上の痛みがあるようだから」と、すぐに画像検査
の出来る専門病院に行くよう紹介状を書いてくれました。

 脳外科病院の専門医は、MRIを診ながら「即、入院」と宣告しました。

 そして、近所の整形外科医も、X線で検査して頚骨の異常を発見していたので痛みのあるこ
とを理解し、鎮痛剤と座薬を処方してくれました。が、私の痛みの激しさまでは理解してくれな
かったようです。なぜなら、鎮痛剤が1時間くらいしか効かなく、その1時間の間でも首を動か
すと「グワ〜ン、グワ〜〜ン・・・」だったのに、薬だけの処方で自宅静養を指示されただけでし
たから。

 誤解のないように言いますと、決して整形外科医がダメというのではなく、私の説明や訴え
方がだんだんと「上手になった」ということでしょう。

 しかし、妻は・・・・ 「入院」と聞かされるまで「寝違え」だと思っていたそうです(悲)。
  参照:「痛みに関する一般意識調査」(ヤンセンファーマ梶@2004/03)
Vol.3  「首の痛みは脳神経外科」

 生まれて初めて経験した激痛に七転八倒していることを、知り合いのドクターにメールで話しをしたら、「首の痛みは整形ではダメだ。脳神経外科で診てもらったほうがいい」とアドバイスをくれ、いくつかの病院を教えてくれた。しかし、少し様子を見ようという思いで、脳神経外科には行かないまま正月を過ごした。

 だが、楽しいはずの正月休みは悲惨な日々だった。お酒を飲んでいても辛かった。疲れても、横になる動作をすると激痛が走るので横になることもできない。正月だというのに機嫌も悪くなった。

 それで、正月明けの4日、大学病院の脳神経外科へ行った。9時半に行ったのに診察室に入ったのは11時半だった。痛いのと待ちくたびれたのとでイライラしだしたが、やっと名前が呼ばれて入った診察室にいた医師は、本当に親切だった。40分近くも問診してくれたのである。そのため、こちらも思っていたことを全て話し切ることが出来た。
 しかし、医師は「確定診断するためにはMRIの画像を見ないとできないが、空いていない。痛みがひどいようなので、すぐにMRIが撮れる病院を紹介する」と。「頚椎症だと思うが、痛みがひどいのですぐに行ってください」と言う。

 紹介された病院は、メールで相談していたドクターが紹介してくれた同じ脳神経外科専門の病院だったので、その足で病院へ直行した。タクシーで行ったのだが、普段ならなんてことはない雪道なのに、車の震動が首に響いて困ってしまった。降りる時に支払いをするために財布の中を見ようと下を向いた時にも、激痛が走った。日常生活の何気ない動作なのに、こんなにも首が動きまわっていたことを初めて知った。

 脳神経外科病院では、首と肩の部分を中心にX線とMRIを撮った。X線技師が首の位置を直そうとして少し動かした時にも、激痛が走った。MRIの時はもっと大変だった。痛くて撮影台に仰向けに寝ることができないのだ。技師が手伝おうとしてくれたが、どういう動きをすれば痛くないのかが私も技師もわからないから、介助にならない。あきらめて激痛を我慢することにした。
 撮影が終わって、起き上がるときはもっとひどかった。技師もどうして良いかわからずに困惑していた。「やっと終わった」とホッとしたが、診察室に呼ばれるまでの間、激しい痛みを我慢していた。

 そして、名前を呼ばれて入った診察室で、医師はMRIを見ながら「第6、第7頚椎が異常です。変形している。すぐに検査入院してください」と言ってきた。
 そんなにひどいの? と衝撃を受けながらも、「仕事の都合があるので明後日でもいいですか?」と恐る恐る聞いた。(続く)

Vol.4  遂に入院 骨腫瘍?

 そして、2004年1月6日入院。35日間の入院生活が始まった。

 最初の10日間は検査の連続だった。入院初日から、MRI、CTは勿論のこと、初めて聞くような検査もした。後日主治医が教えてくれたのだが、「第6、第7頚椎が炎症を起こしているが、炎症の原因が分からない」ということでの検査だった。原因が分からないので、治療法が決まらなかったのだ。

 「ガリウムシンチ」という聞きなれない検査もした。どういう検査なのかと検査技師に質問すると、「ガリウム」という放射線の一種が患部に集まる性質を持っているので、このガリウムを点滴して行う検査(核医学検査)だと説明してくれた。「患部だけが映し出される」というのを聞いて、「今流行のPET検査みたいなものですね」と言うと、「そうですね」と苦笑していた。

 数日後に看護師とこの検査のことを話していた時に「がん検査の一種」だと聞かされて、検査技師が「簡単に言うと・・・・」と、実に言いづらそうに説明していた理由がわかった。それなのに、がんの早期発見で脚光を浴びつつあった「PET(ペット)検査(陽電子放射断層撮影法)みたいなものですね」と私が質問したので返答に困ったのだろう。

 後日、主治医からガリウムシンチの検査画像を見せてもらったのだが、人体の全身像(「シンチグラム」という)が描かれていて、頚骨と左側胸鎖関節部分の2ヶ所に黒い影が映っていた。
胸鎖関節の影については、昔、胸鎖関節炎という病気をしたことがあったので思い出しながら話すと、医師は「昔の痕跡かもしれない」と説明してくれた。

 さらに「骨シンチ」という検査もした。これも、アイソトープを点滴してX線で撮影する検査で、がんが骨に転移した可能性がある場合などに行う検査である。徹底的にがんを疑われていたのだ。

 いろんな検査をした中に「腫瘍マーカー」検査もあった。がん細胞が作る物質(マーカー)を血液検査で発見しようというもので、がんの部位に対応していくつもの種類がある。私の場合は、「CEA」「PSA」「A−フェト」の3種類だった。CEAは甲状腺がん等を、PSAは前立腺がんを、A−フェトは肝がんを対象にしている。中年男性に可能性があるがんを選んだのだろう。だが結果は、いずれもシロだった。

 骨シンチやガリウムシンチは、初めて聞いた検査だったのでがん検査だとは思っていなかったが、腫瘍マーカーについては知っていたので、血液検査項目に腫瘍マーカーが入っているのを看護師から聞かされて、「がんを疑われていたんだ」と初めて知った。だから、治療法が決められなかったのだと気付いた。

 しかし、がんでないとしたら何の病気なのだろう? 難しい病気のようだ。が、意外に冷静に受け入れていた。激しい激痛が続いて、精神的にも疲れていたので、そう思ったのだろう。
 「がん? それでも仕方がないな。人生、これで終わりなのか。いろんなことがあったな」などと、淡々とした気持ちで考えていた。
 ちなみに、腫瘍マーカーの件を看護師から聞かされたのは、結果が「シロ」と判明した後である。「がん告知」を看護師がミスリードしたわけではない。

 その後も検査は続いた。入院から7日目(1月13日)、医師の説明があった。当初は骨腫瘍を疑ったが、症状に変化がないので可能性はないという。腫瘍の場合は、どんな治療をしても症状が進行するのだという。
 面白いもので、がんかもしれないと覚悟を決め、意外に冷静に受け入れていたので、「がんの可能性はない」と言われても、喜ぶでもなく何の感慨もなく聞いていた。 (続く)

Vol.5  結核? 肺がん?

 医師から「骨腫瘍の疑いはない」と言われたものの、CT画像では肺に癒着が見受けられると言う。それで、大学病院の内科で診てもらうことにしようと言われ、とりあえずツベルクリン反応を見ることになった。「結核?」。
 30代前半の時に、当時勤めていた会社の課内の一人が結核に感染していたことがあった。その時は、保健所から何らの指示もなかったので、検査も何もしていなかった。20年後の今になって結核なのか?

 その翌日(1月14日)、ツ反の24時間チェックをした。10mmもなかった。結核も無しだ。

 入院9日目(1月15日)。予約を入れていた大学病院の内科を受診。医師の前に座るや否や「結論から言うと肺ガンはありません」と言われた。「なんだ、結核ではなく肺がんを疑われていたんだ」と初めて気付いた。体のどこかにがん巣があって、頚骨に移転したという疑いを持っていたようだ。これも、入院した病院の私に対する気遣いだったのだろう。それほどまでにがんを疑っていたのか、と驚いてしまった。ということは、頚骨の炎症が尋常ではないということなのか?

 内科の医師は、私が持参したCT画像を見ながら「肺の上部、中部は異常ありません。右肺の下部に胸膜の癒着があります」と、画像をペンで追いながら説明してくれた。
 そして「タバコを吸いますか?」と聞いてきた。小さな声で「ハイ」と答えると、「喫煙者に見られるレベルです。一応は、肺気腫とか、間質性肺炎の診断名は付きますが、初期レベルなので、今後息切れなどが出ないなら問題はないです」と丁寧に説明してくれた。

 不思議なもので、医師から、こういうような言い方をされると妙に納得してしまう。「問題ない」と一言で言われるよりも、「そうなんだ。タバコをやめようかな。気をつけようかな」と、納得感が全然違うことに気付いた。それと、問題はなくても、喫煙者には肺気腫とか、間質性肺炎とかの病名が付くというのも可笑しかった。「息切れが出ないなら・・・・」の説明抜きに「間質性肺炎の初期です。タバコをやめてください」と言われたら、10人が10人とも禁煙するだろうと思った。

 そのあと、医師は聴診器を背中の右肺下部付近に重点的に当てて、「きれいな音です。肺がんはありません」と再度念を押すように言ってくれた。
 念のためということで呼吸機能検査もした。「正常です。病院には頚椎の治療を先行してもかまわないと返事を書いておきます」。

 嬉しくなって、妻や子供に言いたくなった。
 「徹底的にがんの検査をしたが、がんはどこにもなかったぞ。心電図も問題なかったぞ。だから心筋梗塞も心配ないぞ。血液検査をしても糖尿病もなかったぞ。だから俺は生活習慣病とは無縁で、健康なんだぞ」と(?)。
 がんを疑われて、「意外に冷静に受け止めていたのは誰だっけ?」「人生、これで終わりでもいいや、と思っていたのは誰?」と一人で苦笑した。
 それにしても、頚骨の炎症の原因は? (続く)

Vol.6  やっと治療方針が決まる

やっと治療方針が決まる

 大学病院の内科で「肺がんの疑いはない」と診断された夜の回診時に、主治医から「問題なかったようですね。今、大学病院の脳外科と話し合っています。抗生物質による治療を3週間程度予定しています」と言われた。
 この後3週間もかかるのか、と思うと「入院でですか? 外来でですか?」と臆目もなく聞いてしまった。「朝晩の一日2回投与なので入院でです」と言われ、仕方なく了承した。

 首から肩甲骨内側の痛みと言うか疼きと言うか、我慢できない状態は入院してからもずっと続いている。そりゃそうですよ。炎症の原因が分からずに検査をしていただけで、何にも治療していないんだから。だが、入院生活で生活パターンが決まっているためか、どうすれば痛いかが分かった分だけ、気は楽になっていた。

 ちなみに、入院直前から、肩甲骨内側の痛みは、左側から右側に移っていた。左は何にも痛くない。これも不思議だったが、今考えると、炎症の腫れが神経を刺激しての痛みなので、部位が変わっても不思議ではないのだ。

 とりあえずは、治療方針が決まったのは良いことだ。それにしても、なぜ炎症が起きたのだろうか? この時はまだ不明だった。


看護師とトラブル

 入院して15日目。昼間、抗生剤の副作用が起きない体質かどうかの反応を見るために少量の抗生剤を手の甲の皮下に注射する「豆注射(皮下注射)」をした。15分後に確認。問題なし。

 このとき、看護師とひと悶着あった。抗生剤(抗生物質)の種類を教えてくれなかったのだ。私は、セフェム系の抗生剤で発疹を起こしたことがあり、入院の際にもそのことは告げていた。看護師に抗生剤の種類を聞いたらあやふやな答えだったので、一旦拒否して、確認しなおしてくれと言った。抗生剤の種類を医師からも聞いていなかったので、少々むっとした。出直してきた看護師が「ペントシリンです。ペニシリン系です」と教えてくれたので同意した。

 夜の回診で医師が、「ペントシリン1gを10日間(朝晩)投与します。通常は1週間なのですが、炎症が深いケースも考えられるので、念のため10日間に延長します」という。

 就寝前の20時45分。第1回目の抗生剤を点滴。45分間かかった。


鎮痛剤と患者の智恵

 その夜、肩甲骨の内側が痛くて眼を覚まし、鎮痛剤を飲んだ。抗生剤が頚骨の炎症と闘っているのだろうか、と思った。

 鎮痛剤は、入院直後に渡されていた。最初は、痛くなると飲んでいたが、飲んでから20分くらいしないと効いてこない。しかも1時間くらいしか効かなかった。
 効果がその程度しかなかったのと、クセになるのが嫌で、痛みを我慢しながら飲んでいたが、ある時ふっと気付いて、予防的に飲むことを覚えた。
 寝る前に飲んだり、朝起きだす前に飲んだり、検査の前に飲んだりと、身体を動かす前に飲むようにしたのだ。意外と効果があったので「患者の智恵」みたいなものだなと、一人で自慢していた。 (続く)

Vol.7  セフェム系とペニシリン系

セフェム系とペニシリン系

 入院17日目(抗生剤のペントシリン点滴3日目)。

 夜、薬剤師をしている娘が見舞いに来た。昨日、抗生剤(抗生物質)の種類を教えて添付文書(医師や薬剤師など医療関係者向けに製薬メーカーが作成した医薬品の説明書)の写しを頼んでいたのを持ってきてくれた。

 私の顔を見るなり娘が言うには、「下痢していないの? セフェム(系)がだめなら、ペニシリン(系)もダメというのが普通なので、心配していたんだよ」という。

 そういえば、セフェム系の抗生剤で発疹を起こした時の内科医(私のかかりつけ医とも言うべき近所の内科医で、実に親切な医師である)が、「亀の甲(化学構造式)が似ているのでペニシリン系も避けた方がいい」と言って、医師の名刺の裏にそういう内容を書いてくれていた。
 私はその名刺を、自分の名刺入れに入れて持ち歩いていた。数少ないが、他の医療機関を受診したときや、調剤薬局などで「副作用の経験はありますか?」と聞かれたときなどに、その名刺を見せていた。

 昨夜の回診のときに、副作用のことを医師に聞いたのだが「大丈夫です」と言っていたので同意したのだが、頭の片隅に引っかかってはいた。だが、豆注射も問題ないし、一昨日の夜と、昨日と、そして今朝と、計4回点滴している。最初の点滴から48時間経過しようとしているのに何も変化がないので大丈夫のようだ。


内科医と外科医の違い?

 内科系の医師と外科系の医師では、薬の使い方に違いがあるという話を、医師や製薬メーカーの取材の中で聞いたことがあった。

 内科系の医師は、いろいろな薬を使い、いろいろな副作用も経験しているので、薬の選択には気を遣い、かつ慎重投与になるのだという。だが、外科系の医師は診る病気も限られていることが多いのと、その際に使う薬も限られている。そのためか、いつも同じ薬で使い慣れているので、薬に対して内科医ほどの気を遣わないのだという。

 おそらく内科医だったらペニシリン系も避けたのではないだろうか。脳外科らしいな、と思った。こういうことを書くと外科系の医師からお叱りを受けそうだ。 (続く)

Vol.8  激痛から解放 & 掌蹠膿疱症が大爆発

 点滴4日目。鎮痛剤を服用する回数が明らかに少なくなっていた。それだけ、痛み(疼き)が弱くなってきたということだ。「抗生剤が効いている!!」。

 実は、この時、掌蹠膿疱症が大爆発していた。手のひらの色が真っ黒に近いほどの色になっていた。私の場合は左手だけに症状が出ていたので、左右の手のひらを並べてみると実にはっきりと、気味が悪いくらい違いがわかった。
 そして、手足の皮膚がボロボロと剥がれ落ちていた。手足の痒みもひどくて、皮膚科診療所で処方された軟膏を頻繁に塗っていた。気休めということは分かっているのだが、他にすることもないので頻繁に塗っていた。

 こういう大爆発があったのを、その時は頚椎の炎症・抗生剤投与と関連付けて考えていなかった。退院後に最初に受診した皮膚科診療所に行って、入院中の様子を説明していた時に初めて関連性に気付いた。
 抗生剤を投与して炎症を叩いたことで、大元の原因である掌蹠脳疱症が一時的に憎悪(ぞうお=悪化の意)したのである。入院中は、関係があるなどと思いも付かなかったので「すごい色だな」としか思っていなかった。

 私は医師ではないので詳しいことは知らないが、入院前に皮膚科診療所に通っていたときにインターネットで掌蹠膿疱症を調べていたら、「ある種の抗生剤が効果ある」という一文を見たことを思い出し、皮膚科医に話すと「今の話を聞いていて、私もそう思います」と言っていた。
 それと、炎症を起こした場合に、その炎症を抑える(消える)と掌蹠膿疱症の症状も同時に消えるというケースがあることも教えてくれた。私の場合もまさにそのケースだったわけだ。

★インターネットで「掌蹠膿疱症」を調べていたら、次のような文章を見つけた。

整形・災害外科vol.42 no.7 1999の千木良正機の論文には、

「掌蹠膿疱に対する抗生物質療法の有効性は二重妄検法によって確認されており、本疾患の前胸部痛も抗生物質によって軽減される。
 抗生剤は比較的速効し治療効果は著しい。しかし有効な抗生物質の種類は必ずしも一定ではない。テトラサイクリン系あるいはマクラロイド系薬物が第一選択と考えられるが、ペニシリンおよびセフェム系でも著効が得られる場合もある。
 投与開始より1週間程度で症状が軽快しない場合には、無効と考えて抗生剤の種類を変更することが必要である。一般的に投与期間は1ヵ月程度とし、最初は通常量を投与して症状の軽快を確認してから漸減する。
 抗生剤が有効な場合には患者が継続的な投薬を希望するが、菌交代現象ならびに潰瘍形成を考慮して一定期間後に休薬すべきである。」
          参照:月刊「整形・災害外科」(金原出版)

 私のケースは、まさにここに書いてある通りであった。
 「掌蹠膿疱症性骨関節炎」は、抗生剤を投与することで骨間接部位の炎症が抑えられ、激痛から解放される!! こんなに嬉しいことはない。そして、私の中では、「炎症を抗生剤で抑える」ことは、何の疑いもなく当然のように思っていた。
 そのため、奈美悦子さんが告白したときも、心のどこかで「大げさな」という思いもあった。なぜいくつもの病院を駆け回ったのか、疑問に思っていた。
 骨関節炎で大勢の人が激痛に悩まされているという話を聞いても、また、その患者さんたちが私と同じく「鎮痛剤も効かない」という話をしているのを聞いても、「なぜ?」「なぜ抗生剤で炎症を抑えないのか?」と疑問に思っていた。
 この疑問は今も思っている。医師が知らないだけなのだろうか? 私のケースは特殊だったのだろうか? 
 上掲の論文は、決して私が特殊なケースだったわけではない、ということを示しているではないか。それなら、なぜ抗生剤を投与して激痛から解放してあげないのだろうか?

        ************

 抗生剤の投与が始まってからは、一日ごとに、肩甲骨内側と首(頚骨)の痛みが消え、掌蹠膿疱症も後を追うように改善していった。

 しかし、肩甲骨内側の痛みはかなりの程度消失したものの、完全にはなくなっていなかった。それでも、寝起きの際の激痛からは解放されていたし、首をおそるおそる廻しても痛くならなかった。首と肩の辺りにモヤモヤ感が残っていただけだった。
 そして抗生剤投与を始めてから10日間が過ぎた。 (続く)

Vol.9  またまた看護師とトラブル

 1月30日(入院24日目。抗生剤ペントシリン点滴10日目)

 第1弾の抗生剤の投与予定期間(10日間)の最終日だ。結果を見るためにMRIを撮った。
 主治医は、MRIを診ながら、「痛みは薄らいでいるようだが、炎症の影がまだ映っている」と言って、さらに10日間、別の抗生剤を投与することになった。が、その時は、医師がまだ種類を決めていなかった。それが原因でまたまた看護師とひと悶着あった。

 昼過ぎに看護師が豆注射をしにきた時に抗生剤の種類を聞いたのだが、看護師は「あとで聞いてくるから先に注射しよう」と言った。カチンと来て「後先逆だろう」と大きな声が出てしまった。「俺の言っていることはおかしいか」とまで言ってしまった。看護師は驚いて詰め所に戻って、出直してきて「ユナシンSです。ペニシリン系です」と教えてくれた。
 しかし、機嫌を損ねた私は「先生の説明を聞いてからにする」と宣言。今度は看護師が機嫌を損ねて帰ってしまった。

 ある時、病棟婦長と話していたときに、「前立腺になったのかと思うほどオシッコが近くなった」と打ち明けると、「入院しているということだけで、患者にはストレスが溜まり、おしっこが近くなるので、気にしなくていいですよ」と教えてくれた。「わがままな患者」というだけではないらしい。
 その一方で、ストレスを知らず知らずに溜め込んでいる患者を相手にしている看護師さんもストレスを感じている。「仕事のストレスが大きいから、忘年会などの飲み会になると大騒ぎする看護師が多い」と、知り合いの看護師が面白おかしく話してくれていたのを思い出した。
 看護師さん、大声出してごめんなさい。 (続く)


 コラム 看護師の注射技術と指名制

 掌蹠膿疱症が原因の頚骨炎症による入院は、私の仕事上でも、貴重な体験だった。その一つに、看護師の「注射」がある。

 検査のための採血も痛いのだが、一番嫌だったのは点滴用の留置針を腕の静脈に入れるときの痛さだった。これは私だけではなく、同室の患者は皆んな一様に痛がっていた。
通常の注射であれば、チクッと針が入る時だけの痛さだが、留置針の場合は、針が長く、グッと押し込まれる感じがある。点滴用の針は細めだが、MRIの造影剤を入れるときの留置針は太いため、見た目にもその痛さが倍増した。
 さらに厄介なのは、静脈に上手く入らずに「やり直し」になる場合や、静脈内に入っても留置針が血管壁に触れ、チクチクする痛さを感じるときだ。この場合も「やり直し」になる。留置針を入れるたびに心の中で「上手く入れてくれ」と願っていた。

 「上手く入れてくれ」という願いを抱くのは、看護師によっては、2度3度と入れなおす場合があるからだ。やはり、若い看護師は「やり直し」になることが多い。その場合は、私も痛くて嫌だが、看護師も「嫌だ」と思うと言う。患者の痛がる声を聞くと途端に「プレッシャーがかかって2度目が入れられなくなる」という。ある看護師は一度目を失敗すると即座に「代わってもらうね」と言い残して先輩看護師を呼びに行った。

 最近、病院の外来では、「採血・注射室」を置くところが増えてきた。担当の看護師が採血や注射を専門に行うのだから、熟練して「やり直し」を避けることが出来る。患者にとってはありがたいことだが、注射が苦手(?)な看護師にとってもプレッシャーからの解放になる。ただし、病棟で採血・注射専門の看護師を置いているという話は寡聞にして知らない。

 同室の患者の中に看護師の「指名制」を唱えた人がおり、私も「指名料を払ってもいい」と同意してしまったが、看護師にとっては不愉快な話だろうと現在は反省している。
それにしても、造影剤用の留置針が太かったのだけは印象に残った。(了)



 コラム 看護師の注射 (感動編)

 「看護師の注射技術と指名制」などと失礼なことを書いたが、看護師の職業意識に思わず感動してしまった出来事があったので紹介する。

 実は、点滴用の留置針を入れる時の痛さが嫌で、血管壁に針が触れていたのを黙っていた患者がいた。看護師は留置針を入れた後に「痛くないですか」と患者に確認するのだが、その患者(Kさん、50代男性)は「やり直し」が嫌で、血管壁に針が触れているのを黙っていた。Kさんから後で聞いた話だが、チクチクする痛みだけではなく、点滴液が注入されているときにも痛みがあったという。点滴液も少し漏れていた。それでも我慢していたのだ。

 そして、翌日の点滴時間になって、看護師(Mさん)が留置針に点滴の管を付け替えたときに「痛い」とKさんが漏らした。
Mさんは、もう一度針の入っている個所に触れながら「痛いですか」とKさんに聞きなおした。
Kさんは「痛いけど、もう一度針を入れなおすのはもっと嫌だ」と訴えた。
Mさんは「このままだと腫れてくるから入れなおしましょう」と。
Kさんは「針を入れるときに、グッと押し込む感じがたまらなく嫌だ。このままでいいから早く点滴してくれ」と。
 そういうやり取りをしばらく繰り返して、Kさんはプイッと横を向いてしまった。

 その時、Mさんは「腫れるのが分かっていてそのままにできません。針を入れなおすと言ってください。言ってくれるまで私はここで待っています」と凛とした口調で言った。
 その迫力ある一言にKさんは「分かった。入れなおしてくれ」と折れた。

 看護師のMさんが言った一言は、まさに看護師としての職業意識からでた言葉だったと思いました。Mさんは留置針を入れるのが巧い看護師の一人でした。自信があったのでしょうが、ここで「やり直し」は出来ないというプレッシャーはいつも以上だったと思います。

 このやりとりを向かいのベッドで聞いていた私は、翌日、病棟看護師長にそっと報告しました。「感動しましたよ」と最後に一言添えて。(了)

Vol.10  添付文書を入手したのはいいが・・・

 入院24日目。
 第2弾になる抗生剤の名前を聞いたので早速、病院の薬剤部の窓口に行き「ユナシンSの点滴を受けることになったので、添付文書のコピーを貰えないか」と頼んだ。薬剤師はすぐにコピーを取って渡してくれた。いくつかの質問をしながら、どういう薬なのかの説明をじっくり聞くこともできた。

 数年前までは、専門用語の多い添付文書は患者に誤解を与える可能性があるということで、添付文書を渡してくれないケースが多かったようだ。特に、製薬メーカーは、副作用の発現率を書いてある部分が誤解を受けやすいということで、患者に渡されるのを嫌がっていた。

 しかし、医療は医師や医療スタッフのものだけではないのだから、患者が要求したら説明を加えて渡すのは当たり前だろう。最近は、渡してくれる病院(薬剤部)が増えているようだ。私はそのコピーをベッドの枕元に貼り付けていた。情報公開が進んでいるのだなと、この場面では感心した。

 その日の夜の回診時、ベッドの枕元にその添付文書を貼り付けていたのを医師が見つけて「どうしたの?」と聞いてきた。薬剤部から貰ったとはいえず、娘が薬剤師なので持ってきてもらったと嘘の説明をした。こういう気を遣わなくてはならない患者(私のことだが)は情けないなと、反省した。だが、まだまだ日本の病院には、古い体質が残っているのだから仕方ないか、と自己弁護もしてしまった。 (続く)

Vol.11  インフォームドコンセントと現実

 どの薬を投与するかというのは治療方針なのだから、医師が患者に対して直接説明すべきであろう。この病院は、看護師がほとんどの説明をしていた。頚椎関係では評判の病院で、患者が多く集まり忙しすぎるせいか、医師からの説明が少ない病院だなと思っていたが、治療方法が変わるときぐらい、もう少し話をしてくれてもいいのではないかと思う。何のために夜の回診をしているのだろうか。

 同室の患者から「知識があるから言えるんだよ。我々は、そもそも何を聞いたらよいのか、何を言ったら良いのかすら分からないから、先生の言うことを黙って聞いていることしかできないですよ」と言われた。

 インフォームドコンセントは確かに定着しつつあると思う。だが、「説明と同意」というように日本語で書いてみると、「(医師の)説明」の部分は十分に行なわれるようになってきたようだが、「(患者の)同意」の部分については患者の知識が不足しているため理解にまで至らず、「(真の)同意」までには至っていないようだ。それが現実なのだろう。

 医療についての知識に明らかに較差があるのだから、医師は患者が理解できるように話して欲しい。そうは言っても、知識の乏しい患者に説明するのは難しく、時にイライラもするだろう。同じことを何度も繰り返し聞かれるだろう。そこを、ぐっと抑えて説明する努力をお願いしたい。患者が理解しない限り、真の「同意」にはならない。そこに誤解が生まれ、後々トラブルの原因にもなる。
 最近の医療訴訟では、「説明不足」を理由に損害賠償を認める判例も出てきているのだから、患者が理解して同意する真のインフォームドコンセントを実践していただきたい。実態を見た思いがした。 (続く)

Vol.12  掌蹠膿疱症が原因だった

 入院24日目。
 その日の夕方、主治医から呼ばれて、第2弾の抗生剤「ユナシンS」の説明を受けた。そして、衝撃的な話しを聞かされた。

 「MRI、血液検査の結果では、まだ炎症が残っている」と状況を説明された後、「若い時に扁桃腺の炎症が頻繁にあったことや、掌蹠膿疱症のことなどを考えると、アレルギー体質なのかもしれないですね。免疫系の問題も考えられます」といいながら、手のひらの状況を観察した。
 「医師を10年間やっているけど、掌蹠膿疱症という病名を初めて聞いたんですよ。普通の医師は知らないと思いますよ」と言って、専門書などで調べてくれた結果を教えてくれた。

 そして、「炎症が起きたのは、おそらく掌蹠膿疱症が原因なのだと思う」と話してくれた。

 忙しい診察の合間に、炎症の原因を突き止めようと、そこまで調べてくれたのだと思うと何となく医師が身近になったような気がして、嬉しくなった。

 もう一つ嬉しかったことがある。主治医が平気で私の掌蹠膿疱症の手を取り、観察してくれたことだ。第1弾の抗生剤投与で大分改善されていたとはいえ、まだ皮膚の色の黒ずみが残っていた・膿疱の破れた痕跡も幾つも残っていた。その手をとって観察してくれたのだ。そういえば看護師も平気で私の手をとってくれていた。
 今まで、手のひらの症状を見せると、「感染しない」と説明していても途端に引いてしまう人が多かったのだが、医師も看護師も平気で触ってくれていた。これは私にとって実に嬉しいことだった。 (続く)

Vol.13  掌蹠膿疱症と胸鎖関節炎

 この時、入院直後に撮っていたガリウムシンチの画面を見せてもらった。頚骨部分と左側の胸鎖関節部分が黒く映っていた。そういえば、7年くらい前に胸鎖関節炎になったことを思い出して主治医に説明した。

 その時は東京にいたのだが、ある朝目覚めると、胸鎖関節の部分がプクッとコブのように膨れ上がり、痛くて起き上がることが出来なかった。腕を動かしたりすると痛みが走った。コップを持つと、腕全体の力が抜けたようになってコップが重く感じ、落としてしまった。

 胸骨がどうにかなったのではないかと思い、近くの整形外科診療所に行ってX線を撮ってもらったが「骨折でもないし、良くわからない」という。
 おかしいと思い、職場の近くでは一番大きい総合病院へ行ったら、総合問診とX線、血液を採ったあと、リウマチ外来に廻された。ところが、担当医はリウマチの名医といわれている医師だったのだが、
「リウマチ反応が出ていない。原因は分からない。何の病気か分からない」
と言う。とりあえず処方されたのは、消炎鎮痛剤と末梢神経障害治療薬だった。とりあえず、服用したが、効いている感じはしない。
「なんなんだ?」。

 心配になって、3日目に大学病院へ行った。東京には大学病院がいくつもあるが、どこという当てもなかったので、会社と住まいから一番交通の便が良かった大学病院にしただけなのだが、結果として正解だったようだ。

 受付を済ませると、診察前に総合問診があった。症状を説明すると、X線と、血液検査を指示された。総合病院でリウマチを疑われたときと同じパターンになったので、「リウマチなのかな。でも検査してもリウマチ反応が出ていないと言っていたのに・・・・」と思いながら待合室で待っていた。
 名前を呼ばれ診察室へ入ると、医師が開口一番、「病名は胸鎖関節炎です。中年以降の女性にたまに見受けられる病気です。男性がかかる例はさらに少ないのですが、例はあります。リウマチ反応も出ていないので間違いないでしょう」と説明してくれた。
 かなり珍しい病気らしいのだが、この医師はこの病気の患者を過去に担当した経験があったのだ。リウマチの名医が診ても分からなかった病気が、大学病院では一発でわかったのだ。やっぱり大学病院は違うな、と感心してしまった。
 こういう体験をしてしまうと、例え風邪かなと思っても、次からは大学病院に最初に行ってしまう患者心理(行動)も頷けた。

 大学病院の医師は、「この病気の原因は分かっていません。が、特効薬があります。なぜ効くのかも分かっていないのですが、炎症を抑えて痛みも消えます」と笑いながら言うので、かえって安心した。その特効薬は「酵素製剤」(炎症による腫れを抑える効果がある薬)といわれている薬だったが、数日間飲んだら本当に治ってしまったのにも驚き、感心してしまった。

 ところが、それから数ヶ月するとまた同じ症状が出てきた。だが、病院に行こうと思うほどの痛みにならないまま治まっていた。年に1回か2回くらいの割合で軽い発症を繰り返し、残っていた特効薬を2、3日飲んでいた。その内に薬もなくなったが、発症しても1週間ぐらい経過すると痛みも消えていたので、さほど気にすることもなく10年近くが過ぎた。
 
 そして今回、足の裏に水虫のような掌蹠膿疱症の症状が発症する4ヶ月前の3月から、この症状が出ていた。それまでは、1週間もすると痛みが消えていたのだが、この時はしつこかった。掌蹠膿疱症の症状が出始めるまでの約4ヶ月間もの間、途切れ途切れだったが胸鎖関節の痛みに悩まされていた。コップを落とすようなことはなかったが、カバンを持とうとしたときとか、両腕で抱え込むように物を持とうとすると痛みが走った。
 私は釣りが好きで、3月頃から日本海沿いの厚田村、浜益村、そして雄冬海岸(昔は陸の孤島といわれていただけに大物が釣れる)などに頻繁に釣りに出かけていたのだが、その時に、置き竿に魚信があって竿をグッと持ち上げる時とか、リールを巻く時などに痛みを感じ苦労していた。胸(肋)骨に骨関節炎が起きたときに「抱え込むような動作をすると痛みを感じる」と表現される患者さんが多いようだが、この時の私も同じだった。

 それで、掌蹠膿疱症を診てもらっていた皮膚科診療所で、大学病院で処方してもらった特効薬を、無理を言って貰ったりもした。

 実は、医療機関が診療報酬を請求(保険請求)する際に、問題のない診療・投薬かどうかの審査がある。「この病気にはこういう処置が行われ、こういう薬が投与される」というパターンみたいなものがあって、これを外れた場合には本当に必要な治療だったのかどうかの審査がある。薬も、あらかじめ許可された病気にしか投与できないことになっているのだ。そのため、皮膚科で投与される薬の種類というのが大体決まっているので、それを外れた薬が投与されると審査にまわされ、場合によっては診療報酬(薬の部分)がカットされることもある。胸鎖関節炎の特効薬は、皮膚科の患者に一般に処方するような薬ではなかったので、医師は保険請求の理由に苦労したと思う。

 だが、そこまでして処方してもらった薬なのに、残念ながらその時は特効薬にはならなかった。「どうしてだろう?」と疑問に思っていたのだが、最初の時のような激しい痛みではなかったし、プクッと腫れたわけでもないので、「今回は効かないな」というぐらいしか思わず、深く考えずにいた。
 そして、何度目かの痛みが消えかかった頃、頚骨の激痛が始まったのである。

 そういう話を主治医にすると、「大学病院のアレルギー科か、皮膚科で、掌蹠膿疱症と頚椎の炎症の関係を診てもらった方が良いと思う」というので、数日後に予約を入れてもらった。

 そうだったのか。掌蹠膿胞症が原因だったのか。胸鎖関節炎もそうだったのだ。

 インターネットで調べた時、関節炎を併発するケースが多いと書いてあったのを、主治医の話を聞いてやっと思い出した。

 原因が分かったぞ。

 そう思ったらなんとなく気が晴れた感じがした。ペントシリンで炎症が治まりかけていたのも、安心材料だった。 (続く)

Vol.14  扁桃腺原因説

 インターネットで掌蹠膿胞症を調べていた時、扁桃腺原因説も書いてあった。

 実は、20代の頃、半年に一度、春と秋に扁桃腺を腫らし、39度前後の高熱を出していた。高熱に唸りながらも3、4日ほど寝ていると治ったのだが、あるとき我慢できず病院に行った。
 医師は、何度も繰り返し腫らしているようなので扁桃腺を取るのも一つの方法だよと言う。その日は、ベテランの看護師がルゴールを塗って終わったのだが、その看護師から「何歳ですか?」と聞かれた。「28歳」ですと答えると、「そうか〜。扁桃腺を取るのもいいけど、取ると腎臓に影響が出る人もいるんだよね。30歳過ぎたら不思議にピタッと腫らさなくなる人も多いみたいだから、様子を見てみたら。あと2年だから」と話してくれた。

 その後も、扁桃腺の切除をしないまま、やはり春と秋に腫らしていたのだが、30歳を過ぎたら本当に腫らさなくなった。不思議なものだなと、女房や友達に自慢話的に話していた。
 この扁桃腺を腫らしていたのも、掌蹠膿疱症が原因だったのかもしれないと、今になって思っている。だとすると、なんと潜伏期間の長い病気であろうか。あらためて感心してしまう。
(続く)

Vol.15  薬が違うよ 患者参加型リスクマネジメント

 主治医から説明を受けた翌日(1月31日)の朝に豆注射(皮内テスト)をした。異常なし。

 引き続いてユナシンの点滴を受けることになった。ところが、看護師が持ってきた点滴パックには、マジックで「ユナシンS1g」と大きく書いてあるのが目に入った。

 「おいおい、看護師さんよ。ユナシンに1gは無いよ。1.5gと0.75gの規格しか無いよ」と、壁に貼り付けておいた添付文書を見せながら言った。「あれっ」と首をかしげた看護師はナースステーションに戻り、出直してきた。「1.5gでした。書き間違えちゃった」と言ってニコッと笑った。つられて私も苦笑してしまった。

 書き間違えたのは問題だが、点滴パックに薬剤名を書くという気遣いは安心する。ミスをしないようにするための工夫でもある。そしてもう一つ。患者が、投与される薬を理解していれば、この時の私のように「薬が違うよ」と注意することも出来る。

 私は、それ以降毎回、点滴のたびにパックに目をやり、看護師に聞こえるように声に出して読んでいた。看護師も「ユナシンS1.5です」と、私が言い出す前に声に出して言うようになった。 (続く)


 コラム  「患者参加型リスクマネジメント」


 今、医療機関では、医療事故防止の取組みに必死になっている。何かの処置をするときなどは、必ず患者の名前を呼んで確認し、人違いを防止している。挨拶代わりに名前を呼んでいるだけではない。この病院でも、検査や採血のたびに必ず名前を呼ばれていた。自分のベッドに横になっていてもだ。たまたま他人がベッドに横になっていることもありうるからだ。
 患者間違いは小さな病院では起きない。患者数が少ないので、患者の名前と顔が一致するからである。大病院ほど、患者の名前と顔が一致しなくなる。だから名前を呼ぶのである。患者に、バーコードつきの腕輪をさせて間違いを防止する病院もあるほどだ。

 また、看護師が投薬や注射・点滴を準備する際には、複数の看護師が確認する作業を行っている。これだけでもほとんどのミスは避けることが出来る。だが、人間が行う作業である以上、ミスは付きものだ。

 医師や看護師の学会などでは最近、「ミスはある」を前提に、そのミスを最小限に抑えるための取組み例が数多く発表され、致命的なミスを避ける工夫が広まっているが、その一つに、「患者にも参加してもらう」取り組みを報告するケースが目に付きだした。

 薬の種類や投与量、副作用の内容を事前に患者に説明し、理解してもらい、投薬・点滴の際に看護師の説明が違った場合に「いつもと違うよ。薬が変わったの?」と患者に指摘してもらおうというのだ。患者に投薬ミスなどを発見してもらおうという意図ではない。いわば、患者も受身で「治療」を受けるのではなく、主体的に「治療」に加わってもらおうというわけだ。最終のチェック者として「患者も医療スタッフの一員」と言っても良いかもしれない。

 看護師は何人もの患者を相手にしているが、患者は自分の薬だけを理解していれば良いのだから、患者が混同することはない。

 医療事故で一番多いのが投薬ミスだという。声を出すだけで投薬ミスが防げるのだから、患者は声を出すべきだ。「物言わぬ患者」ではダメなのだ。(了)

Vol.16  なんで見舞いに来ないんだ!!

 翌日(2月1日)は日曜日だった。日曜日は見舞い客が多い。若い夫婦が小さい子供を連れての見舞いが目に付く。ということは、おじいちゃん、おばあちゃんの入院が多いということだ。頚椎関連で有名な病院なので、孫のいる世代に頚椎の病気が多いということなのだろう。歳をとるにつれて、頚椎が損耗するのだという。妙に納得してしまった。

 それにしても、入院患者にとって見舞い客は気分転換になるし、実に嬉しいものだ。だが、立場が反対だったらどうだろうか。

 この日、同室患者のS氏のところに、会社の上司・同僚などが3人連れで見舞いに来た。入院2週間目にして初めての会社関係者の見舞いである。病気の話や仕事の話を大声で話していた。

 だが、見舞い客が帰ったあとS氏は、「どうして今まで来なかったんだ」と怒っていた。職場の上司や同僚、部下が、当然見舞いに来てくれるものと思いたい気持ちは分かる。見舞いに来てもらうことで、職場での自分への評価を確認したかったのだろう。会社勤めの人なら誰しもが同じ思いを持つであろう。

 しかし、立場が反対だったらどうだろうか。見舞いに行こうかと思っても、「かえって迷惑なのではないか」と考えてしまうこともある。会社の同僚などが入院しても、昼間は仕事しているので行けない。仕事の都合を見てと思ってもなかなか時間が取れない。休日は休日でいろいろな都合もある。

 ある時、親しい知人が入院したと聞いて急遽見舞いに行ったことがある。ところが、知人は急性期症状から脱したばかりで、ゆっくり話せる雰囲気ではなかった。付き添いの家族に挨拶して知人の顔を見ただけで帰ってきたことがあった。そういう経験をしてしまうと、次からは見舞いに行くタイミングということも考えてしまう。ところが、いつ行こうかと考えている間に「退院してしまった」という経験もしてしまった。見舞いに行くタイミングは難しいと思う。

 だが、実際に自分が入院してみると、これだけは言える。入院患者にとって見舞い客が来てくれることほど嬉しいことはない――と。せっかく来てくれたのに、具合の悪いときは失礼してしまうが、それでも「○○さんが見舞いに来てくれた」という思いは格別なものがある。見舞い客が帰られた後は必ず、心の中に「自分のためにわざわざ来てくれてありがとう」「嬉しかったよ」という思いが湧き出てくる。入院患者は、その言葉に自分自身が癒されているのである。
Sさんにもこういう思いがあって、少し強すぎたのかもしれない。

   **********

 この日、掌蹠膿疱症の症状が緩和しているのに気付いた。1週間前まではひどかった。ユナシンでさらに改善されることを期待していた。 (続く)

Vol.17  確定診断 掌蹠膿疱症による「頚椎炎」

 2月2日(入院27日目)
  朝、目を覚ますと気分がいい。首から肩甲骨にかけてのもやもや感がない。抗生剤の投与で、痛みは急速に取れていたのだが、首の付け根部分のもやもや感だけが残っていた。それが、今朝はないのだ。

 この日は、皮膚科受診のために大学病院に行った。そこで、ムッとしてしまう場面があった。
 9時半に外来受付機に診察カードを通したのに、診察室に入ったのは11時だ。この大学病院は、予約をしていても受付順なのだという。予約の意味がないだろう、といつも思う。「予約」というからには、時間も予約にすべきだろう。

 待ちくたびれて診察室に入ると、中年の医師が紹介状に目を通していたので、「よろしくお願いします」と挨拶して、医師の前にある椅子に座って読み終えるのを待っていた。
 紹介状を読み終えた医師は、突然無言で私の手を取って症状を確認した。
 「掌蹠膿疱症ですね」と言い、「足は?」と聞いてきた。靴下を脱いで足の裏を見せると、これまた無言で症状を見ていた。そして、傍に立っていた研修医(?)と思われる若い2人に「診てごらん」と声を掛けた。当然、その研修医は私の足の裏を覗き込んだ。そして「初めて見ました」と平気で言い放った。

 私は、若い研修医(?)に症状を見せるのが嫌なのではない。だが、一言、この2人の若者が何者なのかの説明があってしかるべきだ。そして、勉強のために見せてもいいかと、患者に了解を求めるべきだろう。この中年の医師は、昔のままの感性を持った医師なのだろう。後で調べたら、大ベテランの医師だった。こういう指導医の下で研修を受けている若い医師も感化されて、同じような感性を持った医師になってしまうのだろうか。これだけでも腹立たしいのだが、その後がもっと凄かった。

 医師は、その後、私の顔を見ながら黙ったままなのだ。
 私は、とまどってしまった。そりゃそうでしょう。普通ならば、症状を診たのだから、医師から病気や症状について説明を始めるのではないだろうか。紹介状も読んだのだから、医師から説明を始めるのが常識と言うものだろう。
 ところが、この医師は診察が終わるまでの間、私の質問に答えるだけだった。思わずムッとしてしまったのだが、当然だろう。
 だが、こういう場合の患者は、「借りてきた猫」状態である。私の場合は、仕事柄、少しは知識があるので質問をすることが出来るが、普通の人なら、何も聞けないまま終わってしまうのではないか。今も、書きながら腹が立っているのだが、その時も、病院に戻ってから看護師や病棟婦長(その大学病院出身)に「あの先生は不愉快だ。信用できない」と告げ口をしたくらいだ。

 結局、その不愉快極まりない医師が言うには、掌蹠膿疱症は胸鎖関節などに炎症を起こすことが一般的に知られているが、「頚椎に炎症を起こしたケースも、過去に1例だが診たことがある。絶対とはいえないが、あなたの場合も7、8割の確率でそうだと思う」と、実に得意そうに、私の顔を覗きこむように話した。

 それを聞いた私は、少し興奮しながら聞いた。
「ということは、頚椎の炎症を抗生剤で治めても、掌蹠膿疱症が治らない病気なので、将来的に何かの拍子で、また同じ炎症を起こすことがあるということですか?」
「残念ですが、そうです」
 医師は実にはっきりと答えてくれた。そしてまた、黙ってしまった。

 その時の私にとっては、あの激痛を再び繰り返すのかと思うと、死亡宣告にも近い言葉である。それなのに、その医師は、短く、的確に、宣言してくれたのだ。その後のフォローの言葉が一言も無くだ。「こいつは医師失格だ」と思う気持ちを理解していただけると思う。
 
 なんということか!!  再発の危険を抱えたまま一生涯、生きていくのか!!

 それでも、冷静になろうと努めて質問をした。
「昔、胸鎖関節炎に罹ったことがあり、その時は特効薬だという酵素系の薬を飲んで効果があった。だが、昨年の夏に、掌蹠膿疱症で皮膚科診療所に通う前から同じ症状が出ていたので、皮膚科医に無理に頼んでその薬を処方してもらって飲んだが、その時は効果がなかった。先生が言った掌蹠膿胞症による胸鎖関節炎ということだったのでしょうか? それとも名前は同じでも違う原因の病気だったのでしょうか」。

 胸鎖関節炎は、掌蹠膿胞症が発症する前に出ていたのだから、前後関係が違うようにも思ったのと、特効薬のはずの薬が効かなかったので質問したのだ。
「まあ、そういうこともあるでしょう」
 医師は言葉を濁しながら答えた。
 私にとっては、前後関係の矛盾を聞いたのだから、正面から答えて欲しかったのだが、研修医(?)の前なのでこれ以上突っ込んで聞いても無理かなと思ったほど曖昧な回答だった。

 そして、医師の最後の台詞が実に素晴らしかった。
「今、皮膚科はかかっていますか?」
「はい。○○線の△△駅前にある□□クリニックです。そこで掌蹠膿疱症と言われました」
「そうですか。ここ(この大学病院)でかかってもお役に立てないと思いますよ。町医者と同じ治療法ですから、通いやすい方がいいでしょう」
「ありがとうございました」

 私は、皮肉たっぷりのイントネーションで挨拶をして診察室を出た。 (続く)

Vol.18  1ヶ月経過 退院?

 そして、とうとう2月6日(金)。
 入院生活が一ヶ月になったので、そろそろ退院話が出るのではないかな、と思っていたら、「来週の月曜か火曜に先生からお話があります」と看護師が伝えにきた。第2弾の抗生剤(ユナシンS)の投与は9日までの予定だったので、それが終わったら退院ということになるのだろう。

 第1弾の抗生剤(ペントシリン)の投与を始めてから、肩甲骨の内側の激痛は急速に薄れていた。そして、第2弾のユナシンSになってからは、肩甲骨内側の痛みは消失していた。
 だが、首の下側と両肩にかけて、コリというか、張りというか、もやもやしたものを感じていた。この痛み・不快感があるために、ストレスを感じていた。この痛み・不快感の程度は日によって違うので、鎮痛剤を飲んだり飲まなかったりの毎日でもあった(実は、この痛み・不快感は、退院後に思いがけない形で私を悩ませることになった)。

 そういう状況下での退院話なので、戸惑いもあった。だが、最近の病院、特に急性期の患者を扱う病院で1ヶ月以上も入院する例は少なくなっている。
 だからといって、病状を無視して無理やり退院させているわけではないので、私も抵抗しても無駄だろうと思い、「退院」といわれたら受け入れようという気になっていた。 (続く)

Vol.19  あえなく「却下」(笑)

 2月9日(月)(入院34日目・抗生剤ユナシン投与9日目)、主治医の説明があった。
 昼間にMRIを撮った。血液検査もした。主治医は、血液検査の結果は好転していることを説明してくれた。炎症値は「0.6」と、炎症が残っていることを示しているが、大きな値ではないと言う。
 そして、「抗菌」を狙った治療はこれ以上の効果が期待できないので、「制菌」に切り替えたいという。急性期は脱しているので、後は外来で経口抗生剤で様子を見るというのだ。まだまだ首の痛みというか、もやもや感が完全に消えていないことを訴えたが、あえなく「却下」(笑)されてしまった。

 そして、掌蹠膿疱症については、「脳外科ではお手上げです」と。紹介状を書くので、皮膚科で診てもらってくださいと言う。

 それはいいのだが、頚骨の炎症についてはどうなるのかと思い今後の予測を聞くと、2週間に一度の外来診察で大丈夫だという。炎症も治まってきているし、同時に激痛もなくなっている。
 医師の話では、本来は「頚骨の炎症は、脳外科ではなく、整形マター(領域)」なのだが、私にとってはこの病院での抗生剤投与治療で快方に向かったのだし、掌蹠脳疱症との関連も理解してくれているので、この病院で今後も治療を継続した方が良いだろうと判断して「わかりました。お願いします」と頭を下げた。
 それにしても、「整形マター」とはっきりと言ったのには驚いた。35日間という長いお付き合いだったので、お互い気軽に話せるようになっていたからであろう。勿論、私の仕事も知っていたので、隠さずに話してくれたのだと思う。

 結局は、まだわずかだが残っている首と肩の痛み、もやもや感は、現状のレベルのままで様子を見るということになった。こういう症例は初めての経験なので予測がつかないということなのだろう。

 私は、掌蹠脳疱症と、それが原因の関節炎や骨炎症と友達にならなければならないのだ。
                                                 (続く)
Vol.20  退院 貴重な体験に感謝

 そして、2月10日(火)、退院した。入院期間35日間。
 人生で初めての入院がこんなにも長い入院になってしまった。しかし、原因が分かったことだし、とりあえず激痛、激疼きからは解放されたのだから、良しとしよう。

 それに、医療関係を中心としたフリーのジャーナリストという私の仕事との関係では、貴重な体験にもなったのだから、掌蹠膿疱症と、お世話になった病院、そして掌蹠膿疱症が原因の頚椎炎だと診断してくれた医師、いろいろなエピソードを体験させてくれた看護師の皆さん、丁寧に薬の説明をしてくれた薬剤師、何度も何度もMRIやCTを撮ってくれた検査技師などのみなさん達に感謝すべきであろう。

 これまで取材を通して見聞きしてきた医療の世界。自分なりにイメージを膨らませてもいた。だが、自分なりに思い浮かべていた世界だが、実際に自分が入院して実体験をしてみると、随分とかけ離れていたことを体験し実感させてもらった。医師や医療スタッフの一言が、患者を怒らせたり、癒したりすることも体験した。

 こういう体験が出来るなら、掌蹠膿疱症と友達になってもいいかなと、アホなことまで思ってしまっている。 (続く)

Vol.21  入院体験記のおまけ もしかしたら脳梗塞?」

 退院してから一週間を過ぎた頃のことだった。首と肩の付け根あたりの筋肉が「つった」のだ。私はパソコン派で、仕事や身の回りのことなど、全ての情報はパソコンで管理している。退院したその日から、早速パソコンに向かっていた。
 35日振りにパソコンに向かったためだろう。キーボードを叩いている時に肩こりがしだした。それで、筋肉のコリをほぐそうと肩をまわしたら、首の右側の筋肉が「つった」のだ。足の脹脛(ふくらはぎ)がこむら返りした時と同じ感覚だった。同時に、頭の右側に刺しこむような激しい頭痛があった。
 それが翌日には何度もあった。その内、首の筋肉の「つる」のとは関係なしに頭痛がはじまり、起きている間、ずっと頭痛が続くようになった。

 「なんだ頭痛か」と思われるかもしれないが、この頭痛も生まれて初めての激痛だった。インターネットで「頭痛」をキーワードに調べたが、不安が増すばかりだった。脳内出血か脳梗塞かもしれないと思った。首の筋肉がつったのとは関係なく激しい頭痛がしているし、頭の内部が痛いようだったので、それで不安が襲ったのだ。だが、脳梗塞なら手足の痺れがあるはずなのに無い。歩いても異常は無い。真っ直ぐに歩ける。脳梗塞なら真っ直ぐに歩けなくなるはずだ。呂律(ろれつ)も回っている。
なんだろう? 

 それが3日間ほど続いて、最初の外来通院日になった。病院へ向かう車の中で、妻に「もしかしたらプチ脳梗塞かもしれない」と話すと、妻は押し黙ってしまった。

 診察の時に、医師に「激しい頭痛がしている」と話すと、「脳血管のMRIを撮りましょう」と言う。不安が一気に増した。がんを疑われた時には冷静だったのに、今回は不安があった。祖父も父も脳梗塞で亡くなっていたので、それもあったのだろう。
 患者が頭痛を訴えた時、医師は、単なる頭痛だろうと考えて、MRIやCTを撮らなかったばっかりに脳出血、脳梗塞を見逃して患者が死亡するというケースがある。頭痛を訴えた患者にとっては「MRIを撮りましょう」と言われるとドキッとしてしまうが、激しい頭痛の場合は、特に頭の表面ではなく内部が痛いと思ったら、患者は躊躇しないで自分から進んで撮ったほうが良いと思う。
 患者が的確に痛みの症状を説明しきれないこともある。かかりつけの医療機関の医師であったら、患者が訴えたいことを上手に引き出してくれるであろうが、初めての病院、初めての医師だったらそうはいかないだろう。だから、医師も躊躇しないで欲しい。つい最近も、「研修医がCTを撮らずにくも膜下出血を見逃がした」ケースがあった。頭痛は怖い。

 再び診察室に呼ばれた。医師は脳血管のMRI画像を私に見せながら、「異常はありません。綺麗ですよ」と言ったのでホッとした。

 話はそれるが、自分の脳血管画像を見るのは初めてだった。パソコンの3D(立体)画像で自由に動かして、拡大もしながら、見せてくれた。「すごいなー」と感心しながら見ていた。

 医師は、「筋緊張型頭痛です」と診断した。つまりこういうことだったのだ。頚骨の炎症による激痛で、肩と首の筋肉がずっと緊張していたのである。首をすぼめて痛さを我慢していたのである。それが、炎症が治まって激痛からも解放されたことで、肩と首の筋肉の緊張が表面化してきたのだ。それが頭痛になったというわけだ。首の右側の筋肉が「つった」のも、そういうことだったのだ。キーボードを叩き出したことが引き金になったのだろう。
 おそらく、抗生剤投与で肩甲骨内側の激痛が消失したのにもかかわらず残っていた首の付け根と両肩のコリや、もやもや感みたいなものは、これだったのだろうと思う。 (本文・了)

おわりに

 掌蹠膿疱症をインターネットで調べると、秋田県本荘市の前橋腎医師の治療法が有名なようだ。
 ビオチンというビタミンの投与療法だ。最近(05年1月)、TVでカミングアウトした奈美悦子さん。彼女が掌蹠膿胞症骨関節炎の治療を受けている先生だ。前橋医師のもとを訪れる患者が増えているという。
 だが、残念なことに、ビオチン療法は、医師なら誰でも出来るという訳ではないという。治したかったら本荘市まで行かなければならない。だから、何年も悩まされ続けてきた人たちが、秋田県へ治療に行くのはもの凄く理解できる。しかし、いろんな理由で本荘市まで行けない人もいる。私もその一人だ。

 私は札幌に住んでいるが、市内の皮膚科診療所では、「一生付き合う病気」と言われた。大学病院の皮膚科でも「大学も診療所も、治療法に変わりはありません」と。
 しかし、掌蹠膿疱症が完治しない限り、骨関節炎が再発する危険性はある。この厳然たる事実を、どう受け止めたらよいのだろうか。

 2004年2月に退院した後、掌蹠膿疱症の症状は驚くほど改善されていった。私の場合は左の手のひらにだけ症状が出ていたのだが、実に綺麗になった。艶も出てきていた。右手と並べて見比べた時だけはかすかに違いが分かるが、左手だけを見せたら誰も気がつかなかったほどだ。ただ、足の裏だけは、皮膚がざらざらして、カサカサ感が残っていた。
 そのような状況が続き、掌蹠膿疱症の症状を忘れかけていたのだが、ちょうど1年経過した今年の2月初め、左の手のひらに、針穴ほどの小さな、膿疱が破れた痕が数ヶ所出てきた。足の裏もカサカサ感が強くなり、皮膚が一部だが剥れる状況も出てきた。

 だが、「また始まったのかな。いやだな〜」という思いがある一方で、「炎症が起きたら抗生剤で鎮めることができるから大丈夫だ」という思いもあり、かなり楽観しているのも事実である。
 症状が、同じ頚骨に出るとは限らないが、入院した脳神経外科の主治医に事情を話せば、この病気のことを理解していてくれるので、対応していただけるであろう。

 「骨関節炎は抗生剤で鎮めることが出来る」
 「この病気を理解してくれている主治医がいる」

 この病気で悩み苦しんでいる人が多い中で、こういう楽観した気持ちを持つことができる私は、なんて幸運なのだろうか。
 勿論、掌蹠膿疱症が再び活発化するのは嫌である。頚椎炎や骨関節炎になるのは金輪際ご免被りたい。だが、激痛から解放される術を体験したという事実は、「この病気と一生付き合っていける」という前向きな思いを私に与えてくれている。

 私の体験が、私だけの特異ケースなのか、それとも他の掌蹠膿疱症性骨関節炎の患者すべてに当てはまるのかはわからないが、試みる価値は十分にあると思う。後は、私の体験を医師が理解してくれるかどうか、であろう。

 今年2月に再び掌蹠膿疱症が蠢きだした時に、実は「民間療法」を試してみることにした。
 たまたまその時期に取材した人がその民間療法を試み、がんを克服しつつあることを知った。その効果については主治医も認めていたということと、私自身も強い興味を引かれたので、試してみることにしたのである。
 4ヶ月が経過し、その効果なのかどうかは不明だが、その後、左の手のひらは痕跡が消えて実に綺麗になった。足の裏はカサカサ感が残ったままではあるが、可能性を感じさせてくれている。
 もしも掌蹠膿疱症が完治したと実感することがあれば、今回の続編として書き留めることがある・・・・かもしれない。

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 最後までお読みいただきありがとうございました。

 連載を始めてみると、インターネットで掲載するには、当初に書き上げていた内容では長すぎるのではないかと思い、何ヶ所かの段落を書き直したり、カットしたりして、かなり短くしました。もっと早く完了させる予定でしたが、そういう事情があって長引いてしまいました。ご了承ください。(内容についてのご質問・ご感想などがありましたら → hisasi820jp@yahoo.co.jp  まで) 
(完)



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