電線の歴史  top map  map50  電気の歴史 電気材料 伝導体(導体) 金属の歴史  

電線以前
金属で作った線は金製の鎖が非常に古い時代から装飾品として使用されていました。その作り方は叩いて延ばした金の板を細く切って石に穿かれた穴を通すか、平板に挟んで転がすなどの方法で短い線を作り、それを小さな輪にして繋いだものであったと推測されています。
金属で作った比較的長い線はエジプト第2王朝時代(紀元前3000年頃~紀元前2500年頃)のもと思われるミイラの歯から発見されています。それは入れ歯を両側の歯に金で作った線で縛り付けて固定しているものでした。
紀元前2千年頃には断面が四角や六角形の金線が作られるようになりかす。これは台に細い溝を掘ってその上に金の棒を置いて槌で叩いて伸ばしながら溝に入れて成型したものと考えられています。この四角や六角の線を捩ったものが装飾用に使用されるようになっていきました。
紀元前1500年ごろには金線に刻み目を入れる技法もあったようです。
その後、青銅や鉄の線が作られるようになりますが金属線の作り方は基本的に換わらなかったようです。

羊毛の繊維をそろえて毛糸にするときに使用する鉄の線を木製の板に打ち込んだブラシ状の道具(wool cards)で羊から刈り取った羊毛を毛羽立てて、その繊維を細く捻りながら毛糸にしていくのですが、英国では鉱山から金属製品を作る事業を王室の専売事業にしていて、1463年にはEdward IVによって毛羽立て用の道具も輸入が禁止されます。
その後、需要の増加もあり、線材圧延機が発明され、1568年ごろには機械による金属線を製作する会社Company of Mineral and Battery Worksが設立されました。(注Battery Worksは鍛造品のことのようです)
英国で17世紀の後半には線材圧延機が大幅に改良されましたが、精密な線材は職人の手作りが主体だったようです。

絶縁電線の歴史
 最初の絶縁電線は絹布や綿布を巻きつけたものが使用されました。この、手法は婦人用帽子屋の“bonnet wire”と呼ばれる技法で、婦人用の帽子に使用する鉄線に絹の布を巻き付ける技法で、当時の絶縁電線はこの技法で絹布を銅線に巻きつけるのが一般的な方法でした。
1820年大から1830年大にコイルや電磁石を作るのに使用された電線はベルワイヤ(copper bell wire)で、このベルは、主人が召使を呼ぶのに銅製のベルを鳴らしていましたが、その銅製のベルと同じ材料を使用して作られたのがベルワイヤ(copper bell wire)で、太さ約2mmが当時の電線の標準品でした。この電線に絹布や綿布を巻きつけたものが絶縁電線でした。この電線に布を巻きつける手法は婦人用帽子屋の“bonnet wire”と呼ばれる技法で、婦人用の帽子に使用する鉄線に絹の布を巻き付ける技法でした。
1835年にエリック(W. Ettrick)は銅線を糸で絶縁するための機械を設計し、1837年には絶縁電線の量産(400f/h)に成功します
1837年にホイートストン(Charles Wheatstone)はロンドンのEuston駅からCamdenの事務所までの約6km(4マイル)の長さの電線を敷設して検流計(galvanometer)を動して列車の出発を知らせる実験をしました。このときの検流計のコイルに使用していた銅線は絹糸で絶縁されていました。
1837年にクックとホイートストンの電信機(Cooke and Wheatstone’s telegraph systems)を発明し特許を取得します。
1840 年にクックとホイートストンの5針式電信機(Cooke and Wheatstone’s telegraph systems)を発明し木製ブロックに鉄線を通す方法でGWRのロンドンの(Paddinton)駅からハンウェル(Hanwell)間で電信の実験に成功しました。更に、ニュースの配信も開始しました。最初のニュース配信はロンドンで女王の誕生を伝えるものでした。
1846年にホイートストンは銅線に綿布を接着して絶縁電線を作りました。

海底ケーブル(詳細は海底電信ケーブルの歴史 初期の海底ケーブルの仕様を参照してください)
1849年にドーバー海峡横断ケーブルを敷設するために、ボルトン(Thomas Bolton & Sons )が太さ2mmで、一本の長さが約90mの銅線を作りそれを接続して約46km(25mile)の銅線を作りました。この電線の導電率は理想的な銅の40%の導電率しかありませんでした。
1850年にこの電線をグッターピーチの管に通して絶縁層を形成する方法で電信ケーブルを作り、保護層(外装)なしの電信ケーブルをドーバー海峡に敷設しましたが、すぐに漁船の錨に引っ掛けられて破損してしまいました。
1851年の2度目の海峡横断ケーブルには(Thomas Crampton)が長尺の銅線を作り、絶縁も2重にし、更に4本の絶縁電線をまとめて外装を付けて敷設しました。(詳細は 1851年のドーバー海峡横断海底ケーブルの仕様  を参照してください)
1857年の大西洋横断ケーブルに使用する導体は(William Thomson)の指導でケーブルの柔軟性を確保する観点から太さ0.7mmの銅線を7本撚り合わせたものにし、約22200kmの電線(約120t)を作りました。
1857・58年の大西洋横断ケーブルの失敗から、海底ケーブルの設計が全面的に見直され、伝送速度の向上の観点から銅線の抵抗を低下させる必要があり、銅の純度や冶金の方法や機械的な処理方法などの研究が開始され、1864年までには銅の導電率が14%から92%まで変化することが判明しました。
ボルトン(Thomas Bolton & Sons )は1865年と1866年の大西洋横断海底電信ケーブル用に高い導電率の電線を作りました。

アルミニュウム電線
1900年大に銅の価格が高騰したことから、安価なアルミニュウム線aluminum wireを使用した送電線が作られるようになり、広く使用されるようになりました。(詳細は アルミニウムの歴史 を参照してください)

鉄線の歴史
1831年から1934年の間にドイツのハルツ(Harz)にあるクラウスタール(Clausthal)の鉱山でワイヤーロープが使用されるようになりましたが、3本から4本の鉄の線を昔ながらの手作業で麻縄を作るのと同じように撚り合わせたもので、この最初のワイヤーロープはその後使用されませんでした。(1853年までの英国特許に関する記録の一部が紛失していて、この間のワイヤーロープの発明者が誰であるかは不明です)後に、ハルツの鉱山職員であったウイリアム・アルバート(William Albert)によってワイヤーロープ作り方が広まったことから、Albert Ropeと呼ばれていました。
1841年3月8日に英国の(Johann Baptiste Wilhelm Heimann)と(Johann Georg Wilhelm Kuper)はワイヤーロープの英国特許を取得し、1857年の大西洋横断ケーブルの半分を製作します。

1855年にベッセマー(Henry Bessemer)は溶融した銑鉄が入っている炉の底から高圧の空気を吹き込み、銑鉄に含まれる炭素を燃焼させ炭素を取り除く方法で特許を取得し、安価な鋼が生産できるようになりました。(詳細は 鋼の歴史 を参照してください)
1870年代になると米国で有刺鉄線が発明され、線材の爆発的な需要が発生します。(詳細は 有刺鉄線の歴史 を参照してください)

参考事項
金属結合 電気伝導  電気抵抗とは何か 金属の電気伝導の機構 古典的なオームの法則を検証する