電球の歴史  top 電灯照明の原理と歴史  電灯の歴史年表 電球の原理 放電 放電灯の歴史 水銀灯の歴史 光に関する用語

初めに
 1799年、ボルタによって電池が発明される以前では、電気の研究、実験では静電気しか使えなかったのですが、電池は安定した電気を使用できるようになりました。
翌年の1800年にはフランス人セナードによって細い線に電流を流し、光を出す実験がおこなわれています。
1802年には英国の科学者でハンフリー・デービという人が電池を沢山(数千個)作り、電気の実験をしました、有名な実験では、講会堂の地下室の全面に電池を並べ、(約2000個と言われています)アーク灯の公開実験に成功しました。
 また、細い線に大量の電気を流すとその線が白熱して光を出ことも実験しました。しかし、すぐに焼き切れてしまい光源としては使用されませんでした。しかし、 これが、電気による発光の始まりで、放電白熱光ですが、大量の電池が必要なことから、すぐに実用化されることはありませんでした。

 この時代は、産業革命によって石炭の採掘が増加し、地下に坑道を作って採掘するようになると、石炭を採掘する時に発生した石炭の粉が蓄積し、これに火がつくと爆発を起こし大災害になることから、炭塵爆発の防止のために坑道内照明に火を使わない照明装置に対する要望が高くなり電球の開発が進められるようになりました。
 しかし、白熱電球には問題があり、高温にしたフィラメントが短時間で燃え尽きてしまうことでした。その解決策としては高温に耐えるフィラメント材料の選定とフィラメントの均一性、酸素の排除が必要でした。(参考に現在の一般的な電球の構造そ参照してください)

耐高温性
 白熱電球のフィラメントから 明るい光を出すには高温にする必要がありますが、高温になるとフィラメントが蒸発して寿命が短くなるという大きな問題がありました。明るい光を出すには融点の高い材料が必要です。

均一性の確保
  フィラメントは細長い線で、そのどこかに欠陥や他よりも少し細くなっているところがあると、そこだけが極端に加熱されるホットスポット(hot spots)が生じます。その部分が高温になり急速に蒸発して遂には断線し、断線した極僅かな隙間にはアークが発生して、その部分がさらに非常な高温になり、青白い強い光を発して蒸発し隙間が拡大して電流が流れなくなり、電球は消灯(玉切れ)します。
  これは、フィラメントを作るとき部分的に抵抗が高くなる(線が細くなるなど)部分があるとそこの抵抗が高い(抵抗は断面積に反比例する)ので、電流が流れたときに発熱量が抵抗に比例すること、そしてフィラメントの抵抗は温度に比例して増加する性質を持っていることから、抵抗の不均一が急速に拡大してホットスポットが形成されるのです。その部分ではフィラメント材料の蒸発が進み、さらに抵抗が増加して、断線に至ります。

酸素の排除
 酸素の存在は金属も高温になると激しく酸化してしまいますので、フィラメントを細くしてしまいます。細くなれば抵抗は増加しますので、益々高温になり、益々酸化が進み、遂には、溶融し、断線に至ります。
 電球ができるには、まず、この3つの条件を乗り越えることが必須条件でした。

白金フィラメント
 その第一歩が、1820年スイスのオーガスト・デ・ラ・リーベの電灯でガラス管の中に白金(融点1772℃)線を通して、ガラス管の内部の空気をある程度抜いて、白金線に電気を流して光を出すことには成功しましたが、長時間の点灯には至りませんでした。これが、電球の始まりですが、この件については少し疑問があります(白金フィラメントの発明者 ウオーレン・デ・ラ・ルー参照)。



 次に、1838年ジョバードの提案で彼の弟子であるデ・チャンギィが炭素(融点3500℃)をフィラメントにした電球を作りかしたが、長持ちせず、点灯時間を延ばす実験は中断されました。
1845年ウイリアム・グローブによって白金フィラメントが作られ、寿命が短い原因が酸素の存在であることが突き止められました。



翌年にはドラッパによって白金フィラメント使用した電球が作ら、実用の域には達しませんでしたが、この発明は後にエジソンに利用され、更に、他人に特許を取られてしまうほど、電球の基本的な条件を備えていたのです。

炭素フィラメント

1838年最初に炭素フィラメントを考えたのがジョバードで、彼の提案で弟子のデ・チャンギィが炭素(融点3500℃)をフィラメントにした電球を作りかしたが、長持ちせず、点灯時間を延ばす実験は中断されました。

余談ですが、この図を見てこの時代には、かなり高度なガラス細工の技術があったことが良く分かります。ガラスの加工上の問題は電線とガラスが接触するシール部分からの漏洩を少なくすることでした。

 電球が実用化に近づいたのは1854年米国に移住したドイツ人のハインリッチ・ゴーベルは、竹ひごを炭化したフィラメントで電球を作り、自分の商品をライトアップして注目を集めましたが、商品化には至らず中断されました。
  後に、彼の発明がエジソンの発明よりも早かったことが法廷で認められました(1893年)。

 電球開発の次の課題は実用化、事業化への道でした。
  それは当時使用され始めていたガス灯との競争に打ち勝つことでした。すなはち、コストダウンです。それを実現するには大きく2つの条件が必要でした。電球の寿命を延ばすことと効率の向上でした。

  まず最初に寿命を延ばすのに最も大きな問題は酸素の排除でした、1878年にイギリスのスワン(Joseph W Swan) は、そのころ発明された性能の良い水銀真空ポンプを電球作りに利用し、真空度を上げた真空炭素(細長い炭素の繊条)電球を作りました。その後、炭素繊条の替わりにもめん糸を硫酸で処理したフィラメントを使って、1880年性能のよい炭素電球を製作しています。
 そのころエジソン(Thomas A Edison) は1877年ごろ電球の研究に着手し、1879年春には白金コイルを発光体とした電球を製作した。
Edison は水銀真空ポンプを改良して、1879年10月錦糸を炭化したフィラメントで真空炭素電球を試作しまし、この電球は40時間光り輝き、実用化の始まりとなりまた。

 次に電球で消費する電力1(Wワット)あたりどれだけの光を発生することができるかを示す電球の効率の向上ですが、効率の向上には幾つかの観点があり、電灯事業を考えると、各家庭に電源を設置する方法では初期の設置費用が大きくて普及しにくい(ガス灯に対抗するため)ことから、集中電源(発電所)方式でなければなりません。そのためには、電線を発電所から各家庭に接続しなければなりません。その時、電線にも抵抗があることから、当然損失が発生します。この損失(抵抗×電流の2乗)を少なくするには電流を少なくしなければなりませんが、電気のエネルギー(電流×電圧=電力)は電流と電圧に比例しますので、沢山の電灯を使用し、損失を少なくするには電圧を高くする必要がありました。電球の抵抗が低いと幾つかの電球を直列に接続する方法がありますが、この方法では、1個の電球が断線するとその回路に接続されている電球全部が停電してしまうという問題がありました。(当時1家庭では1個の電球しかない)そこで、全部の電球を並列に接続するには、1個の電球の抵抗を高い抵抗にする必要がありました。

高抵抗フィラメント
 そため、エジソンは1000を超えるフィラメント材料をテストし、1880年には日本の京都男山八幡付近の竹の繊維を炭化したフィラメントが適していたことから、これを使用した高抵抗フィラメントの電球の製作に成功します、以降9年間このフィラメントが使用され続けます。  
一方英国のスワンもフィラメントの改良を続け、1883年にセルロースを酸の溶液中で処理し、これを細孔より吹き出す噴出法で高抵抗フィラメントを作りました。
1880年にはエジソンランプ会社が設立され、ランプの販売とそれに必要な電気の販売のために発電所の建設を始めました。
1881年にはスワン電灯会社が設立されました。

 電球が実用化され電灯会社が設立され、電球の販売と電力の販売がセットにされた事業が展開されるようになりました。
 
さて、電球の発明者は誰でしょうか?“エジソンだ”と言い切れますか。(詳細は電球の発明者をめぐる法廷闘争参照)

 1879年11月10日エジソンは英国に炭素フィラメントで排気したガラス球で作った白熱電球の特許を申請しました。1882年スワン電灯会社はエジソンの発明はスワンの発明を侵害しているので無効であるとして、エジソンを相手に訴訟を起こしました。スワン電灯会社とエジソンは和解が成立して1883年エジソン・スワン電灯会社を設立して電灯の製造を独占することに成功し、この独占はエジソンの特許が失効する1893年11月11日まで続きました。最終的にはエジソンが会社を買い取り、1882年6月にスワンは特許をブラシ電気会社に売却しました。この当時の電球の料金ははガス灯の約60%でしたので、急激に普及し始めます。

1883年10月8日米国の特許局はエジソンの特許がウィリアム・ソイヤーの特許に抵触し無効であると裁定しました。しかし、エジソンが控訴し、結局1889年10月6日エジソンの特許でフィラメントに関する独創性が認められました。

1906年Alexander Just とFranz Hanamann によって、押出タングステンフィラメントを使ったタングステン電球が発明されました。しかし、このタングステン(融点3422℃)は、細線にすることが困難でした。
1908年米国GE社のウイリアム・クーリッジは、線引きタングステンを発明し、タングステンの細線化が可能になり、フィラメントの抵抗を高くすることができたことから、この高抵抗タングステンフィラメントを使った電球を作りました。
1909年米国GE社のアイリン・ラングミュラ は、タングステンの細線を直径1mm程度のコイル状に巻いたコイルをフィラメントとして使用しコイルフィラメントからの放熱を少なくすることで効率の改善をしました。
1912年には米国からの技術導入で力をつけてきた日本の三浦順一はフィラメントとガスの接触面を出来るだけ少なくするため、コイルフィラメントをもう一度、直径数ミリメートルのコイルに巻いた二重コイルフィラメントを発明し、電球の効率向上に寄与しました。
1913年電球の効率は、フィラメントの温度を高くするほど向上するのですが、それに伴ってタングステンが蒸発して管内壁に付着し手黒く汚れる現象や、フィラメント寿命が短くなる現象が認識され、電球球内に窒素等を封入することで、タングステンの蒸発が少なくなることが発見され、ガス入り電球が発明され、寿命を長くすることができました。しかし、封入ガスの対流によってフィラメントから熱が奪われる現象が生じ、熱伝導率の少ないアルゴンガスにすることで効率の改善を図りしました。 
1925年日本の不破橘三とMarvin Pipkinはそれぞれ単独に内面つや消し電球を完成させました。
1935年にはフランスのA.Clude が封入ガスとして、キセノンやクリプトンを使用した電球を発表した。

1959年米国GE社のE.G.Zublerはタングステンフィラメント電球に不活性ガスとともに微量のよう素を封入し、ハロゲンサイクルにより電球内面の黒化が防止され、効率は著しく向上しました。
このよう素電球はその後管内に封入されるハロゲン物質が、塩素臭素およびその化合物などになり、蒸発したタングステンとハロゲン化合物が化合し、フィラメント方向へ移動しフィラメントの高温部でハロゲンとタングステンに分解し、フィラメントの表面に付着することから、フィラメントが消耗しない電球ができました。
1959年米国GE社のエルマ・フリードリッチはハロゲンランプ(Halogen Lamp)の特許を取得し、1975年にはハロゲンランプの発売を開始しました。

関連事項 
 光源の種類 白熱電球の構造 光源の発光効率 電球の発明者をめぐる法廷闘争