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アーク灯の歴史

アーク灯(Arc Lamp)
 電気による照明の最初の実用化は大気中で二つの電極の間に輝く弓状(アーク)の炎でした。
 アーク灯は先端を尖らせた炭素の棒2本を向かい合わせてそれぞれ電池の電極に接続して、電極を最初に接触させてから少しだけ離すと突然火花が発生し空気中を電流が流れ電極の先端は約4000℃に加熱され青白く輝き始めます。
 この輝きのほとんどは炭素棒が高温に加熱され加熱による白熱光ですが、温度が高いので紫外線が多く含まれています。そこで強い紫外線から目を保護するために暗いガラスのカバーで蔽う必要がありました。
 初期のアーク灯は高価なバッテリーを多数使用して点灯されましたので非常に高価なものでした。また、点灯中電極は少しずつ消耗しますので電極の間隔が広くなり、次第に輝きが弱くなってついには消えてしまいます。おおよその寿命が100時間程度でした。

1808年ハンフリー・デービは講会堂の地下室の全面に2000個の電池を設置し、それをアーク灯に接続して、アーク灯の公開実験に成功しました。これが、電気を使用した人工の光による照明の始まりでした。
これを長時間使用するには電極の間隔を一定に保つ機構が必要で、時計仕掛けの電極間隔を調整する装置が必要でした。

1836年には英国のウイリアム・ステイト炭素棒を時計仕掛けで駆動する方式を開発しました。

描く大図はステイツランプセリンランプを参照して下さい。

1857年 セリンのアーク灯は実用的に成功しました。

1876年ロシアのポール・ジャブロコフは“エレクトリック・キャンドル”を発明しました。それは2本の炭素棒が石膏版を挟んで平行に設置することで、電極の間隔を調整する機構が必要なくなりました。
これを、その当時発明された交流電源に接続すると炭素棒の先端からアークが発生して次第に炭素棒がろうそくのように燃え尽きるまで点灯できるものでした。
1878年ロンドンのテムズ川沿いに街路灯が設置されました。その年の10月14日にはこのアーク灯を使用してサッカーのナイトゲームが行われました。


アーク灯は家庭用に使用されるには、光が強すぎ、寿命も短く、電源装置も高価なことから使用範囲を広げることができませんでした。

1901年ヘイウィトはガラス管の中に金属蒸気(水銀蒸気)を封じ込んだアーク型の放電灯を開発しました。最初の水銀灯を作りました。発光色は青緑色で一般照明には向きません(演色性が悪い)でしたが、効率が良い放電灯でした。これが最初に作られた水銀灯です。
1919年最初のナトリュウムランプは米国のウエスチング社(Westinghouse Electric)のアーサー・コンプトン(Arthur H.Compton)によって発明されました。効率は電球の中で最も良いのですが、発光色が黄色の単光色で一般照明には向きません。

 これまでのアーク灯は発生するエネルギーが大きいこともあって、電極が大気中に露出された状態で使用されますが、新しい放電管はガラス管の内部に電極電極を置いて強力な放電であるアーク放電を制御できるようになりました。また、発光のメカニズムも従来のものは光の大部分が炭素電極が非常な高温(融点近く)になって発光するものであったことから電極の消耗が激しく、長時間の点灯はできませんでしたが、アークその物が発光するメカニズムに変化したことから、電極が非常な高温にならず長時間の使用が可能になったことです。
 一方、発光のメカニズムが白熱光からルミネセンスに変化したことから、光の質に変化が出てきました。ガラス管の内部には不活性ガスが封入され、それに僅かな水銀蒸気が添加されていて、放電はの電気的特性は不活性ガスによって決まりますが、光の放出は僅かに添加された水銀蒸気の発光スペクトルで決定されます。水銀の発光スペクトルは黒体の放射分布に比較して、幾つかの波長の所だけが輝く不連続なもので、非常に効率がよいのですが、この光のもとで物の色を見ると太陽の光で見たときと異なった色に見えるという問題が生じました。
この放電灯の歴史には効率の向上と光の質をいかに太陽の光に近づけるかという課題がありました。これに取り組んだのがエドモンド・ジャーマ と米国のGE社の研究者達で、蛍光灯(Fluorescent Lamp)を発明し、一般家庭で使用できる(演色性の改善)効率の良い放電灯が開発されました。
 
1927.エドモンド・ジャーマ等はより効率的で実用的な高圧水銀灯を発明し、特許を取得しました。

1932年商業用の低圧ナトリュウムランプが導入、2000年までは英国のPhilipsとGEが独占製造していました。日本や韓国でトンネル照明に使って交通事故の減少に寄与することが分かって、利用が増加しました。

1934年エドモンド・ジャーマは高圧の水銀蒸気によって小型で高出力のランプを作りました。
水銀灯の光には紫外線を多量に含んでいて、フリーヂリッチ・メイヤー、ハンス・スパナ、エドモンド・ジャーマは水銀灯の内面に蛍光物質を塗布して、そこに紫外線が当たり、可視光線に変換されることから、非常に効率的な光源を作ることに成功しました。1941年10月14日ジョージ・インマンは蛍光灯の特許を取得しました。 
1962年アーク灯の新しい方式(Multi Vapor Metal Halide)の放電灯として米国のGE社から特許が申請され,1964年のニューヨーク世界博の照明にGE社のメタルハロゲンランプが使用され、水銀灯よりも効率が良く、青い光が強化され、発光色が自然の太陽光に近くなりました。

1944 GE社 General Electric Co(us) 最初の商業用水銀灯(Mercury Vapour lamps) が出現。
1947 GE社 General Electric Co(us) 最初の高圧水銀灯(High Pressure Mercury Vapour lamps)が出現
1962 GE社 General Electric Co(us) アーク灯の新しい方式ハロゲンランプ(Multi Vapor Metal Halide lamps)の特許が申請されました。
1964 GE社 General Electric Co(us) GE社のメタルハライド放電灯はニューヨーク世界博の照明に使用され、水銀灯よりも効率が良く、青い光が強化され、発光色が自然の太陽光である白色に近くなり、広く知られるようになりました。
1970 GE社 General Electric Co(us) 高圧ナトリュウムランプ(High Pressure Sodium lamp) が出現
1981 GE社 General Electric Co(us) 小型メタルハライドランプ(Small Metal Halide Lamps)が出現

アーク灯のガス圧を高めることによってアーク中の温度を高くすると、数種類の原子が励起されスプクトル線が増加し、発光色が白色に近ずくことから、効率は落ちるのですが演色性が向上することから、高圧、超高圧の放電灯が開発されるようになりました。

メタルハライドランプ(Metal Halide Lamp)
1960年代に GE社では水銀アーク灯の効率と演色性の改善を目指して放電灯に封入する発光物質を研究していました。
1962年アーク灯の新しい方式(Multi Vapor Metal Halide)の放電灯として米国のGE社から特許が申請されました。
1964年GE社のメタルハルライド放電灯はニューヨーク世界博の照明に使用され、水銀灯よりも効率が良く、青い光が強化され、発光色が自然の太陽光である白色に近くなり、広く知られるようになりました。
  メタルハライドとは、「金属のハロゲン化物」を封入したという意味で、 水銀アーク灯にメタルハライドを封入したのがメタルハライドランプ(MHL)です。ヨウ素化合物としてはヨウ素塩と他の金属化合物を何種類か加えたものを封入すると光の発生量が増加し、また、光の色が白色に近くなることを確認しています。

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