マグネトロンの歴史   top 電気通信の歴史概要説明 無線通信の歴史概要 真空管の歴史 無線通信の歴史年表 真空管の歴史年表 マグネトロンの原理  無線通信用語解説

1916年に単純な2極マグネトロン(magnetron)はGE社の研究所でアルバート・ハル(Albert W. Hull)によって発明され、1921年に特許(1387985)が取得されます。

(特許1387985の拡大図)
1927年に東北帝国大学の岡部金治郎により多分割陽極型のマグネトロンが開発され国内の雑誌に発表(K. Okabe, Generation of Undamped Ultra-Short Waves by Using Magnetrons, J. Electrical Engineering 47, 575,860 (in Japanese) (1927).)されましたが、特許(124419)の取得は1936年12月6日で、海外には知られていなかったようです。

(特許124419の拡大図)

陽極分割型のマグネトロンは1934年2月28日にRCAのErnest G. Linderによって米国では特許が申請され、1936年4月21日に米国特許2037804(magnetron type oscirllater)が取得されます。

(特許2037804の拡大図)

空洞型のマグネトロンは1934年12月8日ベル電話研究所のArthur L. Samuelによって特許が申請され、1936年12月8日に米国特許 2063342( electron discharge device)が取得されます。
(特許2063342の拡大図)

1930年代の末になると、英国ではドイツの空爆に対抗するためにレーダーの必要性が高まると共にレーダーの性能向上が急務となります。(詳細はレーダーの歴史を参照してください)
バトルオブブリテンではドイツの空爆に悩まされた英国はドイツから飛んでくる飛行機の検出に必要なレーダの開発が国家の存亡を懸けた火急の開発事項でしたが、レーダーに必要なマイクロ波の発生装置としては当時知られていたものは、1936年にドイツのハンス・ホルマン(Hans Erich Hollmann)が発明し米国特許(2123728)を取得した空洞型のマグネトロンや同じく米国特許(2144222)を取得した多分割陽極型のマグネトロンに関するものでしたが、これらの技術は敵国の技術であるとの理由から英国では採用しようとせず、代わりにクライストロンでの開発を推進していましたが、強力なマイクロ波を発生させることは出来ないでいました。
(特許2123728の拡大図)

(特許2144222の拡大図)

真空管の出力を制限しているのは陽極に高い電圧を使用すると電子が加速され陽極に衝突することから陽極が過熱し、陽極から電子やイオンが大量に放出されると放電が始まり真空管が破壊されるのが主な原因です。真空管の出力を大きくするために真空管を水で冷却することは William G. Houskeeperの米国特許(156217)等で知られていて、1940年英国のバーミンガム大学のランドール(John Randall)とブート(Henry Boot)はドイツのハンス・ホルマンの空洞型のマグネトロンに水冷却装置を取り付けることを考えて試作を始めました。
1940年8月マグネトロンを水で冷却することで出力を大幅に増加(100倍、6kW)させることに成功しました。当時のクライストロンが約10ワットの出力しか出せなかったのに比べ、水冷マグネトロンの出力は約600倍の6kWの出力がだせるようになりました。
この発明は1940年8月22日に特許を申請し、1947年5月16日英国特許GB588185を取得しています。

(特許GB588185の拡大図)
このマグネトロンは1940年9月バトルオブブリテンの真っ最中に英国を極秘の内に出発したタイザード使節団によって米国に寄贈され米国のMIT等で出力の大幅な増強がなされ、第2次世界大戦終戦までにベル電話研究所だけでも100万個のマグネトロンを生産し、それを装備した強力なレーダー設備を第2次世界大戦に投入し大きな戦果を挙げるのに寄与しました。(レーダーの歴史参照)
1946年にパーシー・スペンサはマイクロ波によって食物の温度は急速に上昇することを発見し特許を申請しました。これが電子レンジの始まりです。(電子レンジの歴史参照)

1960年代になると小型の空冷マグネトロンを使用した安価な電子レンジは($500)が開発されて急速に普及します。
1958年に新日本無線鰍ヘ強力な永久磁石使用したマグネトロンは動作電圧を下げることができ、小型で安価なマグネトロンが開発され、これが安価な電子レンジの普及に貢献します。