レーダーの歴史  top map51  電気通信の歴史概要説明    無線通信の歴史概要 レーダーの歴史秘話
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レーダーの動作原理  レーダーの動作原理
レーダー(Radar radio detection and ranging(無線探知・測距))は電磁波を対象物に向けて発射し、その反射波をが帰ってくるまでの時間、方向、強度などを測定することにより、対象物の形状や距離等を測定する装置です。
レーダの性能を向上するには強力で波長の短い(センチメートル)電波指向性の高いアンテナが必要でした。強力で波長の短い電波は空洞型のマグネトロンによって実現しました。この指向性の高いアンテナは日本の八木・宇田によって開発されたアンテナ(八木・宇田アンテナを参照)が使用されました。

インパルス方式
電波を空間に放射すると次第に広がりますが、レーザー光線のように電波を一定の方向に送り出す(指向性が高い)アンテナから極短時間電波を発射してその電波が対象物に当たって、跳ね返ってくる電波を受信して、電波発射から反射波の受信までの時間を測定して、電波の伝播速度で割れば、電波が往復した距離を知ることが出来ます。更に、アンテナの角度を少し動かして電波を発射し、反射波がが帰ってこなくなると、アンテナの回転角と対象物までの距離からその大きさを推定できます。

ドッブラー方式
発信した周波数と反射してきた周波数の違いから対象物の移動速度を推定(ドッブラー効果を利用)することも出来ます。

レーダの歴史
戦争に飛行機が登場し、それまでの戦争とはまったく異質なったものになりました。空からの攻撃は高速で、大きな破壊力を持ち、これに対抗する手段はほとんど無いに等しい状態でした。飛行機からの攻撃に対抗するには、防空体制を整え、更に適切な迎撃をするのですが、その為の準備時間が必要です。防空・迎撃に必要な準備時間を確保するためには、敵の行動をその分だけ先に知ることが必要です。それを可能にしたのがレーダーです。

英国では1915年にワトソン・ワット(Watson-Watt)は雷が発する電波を指向性のあるアンテナでその方向を検出し、その音の到達するまでの時間から雷の発生位置を地図上に特定できる装置を発明しました。 レーダーと呼ぶには発信機を備えていませんでしたが、電波を利用して対象物の位置を知ることができるものでした。
1925年頃エドワード・アップルトン(Edward V. Appleton)は電離層(E層)の高さを測定し、翌年には
それよりも高い位置にも電離層(F層)があることを発見しました。これは電波の反射波を測定して距離を測定するレーダーの基本原理を使用していました。
1935年2月12日ワトソン・ワットの助手アーノルド・ウイルキン(Arnold Wilkins)はレーダーの概念(The Detection of Aircraft by Radio Methods)を発表しまし、2月26日ウイルキンは空軍の関係者の前で電波による飛行機の検出の公開実験を実施しまし、8マイル(13km)先の飛行機の検出に成功しました。それは英国のBBC短波放送の電波(波長49m)が飛行機で反射された信号を受信するものでした。

フランスでは1927年にマグネトロンを使用した波長16cmの電波で通信しているとき、送信機と受信機の間を飛行機が通過すると通信に障害が発生することが確認されました。この原理を使用して飛行機を検出する特許(788795)がフランスで取得(1934-7-20)されています。1935年にはノルマンディで実用化されました。この装置には氷山や船、飛行機等を検出できました。

米国では 1930年6月に海軍のローレンス・ハイランド(Lawrence A. Hyland)はレーダーで飛行機の検出に成功していますが、まだ場所や速度を検出できるもではありませんでした。1934年から1935年にかけて米国海軍の研究所(Naval Research Laboratory)でパルス方式のレーダーの改良が進められ、1936年の4月にはその公開実験が行われ成功ました。
1932年に陸軍の通信部隊(United States Army Signal Corps)研究所のアレン・デュモンド(Allen B. DuMont)は電波を利用して船舶の位置をCRT上に表示する装置(Ship finder)を発明しましたが、軍の要請で特許の取得を断念したようです。
1937年米国の通信部隊の研究所は対航空機用の地上レーダーSCR-268を開発しました。用いた周波数は195−215MHz、パルスのピーク電力が50−75kW(真空管式)、ビームアンテナ(八木アンテナ)を使用したもので、最大探知距離は37kmでした。

ドイツではハンス・ホルマン(Hans Hollmann)がマイクロ波の研究を初め、1935年に超短波に関する著書(Physics and Technique of Ultrashort Waves)を出版し世界中の研究者の注目を集めました。
1934年秋頃にドイツのハンス・ホルマン達によってGEMAという会社が設立され、最初の商業用レーダーが開発されます。このレーダーは波長50cmで、10km先の船舶を検出できました。1935年の夏にはパルス方式のレーダーで8km先の船の位置を50m以下の精度(大砲の着弾精度よりも高い)で検出することができ、レーダーを使用した砲撃が実現できるようになりました。さらに25km先を高度500mで飛行中のの飛行機を検出することができるようになりました。

バトル・オブ・ブリテン(Battle of Britain)(詳細はバトル・オブ・ブリテンを参照して下さい)
(この戦いは「制空権」の重要性を認識させた戦いでもありました。)
1939年9月1日 ドイツ軍、ポーランド侵攻開始 (第二次世界大戦勃発)すると、英国は1939年9月にドイツ軍の空爆に備え早期警戒用レーダー(Chain Home radar)18基を設置、高さ100mの鉄塔にダイポールアンテナ(回転しない)を多数取り付けたものでした。
(送信機の周波数20MHzから30MHzでピーク出力350kW、パルスの発生頻度25回/秒から12.5回/秒、パルス幅20μs程度のもので、飛来する飛行機までの距離を検出し、海岸沿いに設置された複数のレーダーのデータから平面上の位置を計算できました)
1940年7月10日 ドイツ軍は英国に空爆開始、ドーバー海峡での航空戦が行われバトル・オブ・ブリテン(Battle of Britain)が勃発すると、更にレーダーが増強され、高さ約75m木製の塔にアンテナを取り付けたもので、波形がCRT表示装置に表示されるものでした。距離は反射波の帰ってくるまでの時間を測定し、反射波の強度で飛行機の数を知ることができ、防空体制を整えるのに役立ちました。
一般にバトル・オブ・ブリテンでは英国空軍戦闘機がドイツ空軍戦闘機を打ち破ったと信じられていますが、ドイツ空軍の戦闘機は英国の戦闘機よりも戦闘能力において少し優れていていましたが、航続距離が短い欠点がありました。ドイツ空軍の爆撃機はその戦闘機に護衛されて英国を空爆をしていましたので、英国空軍の戦闘機はレーダーで飛来する飛行機を検出するとドイツ空軍機よりも高い高度で待ち構え、急降下して攻撃した後は内陸部に逃げる戦法を採りました。ドイツ空軍戦闘機の航続距離が短いことから、内陸部まで英国戦闘機を追跡することができず、追跡を諦めて帰らざるをえませんでした。そこで英国戦闘機は護衛が居なくなったドイツ爆撃機(速度が遅く戦闘機の攻撃を回避する能力が低い)を攻撃する戦法で大成功を収めます。
1940年9月15日にバトル・オブ・ブリテンで最大の空中戦が戦われ、英国が撃墜した機数186機、ドイツが撃墜した機数25機、数値は正確ではないかの知れませんが、この空中戦によってドイツ軍は大損害を受け、英国の制空権を獲得するというドイツの作戦計画が達成できなくなり、結果的にドイツ軍による米国上陸作戦も中断されました。
その後、ドイツ軍の空爆はレーダーに検知されにくい低空を飛んでくるようになりましたが、英国は海岸に八木アンテナを使用した鋭い電波ビームを持つレーダーを投入して、低空飛行で飛来する飛行機の検出を可能にし、迎撃に成功しました。このレーダーは陸地や海面で大きな反射波を生じることから注意深く動かす必要があり、手動クランクを女性軍属によって慎重に操作する方式でした。
低空飛行がレーダに発見されるようになると、英国の迎撃戦闘機に攻撃されないように夜間や雲の多い天候を選んで爆撃するようになります。
1940年に英国のバーミンガム大学のRandall and Bootが水冷空洞共振型のマグネトロンを発明し、このマグネトロンは小型で波長数cmの強力なマイクロ波を発生し、これと八木アンテナを使用して小型で強力なレーダーが作れるようになりました。このレーダーを1940年の夏ごろには戦闘機に取り付け、夜間や雲の多い天候でも爆撃機を発見して攻撃できるようになり、ついに1940年10月30日の小規模な空中戦を最後にドイツ軍との空中戦は無くなりました。
この水冷空洞共振型のマグネトロンを装備したレーダーは偵察機にも装備されるようになると潜水艦の潜望鏡を発見することが出来るようになり、これでドイツのUボートに対する攻撃を支援できるようになり、また、戦艦の大砲の照準をレーダー(距離測定制度8000±50m)で定めることもできるようになりました。更に、対空砲弾に使用する近接信管(対象物に接近したら爆発する)にも使用され、命中率が飛躍的に向上しました。

日本のレーダ開発
1942年2月2日、日本軍がシンガポールを占領した際、英国軍の近距離レーダーの資料(ニューマン文書)が発見され、 急遽、この資料を基にしたレーダーを開発し、戦争の末期にようやく国内の防衛陣地に配備しましたが成果を挙げることなく終戦になってしまいました。

電子レンジへの応用
1946年にパーシー・スペンサはマイクロ波によって食物の温度は急速に上昇することを発見し特許を申請しました。これが電子レンジの始まりです。(電子レンジの歴史参照)

関連資料
レーダーの歴史秘話 タイザード使節団 真珠湾のレーダー ニューマン文書 珊瑚海海戦  ミッドウェー海戦 八木・宇田アンテナの数奇な歴史 バトル・オブ・ブリテン