インターネットの歴史年表   概要説明は インターネットの原理  インターネットの歴史概要説明 を参照してください

関連事項
インターネットの誕生   インターネットで使用されている用語の解説


  各年代への移動できます 1961  65  68  70  73  76  79  85  89  92 [上に移動します。 ]はその年表の上段に移動します。

名   前
事    象
説     明   ・   コ   メ   ン   ト
1957
12

アイゼンハワー
Dwight D. Eisenhower

国防総省の傘下に高等研究計画局(ARPA)の新設を承認 10月ソ連が人工衛星の打ち上げに成功し、核弾頭を積んだロケットによる 核攻撃に対する脅威に怯えた米国が宇宙に関する研究開発の一元化をするため国防総省の傘下に高等研究計画局(Advanced Research Projects Agency ARPA) を作ることを提案し、アイゼンハワー(Dwight D. Eisenhower)大統領がサインしました。主な任務は防衛に関する先端技術の研究開発の方向性と成果を随時国に報告することでした。
1958

2

  国防総省高等研究計画局(ARPA)が発足 任務は弾道ミサイルの防衛と核実験の検出および核攻撃に対する反撃に関する研究開発計画の作成、それらの実現に必要な共通する科学として情報処理、行動科学、材料科学の推進でした。民間の科学者と技術者も参加する必要性が認識され、政府は純粋な科学を規制しないように留意して、開発システムに資金を供与することを決定した。
1958 7   アメリカ航空宇宙局が発足 (National Aeronautics and Space Administration NASA)民生用の宇宙開発計画を推進する
1961     米国の電話中継基地爆破 米国の電話中継基地爆破で国防省の回線も一時完全停止してしまい、指揮統制系統の途絶に対する対策の必要性が強く認識されました。
指揮統制プロジェクト(Command and Control Project)が防衛技術研究部門(Defense Research and Engineering (DDR&E) からARPAに移管され、ランド社に核戦争にも耐えうる通信システムの研究を委託しました。
1961 5 レオナルド・クラインロック
Leonard Kleinrock
パケット交換の仕組について論文を発表   上に移動します パケット交換(Packet-switching)の仕組はデータを小さなブロックに分割して、各ブロックに番号と宛先を付けて送り、受信側で小さなブロックを番号順に並べて再現する方式を提案したものでした。
1962 7 ATT 商用通信衛星の打ち上げに成功 商用通信衛星( commercial communications satellite (Telstar I)を打ち上げに成功した。
1962   J.C.R.リックライダ
J.C.R. Licklider
銀河間ネットワークを発表 今日のインターネットにとても近いかたちの“銀河間ネットワーク”(Intergalactic Network)のアイディアをARPA内部文書として発表
1962 10 ARPA 指揮統制 の研究開発計画を推進するために情報処理技術の事務局(IPTO)を設置 ARPAの指揮統制(command and control) の研究開発計画を推進するために情報処理技術の事務局(Information Processing Techniques Office IPTO)を設けて、研究推進組織を強化し、BBN社からJ.C.R.リックライダ(J.C.R. Licklider)を招聘し、最初のIPTO のディレクタに任命しました。
1963   ARPA 衛星通信の研究を開始 ARPAは地上の通信回線が切断されたとき、軍隊の指揮統制系統の途絶に対する対策として、人口衛星を通じての通信が有効と判断し、衛星通信の研究を開始しました。
1963   ASA ASC II (アスキー)コードを開発 米国規格協会(American Standards Association ASA)は基本ソフトの異なる計算機相互間で情報を交換するための標準規格としてASC II (アスキー American Standard Code for Information Interchange)コードを開発しました。
1964 3 ポール・バラン
Paul Baran
パケット交換網の論文を発表 ランド(RAND)社のポール・バラン(Paul Baran)がパケット交換網(packet switching networks)についての論文をIEEEの会報に発表しました。
1964 8 ポール・バラン
Paul Baran
「分散型通信について」の研究報告書をARPAに提出 電信システムからヒントを得、さらに情報をパケット(小包)化する事で、いくつかの中継所が遮断されても情報を迂回させ目的地まで伝達できるシステムの研究報告書「分散型通信について」をARPAに提出し、分散型の通信ネットワークの構築に向かって動き出しました。
1964 9 アイバン・サザーランド
Ivan Sutherland
第2代のARPA IPTOディレクタになる。   上に移動します アイバン・サザーランド(Ivan Sutherland)第2代のARPA IPTOディレクタになる。
1964   IBM IBM360計算機システムを発表 ビジネス計算機トップの地位を不動のものにしたIBM360ビジネス計算機システムを発表。
1965 2 ARPA 最初のネットワーク実験の契約 最初のネットワーク実験の契約がMITのリンカーン研究所のローレンス・ロバートと締結された。
1965 7 ARPA ネットワーク実験の契約 上記の相手方として、CCAのトーマス・マリル(Tomas Marill)とネットワーク実験の計画のための契約をした。
1965 8 ロバート・テイラー
Robert Taylor
第3代ARPA のIPTOディレクタ任命 ロバート・テイラー(Robert Taylor)が 第3代のARPA のIPTOのディレクタに任命される。
1965 10 ARPA 最初のネットワーク実験に成功 ARPAの最初のネットワーク実験はローレンス・ロバートがMIT(Massachusetts Institute of Technology)のリンカーン研究所のスーパーコンピュータTX-2とカリフォルニア大学サンタモニカ校のSDC(System Development Corporation)社の計算機Q32を専用電話回線と音響カップラー(acoustic couplers 電話の送話器に音による信号を送り、電話機の受話器からの音を電気信号に変換する)を使用して計算機相互間を接続することに成功しました。
1965 11 ARPA ARPANETの開発計画を開始 ARPAはパケット(packet)を正式用語とし、ARPANETでの速度を2.4 kbps(キロビットパアーセック k bit/sec)から50 kbpsに変更しました。
1965   ウエズリー・クラーク
Wesley Clark
IMP(通信処理用インターフェイス)を通して接続することを提案 ネットワークで計算機を相互に接続する時には、必ずIMP(通信処理用インターフェイス ルータの元祖 Interface Message Processors)を通して接続することを提案しました。
1965   DEC ミニコンPDP-8を発表 DECは商業的に始めて成功したミニコンPDP-8を発表。
1966 8 ロバート・テイラ
Robert Taylor
第3のARPA IPTOのディレクタに就任 ロバート・テイラー(Robert Taylor) 第3のARPA IPTOのディレクタに就任しました。
1966 8 ローレンス・ロバート
Lawrence Roberts
ARPAの IPTO の主任科学者に就任   上に移動します ローレンス・ロバート(Lawrence Roberts)はARPAの IPTO の主任科学者に就任して、APRANETの設計を開始しました。
1967 4

ARPA-IPTO-PI

評価会議を設置しARPANETの設計を検討 ARPA-IPTOに研究成果を評価する評価会議(Primary Investigators PI)を設置し、レイリー・ロバート(Larry Roberts) は4月に会議を開催しARPANETの設計を検討しました。
1967 10 ARPA-IPTO 最初のARPANETの設計書を作る ローレンス・ロバートは最初のARPANETの設計書(Multiple Computer Networks and Intercomputer Communication)を作り、パケットに関する研究の実態調査を開始した。
1967

10

ドナルド・デイビース
Donald Davies
英国パケット交換の実験を開始 イギリスのドナルド・デイビース(Donald Davies)が英国物理学研究所(UK's National Physical Laboratory)でパケット交換の実験を開始しました。
1968 8 ローレンス・ロバート
Lawrence Roberts
ARPANETの基本仕様を見直 ローレンス・ロバートは 実態調査に基づきARPANETの全体構想と基本仕様を見直しました。ARPANETの設計について購入仕様書を開示しました。
1968 10 ARPA ARPANETの性能測定に関する契約を締結 ARPAはロスアンゼルス大学(UCLA)の ILLIAC IV(当時最大のスーパーコンピュータ)システムを利用して、ARPANETの性能測定(Network Measurement Center)に関する研究を実施する契約を締結し、遠方の科学者によるアクセスの状況等ネットワークの性能を測定する計画を進めることになりました。
1968 11 ARPA IMPの開発をBBNに委託 ARPA はIMPの開発をBBN(Bolt, Beranek and Newman )に委託して具体的な開発計画が開始されました。
1968   ARPA-IPTO ネットワーキンググループ(NWG)を設置 スティーブ・クロッカ(Steve Crocker)をリーダにしてネットワーキンググループ(Network Working Group NWG)が設置された。
1969 4 ボブ・カーン
Bob Kahn
IMPの仕様を公開 BBNのボブ・カーン(Bob Kahn)が作ったホスト用のIMP( Interface Message Processors)の仕様を公開しました。この仕様はARPANETに接続されるホスト計算機とIMP間のインターフェイスの詳細を定めたものでした。
1969 4 ネットワーキンググループNWG 最初のRFCを公開 ネットワーキンググループ(Network Working Group NWG)は最初のRFC( Request For Comments)#1, でホスト計算機に装備する通信手順のソフトウェア(Host Software written by Steve Crocker)を公開しました。
1969 8   UCLAに最初のIMPが到着
  上に移動します
BBNからARPANETの最初の接続点(ホスト)であるロスアンゼルス大学(UCLA(Los Angeles)UCLAのレン・クレインロックのグループによって研究がなされているNMC(Network Measurement Center)に最初のIMP(Honeywellの計算機 DDP-516で構成されていた)が届けられました。
1969 9 ロスアンゼルス大学 ARPANETの最初の接続点で接続に成功 9月2日ロスアンゼルス大学のネットワーク測定センタでIMPを通して計算機(Sigma 7)への最初のパケットスイッチング(Packet-switching PS)方式による接続に成功しました。
1969 9 ローレンス・ロバート
Lawrence Roberts
ARPA のIPTO第4代ディレクターに就任 ARPA のIPTO第4代ディレクターにローレンス・ロバートが就任しました。
1969 10 スタンフォード研究所 ARPANETの2番目の接続点で接続に成功 ARPANETの2番目の接続点(ホスト)である、カリフォフニア州のスタンフォード研究所(SRI Stanford Research Institute)のドグ・エンゲルバートのグループが研究しているNIC(Network Information Center)に2番目のIMPが到着し、SDSの計算機 940に接続され、10月25日SRIの計算機からからUCLAの計算機へ最初のログイン(Log-In)に成功し、ARPANETの最初のメッセージが交換されました。
1969 11 サンタ・バーバラ大学 ARPANETの3番目の接続点で接続に成功 ARPANETの3番目の接続点(ホスト)であるサンタ・バーバラ大学(UCSB University of California Santa Barbara)の計算機IBM360がネットワークに接続され、最初の冗長性のあるネットワークが完成しました。
1969 12 ユタ大学 ARPANETの4番目の接続点で接続に成功 4番目の接続点(ホスト)であるユタ大学(U of Utah)の計算機DEC PDP-10もログイン(Log-In)に成功しました。
1970   ARPANET 毎月1件程度の参加 ARPANETに毎月1件程度の参加がありました。
1970 3  

ホスト間の通信手順公開

ARPANETとそれに使用したホスト間の通信手順(Host-Host protocol)を米国情報処理学会(American Federation of Information Processing Societies AFIPS)に公開しました。
1970 7 ノラン・アブラムソン 無線パケットのネットワークの使用開始 衛星通信用に無線パケットのネットワーク(ALOHANET)がハワイ大学のノラン・アブラムソン()によって開発され使用できるようになりました。
1970 11 スチーブ・クロッカー
Steve Crocker
ネトワーク制御手順NCPを完成
  上に移動します
初期のARPANETに使用した計算機相互間の通信の手順を定めたネトワーク制御手順(Network Control Protocol:NCP)を完成しました。
1970   ベル研究所 UNIXの基本ソフト完成 DECミニコンピュータ上で動作するUNIXの基本ソフト(operating system OS)がベル研究所で完成
1971       年の初めにはARPANETの接続点は14箇所に年末には計画通り19箇所に増加しました。
1971 1 インテル社
Intel
最初の1チップコンピュタ4004を発表 インテル(Intel)社は最初の1チップコンピュタ(computer on a chip)4004を発表しました。
1971 4 NWG ファイル転送手順公表 NWGは計算機相互間のファイル転送手順(file transfer protocol FTP:RFC114)を公開しました。
1971 7 ローレンスロバート
Lawrence Roberts
パケット衛星通信のAloha 方式を公表  
1971 9 ARPA TIPの開発を開始 ARPANETの通信に要する計算機の負担を軽減するためのインターフェイス(Terminal Interface Processor:TIP) の開発を開始した。
1971   ARPA 公開実験の実施を決定 ARPANETをコンピュータ通信に関する国際会議(International Conference on Computer Communication:ICCC)の場で公開実験を行うことを決定
1972       上に移動します ARPANETの接続点は最初の10ヶ月間に10箇所増加しました。ICCCでの公開実験に備えた開発が行われました。
1972 3 レイ・トムリンソン
Ray Tomlinson
電子メール(e-mail)の基本プログラムを作成 ARPANETを通した電子メール(e-mail)の基本プログラム(SNGMSG and READMAIL )を作成しました。その時のアドレスは"user@host"としましたが、他のシステムとの調整が付かず、1980sまで "@" 国際標準化することができませんでした。
1972 3   ARPAはDARPAに名称変更 3月23日ARPAの軍関係はDARPA Defense Advanced Research Projects Agencyに名称が変更になりました。
1972 レイリ・ロバート
Larry Roberts
メーリングリストのプログラムを作成  
1972 7 ジョン・ポステル
Jon Postel
ファイル転送手順)の仕様を公開 ジョン・ポステル(Jon Postel)はファイル転送手順(FTP Protocol)の仕様を公開(RFC354)
1972 9

BBN社
Bolt, Beranek and Newman

  BBNは安いハネウエル社316を使用して4箇所のホストと、64箇所のターミナルのIMPの改良を行った
1972 10 ロバート・カーン
Robert Kahn
ARPANETの公開実験に成功 BBN社のロバート・カーンRobert Kahnの指揮でICCC(International Conference on Computers and Communications)におけるARPANETの公開実験に成功し、その時、後に人工知能で有名になるMITのイライザとも会話をしました。
1972 10   国際ネットワーキンググループが作られた 国際ネットワーキンググループ(INWG)創設されビント・サーフが最初の議長に選任された。
1973       ARPANETの接続点は30箇所に増加しました。
1973 9 ロバート・カーン
Robert Kahn
ネットワーク相互間の接続手順として新しい伝送制御手順が完成 カーンはARPANETに他のネットワークを接続するための手順を再検討し、9月にはネットワーク相互間の接続手順として新しい伝送制御手順(Transmission Control Protocol TCP)が完成しました。
1974 4 ジョン・マクイラン
John McQuillan
迂回ルートの探し方を改善
  上に移動します
BBNのジョン・マクイラン(John McQuillan)は伝送路に障害が発生したときの迂回ルートの探し方を改善しました。
1974 5 ビント・サーフ
ロバート・カーン
TCPの概要を公表

ロバート・カーンとビント・サーフはネットワーク相互間の接続手順として新しい伝送制御手順(Transmission Control Protocol TCP)の概要を公表しました。
ビント・サーフ(Viet Cerf)とカーン(Kahn )はパケットネットワーク相互接続手順(A protocol for Packet Network Interconnection)の仕様の詳細をIEEE通信技術の会報に発表しました。

1974   ゼロックス(Xerox)社 イーサネットの公開実験に成功 ゼロックス(Xerox)社はパケットスイッチング方式による有線で計算機相互間を接続するLANであるイーサネットの公開実験に成功
1974   米国国立科学財団 各大学からスーパーコンピュータピュータを使用できるようにするネットワークの計画が開始 国立科学財団( National Science Foundation NSF)はARPANETに参加できない主要な120の大学が国立環境研究センター(National Center for Atmospheric Research (NCAR)のスーパーコンピュータCDC 7600を各大学の端末から使用できるようにするためのネットワークを構築する計画が開始されました。
1974     INWGは国際情報処理学会に編入 (International Network Working Group INWG)は国際情報処理学会 (International Federation for Information Processing,)に吸収され標準化の策定グループはIFIPのワーキンググループ( WG 6.1)として活動することになりました。
1975     ARPANETの接続点は61箇所に増加  
1975 7   ARPANETの管理運営の主体を国防省通信局に移管 ARPANETの管理運営の主体を国防省通信局(DCA, Defense Communications Agency)に移管し、委託先はBBNのままとし、BBNの持っていたIMPとTIPのソフトウエア(source code)を公開することにし、ネットワークの検討も公開の場で行うことにした。
1975     エネルギー省やNASAのネットワークもARPANETを通すことに決定  
1976 エリザベス女王 エリザベス女王が電子メールを使用 3月26日エリザベス女王が電子メールを送りました。
1976 7 ビント・サーフ パケット衛星通信をARPAに接続するプログラムの開発を開始  
1976   バークレ 一般の電話回線からのダイヤルアップ接続方法が開発された
  上に移動します
DARPAの支援によって、Unixへ新しいTCP/IPの組み込み、更に、AT&Tのベル研究所が開発したネットワーク接続のためのソフトウェアUUCPを同じ計算機に組み込むことによって、一般の電話回線からのダイヤルアップ接続(dial-up connections)ができるようになり、このセットは翌年から発売され、一般の人でも容易にネット接続ができるようになりました。
1976     スーパーコンピュータCRAY-1が登場 当時驚異的な性能を持ったスーパーコンピュータCRAY-1が登場し、研究者達をこれにアクセスさせるためのネットワーク技術の開発が始まりました。
1977 7 BBN パケット衛星回線がARPANETに接続される BBNが供給したゲートウェイによってパケット衛星回線(SATNET)がARPANETに接続され、国際間でのネット利用が急速に進展しました。
1977 10   パケット衛星通信ネットが稼動 ARPANETのパケット衛星通信ネット(SATNET)のTCPが稼動した。
1977 11 デーブ・クロッカー
Dave Crocker
ジョハン・バイタル
John Vittal
電子メールの仕様を完成し公表 電子メールの仕様(RFC733)を完成し公表しました。
1977   Larry Landweber メーリングリストを開始し ウイスコンシン大学のLarry Landweber はTHEORYNETを作り、電子メールを100人以上の研究者間で交換できるメーリングリストを開始し、外部との接続も有料で実施できるサービスを開始しました。
1977     接続するソフトを組み込んだ小型のアップルII計算機を発表 ARPANETへの接続するソフトを組み込んだ小型のアップルII(Apple II )計算機が発表されモデム(modem)を接続して一般電話回線を通してARPANETに接続できるようになり、これから計算機を接続するサービスが開始され利用者の急速な増加が始まりました。
1978 ビント・サーフ
Vint Cerf
ジョン・ポステル
Jon Postel
デニー・コーヘン
Danny Cohen
  上に移動します TCPをTCPとIPに分割し、TCPは端末間の接続、IPは通信経路の作成に機能を分割しました。
1978     ARPANETの実験は正式に完了 ARPANETの実験は正式に完了し、以後のインターネットの発展を継続するため、自由でオープンな国際会議の仕組みを作った。
国際協力会議(International Cooperation Board)とインターネットコンフィギュレーション管理会議(Internet Configuration Control Board)とその下部に各種タスクフォースを設置した。
1979 11     コンピュタサイエンスに関する研究のネットワークCSNET(Computer Science Research Network)の検討が始まり、11の大学が共同事業体となり5年間で3百万ドルの提案書を全米科学財団(NSF)に提出した。
1979     パケット衛星通信の実験が開始され移動体間を接続することに成功 DARPAはパケット衛星通信のネットワークPRNNET(Packet Radio Network)の実験が開始されSRIを経由して移動体間を接続することに成功しました。
1980   NSF CSNETの推進を決定 CSNETの提案書はNSFによって改定され、50以上の組織と、5百万ドルの資金によって推進されることが決定されました。
1981       年の初めにはCSNETへ参加する計算機システムは200以上となりました。
1981     BITNETが稼動 アメリカの大学と研究機関をIBM社のホストコンピュータで接続したネットワークBITNETが稼動し始めました。
1981     TCP/IPを全面的に公開 ネットワーク制御手順であるTCP/IPを全面的に公開した。
1982 10 BBN EGP の仕様を公開 BBNはネットワーク相互間を接続するエクステリア・ゲートウェイ・プロトコル(Exterior Gateway Protocol (RFC 827) の仕様を公開
1982     ヨーロッパでEUNetがはじまる ヨーロッパでは、オランダ、デンマーク、スウェーデン、イギリスを結ぶEUNetがはじまる
1982     パソコンゲームが盛んになる ネットワーク上でのパソコンゲームが盛んになった。
1983     MILNETとして分離 ARPANETが成長して十分に監視ができなきなったことから、軍関係はMILNETとして分離した。
1983 9   ヨーロッパの移動体情報ネットをARPANETに接続 ヨーロッパの移動体情報ネット(Movement Information Net MINET) がARPANETに接続されインターネトになりました。
1983 11 Jon Postel
Paul Mockapetris
Craig Partridge
  上に移動します 参加者の急速な増加に対応したドメイン名とドメインアドレス(Domain Name System DNS )についての提言(RFC882)があった。
1983   全米科学財団 NFSNETが接続を開始 全米科学財団(National Science Foundation NSF)に対して研究者が使いやすいより優れたネットワークを作るように要請に応えて、大学や民間の研究者用のネットワークNFSNETが接続を開始しました。
1983       ARPANETとCSNETがゲートウェイ接続するようになりました。
1983       国際的なパソコン通信ネットワークのFidoNetがはじまりました。
1984       インターネット全体にドメインネームシステムのしくみが使われるようになりました。
1984   全米科学財団   NSF(全米科学財団)は全米の研究者がスーパーコンピュータを使えるようにするためのネットワークを作る費用として5年間で2億ドルの予算が当てられました。
1985       年末にはホスト計算機の数が2000台に達した。
1985   全米科学財団 スーパーコンピュータ接続の契約 NSF(全米科学財団)は5箇所のスーパーコンピュータとネットワーク接続の契約を交わしました。
1985     インターネット活動会議が作られる インターネットの急速な増加に伴いNFSはインターネットの各種問題を解決するためにそれぞれの課題ごとにタスクフォースを組んで、各タスクフォースの議長で構成するインターネット活動会議(Internet Activities BoardIAB)が作られた。
1986       NSF(全米科学財団)はNSFNETの接続を開始し、全米ネットワークの構築が86年と87年にかけて急速に拡張され、接続されている計算機数は2000台から30000台に増加しました。
1986 1   IABにインターネット技術タスクフォースとインターネット研究タスクフォースを設置 急速に成長する、特に商業利用の増加に伴うインターネットの課題を解決するために、IABの下にインターネット技術タスクフォース(Internet Engineering Task Force IETF)の会議が開催され、各エリアにエリアディレクタを指名し、エリアディレクタで構成するインターネット研究タスクフォース(Internet Research Task Force IESG)がインターネットの課題を抽出して、各課題に対する標準化の作業をしました。
1987       年の初めには10000台
1987   全米科学財団   上に移動します NFSはインターネットの成長には通信速度と商業利用が重要であるとの認識に基づいて、UUNETによって商業活動ができるようにしました。
1987       スーパーコンピュータに24台が同時に接続できるルータ(routers)開発し使用が開始されました。
1987       ルータの接続方法の統一等のネットワーク上の問題を解決するためにネットワーク管理を開始しました。
1987 12   インターネットアドレス管理機構設立 インターネットアドレス管理機構(Internet Assigned Numbers Authority IANA)が設立され、ジョン・ポステルが議長に選任された。
1987   全米科学財団 NFSNETの基幹ルートの通信速度をT1レベルにした。 NFSはNFSNETの基幹ルートの通信速度をT1レベル(1.544Mb/s)にした。
1988   米国政府 NFSNETの奨励策として政府が調達する製品はOSIにすると発表した。 NFSNETのグレードアップを計るためより多くの国との接続や米国内のより広い地域への拡張とより多くの種類のネットワークとの接続をする必要があり、米国政府はNFSNETの奨励策の一環として、政府が調達する製品は(   OSI)に従って作られた製品を購入すると発表しました。
1988 11   モリス・ワーム事件が発生 2日モリス・ワーム事件が発生し、インターネットにつながっているコンピュータ60000台のうち、6000台がこのワームの影響を受けました。これを受けて、計算機緊急事態対策チームCERT (Computer Emergency Response Team)が発足しました。
1988     NFSNETに外国が接続 Canada (CA), Denmark (DK), Finland (FI), France (FR), Iceland (IS), Norway (NO), Sweden (SE)
1989       ホスト数は1月80,000台、7月は130,000台、11月は160,000台に増加しました。
1989     商業用の電子メールが使用可 インターネットで商業用の電子メール(e-mail MCI Mailを通して)が使用できるようになりました
1989 3 ティム・バーナード・リー
Tim Berners-Lee
  スイスのヨーロッパ素粒子研究所(Centre Europeen de Recherche Nucleaire CERN) のティム・バーナード・リー(Tim Berners-Lee )はハイパーアテキストHypertextの提案をしました。
これがネットワーク上に接続され、異なる基本ソフトを使用する計算機相互間でも文書を相互に交換できるワールド・ワイド・ウェブ(World Wide Web)に繋がるものでした。
年末にはワールド・ワイド・ウェブが完成していました。
1989       上に移動します Australia (AU), Germany (DE), Israel (IL), Italy (IT), Japan (JP), Mexico (MX), Netherlands (NL), New Zealand (NZ), Puerto Rico (PR), United Kingdom (UK)
1990       ARPANETが終了しました。
1990       アメリカでIP接続が使える商業プロバイダ、ワールド・コム・オンライン社(The World comes on-line world.std.com),が登場し一般の人でもインターネットにダイヤルアップアクセスができるようになりました。
1990       Argentina (AR), Austria (AT), Belgium (BE), Brazil (BR), Chile (CL), Greece (GR), India (IN), Ireland (IE), Korea (KR), Spain (ES), Switzerland (CH)
1991       ホスト数は爆発的な成長を続け接続国数も100を超え、ホスト数も600,000台を超えてきました。
1991       米国議会はゴア・ビルが作成した全米研究教育ネットワーク(National Research and Education Network)の法案を可決しました
1991 3 全米科学財団 NFSNETに制限をつけて商業用の参加を認めた NSFはNFSNETに一定の制限をつけて商業用の参加を認めた。
1991 5 ティム・バーナード・リー
Tim Berners-Lee
HTML 、HTTP、 WWWを発明 文書の書き込みをするHTML(Hyper Text Markup Language)、そのページを送るHTTP(Hypertext Transfer Protocol)、データを受け取り解釈し、その結果を表示するプラウザ・クライアントのソフトウェア(World Wide Web)から構成されていて、最大の特徴はあらゆる種類の計算機で使用可能になっていることで、世界中に分散した情報(当初グラフィックは含まない)を容易に利用できることでした。
1991     NFSNETの基幹ルートの通信速度をT3レベルにした。 T3 (44.736Mbps)
1992       ホストの数が100万台を突破
1992 1   インターネット協会(ISOC)設立される インターネットの規格作成をしていたインターネット活動会議 (Internet Activities Board (IAB))が国際組織としてインターネットの利用促進を目的にしてインターネット協会(Internet Society ISOC) に発展し、規格作成はインターネットアーキテクチャ会議(Internet Architecture Board)としてISOCに組み込まれました。
1992 3     上に移動します 音声とビデオがインターネットで取り扱えるようになりました。
1992       パソコンでもTCP/IPが使えるようになりました。
1993 2 マーク・アンダーセン
Marc Andreesen
画像を扱うモザイク(Mosaic)を発明 NCSA National Center for Supercomputing Applications -UIUC (University of Illinois)のマーク・アンダーセン(Marc Andreesen)はWorld Wide Web. 上で画像の取り扱いを可能にするモザイク(Mosaic)を発明し、公開しました。
1993     ゴア副大統領がNII(情報ハイウェー構想)を発表  
1994 5   国際WWW会議開催 国際WWW会議(international WWW conference)が5月25日ジュネーブで開催され、参加者が多くてWebのウッドストックといわれました。
1994 8   国際WWW協議委員会開催 国際WWW協議委員会(International WWW Conference Committee (IW3C2))がジュネーブで開催される。
1994 12   WWW運営会議 WWW運営会議(World-Wide Web Consortium (W3C))がWWWに必要な各種技術の標準化を推進するために設立され、第1回の会議が12月14日ケンブリッジで開催される。
1995     NSFNETが終了 NSFNETが終了し、これでアメリカはインターネット接続を完全商業化することになりました。
1995 8   Internet Explorerが登場 WWWブラウザ ある情報を閲覧するためのプログラムのInternet Explorerが登場しました。
1995     RealAudioの登場 RealAudioの登場で、音声がリアルタイムに再生できるようになりました。
1995     世界的にWindows95ブーム 世界的にWindows95ブームが起きました。個人のインターネット利用が増えるきっかけになりました。
1996       アメリカ議会でネット上の有害な情報をとりしまる通信品位法が可決しました。
1998 1   ドメインネームの管理を民営化する方針書を発表 アメリカの商務省はドメインネームの管理を民営化するための方針を書いたグリーンペーパーを発表し、その後一般からの意見を反映させたホワイトペーパーを発表し、ICANNができることが決まりました。
1998       ドメインネームやIPアドレスの方針を決める団体ICANNができました。
        上に移動します  
         

関連事項
電気の歴史年表 電気通信の歴史年表 無線通信の歴史年表 量子論の歴史年表 インターネットの歴史年表    ハードウエア歴史年表  プログラミング言語の歴史年表    単位の歴史  宇宙の歴史 電灯の歴史年表


Counter