

この「エッセイの広場」には、Hiroshi Mochizukiの友人、知人によるエッセイを掲載します。
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「キャンプへ行こう」
藤田幸久 (兵庫県で病院勤務、細胞検査士)
街の雑踏を掻き分け通勤電車を乗り換える。どこを見ても人、ひと、ヒト・・・うんざりする平日。休日こそが自由な時間。さぁ、今日はキャンプへ行こう。
ワンボックスカーの座席をキャンプ荷物を載せれるように最後部シートを折畳み、折畳みイス、テーブル、シェラフ、テント、タープ、コンロ、ランプ・・・うまく工夫しないとスペースは限られているのでクルマに入らない。妻は衣類、食器、食材、洗面道具などをコンテナに詰め込む。2人の息子は任天堂のゲームに夢中でも取り上げて手伝いをさせる。何とか出発。
汗だくでハンドルを握るが、思いはキャンプ場ののんびりした自然の空間。気分は盛り上がる。道案内のカーナビは欠かせない。知らない土地でも近所の道のように走れる。
キャンプ場に近づくと食材仕入れにスーパーを探す。当日のメインディッシュは、御当地のうまいもの! 海の近くならば地物の海鮮物、山ならば山菜や地鶏、地たまご。
キャンプ場へ辿り着くと、さぁテントの設営だ。全員で荷物を広げて手こずりながらやっと完成。もう、息子たちは遊びに夢中。川に入って魚を追っかけたり、アスレチックにトライ。私は光る汗をぬぐって缶ビールを飲み干す。このすばらしい時間を大事にしなくては、と思う今日この頃です。
「アメリカ生活の感想」
岸孝司 (アメリカ合衆国ニュージャージー州在住、エレクトロニクスメーカー駐在員)
今アメリカは独立記念日(7月4日)ウイークエンド3連休の真っ只中です。私も家族(妻、息子、娘)とワシントンDCへ1泊旅行へ出かけ、帰宅して自宅で白ワインを飲みながら画面に向かっているところです。
思えば、私が企業の駐在員としてアメリカ勤務を開始して、早いもので半年が過ぎました。これまで一度も海外で暮らしたことがなかった40男がマルドメ(注:まるでドメスティック)の環境から海外、しかもアメリカ、しかも東海岸のニューヨークの隣の州で、アメリカ人の部下ももちながら英語交じりで仕事をしているとは1年前はこれっぽっちも思ってなかったな、と思う間もなくこの半年が過ぎました。この間の雑感(痛感)を少し書かせていただきます。
まずは「敷居が高い!」ということです。この国では英語が普通にしゃべれて当たり前、不明瞭な英語でゴモゴモやろうものなら、眉間にしわを寄せて「何ですか〜(英語ではPardon?)。当たり前だけど、英語がしゃべれて当たり前。そこがスタートライン。この点、もっと自分の英語が通じるだろうと赴任前に高をくくっていた自分の甘さを思い知らされています。(言い訳をするならば西海岸より東海岸は早口で分かりづらいです)さらに9.11テロ以降、アメリカ国家として外国からの人の受け入れに非常に神経質になっており、結果としてアメリカ生活の基盤となるソーシャルセキュリティ番号(これがないと企業では給料も支給されない、免許証も取りにいけない)の発行にもすごく時間がかかっています。ニュージャージー州では1ヶ月もかかります。
でもなんでしょう。それを乗り越えた先にあるものは結構いいんではないの、とようやく最近少し感じられるようになって来ました。わが社でもこの国が気に入り、もう日本には帰れない体になり(笑)、会社を辞めて現地に根付いていくという選択をした方が何名かいます。きっとそういうことなんでしょう。
で、自分は、と振り返りますと、根本的には「期間限定のアウトサイダー」なんだな、ということが改めて自覚されます。このアメリカで、ではなく、このアメリカの経験を踏まえて日本でのアウトプットを想定している自分に気づかされます。平たく言えば、会社からもらったアメリカで仕事して、生活する機会を生かして、ホームベースの日本で公私ともども大きくなった自分(大きくなるか否かは?ですが)を感じよう、というところでしょうか。
(次号に続く)
「喧嘩で得たもの」
松本明 (東京でシステム・エンジニア)
昨年、半年ほどかけ自転車でヨーロッパを走ってきました。その旅では色々な事を体験しました。ふと、お爺ちゃんにからまれたことを思い出しましたので、東欧のある田舎町のカントリーハウス(B&Bのようなところ)を訪れたときの事を紹介します。
天気の良いある日、観光協会で教えてもらったカントリーハウスを目指し自転車を漕いでいましたがなかなか着きません。厄介な事に、途中途中でその宿の案内(○○ハウスまで何キロ)が出てきます。そうなると、「この道はあってる。もう少しや」と思い自転車を走らせてしまいます。(そうでないときは、あまり進んでも翌日引き返さないといけないので、時間を見て適当なところでテントを張ります)やがて道がアスファルトから土の道へ。そして凸凹道になってきたので、そろそろあきらめて少し戻って野宿するかと思っていたところ、それらしき建物が現れました。なかなかしっかりした建物だったので、少し期待(キッチンやシャワー室が使えるかな)をして家の前に座っていたお爺ちゃんに声を掛けました。
僕の頭の中では、お爺ちゃんからの「何処から来たんじゃ?泊まりたいんか?よう来たのう」等の言葉が出るのを思い描いていたのですが、何やら凄い剣幕で騒ぎ立てながら近寄ってくるではないですか。「間違えたかな?」と思いながら、案内所で貰ったパンフレットを見せましたがお爺ちゃんは意に介さず。前歯の抜けた隙間からつばを飛ばし、眉間にしわをよせ喋るお爺ちゃん。僕もはじめは「何のこっちゃ??」と思いながら聞いていましたが、だんだん腹が立ってきて(不思議なもので言葉が解らなくても今、相手は友好関係にはない事は解るもので)日本語で文句を言い返しヒートアップ。僕の中で「このお爺ちゃん」から、「このくそ爺」に変わっていました。
そのとき玄関から若い女性が出てきて、お爺ちゃんをたしなめて奥にやると「ここに泊まりたいの?」と片言の英語で。僕も落ち着き、片言の英語で説明。そして「あのお爺ちゃんは?」と尋ねると、旦那さんのお父さんのようでここには住んでいないとのこと。家に居てもやる事がないのでこちらに来て庭などを眺めていたのだろう。そして皆にも相手にされないのでその寂しさからああいった態度に出たのだろう。そう一人拡大解釈をしながら宿の説明を聞いていました。でも、残念な事に僕にとってはその宿は少し割高だったので諦める事に。爺ちゃんを探すと、庭の奥でベンチに座り庭をボーっと眺めていました。
夕方近くだったので少し田舎道を戻り、近くのだだっ広い農地でテントを張りました。そして、その日一日あった事を思い出しながらサンドイッチをほお張り、西に傾いた橙色の夕日を僕もボーっと眺めました。この頃の僕にはまだ少し、「自分は旅人だから」という変な甘えがありました。でもそれが払拭できた一日でした。
「熊の親子に遭遇!」
室岡瑞恵 (北海道網走水産試験場の研究員)
3年前、東京から網走に赴任してきました。バイオリンをやってます。バイクも好きです。その他、山に行ったり川に行ったりして楽しんでいます。
北海道に来て、一番印象深かった体験は熊に遭遇したことです。知床半島は世界遺産候補にもなり、有名ですが、岬までは道路がないため車で行くことはできません。知床岬に行くには羅臼・相泊から3日間かけて海沿いの石だらけの海岸を歩くことになります。途中、2泊キャンプをするのですが、そのときも熊が近づかないようにテントからずっと離れて炊事をします。炊事用具には食物の臭いが付いているので、テントには入れず、遠くに置いておきます。
熊に出会ったのは2日目の夕方でした。海に張り出している岬を1時間かけて越え、休憩し、歩き出すと、100mほど向こうに熊がいました。北海道の熊は、本州のツキノワグマより一回り大きいヒグマです。襲われたら大変なことになります。あわてて踵を返し、もと来た道を戻りだしたんですが、なにせ、峠を越えてきたばかりです。峠を目の前に、山側、海側どっちに逃げるか一瞬のうちに考え、海側に逃げました。運の悪いことに、私の出会った熊は母熊で、仔熊がいたんです。これは、仔熊が人間に興味を示し、ついてきてしまうため、もっとも危険なパターンと言われています。
岬の海ぎわまで追いつめられ、仕方なく荷物を置き、上着と靴を脱ぎ、泳いで逃げました。熊の方は泳いでまではついてこなかったのが救いでした。びしょぬれのまま夏とはいえ凍えそうになりながら歩いていましたが、夜になる前に漁師さんの舟に助けられ、羅臼まで舟で送ってもらいました。こんな経験はしましたが、知床の自然はすばらしく、今でも大好きです。