帰ってきた男

 2001年10月。

 オーストラリア代表選手として2002年ワールドカップ出場を賭けたウルグアイとのプレーオフに臨む為、コリカは広島を一時離れることとなった。
 
 1997〜2001年のサンフレッチェにはオーストラリアコネクションで獲得した外国人選手が多くおり、当時お金の無かった(今も無いが)チームは、このオーストラリアコネクションに大変助けられた。

 当時のオーストラリア代表選手にはポポヴィッチ、フォックス、ヴィドマーもおり、コーチとしてはアーノルドも居た。(元広島の選手がこんなにも居る外国の代表チームというのは、今考えると凄いことだと思う。)

 我々は彼らを愛していたし、心の底から日本へ凱旋して来て欲しいと思っていた。

 この気持ちを伝える為、横断幕を作って寄せ書きを募りコリカに直接手渡すこととなった。
 

  
 

 広島スタジアムのゴール裏にやってきたコリカへ寄せ書きを手渡したところ、彼は大変喜んでくれた。(俺はその場には立ち会えなかったけど)
 
 その時の模様(ヨンチェ氏画)
 
 

 結局、プレーオフには負けてしまったが、その後に一つのエピソードがある。

 コリカの契約は2001年までであった。

 しかしコリカは2002年もまだ広島に居たのだ!

 サンフレッチェにとって運命の2001年12月。 ヴァレリーが家庭の事情により辞任(実はウソ)、ヴァレリーに紹介されたガジエフの就任決定(実はヴァレリーの嫌がらせ)、コリカとの契約は未定...。

 そして新監督ガジエフの方針が出たのは年が明けて1月初旬。 「自分の目で見るまではコリカとの契約については判断できない」ということだった。

 コリカは広島を最優先に考えてくれていた。 だからコリカは契約も無い広島にギリギリまで残ってくれていた。

 プロフットボールプレイヤーとしは到底納得できない結論を突きつけられたコリカは広島を去った。

 イングランド一部リーグの降格寸前のチームに加入した彼はゴールを重ねて残留を決め、救世主となった。

 そしてサンフレッチェは、その年J2に降格した...。


 2005年。

 日本で開かれる世界クラブ選手権に参加するシドニーFCの一員にコリカの名前があった。

 彼はオセアニアクラブ選手権の決勝でもゴールを決めている。 試合後にリトバルスキー監督曰く「シュートがうまい」。 コリカは相変わらずのようだ。

 ヤツに会いたい。 しかし試合は月曜日夜の豊田スタジアムという高いハードルを越えた人間しか行くことが出来ない。

 というワケでまたしても横断幕を作成することとした。

 

 試合前練習の為、ピッチに出てきたコリカは最初驚いた顔をし、すぐに笑顔になった。

 大きく手を振るとコリカも手を振り返す。

 練習は始まったが、まだこちらを見ている。 もう一度、笑顔で手を振ってくれた。

 これだけで充分。

 ちょっと遅れたけど、コリカは約束を守った。

 なんだか胸が熱くなった...。

 「日本で待ってたぜ! ビンビ!!」

 
 追記1:7メートルくらいあって意外と大きめですが、TVには後半19分頃にしか映ってないです。
 追記2:横断幕は国立にも掲げられました。