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east tibet

2001年の9月11日。アメリカ、ニューヨークであのテロがあった日に
東南アジアの旅から、たまたま一時帰国のために飛行機に乗って日本に1週間だけ滞在後、成田空港の厳戒態勢のなか
再び香港に飛び、世界が戦争へ向かおうとしている中, ”香港HongKong” から ”昆明kunming”を経由し ”拉薩Lhasa”を目指したチベット横断の旅。
まさかこの戦争がのちのち自分の旅行のルートにまで影響してくるとはこの時点では予想すらできなかった。

麗江Lijiang
香港から電車とバスを乗り継いで再び世界遺産の街 ”麗江Lijiang”へ。
この街へは半年前に1ヶ月以上滞在していたこともあり、仲良くしていた宿のスタッフとの再会となった。
今回は10日ほどの滞在だったがその間にここのスタッフに教えてもらった中国語とプレゼントされた日中辞典がチベット自治区にはいってからのヒッチハイクにおおいに役立った。
麗江からバスで5時間、民族としてはチベット族の街 ”香格里拉Xianglila” へ。
イギリスの有名な小説家ジェームス・ヒルトンの小説「失われた地平線」に
でてきているシャングリラということで
都市名がここ数年で変更された街である。当時は旧名だったがさすが中国である。
ここは松茸が有名でチベット族の女性が収穫しては市場で取引している姿をみること ができる。またシーズン中の秋には500gで千円もせず松茸が買えてしまう。
周辺最大のチベット文化の象徴であるチベット寺院"松賛寺"もある。

松賛寺

未舗装の道をいく
こっから道が未舗装になり道を踏み外すと崖下に転げる道なる。
標高も麗江2500m、香格里拉3000m、理塘4000mとあがっていく。

チベット式宿泊所


ホテルもチベット式になっていき、部屋もチベッタン風一色。



馬の代わりか?

草原が広がる
標高4000mの"理塘Litang"につくと草原の平野が広がっていた。 ここまでくるとチベットでもカムとよばれる東チベットになる
広大なチベット圏のなかでも勇敢なカンパと呼ばれるチベタンの多い地区である。 写真のようなチベタンが腰にでかいチベタンナイフを普通にぶら下げて、 日本の暴走族顔負けのバイクで街を走り抜けて行く。
馬に装飾していたのがバイクにかわった感じだ。
そして郊外には草原がひろがっている。
そこをバイクで走り抜けて行くチベタンはまるでチベット版イージーライダーだ。
が、写真の草原のなかに横断歩道有りの標識は
必要ない気もするが,,,,
"道孚Daofu"につくとチベットでも ここだけと思われる、寺の裏山肌一面に旗がたってる不思議な景色をみることができる。 またチベット僧の寺にある部屋を見せてもらう事ができ、
バター茶をごちそうになった。 部屋には中央ラサでは小さな写真ですら飾る事のできないダライラマの 写真がでかでかと貼ってあった。

裏山に旗がはためく

チベット僧の部屋

峠は雪だった
”甘孜Ganzi"を経由して 途中峠で一面雪に覆われ ”徳格Degei"に到着した。 ここが許可証の必要のない四川省チベット区域最後の街になる。 ここから先はチベット自治区となり通常は許可証のないと入ることはできない。
その許可証の取得条件もなかなか難しくなってる。
そんな小さな地方町、徳格だがチベット仏教のなかでは重要な場所となってる。 なぜかというとここの町の寺でチベット仏教の教典を印刷しているのである。 教典の文字部分の赤インクですらチベット仏教徒にとってはとっても聖なるものなのである

徳格寺の印刷施設
そんな寺で従事しているのは7割は子供だった。
彼らの服は赤インクで 真っ赤に染まっていた。
本来写真撮影は禁止な場所なのだが、彼らにカメラを渡したら最後、カメラ内のフィルムすべて撮影されてしまった。
撮影禁止じゃないの?

ここから先、チベット自治区を通って ”拉薩Lhasa”を目指すにはヒッチハイクしかない。 バスも走ってはいるが外国人にチケットを売ってもらうのはかなり難しい。
→ヒッチハイク編へ


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