♪現在も遠くから応援してくれている長坂幸子先生、
この先生の熱意と面倒見の良さがすべての始まり?
 
 
●カラー写真が普及し始めた時代、弘前大学教育学部音楽科 1年の終わりの頃だった。学生同士で「真間の手古奈」を企画
              <音楽文化の創造39(直美・記)>
1967年6月7日
●音楽科学生による「真間の手古奈」上演

                    作曲/服部  正
                    弘前大学音楽科ホール
 
*情報収集中、随時コメントしま~す 誰か解説して~
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 う~ん、誰が何をしてるのか???まだ白黒写真
 
弘前大学教育学部音楽科研究室のベランダ
<直美さんの思い出>

 ~あの、19歳の『真間の手古奈』。「オペレッタって知ってるよ。でもなに、それ。」から始まって、「えっ、わたしがやるの。」が過ぎて、終わったという記憶だけが残ったのを覚えています。人間、どこか必死になると楽しむ余裕はありません、の見本みたいなものでした。

<千佳ちゃんの思い出>
 
~私が大学に入学した時、学生による『真間の手古奈』の稽古が行われていた。
 なぜか魅力的で講義の終わった後引き寄せられる様に毎日見学にいった。
 そこで小坂良禅・熊木晟二・知北直美らの先輩達や、私と同じく通いつめる木村義昭という理学部の学生と出会うことになる。
 
 2年生になったばかりの直美さんが手古奈で、私たち1年生は合唱で・・・最後湖に飛び込んだ手古奈(直美)を受け止める係りで・・・・(私一人だった)・・・・・、
 支えきれず、すごい音したら、長坂先生が「飛び込んだ水の音みたいだったわよ」って・・・ほめられた・・のかな? 
3年生になると、「フィガロの結婚」1・2幕上演という話になり、長坂先生が講習会で築地文夫先生をお呼び下さったので、芝居の仕方を初めて教わった。歌いながら芝居をするのは何と難しいことか    
           <音楽文化の創造39(直美・記)>
 1968年5月4日 
築地文夫氏の指導のもと、弘前市民会館で「フィガロの結婚」1・2幕上演

  
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   1969年11月8日    弘前市民会館で「フィガロの結婚」全幕上演
 ●テレビもビデオも学生の身分で購入できる時代では なかった。 何回言われてもできないので、よく物が飛んできた。
 体罰とかセクハラなんて言葉がない時代、ある意味良い時代だったかもしれない。
 おおらかに、のびのびしていた。学生には分からない 大人の世界を縫って、まとめて、とにかく全幕公演 
                                               <音楽文化の創造39(直美・記)>
写真をクリックすると大きくなります    カラー写真になりました
 
                    ★先生の思いが学生に伝わったのか・・・ 
  「プログラム」より
 
 
私としてはもっとレベルの高い曲に取り組んでもらいたいというのが長い間の願いでした。幸いにその後二期会のオペラで活躍しておられる築地文夫氏の指導を受けることが出来るようになり漸く学生のオペラも一歩本物に近づくことが出来たように思います。
 数少ない音楽科の学生が日頃の声楽の研究に加えてオペラという総合芸術に取り組むことは、人材の点からも時間の点からも又経済的な面からも全く容易ならざることなのです。敢えてそれらの困難に正面から立ち向かって初志を貫徹したことは各々の学生にとってもまことに得難い経験であり将来にプラスすることが多いことを確信致します。勿論日本のオペラは伝統も浅く未だ欧米に学ぶところが多々ありますが、その演奏や研究を中央にのみ任せていてはその真の発展は望まれず、又地方人は一生オペラにふれるチャンスもなく終わるということになります。

  今回の学生による「フィガロの結婚」全幕演奏が単に学生の演奏活動というだけでなくこの地域社会にも音楽を通して何らかの貢献が出来るようにと願って居ります。
                                                    長坂 幸子
 

 声楽の長坂幸子先生、集中講義でオペラを教えて下さった築地文夫先生の協力もあり、その後学生オペラとして2度『フィガロの結婚』を経験することができた。とはいっても、今考えるとすべて手作りの学芸会のようなものであったと思うのだが、卒業の頃には私たちの頭の中は「オペラをやりたい」という一色にそまっていた。
 「オペラ研究会を作ったら?」と声を掛けて下さったのは、ドイツ暮らしの長かった池田雄三先生、卒業生にまで研究室を開放して下さった長坂幸子先生、当時唯一の30代として初代会長を引き受けて下さった森山守三さん、自らメイクして下さった長内和夫先生、ヨーロッパのオペラのことを色々話して下さった金子登先生、そして総合芸術としてのオペラへのスタートをさせて下さった福永陽一郎先生、今も一緒に弘前オペラの道を歩いてくれている平尾力哉さん、を始め多くのスタッフの方々のサポートがあって、公演が行われてきたことに感謝の心を忘れずに、21世紀を迎えて欲しいと願っている。
 
怒られてるんじゃないよね~?
たぶん、練習風景(研究室で)
 学生の中から盛り上がったオペラへの情熱が遂に一つの実を結ぶ時が来ました。
 1970年9月5日  弘前大学音楽科卒業生及び在学生を中心とし、山崎祥子氏(元東北女子大教授)の助言を受け、
       オペラ研究会発足準備会を始める。
 1970年9月19日 弘前大音楽科助教授長坂幸子氏(現在東京在住)顧問となる。
 1970年9月23日 「弘前オペラ研究会」発足(8名)

森山守三

木村 仁

斎藤和子

知北直美

  今 千佳子                       

当時の写真が
ありませ~ん


木村義昭

沢田孝太郎
 
  千葉淑子 

 
●卒業と同時にバラバラになった仲間達、とりあえず8名で立ち上げた。1年かけて第1回公演の旗揚げ準備
        <音楽文化の創造39(直美・記)>
         
昭和46年3月1日旬刊「音楽展望」
                                                           昭和46年2月12日東奥日報
 1970年11月8日 第1回定期演奏会を昭和46年9月とし、 曲目はモーツァルト作曲「ドン・ジョヴァンニ」と決める   
森山会長
 1971年1月 築地文夫氏の指導により、集中練習
 1971年3月17日 弘前市民文化祭に参加決定
 1971年8月 築地文夫氏の指導により、集中練習
*直美→弘前学院聖愛高校勤務、木村義昭→三戸高校田子分校昼間定時制、
で結婚しても別居2年。
*虎谷家津軽半島蟹田中学校、熊木家下北半島大湊高校だったので、週末はオペラ練習に弘前集合、

*弘前在住の直美さんが実質運営していた。
日曜日しか会えないけれど、計算能力など見ていられなくなり木村義昭事務局長に昇格?
「マネージャー」と呼ばれ、たぶん学生時代から33回公演まで一人で実務を担当していた
音楽好きの理学部の学生が音楽科に入り浸り、創立メンバーに、数字に弱い音楽科生には貴重な人材。
1971年9月9日 
「弘前オペラ研究会後援会」発足

      
  
   故池田先生、岡本さん両氏の奥様が引き続き応援してくれました。感謝 
 いよいよ「弘前オペラ」の歴史のはじまり・はじまり~
第1回公演~指揮・演出は築地先生、伴奏はピアノ
第2回公演~指揮は音楽科の笹森先生、                    
第4回公演~集まった楽器にあわせて編曲も担当

♪女声はプログラムの姓がどんどん変わり、楽しい話題も増えました。
 
♪しかし第4回「カルメン」は
歴史に残る秘話が 


この第1子が
この膨大な資料を整理、DVDにまとめてくれました(2018年5月)

 ・・カルメンのお腹に第1子。
オーケストラピットでは
  ダンカイロがファゴット吹いていた。
(?ファゴット奏者が ダンカイロか?)
  第8回公演~5年間にわたって、世界的な指揮者である故福永陽一郎氏の指導を受け、これを通じて地元の指揮者が育ってきた  
第9回公演~プログラムには「弘前オペラアンサンブル」の名前が登場、
福永陽一郎先生が指揮、それとともに、本格的なオーケストラ演奏で公演を行うことができるようになりした。
 
 ★客席で見てるのは心臓に悪い、私が指揮をする・・・で初めてのフルオーケストラ公演、歌のお兄さんの河東燈士氏の演出も得て、たくさんの事を教わりました。
                   <音楽文化の創造39(直美・記)>
 昭和56年3月5日  第6回青森県芸術文化報奨受賞 
 
第14回公演~演出に演出家、平尾力哉氏を迎え、より本格的な舞台になりました。 

築地先生も来てたんですね~
  第15回公演打ち上げ(大和家) 
虎谷教育長?会館館長?











小野さん(左)・・・とってもまじめでした
 
            第3代会長・第2代会長
 
虎谷指揮者・・目にきてますね~
 第19回公演~舞台美術に小林優仁氏を迎え、
     毎年舞台完成が楽しみになりました

 <河北新聞・オペラ団体の記事>現在も毎年公演続けてるの「弘前オペラ」だけかな~?
 1992年10月11日 第1回 志鳥音楽賞受賞 
 1995年12月2日  第48回 東奥招受賞
 1997年10月1日  第5回 「あおぎん賞」受賞 
詳しくはへどうぞ



「オタスケマン」
 
 第8回まで本番の伴奏・・・すご~い体力
  高橋 明子(第1回)
   佐藤 恵美(第1・5・7・8回)
 熊木美紀子(第2~4回)
   菅原あつ子(第6回)
(ソプラノ会員で~す)
 藤田 雅子(第8回)

いよいよ本番はオーケストラとなりましたが
   普段の練習にはやはりピアニストは欠かせません


 山内 律子(~第13回)・・「ドン・ジョヴァンニ」では合唱にも参加
 工藤賀代子(~第14回)・・「ドン・ジョヴァンニ」では合唱にも参加
 茂田 衣子(第14~15回)
 田代希史子(第15回)
 今 由佳理(第16~19回)
 石郷 勝彦(第17~22回) 
ひとこと♪ ≪弘前オペラ30周年記念誌・2001/3/31発行≫より
 工藤 美香(第21回)
 小山美登里(第23回)
 木村 靖子(第25回)
 奈良岡英樹(第26~28回)
 小林 佳澄(第26回)
 伊藤 千湖(第27回)
 外川  和 (第29~30回)
 沢田  元(第22回~現在)・・・・・・学生の頃から伴奏で今やパパで~すひとこと♪≪記念誌≫より
 飯田 倫子(第24回~第39)・・・・・・照明のキュウ出しスタッフひとこと♪≪記念誌≫より
 工藤 絵美(第32回~34回)
 菅野 美津子(第35~第45回)
・・・・字幕のキュウ出しスタッフ
  小西 淳子(第40~現在)・・・・照明のキュウだし
  八重樫 夏葉→今 夏葉(第45回~現在)・・・字幕キュウ出し
 
30年間出演者全員のヘア・メイクを担当していただきました 
  「かくは宮川」でファッションデザイナーをしていた宮川さん、
化粧品会社を紹介しただけでは心配になり、自らメイクの勉強、
 すっかりオペラの一員

             ≪記念誌≫よりひとこと♪
 『蝶々夫人』では地毛で髷を結い上げま        した、カツラの重さも違和感もなく演技に集中
   ≪記念誌≫よりひとこと♪
  
≪弘前オペラ30周年記念誌・2001/3/31発行≫より

 『記念誌』である。これの大事な役割は、次第に失われてしまう記録の保存でもあるだろう。先日の『フィガロの結婚』公演では、これまでのポスターをロビーに展示したが、数枚どうしても見つからなかった。何とかして探し出したいが、古いものは今から28年前。さてどうなるか。プログラムも同様であるし。チケットそして手作りの時代からの散らしとなると、そろえるのは不可能に近いかも。
 写真はその点では割としっかり残っている。ただ、アルバムの冊数はかなり膨大になっており、保管場所が問題だ。
 音に関しては第18回公演の『魔笛』までがすべてオープンリールである。それも10インチと7インチ、2トラックと4トラックと入り混じっている。テープデッキは今も所有はしているが、ここ10年ほど再生したことがない。はたして動くものか?動いたとして、その再生品質は?その後は
DAT
を使っているが、これも機器がいつまでも利用できるか気がかりではある。だがMDでは心許ないし。
 ビデオは第9回の『椿姫』から、在ることは在る。しかし、当時のアマチュア用カメラで、舞台を流し撮りしただけからのスタート。動きは判ってもキャストが誰やら判らない。まあ、声を聴けばさすがに判るのだが。で、ここでもメディアが問題になる。最初はベーター、そしてVHS,Hi8まである。品質はさまざま(画質ならびに内容?)だが、ここでもズーム等が必要になる。プロに頼むと言う手段もあるのだろうが、何せ貧乏団体だし。
 さてこれからの財産!をどうするか。全てデジタル化して保存?30年分となると、こりゃあ大変だ。テープは怖いし、DVDは規格がどうなるか決着がついてないし。CD-Rくらいは持ってるけど。
 こんなことに悩んでいるメンバーもあるという話題でした。
            
弘前オペラマネージャー   木村 義昭 

  後に筆者がHP作成に取り掛かったわけです
 ・・・という訳で、地震になればオペラの資料で圧死寸前、マネージャー宅引っ越し、直美さんが整理開始、
     HPの資料発掘開始~
 さすが理系頭脳、 恐るべし
40周年を迎え、ブルーレイ時代
まだ筆者はついていけない

♪音楽好きの理学部の学生が音楽科に入り浸り、
創立メンバーに、数字に弱い音楽科生には貴重な人材。
たぶん学生時代から33回公演まで
一人で演奏以外の実務を担当していた 
会員紹介  
「オタスケマン」
 
★合唱
東奥義塾高校グリークラブOBの歴代メンバーが会員・合唱で男声の中心
女声も創立メンバーの教え子中心に「弘前オペラ合唱団」として毎年参加するメンバーです 
★小林さんの指導のもと猛暑の夏から美術製作
地元弘前大学劇研メンバーが製作・助演に参加 
  
第39回公演舞台美術製作(船沢中学校)
 
会員+弘大劇研マップレスの皆さん
   
 ≪弘前オペラ30周年記念誌・2001/3/31発行≫より

 合唱「元祖オタスケマン」、これは永らくプログラムの自己紹介に使用していた私の名ですが、この30周年の記念誌に原稿を依頼されるにあたり、これまでの数十年に渡る関わりを振り返ると、実は「オタスケマン」ではなく「タスケラレマン」だったとの思いを強くしました。・・・・・・高校時代、東奥義塾グリークラブ員だった私は、先輩に連れられて参加させていただいた、『リゴレット』の舞台で、にこやかに観客に答えるカーテンコールの最中、こともあろうにキャストの列に紛れ込み顔面蒼白の私を、千佳子先生は「大丈夫、平気な顔をしていれば気づかないからネ」と、やさしく力づけて下さいました。これが私と弘前オペラとの出会いでした。
 この事件より数年後オペラの魔力が再び迫り、オペラの会長であり、恩師でもある熊木先生に連れられるまま、自分の力も顧みず参加した『カヴァレリア・ルスティカーナ』では、平尾先生のご指導宜しく、素人の私も、ブタもおだてりゃなんとやらで、下手な演技ももろともせず参加させていただきましたが、そこには高校生には感じ得なかった弘前オペラがありました。自分たちがこの総合芸術を創り上げるのだという意気込みと情熱に満ちあふれ、びっしりと詰まったスケジュールの中、公演のための、気の遠くなるような数多くの仕事をこなし、そして何よりも日々オペラを楽しみながら本番を迎える。というプロ以上の力を発揮する集団でありながら、その中に私のようなものでも迎え入れ仲間としてオペラを通じて巡り会えた面々がどんどん加わって、確実に成長していることが何よりの証だと思います。
 どうぞこれからも弘前市民の期待にこたえ、地域文化の向上にますます貢献できますように、またいつまでも弘前オペラが輝き続けられますことを、切に願います。
                                                          
東奥義塾グリークラブ・OB  今井  孝
 

<平成22年度 弘前市顕彰>『ゴールデン卍賞』
平成22年11月26日(金)


★40年の節目
   
2011年3月 
また一人、仲間とお別れしました

3/11 「東北・関東大震災」
★私たちが夢と元気を発信できるでしょうか

2013年10月20日
創立43年目・弘前市民会館改装工事のため
「オペラ公演」初めてお休み~


弘前文化センターホール(540席)で
『特別公演・ガラコンサートin2013』 開催

多くの皆さんが楽しんでくださいました 
         2013年11月3日
   
「青森県文化賞」受賞

みなさん応援ありがとうございました♪
2017年9月「弘前オペラ”マネージャー”」お疲れ様~
   膨大な資料が出てきました・・・HPに追加作業開始 

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