■Back
ビヨンボ ロゴ
ビヨンボ通信ケニア発142号
発行数‥‥‥146部 
2006年2月24日発行 
原稿執筆・編集・カット・題字/荒川勝巳

絵はがき

施設での夕食時、日本から来るボランティアや泊まりの訪問者の話にしばしばなる。

ムワンギ(18歳男)は「アンコー(私のニックネーム)、日本の若い女の子をたくさん呼んでよ。日本の女の子は金持ちだから、僕は日本の女の子と結婚するんだ」

私は「呼んでる。この間も一人来ただろう?」

ムワンギ「あの子はシャイでダメだ。こっちの話しに乗ってこない。それにアンコーが紹介する時『ムワンギは図体はでかいけど考えている事は小さな子供並だ』なんて言うからいけないんだ」

私「でも本当の事を言っているだけだ」「ネエ今度、誰が来るの?」とモラ寮母。「テツオにサキコがまた来たいて言っている」と私。

モラ寮母「テツオが来るの?テツオは私のものだわ」

ミリアム(17歳女)「エエッ!ママ(モラ寮母の事)そのな人いるの?」「彼はいいわよ。日本の男は優しくて親切だからいいわね」とモラ寮母。

このように話す会話が少し大人びる事がある。長年プロジェクトに居たズーラも居なくなった(彼女は寄宿舎生活を始めた)。時の流れだろう。


●飢饉(ききん)の影響
飢饉
こちらは日照りが続き、サバンナは草が牛や山羊に食べ尽くされ、表土が乾ききってボソボソ。

ケニアの北から東にかけての飢饉は深刻さを増す一方。

例えこの(西暦2006平成18年)3月から例年、始まる雨季にたっぷり雨が降ったとしても、その時、蒔(ま)いた穀物の種は6月以降にならないと収穫できない。

飢饉は少なくともその頃まで続く。

しかし、ナイロビやプロジェクトのあるキテンゲラ町に居ると、まだ人々はそれ程、深刻さを感じさせない。

それはナイロビやキテンゲラなど、街の生活者は、農作物の収穫へ直接、結びついているわけではないため。

飢饉についてはテレビやラジオで知ったり、その地に行った人々に話しを聞いたりだけで、それ程、実感としてわいてこないのだろう。

それにケニアはここ数年、社会・経済が安定してきているので、海外からの投資が増え、産業が活発という事情も考えられる。

だが街の生活者へ飢饉は農作物の物価高となって確実に押し寄せだしている。このことで街の人々の中で一番、ダメージを受けるのはスラムなどに住む低額所得者層だ。


●子どもそれぞれ

サイディア・フラハ・プロジェクト施設にいるムワンギは昨年末、職工養成所を終了。この(西暦2006平成18年)1月2日からジュゲ先生の紹介により、溶接・板金見習い工として、キテンゲラ町で働き始めた。そこで我々は彼を施設から自立させる計画を立てた。

彼の母(プロジェクトで働いており先年亡くなったミリカ先生)は生前、プロジェクトから1キロ離れた場所へ土地を購入している。
小屋
今、そこには小屋が一つ建ち、ムワンギの姉、メリーが3歳になる息子と住んでいる。

ムワンギの給料から彼の小遣い引いた金額でトタン板、数枚を買い、その小屋に繋げてもう一つ小屋を作る。それが出来上がったところでムワンギを施設から出し、そこに住まわせる。この小屋が完成するのが4月初めの予定。

ムワンギはいつもふらふらになりながら施設へ夕方、遅く帰ってくる。彼は「仕事がきついので辞めたい」と漏らした事がある。

その時はカルリ園長、モラ寮母、私り三人が「なだめ・すかし・さとし」て続けさせている。

「ムワンギが働いているところを見た」という土木建設業統領のキンゴリ氏の話しでは「忙しい職場で、彼の統領にせわしなく使われ、あれなら疲れて当然だ」と感心していた。

ズーラ(14歳女)はこの1月初めより、ナイロビに行く途中にある寄宿舎制の私立小学校へ編入された。

ケニアの私立小学校では「生徒集めのため。孤児を編入させ、彼らを寄宿舎で特訓して成績を上げ、人々の評判をとる」ことが流行っている。

新興私立のソロモン小学校ではも今年8年生で卒業予定のズーラと、支援小学生で、同じく8年生のユニス(15歳男・孤児)へ白羽の矢を立てた。

この小学校では、授業料と食費が無料となるが、教材費・制服・生活用品費はこちらで出すので、決してズーラたちの費用が浮くわけではない。

しかし、朝早くから、夜まで勉強するので、成績は確実に上がる。今年の卒業試験の成績が抜群に良ければ「無料で入学させよう」とあちこちの高校から声がかかる。

しかし、そこそこに良いだけだと高校費用をどうするかがプロジェクトへのしかかってくる。

【高校費無料について】
小学校卒業試験のとき、英、算、スワヒリ語、理、社がそれぞれ100点で、500満点中400点あれば、あちこちの高校から無料入学してよいと声がかかる。しかしスラムや施設の子どもでは400点をとる事は非常に難しい。
これまで私は二度、彼らの様子を見に行った事がある。二度目の時は施設のミリアムとワンボイ(12歳女)を連れて行った。
ムワンギ
「ズーラは内弁慶なところがあるので、寄宿舎では適応できず。泣いて過ごしているのでは?」と思っていた。だか、率先して他の子どもをリードし、ここの生活を楽しんでいるようで、終始にこやかに話しをしていた。

ワンボイは留年して、二度目の3年生をすることに決まった。今年(西暦2006平成18年)1月「難しい勉強をしないで済む」と庭を駆け回って喜んだものだった。

そのワンボイも、ズーラがここの生活を楽しんでいるのを見て「スムーズに学年を上がった方が得」と悟ったようだ。彼女はこの日から数日、施設で沈んだ気持ちで過ごしていた。

支援小学生のロリン(15歳女)は2月6日に、めでたくキテンゲラ町から南へ50キロ行ったカジアド町にある寄宿舎制女子高に入学。

高校費用を出していただいた日本のご夫妻への感謝の手紙で「私はジャーナリストになるため一生懸命勉強する事を誓います」と書いている。しかし、ジャーナリストになる事はケニアでは非常に難しい。どうなることか。

同じく支援小学生で、小学校卒業後の進路をどうするかが注目されたスーザンは、ロリンより成績が良くない。それに昨年来、シングルマザーの母親はあまり彼女のために我々へ接触してこないので「裁縫教室行き」と、こちらで勝手に考えていた。
地図
しかし、スーザンは昨年末からしきりにロリンと一緒に行動し、母親やおばをプロジェクトへ連れてきて「高校へ行きたい」とのデモンストレーションを繰り返す。

そうなるとこちらも高校費用の一部を出さざるを得ない。そこで新しい支援小学生を入れないようにして、1名分の支援小学生費に近い金額を、彼女へ高校費用の一部として支給する事に。ただし条件として高校の教科書一式と制服は自分たちで揃える事に。

彼女は田舎のおばあさんの所から通学制高校へ入れば、寄宿舎制高校より多少、費用が安く済む。しかし、教科書を一式、揃える事は費用面でかなり困難が予想される。

同じくシリタ(17歳男)の場合は、小学校卒業試験の成績が悪かった。それは両親の家庭内離婚で混乱したためか。

それでもお母さんは自分でなんとか高校の頭金を払って、シリタを寄宿舎制高校へ押し込んだ。その後、彼女は高校費用捻出のための寄付集会を開く。カルリ氏はその時、スーザンと同額の高校費用の一部をお母さんへ渡した。


●溶接・板金教室立ち上げ

教室当初、職訓センター男子用(女子も可)の教室として、立ち上げ費用が他の教室より安く見積もれた建築教室を最初に始めようと考えた。

しかし、実際、生徒募集を始めてみると、建築教室は作業で非常に汚れ、重労働という理由から、生徒が予想以上に集まらない。

そこで、それほど汚れず、生徒に比較的人気はあるが、機械・道具類を多く買い揃えないといけない溶接・板金教室へと考え直してみた。

この教室の定員数を15名から8名へ減らし、必要最低限の機械・道具類を揃えることで見積を出す。すると、建築教室の見積と変わらない費用で済む事がわかった。

こちらの方が生徒の集まりが良く、慌てて先生探しをしている。(西暦2006平成18年)2月末には始めたい。


●ウガンダ人の講義

この(西暦2006平成18年)1月20日から24日にかけ、ケニアの隣国のウガンダから、ウガンダ青年2名の泊まり客があった。彼らはウガンダ北部の反乱軍出没地帯で子どものプロジェクトをしている。

このほど彼らは日本のアルディナウペポの援助により、職訓センターを開くので、サイディア・フラハの職訓センターを参考にするためやってきた。
ウガンダ人の講師
21日は土曜日で支援小学生が集まる。またこの日はアルディナウペポの代表者や、コーディネーターさんも朝から訪れた。

その午前中、アルディナウペポの人々、カルリ氏、当のウガンダ人、私とで会合を持つ。その席上、ウガンダ北部の“少年兵問題”が話題に上る。

カルリ氏は「こういう話しはプロジェクトの子どもたちにも是非、聞かせたい」と提案。子ども・大人合同の昼食後。、ウガンダ人のデニス氏はこの話しをみんなの前で語り出す。

それをカルリ氏がスワヒリ語へ訳す。デニス氏は“反乱軍の少年、少女狩りから逃げ出した”自分の体験を元に「反乱軍に連れ去られた子どもたちは、どのように傷つけられ、死に至るか」を身振り手振りを織り込み、具体的かつ、分かりやすく話した。

プロジェクトり子どもたちは、このとても痛ましいウガンダの子どもたちの状況にびっくりしていたが、静かに聞き入る。

この話しにはケニア人スタッフはもちろんのこと、ある程度“少年兵”の予備知識を持っていた私たち日本人も心動かされた。


●ゲートの場所移動

昨年(西暦2005平成17年)10月、職訓センター教室が増えたことにより、入口ゲートの位置をずらす事にした。

これはカルリ氏の提案。ゲートが職訓センターの前に移動し、生徒達には便利。一方、児童養護施設(子ども部屋やダイニング)からは遠くなったので、施設のゆとり性が増す。

ただ、事務所もゲートから遠くなった。私はカルリ氏へ「事務所は遠くなったので、一般の人々には不便になります」とただす。

すると彼いわく「事務室は一般の人が迷いながら、たどり着く位がちょうど良い。教室に居る生徒達は、誰が入って来たかを監視でき、泥棒除けになります」との答え。

いかにも盗難の多いケニアにおける用心第一的発想なので、私は「なるほど」と思った。

↓クリックすると拡大します↓
敷地


●裁縫教室に学んで。

ミリアム・アキニ


全日制の裁縫教室は、職訓センターの一部門として2004年から始まりました。私は2005年の丁度良い時期(5月)から、女性服の授業に参加しました。

それと言うのも、その年の12月に国家試験女性服3級を受ける事が出来たからです。

裁縫教室はふたつの部門からなっていて、一つは全日制で、もう一つは午後2時間だけのコースです。

今年は、昨年から居る生徒と、今年入学した生徒を合わせると、全日制では10名ほど。午後の部門は20名ほどです。

全日制で昨年から居る生徒は少しだけで、これらの生徒は男性服の授業へと進んでいます。

学習する事は普通、まず型紙を作り、生地を切り、色々なものを縫います。だから私は男性服、女性服をもっと学習したいです。

私たちとは実習だけではなく、裁縫についての教科授業も受けます。

先生はとても良い人で、いつも献身的に新しい技術を教えてくれます。校長先生(カルリ氏)もまた良い人で、いつも心から私たちへアドバイスをして、助けてくれます。アンコー(私のニックネーム)もまた、心から親切で、裁縫用の生地を調達してくれます。

生徒達はみんな役に立つ技術を身につける事が出来るので、ここでの訓練に感謝しています。

みんな、ここので訓練を受けた後は、裁縫の技術で自立し、社会のより良い人になる事でしょう。

私はまだ学習中ですが、将来的にはファッション・デザイナーか、専門技術講師になりたいです。

※裁縫教室の先生は全日制、午後の部門にそれぞれ1名おり、その2名が女性服・男性服の授業を兼ねています。



●ウォルターの居場所

モラ寮母の家族は、娘のレベッカ(16歳)と、息子のウォルター(10歳)だけで、スタッフ宿舎で暮らしていた。レベッカは昨年、寄宿舎制高校へ入学。隣りに住んでいたジュゲ先生一家は他の場所へ引っ越す。

このような事で夜、ウォルターと一緒にいる人が居なくなった。モラ寮母は施設に居て時々夜、彼の面倒を見ていたが、それも大変。なるべく早く彼の適当な居場所を見つけないといけないが、それまで一時的に彼を施設の子ども部屋へ住まわせる事にした。


●スタディーツアーとご寄付

今年もフリージャーナリストのHさん、「アマニヤアフリカ」のIさんらのスタディーツアーの方々10名が(西暦2006平成18年)2月3日に、当サイディア・フラハ・プロジェクトを訪れる。

そして、子どもたちと一緒に昼食をとり、遊んでいかれる。昨年はドラムで、みんな一緒に踊ったが、今年は「マツケンサンバ」だった。

「アマニヤアフリカ」様より、支援小学生4名への継続のご寄付をいただく。

「少年ケニアの友」様より、通年のワンブワ、サリマの高校授業料のご寄付をいただいた。ありがとうございます。


●お便りコーナー

岡山県・O様


「2006年ももう20日余り過ぎました。今年も一年、続けられるといいなと思っています。みなさんのお世話があるからこそ、ケニアと日本と世界が平和でありますように」

編集 荒川勝巳