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ビヨンボ通信ケニア発123号
発行数‥‥‥131部 
2001年8月16日発行 
原稿執筆・編集・カット・題字/荒川勝巳

残暑お見舞い申し上げます。

日本は今年、酷暑とのこと。お体にお気をつけお過ごし下さい。

【WebMasterより:↓田野さん宛に届いたカードです】

カード

ケニアのお菓子
このところ日本からの訪問者の方が多く、衣類や文房具をたくさんいただいている。そして日本のお菓子類も。

先日はモラ寮母が休職をとり、ジュゲ先生は赤ん坊がまだ手がかかるので、私が施設の夜勤をする。

夕食後に子どもたちと一緒に日本の方からいただいたポッキー、一箱を食べようとダイニングのランプの灯りのもとへ持ち出した。

子どもたちはアイスクリームをこの4月のピクニックで初めて食べた境遇なので、こういうお菓子は当然、初めて。

彼らはポッキーをつくづく眺めてから慎重に舐め、ようやくカリカリやり出す。ポッキーの美味しさがわかるとサボレ(10才男)の提案で「一人一本ずつ順々に食べよう」ということになった。

みんな、ゆっくり嬉しそうに食べ出す。

一箱の半分を過ぎた頃、スタッフ宿舎のモラ寮母宅で食事を終えたメリー(15才女)が歌を口ずさみながらダイニングへ入ってくる。
メリーの裁縫
彼らの表情は途端に警戒の色へ。

しかし時既に遅くメリーは、すぐにも子どもたちが食べているポッキーを見つけ「ちょうどいい所へ来たわ。私にもちょうだい。

それからリベッカ(11才女)とオーりー(5才男)(←二人ともモラ寮母の子どもたち)の分も。ニャガ(←ジュゲ先生の赤ん坊)へも欲しいな」と言って我々のところからポッキーを引っさらってゆく。

子どもたちの表情は既に諦めへと変わっていた。

でもメリーは、ちょっとしてから支援小学生の制服を携えて戻ってきて、ダイニングで学習している子どもたちの近くに座り彼らへ話しかけながら服の手縫いを始める。

私はドラムを外で練習しようとダイニングをそっと抜け出した。


●アフリカのエイズ対策
お墓
エイズ問題は近年になって、アフリカが抱かえるあまたの難問を一気にかすませるほどの重要課題としてアフリカ諸国へ、のし掛かってきている。

ニューヨークの国連本部で2001年6月にアフリカのエイズ対策会議が開かれ、ケニアのモイ大統領も他のアフリカ首脳と一緒にこの会議で演説。

アメリカ政府はアフリカのエイズ対策に巨費を投入。ただアメリカ政府の場合、ケニア政府へでなく、ケニアのNGO(民間団体)を通じてお金を渡すという措置が取られた。

それでケニアのNGOは、ちょっとしたエイズ対策ブームに沸いている。アメリカ政府はアメリカのNGOへもアフリカエイズ対策向け助成金を投入していて、うちのプロジェクトへも、そのNGO助成金の一部が回ってきた。


●ケニアのエイズ状況

プロジェクトの事務室へ1人の女性が身体を重そうにゆっくり動かしながら入ってきてテーブルの前の椅子に座った。
お葬式
白髪がほとんどを占めた頭や身のこなしから50才過ぎに見える。カルリ園長から質問を受け、記憶を取り戻そうと必死に首をかしげ顔をしかめるしぐさは、もっと年齢を上に見せた。

しかし顔の輪郭の明瞭さを考えると、もっとずっと若いようにも思える。その女性は少しずつ彼女自身や家族について語りだした。

「私の夫は昨年、病気で亡くなりました。私は今、調子が悪いので職をやめています。上の子は今年高校へ入学しましたが学費が払えず、校長先生と話し合いをしています。下の子は小学4年生と6年生・・・・・・・・・」

彼女はエイズ患者と思われる(しかしそれを確認することは、この病気の性質上難しい)。彼女の子どもたちを我々が面倒見るかどうかで、面接した時のこと。

私は彼女の様子を観察しながら自分の気持ちがどんどん滅入ってゆくのがわかった。

今までモラ寮母やメリーと、この冷え込みでちょっと咳きをしただけで「エイズだ。エイズだ!」とお互い冷やかしあっていたが、もうそういう冗談は言えなくなってしまった。
ケニアの気候
この前、キテンゲラ町厚生課の女性職員が、プロジェクトの衛生状態を調べに立ち寄ったので、キテンゲラ町のエイズ状況について尋ねた。

その職員の話では「キテンゲラ町のエイズ感染率は40%に達しています。全国平均より高く、もうこうなると天災としか言いようがないわ」

そこでエイズ感染の調べ方について聞く。「エイズ感染を知るには人々から採血するのですが、エイズは他の病気と違って、みんな隠したがるので、調査を秘密にして進めないといけないです。

…採血の対象には二通りあり、一つは病院へお産に来る女性からの採血で、もう一つは食堂で働いている人からの採血。感染率を出す場合、エイズは主に性感染によるので、子どもやお年寄りは対象から省きます」

モラ寮母は、この前「おじさんがエイズで死亡した」とのことで、葬式へ出席のため田舎へ戻った。

この間まで親戚や親しい友人が「エイズで死亡」と言う言葉は禁句のように誰もが避けていた。

それがモラ寮母は口にしている。

これはモラ寮母が大胆な発言をしたいうよりも、エイズ患者が今では、もうどの家庭にいてもおかしくない状態なので「エイズを恥ずかしい」と考える意味が薄れてきたと解釈したほうがよいだろう。
髪型
つい最近もエイズで死亡した人の家族がケニアで初めてエイズ死亡を公表したとして新聞などで話題になった。

このようにケニア人がエイズを隠さなくなったり公表したりする風潮は、ケニア人全体がエイズによる厳しい状況を認識するようになり、今後エイズとどう向き合うか、どう予防するかの活動を促進するだろうから歓迎すべきこと。

このエイズ状況は当然、子どもたちの行動へも影響を及ぼしている。

メリーは、いつもプロジェクトの敷地内でいることになっていて、我々が買い物でキテンゲラの町中へ使いにやるとか、日曜、朝にキリスト教会へ行くとか、整髪の時しか外出を許していない。

それでメリーは苦手なカルリ氏のいないところで私や他の子どもたちへ「ここは牢獄だわ。田舎へ戻ってやる」と息巻いている。

確かに思春期の遊びたい盛りの少女にこの処置は気の毒ではある。しかし、もし万一彼女にボーイフレンドができ間違いがあったら、もうそれが彼女の命取りにならないとも限らない。

だから、この処置は止む得ないといえる。


●プロジェクトのエイズ対策

うちのプロジェクトではアメリカのNGOからエイズ対策として助成金を6500ドル得て、エイズに対する本格的活動をこの2001年7月から始めた。

とはいうものの実際のところ、この活動は従来から我々が行っている活動の延長線上にある。

子ども支援では親がエイズで亡くなっているか、患っている子どもの支援に乗り出した。

そういう疑いのある親の子どもは前から扱っているが、それはキテンゲラに住む子どもに限られていた。

今回からエイズのために災厄を被っている子どもに対して、テンゲラに住まなくとも我々の支援を受けられる方法をとる。

これは以前から支援している孤児で、田舎に住むサリマ(12才女)や、ムワンギ(13才男)に対する支援方法と同じ。

それぞれの子どもが通っている小学校長に責任をもって子どもたちの面倒を見てもらい、こちらで授業料・教科書・ノート・制服等一式を年に一度その校長へ渡す。

そして対象の子どもが、メリーのように小学生よりも年齢が上でキテンゲラに住む場合、うちの裁縫教室で受け入れをする。

この教室以外にニットミシンによるニット教室も開く。この教室は裁縫教室の隣りにある建設資材倉庫を使い、2台のニットミシンを購入する予定。


●エイズセミナーを月1回開催。

今年(2001年)の前半は、プロジェクトの社会人セミナーへ助成してくれる団体が無く休んでいた。

しかし、この2001年7月からはエイズをセミナーの中心にすえ、従来通り女性の自立や他の病気などの話題も提供して開くことにした。

2001年7月20日にこのセミナーを開き「人々の社会参加」と「エイズ」について講師に話してもらう。

講師は、もううちのセミナーで常連となった地域開発NGOのカバレ氏と、近くの診療所で保健婦をしているムワンガンギさん。

ムワンガンギさんはエイズ禍の渦中にあるだけに熱弁を振るい「コンドームは役に立たない。それよりも信頼できる相手を捜し、その相手とだけの性」を強調していた。


●農作物の収穫
サボレの希望
子どもたちは、まずインゲン豆の収穫をした。施設の子どもはサボレ、カゲゼ(13才男)メリーがそれぞれ0.5kgで30円ずつ。

次にトウモロコシは小粒なものが少々カゲゼの畑でできただけなので、彼は時々、もいでは焼いて、他の子ども分かちあって食べている。

サツマイモは、つい最近サボレの畑で採れた。これは土が合っているようで豊作。100円程度の量。次の日の朝食時に私やモラ寮母も含め、みんなで茹でて食べる。

今のところ彼らの収穫の金額は小さいので、子どもの将来に向け積み立てるよりも子どもが欲しいものを買い与え、畑仕事の関心を増加させることにした。

サボレは腕時計を狙っている。


●支援子どもの人数

プロジェクトで、エイズ子ども支援を始めたことにより直接、支援している子ども及び女性の数が急増。

★養護施設…4名
★支援小学生(エイズの子どもとサリマ・ムワンギを含む)…44名
★裁縫教室・ニット教室(メリーを含む)…22名予定

これで100名近くの子どもや女性を支援することになる。

彼ら以外にもアクセサリー作りをしている女性グループ、社会人教育(セミナー)の対象となる地域社会の人々がある。

このような組織拡充にともない子どもたちに対する支援課題、職業訓練学校開設がより重要となってきた。

そこで日本政府等に対して職業訓練学校開設の助成金申請を始めている。


●日本人訪問者

この2001年7月後半から8月にかけプロジェクトへの日本人訪問者が相次いでいる。

まず最初に訪れたのが盛岡の吉田仁さんで、毎年プロジェクト活性化のアイディアをもってきていただいている。今回は地域の人々を巻き込んだ運動会を企画してくださった。

次にケニアの南隣の国タンザニアから西村祐里さんがいらして三泊。西村さんは5年前にもプロジェクトへ泊まっており、キテンゲラの急激な宅地開発には目を見張っていた。

東京の高橋優香さんには、たくさんの衣類等を運んできていただきました。ありがとうございます。

そして小倉寛太郎サバンナクラブ(東アジア自然動物愛好会)事務局長様率いるツアーの方々が3度。今回もたくさんの御寄付・衣類等をいただきました。ありがとうございます。

▼2001年8月現在。これからの訪問者予定
8月14日…社会福祉ツアー
8月19日〜26日…ワークキャンプ
8月21日…サバンナクラブツアー

▼ワークキャンプ
清水宏美さん、坂出のり子さんをイギリスから1週間のワークキャンプで宿泊受け入れする。

ワークキャンプとは、こちらで訪問者の方のための1週間の体験プログラムを作り、それに沿って実践してもらうキャンプ。

今回のワークキャンプ中の活動は、行事の多い時期だけに中身の濃いプログラムを用意。

↓プログラムの内容
月曜…支援小学生の補習授業参加
  (地元小学校は長期休暇中なのでプロジェクト短期集中授業を実施中)
火曜…サバンナクラブツアーへの対応
水曜…プロジェクト運動会補助
木曜…エイズセミナー参加
金曜…ナイロビ近郊、他のNGO見学
土曜…エイズ家庭訪問調査


●子どもたちのマナー悪化

訪問者の方が多くなり子どもたちも増えたことにより訪問者の方から物をせびる子どもが現れた。

これは予想できたこと。さっそくスタッフ会議を開き、これについて話し合い、子どもたちに物をせびらないよう注意。

日頃から、このマナーについての教育が必要になるかもしれない。


●家具の寄付

ケニア在住でケニアナッツにお勤めの塩田正広さんが転勤とのことで、プロジェクトへたくさんの事務机・椅子・ベッド等を寄付していただく。

今までプロジェクトの事務室では、テーブルを使っていて天井がないこともあり「物置のようだ」と悪口を叩かれていた。しかし事務机を入れることにより、かなり事務室のようになった。

スタッフ宿舎のボランティア・訪問者用の部屋2室へも複数のベッドが入り、これからは滞在者が一度に数名泊まっても大丈夫。


●衣類の行き先

このところ多くの方々より衣類をいただいている。今までは随時、子どもたちへ分け与えていたが、それでも溜まる一方。

大人用もいただき、子どものお母さんたちへ分けていたが、これも溜まってきている。私は、これらを売って運営財源に充てたらどうかと考えてみた。

しかし、カルリ氏は「いただいた衣類を売ると地域コミュニティーから非難を浴びる」とのことで、それもできずにいる。

だか、エイズ家庭が活動の対象になったので、これらの人々へ優先的に衣類を渡すことにした。

【WebMasterより:日本から郵送等で現地ケニアのプロジェクトへ衣類等をお送りいただくことについてはココに詳しく出ています。クリックしてください。一般的には関税、盗難等の問題があり郵送等の手段はお断りしている状況です】


●私の帰国予定

私は例年より少し遅れて2001年9月3日に帰国を予定しています。

▼私の日本での活動予定
2001年9月8日…キ・アフリカ定例会
2001年9月9日…「料理と報告会」サイディアフラハを支える会・東京
2001年9月下旬…函館アフリカ支援協会会合・函館
2001年10月30日…中近東アフリカ婦人会バザー・東京
2001年11月10・11日…横浜国際交流まつり

【WebMasterより:↑詳細はココをクリックしてイベントのページをご覧下さい】


●訂正とお詫び

ビヨンボ117号の「プロジェクト展望会議」で吉田仁さんが話している箇所は私の間違いであり事実無根でした。

吉田さんとみなさんへ御迷惑おかけしたことをお詫びします。

【WebMasterより:当該箇所を削除いたしました。ご了解くださいませ】


●雑記

施設のズーラ(9才女)は太鼓が上手いので私は彼女から太鼓を習っているのですが、しつこく頼むわりにあまり上手くならないのでズーラから嫌がられています。
 

編集 荒川勝巳