< How to live ? > is my subject matter.
And I will show you my identity.
As an artist and as a human being.


画家の眼 ⑦ 






  ある新聞に載っていた記事である。男の生き方あるいは男の死に方として、これをグローバルな捉え方とするのはあまりにも短絡的過ぎるような気がするのである。傾向としてはあるかも知れないが・・・・しかも、この状況を断定できるような根拠が、これでは乏しいのである。簡単に男の生き方や女の生き方が変わるほど人類の歴史は浅くないのである。 






                                         2013.08.12







  第二次大戦後から68年が経過したが、未だに尾を引いている。戦争を知らない世代が今だに過去に囚われていては明るい未来は築けないと思うのだが、近隣国家はそうではないらしい。いつまでもしっこく日本を賤しめることを恒常的に企み、不満を癒しているように思えてならないのである。愛国無罪といって日本を蔑む行為は何のお咎めもないそうだ。これとても異常性極まりないのである。親の代の不始末を今だに償わせるなんて理不尽なことだと思わないのだろうか。既に解決したことを、またもや蒸し返して今の法律に照らし合わせて罰する行為・・・・、過去に解決した国との条約を全く無視して、今の法律で裁く無法地帯・・・・、もと日本人として大戦を戦ったのにもかかわらず、今や戦勝国面・被害者面・・・・、自国の不甲斐なさを日本の所為にする無責任さ・・・・、日本との統合(植民地)で得たインフラの整備や経済面の向上などのメリットは一切認めず、ひたすら被害を訴える続ける不合理さ・・・・、当時の指導者は日本との統合を要請した事実があるにもかかわらず、全面否定をし、歴史を捏造する自分勝手な宗主国・・・・、当時の親日家の財産没収や徹底的に処罰する異常さ・・・・など等、挙げたらきりがないのである。国が分断する結果となった憎き隣国には何も言わず、全面的に靡き、、もっぱら日本に怒りをぶつける事大主義は我慢ならないのである。また、今まで何度も土下座外交をして償ってきたにもかかわらず、まだ足りないと限りなく要求する夜郎自大的態度はもはや反感を煽るしかないのである。この調子でいくと今後、近くて遠い国の関係になることは必至である。また、この我慢比べもどちらが先にへこたれるか見物である。









                                         2013.08.20






  何事もだが、魅力を持続することは大変難しいものである。美人も三日見れば飽きがくるというから、それも必然の法則と言うものかも知れない。 アップル社を創業したスティーブ・ジョブズはこの例外のような人物 である。次から次へと目新しい製品を開発して、世界中の人々を魅了し続けた人物である。2年ぐらい前に亡くなっているが、今だにその影響力は大きいのである。彼の業績は他分野にわたり、追随を許さない人物として名を走せているのである。事業家と言われたり、発明家と言われたり、芸術家と言われたりで、世界の注目を一心に集めた、極めて稀に見る人物なのである。彼の能力を最大限、生かせたアメリカという自由な、しかも完成された民主主義国家という環境が素地にあるからだと、思わずにはいられないのである。日本では到底、育むことができない環境とも言えるのである。米国を一方的に賛美しているわけではなく、結果として捉えているのである。彼の業績は我々のやっている芸術活動と非常によく似ているのである。それは常に新しいものを創り上げるという、使命を強く意識していることに他ならないのである。ただ、違うところは実用性があるか、ないかの一点なのである。スティーブ・ジョブズは実用性の追求の結果、あのようなすばらしいものを造ったのである。ここで定義しておきたいのは、彼、個人の創造性を指しているのであって、チームとしての総力の結集は別ものなのである。芸術はあくまでも個人の活動であるからである。それではコラボレーションはどうなるのかという疑問が生じるが、複雑になるので次の機会で述べたい。いつもいつも人を魅了するようなものを造り続けることは、至難の技であって、誰でもできるものではないのである。はじめは大衆に受けても、すぐに飽きられてしまうのが常である。次から次へと変革していかないと大衆はついてこないのである。芸術でいう流行作家の悲哀はそこにあるのである。そんなことにはお構いなく自己のペースで創作していくことが、結果的に長続きするのである。スティーブ・ジョブズのような仕事は、いつも大衆の目を意識してやらなければ存在価値がないものである。これに反して芸術活動は大衆迎合は命取りになることが多いのである。パーと咲いてパーと散る作家の多くはこの例である。ただ、多少は大衆の気持ちも意識することは必要なのである。しかし、絶対的必要条件とはならないのである。とどのつまり、芸術は卑近な実用性や大衆性に囚われると、薄ぺらなものになってしまう危険があるからである。今の時点では、大衆に支持されなくても何年後には支持されるようになることもありえるのである。これは取りも直さず、芸術は遠い未来に向けて語りかける仕事だからに他ならないのである。










                                         2013.08.26






  巷では消費税の問題が大きく取り沙汰されている。来年度に従来の5パーセントからプラス3パーセントの増税が前々から通達されているのである。庶民の一人として、この増税は確かに厳しい。しかしながら、国の財政がここまで落ち込んでくると、知らん振りをとおすわけにはいかない状況下なのである。今の日本の空気を読むと全面的に増税を反対するというよりも、増税は仕方がないことであると大方是認している雰囲気を感じるのである。ただ開始時期が問題としてあがっているように思えるのである。日本再生も夢ではないと感じる今、また、実質的な昇給を実感できてはいないが、期待感が膨らむ今でこそ、予定通り実施することが今後のチャンスになるような気がするのである。来年1パーセント増、再来年もさらに1パーセント増、再々来年度もさらに1パーセント増 の暫定案も浮上しているが、増税は避けて通れないことである。やる以上は、予定通りぶれないでやることが、国際社会の信用を得ることになると思うのである。この消費税は国内の問題ではあるが、国際社会においてもその動向に関心を寄せている実態があるのである。フラフラやモタモタをしていては、信頼を落とすことは必至なのである。アベノミクスが確かなものかどうかは、実態のある抜本的改革が施行されているかどうかにかかっているのである。口先だけのアベノミクスの評価が国際社会に定着したとしたら大きな損失になることは明らかなのである。また、留意事項として、この3パーセントの増税は社会保障の抜本的改革にだけに使用するということを明記してほしいのである。補充予算には使わないことを・・・・・安易に増税に走らないためにもこの確約は、是非とも必要なのである。
  繰り返すことになるが、この問題は避けて通れない以上、ぶれないでやることが多くの信頼に繋がることを・・・大衆が望むことをするのがよい政治ではないことを・・・・失敗を恐れずに初志貫徹を・・・・いざとなれば職を賭すような覚悟で臨んでほしいのである。長期政権を狙おうとすると大衆迎合に向かわざるを得ないが・・・・・・・









                                         2013.08.30






 米国のシリアへの武力行使を巡る審議が本格化してきた。泥沼化してきたシリア情勢に米国が痺れをきらしてきた結果だと思われる。ここにきて軍事介入をする大義名分が、シリア体制派が化学兵器 (サリン) を使用したからだとしているが、確実性が低いのである。体制派が使用したのか、反体制派が使用したのか・・・・その辺に多くの疑問が残るのである。そんな状況の中、何故、軍事的介入をする必要があるのか納得するものかないのである。シリアと対峙するイスラエルの先制攻撃を心配してのことなのか・・・米国と同盟関係にあるイスラエルの援護介入なのか・・・要らぬ詮索をいろいろとしてしまうのである。イラク介入の時は、イラクが核兵器などの大量破壊兵器を隠し持っており、それを使用する心配があることを大義名分にしていた。しかし、、結果的にそれは、デマ情報 (ガセネタ) であったわけである。血気にはやる一部の主導で戦争になったとしたら、後悔先に立たずは目に見えている。今回もその二の舞を演じるような様相を呈しているのである。日本はこのような状況下になると、必ずと言ってよい程、米国の言うがままに行動を共にしてしまうのである。そうしなければならない宿命が既に暗黙として存在するからである。どうしてこうなるかは言わずもがなである。日本の安全保障は全面的に米国に負んぶしているからに他ならないのである。今回、注目すべきは、米国の最盟友国である英国がはっきりと反対を表明していることである。傍から見ると意外も意外に映るのである。このようにはっきりと自国の立場を言い通せるのは、米国に対して負い目がない、自立した国家であるからである。日本が英国のように、はっきりと物が言える様になるには、安全保障をはじめとする米国に依存する体制を、断ち切って自立した国家になることである。日本の野党が、無責任によく米国の批判をするが、そんなことは表立ってできない前述の道理をわきまえなくてならない。米国に安全保障の全て任せておいて、現平和憲法維持を唱えている無責任な方々も、その矛盾点をどう説明するのかをはっきりした見解を示さなくていけないのである。近隣国から 「米国の飼い犬が日本だ」 と揶揄されても平気なのだろうか。また、飼い主である米国の民主党政権は、最近、同盟国より多国間関係に重みを置き、日本との関係を軽視している現状をどう捉えたらよいのであろうか。今後、益々この状況が鮮明になってくる可能性は高いのである。他国に自国の運命を託すことは、もはや非現実的なことであることに早く気づかなくてはいけない。自立した普通の国家になるためには、何をどうしたらよいのかを真剣に考える時期が、今、来たのではないかと思う、今日この頃である。









                                         2013.09.04





祝/






                                         2013.09.09





  2020,年のオリンピックが東京に決まった。日本国民として素直に喜びたいと思う。中には反対をする人々もいると思われるが、日本は成熟した民主国家であるから、それぞれ主張は自由である。前回の 1964年東京オリンピックは、私にとって大学入学の年でもあり、印象が特に深いのである。開催日の 9日前に東海道新幹線が開通したことが忘れられない感動tとして記憶にあるのである。13〜15才の中学校時に夢の弾丸列車構想が新聞やテレビで発表されたと思ったら、その数年後には現実のものとして登場したのである。そして、その夢の弾丸列車は東海道新幹線と命名されたわけである。あの当時の活気に満ちた雰囲気は、若者達に夢と希望を与えてくれた効果はまことに大きいのである。あのオリンピックを境に、日本は高度成長期へ突入したのである。所得倍増論などがまことしやかに叫ばれるようになったと思ったら、その数年後には現実となったのである。その当時を思うと、まるで夢のような時代であったような気がするのである。経済大国として国際社会に認められるようになったのも、ちょうどこの頃からである。東京オリンピックの効果だけで日本の高度成長期を迎えたわけではないが、突破口の一つになったことは確かである。波及効果や相乗効果が相まって作用したように思えるのである。 2020年の東京オリンピックにその再来効果を期待することは、今の現状を考えれば無理なことである。しかしながら、高度成長期の終焉から不況の時代に入って、ほぼ20年余りが経過している現在、その不況から抜け出す景気回復の起爆剤になり得る可能性が極めて高いのである。絶好のチャンスとして捉え、あたっていくことが将来の日本にとってプラスになるような気がするのである。







                                         2013.09.12






  シリア情勢を見ていると国どおしの駆け引きが、まるで個々の人間どうしの関係に見えてしまうのである。シリアはイスラム社会であり、アメリカにとっては 9.11米国同時多発テロ事件を象徴するように、明らかに反目する関係である。しかも米国は政権の中枢にシリアと対立するイスラエル系のユダヤ人が牛耳っている現実があるのである。言い換えると米国は常にイスラエル側に援護射撃をとらざるを得ない宿命を背負っているのである。今回のシリアの内戦が拡大すると、イスラム社会が共闘して、対立するイスラエルへの武力闘争に発展する可能性が実に高いのである。シリアが化学兵器 (サリン) を使用した事実が判明したことで、米国としてはもはや見逃しはできない状況下になったきたのである。米国は世界の警察官としての自負心が高い国である。しかも今までの介入実績に誇りを感じている国である。 ここで出ないと米国のアイデンティティーに傷がつくのである。前回のイラクの武力介入は血気はやる一部の主導で行われのは、米国のやや右寄りの共和党ならではのユニラテラリズムの表れであったと言えるのである。今回の民主党はマルチラテラリズムを主軸とする政権でありながら武力介入を匂わしたのは、前述の米国のアイデンティティーに傷がつく状況下になったからだと思えるのである。まさか民主党がやるとは意外に感じるが・・・。今回の武力介入の提案は、前回のイラク介入でのブッシュ政権のような強引さや切迫さがまるで感じられないのである。言い換えればオバマ政権は、口にこそ出したが大義に確たる名分が見られないことである。そして本来は決断は大統領自身がするべきものを、第三者に委ねて責任回避をしているのである。賛否を議会の表決に任せたり、G20においても決死の覚悟が見られない様子は、説得工作にも現れているのである。盟友である英国にもそっぽを向かれるようなことは、米国の沽券に関わる状況なのであるが・・・どこかの国の「言うだけ番長」と言われた政治家と同じなのである。信頼を失うことは目に見えているのである。他国の説得工作にことごとく失敗し、多国間交渉のもろさを味わったのであろうか。今まで日本との二国間協議を避けていたオバマ氏が、こともあろうに日本との同盟国関係に寄り添ってきたのである。いまさら変節をするなよと言いたくなるのである。日本にそっぽをむかれたら財政面で窮地に陥ることは目に見えているからであろう。利用するだけ利用して、あとは勝手にしやがれの米国民主党には、ほとほと参るのである。今回のシリア情勢でロシアと中国が米国の介入に強く反対の姿勢を見せていたが、これについても自国の国益を守るためのエゴとしか感じとれないのである。ロシアと中国はもともと社会主義国家(独裁主義 )としてのつながりが深く、共に運命共同体としてのしがらみが存在するのである。また、シリア政権への武器供給をしているのである。当然のこととして化学兵器の供給もありえるのである。その事実を知られることは、国際社会から強い批判や反発を浴びることになるのは明らかである。そのことがあってかどうか、ロシアは必至の回避工作をしたように思えるのである。ロシアのプーチン氏は前々から武器商人的発言を垣間見るのである。犬猿の仲と言われる米国とロシアが今回、玉虫色の合意をしたのも分かり過ぎるぐらい、目に見えてくるのである。中国にはまだ国際社会に貢献するような太っ腹さは皆目見られないので、国益を守るための反対表明としか思えない。世界の秩序づくりのために身を切って奔走する米国には、ある意味で純粋な尊いものを感じるが、ロシアや中国にはそんなものを微塵も感じないのである。どうしてであろうか。それは取りも直さず体制による価値観の違いに他ならないのである。共有する部分が極めて狭いのである。日本は米国と同じ成熟した民主国家どうしである。考え方や価値観はよく似ているので比較的信頼関係は築きやすいのである。ただ、米国に自国の安全保障の全てを負んぶしている状況はどう見てもおかしいのである。独立した普通の国家になるには、どうしても現憲法を見直す必要があるのである。そしてシリア問題についても自国の立場を、はっきり表明できる独立国家になることを願わずにはいられないのである。









                                         2013.09.16





  リニア新幹線が14年後に開通するという現実味のある構想が発表された。東京と名古屋間を40分で移動できるもので、従来の新幹線より1時間短縮できるとのことである。この構想は現在の新幹線が実用化する2年前から、すでにあったことをJR東海が発表している。驚くべき構想である。技術大国、日本のお家芸とも言えるすばらしいものである。日本国民として素直に喜び合いたいと思う。7年後の東京オリンピックに間に合わないのは残念ではあるが、その後の楽しみが一つ増えたことになり大歓迎である。名古屋から大阪までの延長にその後、4年かかるようである。国鉄時代ならスムーズに実施できたと思われるが、民営化した現在、ここまで来るのに大変だったろうと推察する。この技術は国益に値するものであり、セキュリティーには万全を期して、当ってほしいものだと願うばかりである。









                                         2013.09.21






  自民党政権が復活して早 いもので9ヶ月余りが経過しようとしている。「日本を、取り戻す」のスローガンのもとに、着実に成果を上げているように思えるのである。不安定な民主党政権時代の3年間を振り返ると雲泥の差を感じるのである。今までの自民党がそのまま政権運営を続けていたとしたら、今のような状態は到底、考えられなかったであろうと思えるのである。 お仕置きを国民から受けたことによって、このように蘇ったのである。この新鮮な気持ちを忘れないで、今後、政権運営をしてほしいものである。長期政権になるとどうしても惰性に陥ってしまうものである。反省すべきは反省をして、尚且つ、今までのよきしがらみを最大限活用して成果を上げてもらいたいのである。弱腰な対応は全ての面にマイナスの効果を生じるものである。前政権の二の舞を踏まないように強く要望したいのである。
 第二回目の東京オリンピックが2020年に決定したことは先述の通りであるが、その関連の記事の中で気になる事柄があったので触れておきたい。安倍総理がプレゼンで原発事故は制御されていると述べたことに、目くじら立てて大げさに反論をしている記事のことである。「総理は嘘をついた」などと下品な論評をしているメディアや誘致反対派のメンバーの発言に、強い怒りを感じるのである。総理の言葉の「制御されている」 は完全とは言えないまでも、制御されていることは確かなことである。電力会社に責任の全てを負わせるのではなく、国が全責任を負うことを宣言しているわけである。こんな心強いものは他にはないのである。また、現に我々日本人はその環境下で無事に生活をしているわけであるから、嘘とは言えないのである。自然界に発生する放射能を考えればゼロなんてあり得ないわけである。このことから安倍総理が言ったことは、断じて嘘とは言えないのである。その安全宣言をしたからこそ、第二回目の東京オリンピックが誕生することになったことを悟るべきである。東京招致に反対する周辺国家の目論見にまんまと乗っかる一部のメディアや反対派の面々に、そのことを強く言いたいのである。 「揚げ足 を取るなよ !!」 と・・・・・・








                                         2013.09.25






  これといった出来事もなく、平穏な日々を送っている。これが一番いいのかも知れないが、個人的にはやや退屈過ぎて刺激を求めたくなるのである。日々の出来事に関心を寄せて、ネットサーフィンを楽しんでいるが、どの報道記事も似たり寄ったりで、面白みに欠けるものが多いのである。報道記事は読者に真実を伝えなければいけないことはよく分かるが、ただ均一的な報道にはうんざりするのである。共同通信などの一括取材で記事を濁らし、独自性に欠けるものが多いのである。取材の仕方で随分と違った記事が書けると思うが、その努力をしていないのがよく分かるのである。新聞社によってそれぞれ主幹なるものがあるのは当然ではあるが、それを守るための偏狭的な取材や始めからそうありきの記事にはうんざりするのである。これらの記事には大局的なものが欠けており、しかも、目先の現象に囚われ過ぎているために将来の展望が見えないのである。巷には、社説やブログなどの記事が様々あるが、気に留めるものはごく僅かである。注目するような記事は、同じような内容であっても、切り込み口が他と違うので、特に人目を引くのである。内容も独特な捉え方をしているから、たとえ長い文であっても最後まで読んでしまうのである。中にはキャッチフレーズはよいが、内容に乏しいものもあることはあるが、大方は予想を裏切らないのである。最近の記事の中で目を止めたものをピックアップしてみると・・・・・・・
  特亜の徹底した反日は、実は米国が陰で糸を引いている。米国の原爆投下の責任追及を逃れるために、特亜に反日を扇動しているのだ。・・・・日本に戦争責任を負わせる意味で、反日教育を否定せず是認しているのはそのためだ。・・・・第二次大戦での日本は侵略戦争と位置づけられているが、本当はそうではないんだ。共産主義化を防ぐための防波堤の戦いであったのだ。米国もその役割に期待していた筈である。それがエネルギー供給問題で米国と対立してしまい、結果的に敵対するようになってしまったのだ。また、その戦争を侵略と銘打ったのは、米国の国際社会での立場をよくするための口実なのだ。・・・・等々
  韓国の反日活動が無分別になっている状況についての記事の例・・・・
韓国は宗主国で主従関係の意識が高く、中国の従属国家として数千年近く辛酸を舐めてきた国である。そのはけ口を日本に向けて発散しているのだ。・・・・事大主義の歴史が長く、中国には無条件に従うが、日本を格下の弟国家と見なしている風潮があって、日本の言うことは聞かなくてもよいのだ。・・・・長年培われた夜郎自大的考えが抜けきらずに、日本に統合された恨みが心底染み付いているのである。彼らにとっては矜持に傷がついた前代未聞の出来事であったのだ。国民的な心の病として 「火病 」 があるのも、この憾みが DNA に染み込んだ結果なのである。・・・・特亜(特に韓国)では日本を貶めることは、愛国無罪であってお咎めが一切ないのである。・・・・等々
 一般的な報道記事では到底につかむ事ができないものばかりである。歴史専門家等の発する論調やブログなどの記事を読んで初めて知る知識なのである。正しいとか正しくないは別問題で、いろいろな捉え方や切り出し口があることを知ることによって、物事に対する興味が倍増するのである。最終的にたくさんの情報はメディアリテラシーとか情報アリテラシーを本人が身につけるしかないのである。






                                         2013.09.30




  消費税の増税が予定どうり実施されることに決まった。それはそれで容認できることであるが、増税の大義にやや問題が残る。税法の原点である 『 社会保障と税の一体改革 』 がうやむやになっていることである。また、年金制度などの社会保障の抜本改革は見送られており、増税だけが先行してしまっているのである。これは是認できることではない。そのうえ、法案の付則に 『 成長戦略や事前防災、減災などの分野に資金を重点的に配分する 』 とあるが、これは明らかに増税の大義から大幅に外れたものである。消費税の使い道を何でもありに変更したことは、決して容認できることではない。税法の原点に戻り、社会保障の抜本改革を、先ず優先的にやることが、責任を果たすことに繋がるのである。この増税が補充予算化するのは断じて許せるものではない。 






                                         2013.10.04





  <高速道路をほぼ自動で走行できる「 高度運転支援システム 」 が2010年代半ばに市販車に搭載する> との方針をトヨタ自動車が明らかにしたことを、中日新聞が報じていた。前々から前哨戦として各メーカーがいろんな車種に部分的搭載していたものであるが、このように本格的に各メーカーと連携した高度のシステム構築は初めてである。大変期待が持てるものと言えよう。未来の交通システムは、いろんなところで発表されてはいるが、ほんんどのものは現実性に乏しく、SF映画的なものが多かった。しかし、今回の発表は夢ではなく、本物として捉えてよいものであろう。こんなに早く実用化するとは、思いもよらないことである。だだ、高速道路だけの実用化であるので、限定的でもある。この調子でいくと、近いうちに一般道路も含めて実用化される確率が高いのである。この研究は日本のお家芸として、世界に先立ち、益々の発展を期待したいところである。


   ※ ついでで失礼かと思うが、My website を最近リニューアルしたので、ご覧頂ければ幸いである。



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                                         2013.10.11





  去る10月15日の未明に10年ぶりの大型台風と言われる26号が日本の東海沖を通過した。当初の予想よりやや東寄りだった為に、私の住んでいる西三河には、さほどの被害はもたらされなかった。しかし、一時期は大雨と暴風の恐怖は大変なものであった。この台風にまともに遭遇した伊豆大島では、被害甚大で、死者・行方不明者を合わせると50数名の方々が犠牲になっている。亡くなった方には心より、ご冥福をお祈り申し上げたい。今から54年前に襲った伊勢湾台風を思い起こしてしまう。当時中学2年であった私には、強烈な恐ろしい自然災害として記憶に残っている。夜中に襲ったこの台風は、家の窓のガラスが目の前で割れていく様子を見たり、自家の屋根がポッカリと飛んでしまったりしたのを直視している。まるで地獄を見ているような体験であった。命があっただけでも儲けものといった感じであった。近隣の海辺や川辺では大水が氾濫して、多くの方々がその犠牲になった。知り合いの中にも、亡くなった方がいた。その被害のために半年ほどは電気もなく、衣食住にも困りながらの生活をした記憶がある。もちろん学校では授業などできるはずもなく、毎日が校舎の後片付けであった。校舎の屋根は吹っ飛んだために教室は使えることはできなかった。まさに青空教室そのものであった。そのような状態で数ヶ月過ごした。電気が開通して始めて、災害の全容を知ることになった。この台風で5000人以上の方が亡くなったことを知った。未曾有の自然災害を体験した。決して忘れることができない苦い、そして恐ろしい体験であった。 









                                         2013.10.17






  昨日の中日新聞社説より・・・・ ピカソが 『ゲルニカ 』 シリーズの作品を発表したのは、ある新聞のニュース記事が発端だとする主旨の記事に目が留まった。その中で 『セレンディピティー』 という言葉を初めて知った。この言葉を辞書で調べてみると次のように書かれている。 セレンディピティーとは求めずして思わぬ発見をする能力、思いがけない発見、偶然の発見とある。また、これは英国の作家 ホレス=ウォルポール( 1717ー1797 ) が初めて使った造語とある。こんな言葉があること自体にびっくりしたのである。私にとってはまさに 『セレンディピティー』 であった。ただ、この社説の論旨にはやや疑問を呈す部分もある。ピカソは政治に関心が薄かったのに、ある新聞記事を読んことからあの 『ゲルニカ 』 を描くきっかけになったとある。しかし、ピカソは本当に政治に関心がなかったのかどうかは定かではないのである。というのは、彼はフランスの共産党に正式に入党して、終生その党員としての資格を全うしているのである。そのことから考えれば、ピカソは政治に関心が薄かったなどとは言えないのである。この説は、いろいろあるので確定できるものではないが、少なくとも私はそのように思いたいのである。一般にある「画家は絵だけを描いていればよい」 という考えは偏狭的であって正しくないと言える。いろいろな世間の事象に関心がなければ、世界の人々に感動を与える絵など描ける筈がないのである。ピカソの『ゲルニカ 』 は新聞がもたらした 『セレンディピティー』だったのではないかと、新聞のプロパガンダで締めくくっているが、やや誇張的で短絡的過ぎるように思えるのである。









                                         2013.10.21






  最近の安倍政権を見ていると一抹の危惧を感じる。 秘密保護法案、国家安全保障会議(日本版NSC)、道徳教育の教科格上げ etc. 論議が不十分な中、早急な法案成立の対応が目につくのである。今までは順調であったかも知れないが、調子に乗りすぎると返って危険が倍増することに早く気づいてほしいのである。過(す)ぎたるは猶(なお)及ばざるが如(ごと)し・・・の格言があるように、今までの成果をふいにしてしまうようなことは全く愚かなことである。安倍氏のブレーンとなるスタッフが皆、同じような猪突猛進型であると、今後益々その危険が高いのである。確か前回の安倍政権も法案の乱立で目に余るものを感じたが、その二の舞を演じているような感じがしてならないのである。一回りも二回りも貫禄を付けた安倍氏ではあるが、性分は相変わらずのようである。時には間をおく政治も大切ではないかと、現政権を見ていて思う、今日この頃である。






                                         2013.11.08





  元首相の小泉氏が声高らかに脱原発を唱えているのを見て思うこと・・・・彼の言う即原発停止・廃止はやや短絡的、早急的な判断だ。原発はその利便性を認め、国をあげての取り組みであった筈である。それを即停止・廃止では、あまりにも無責任過ぎるのではないだろうか。東日本大震災で被災された方々には失礼になる発言かも知れないが・・・・・、今まで培ってきた原子力平和利用のノウハウをここで断ち切ってはならない。一度中断した技術を取り戻すことは至難の技である。地震国の日本には不利な点も多いが、ここで中断したとしたら失うものが、今以上にあると思えるのである。危険を承知で、原子力という魔物を制御する技術を次世代に委ねたいのである。人類が見つけ出したものは、必ずよき方策が見つかる。これは必然の法則なのである。今までの歴史がそれを証明している。我が国だけが脱原発で取り組んでも、周辺国が原発を稼動していれば被害は計り知れないのである。自国だけが安全とは言えない状況の中、何故、即停止・廃止を急がなければならないのか。今や原発でできたエネルギーをクリーンエネルギーとは呼ばなくなったが、地球温暖化対策に一役買ってきたことを忘れてはならないのである。火力発電に戻れば、歴史が後戻りするようなものである。クリーンなエネルギーとして太陽電池や風力発電、水力発電、地熱発電 etc. とあるが、どれをとってもそれに勝るものなしで現実性に乏しいのである。補助的なエネルギーでは、今の世界は動かせないことに目を向けなくてはならない。自分達だけが、今よければという考えは卑怯である。今の時代のつけを次世代に背負わせるのはかわいそうだという考えがある一方、一度使った原子力という魔力を永遠に封印することは不可能なことだというのまで多々ある。どちらに転んでもメリットとデメリットは必ずあるものだ。一時の判断ではなく、グローバルな捉え方て後悔のないようにしてもらいたいものである








                                         2013.11.15






  中日新聞の社説 「 戦略なしで "増加" とは 」 を読んで・・・・ 反原発で強硬な主張を貫いている新聞社であるだけに原発に関する情報収集はすばらしいものを感じる、しかしながら地球温暖化に絡ませた原発問題には大きな矛盾を感じる。地球温暖化の元凶とされる CO2 の削減を最優先に考えるとしたら原発のエネルギーなくしてどんな代案があるというのであろうか。太陽電池、水力発電、火力発電、風力発電、地熱発電 etc. があるが、どれをとっても補助的なエネルギーとしか望めないのが現実である。これらの中で比較的大きな効果を得るのが水力発電と火力発電であろう。しかし、これらのどれをとっても環境破壊を招く大きな問題点を含んでいるのである。環境破壊は当然のこととして、地球温暖化に直接関わってくるものである。私は原発推進者では決してないが、今の世界の現状を鑑みると、即脱原発は無理があるものという考えに至るのである。世界の人々が今の時代から、エネルギーを余り必要としない前の時代に戻っても構わないというコンセンサスができあがれば即解決することである。しかし、それは不可能なことである。今のような便利のよい時代を経験してしまうと後戻りはできるものではない。そうなると危険を承知で使い、次世代にコントロールの開発の道を委ねるしかないように思うのである。コントロールは不可能だと思われることも、今までの人類の英知はそれをクリアーしてきた実績があるのである。話を本題に戻そう。反原発を強く唱えておいて、地球温暖化削減目標の増加を云々と批判するのは、実におかしなことである。それこそ、戦略なしで批判しているのと同じである。今風の流行り言葉 「 そんなことをお前が言うな !! 」 ということになる。








                                         2013.11.20






  道徳教育を教科に組み入れる方針について思うこと・・・・前々からこの問題について検討されてきたことであるが、実現しなかった大きな要因は、知識として学ぶ内容ではないことである。また、それを承知で無理やり教科の枠組に入れたとしても長く続かないことである。十数年前の総合学習の反省を生かすべきである。やればやるほど弊害が発生することは自明なのである。教育は政治のようにコロコロ変わると、その悪弊が計り知れないことに留意すべきであろう。未来の夢を託す子ども達に姑息な先入観を与えてはいけないのである。戦前の教育勅語や修身教育を復活するようなことがあってはならない。日本だけがこの生活規範の乱れが特出しているわけではないのである。世界的傾向としてある問題である。抜本的な取り組みをしないと効果は望めるものではない。異常な競争社会の仕組みや化学万能の社会の歪み、貧富の差、学歴社会、成果主義 等々の社会の仕組みを是正しなければ解決しない問題でもある。たくさんある問題点の中で一つだけ絞って取り上げるとしたら、私は次のことを言いたいのである。それは、信仰心の欠如がこの問題に大きく輪をかけているように思えることである。化学万能の時代に神や仏の存在を信じろといっても無理があるが、それを否定するような学校教育に問題があるのである。これは最高機関である文部科学省の責任が大きいのである。人間を超えた存在を意識する信仰心が、実は心の制御に大きく作用することに気づかなくてはいけない。民主主義の誤った観念は、自分一人がよければを助長するものであり、人を我が儘にしてしまうことである。「そんなことをすると、仏様の罰が当るよ」 、「悪いことをすると神様が見ているよ」、「そんな嘘を言うと閻魔様に舌を抜かれるよ」 と言ったよい意味でのマインドコントロールが効かないことである。これは小さい頃から身に付けないと育たないものである。教育の効果がここで期待できるのである。それを否定してきた国の教育指針に問題があるのでなかろうか。









                                         2013.11.30






  特定秘密保護法案について思うこと・・・・巷ではこの問題で大騒ぎをしている。まるで50数年前の安保闘争のような様相である。「 国民の知る権利 」 は当然のことではあるが、今や暴走化している近隣国家の脅威を考えれば、それ以上に防衛、外交、テロ活動防止、安全保障 etc. の問題を優先的に考えることの方が、日本国家にとっては必要であると思うのである。これらの国益に関わる重大な問題を、開けっ広げで公開していたとしたら、その弊害は計り知れない.。敵対する国家からの脅威に晒されることは目に見えているのである。長いスパンで捉えた国策を考えれば、当然とも言えるものである。目先の心配よりも将来の安心へと視点を向けるべきであろう。一般の国民の声が反映していない段階での法案成立はやや尚早な感もあるが、暫時、問題点の修正を期待しながら見守りたいと思うのである。










                                         2013.12.05






  最近の世界情勢を見ると、大きな変化に驚かせられることがよくある。列挙してみよう。米ソの冷戦関係が崩れて、益々グローバル化が進んできたこと。その隙間を潜るようにして中国が台頭してきたこと。その結果、米中の動向が世界情勢に大きく関わってきたこと。共産主義の限界がソ連の崩壊に繋がり、世界の多くの国が民主国家になったこと。共産主義国家としては、中国と北朝鮮の2カ国のみとなったこと。擬似共産主義国家は、まだ数カ国あるが、イデオロギーから見れば共産主義としての正統性は見られない。また、中国にしても政治は共産主義で経済は資本主義といった融合型の体制をとっているので、イデオロギーからすれば立国の精神から大きくかけ離れている。民主主義の根本思想は最大多数の最大幸福にあり、個人の価値観の多様性を認めるが、一方、共産主義はイデオロギーは一つで、個人の価値観の多様性は無し、・・・というより認めない。こんな大きなズレがある国際社会において、共に価値観を共有しようとしても自ずから限界がある。民主主義の国家では、価値観の多様性が多くの政党を生み、個人の権利の幅( 自由の幅 )が広い。それに対して共産主義の国家は、一党独裁で価値観は一つ、言葉を変えれば、思想統制がなされ個人の権利の幅( 自由の幅 )は狭い。そこに生きる人間はお互いにメリットとデメリットを使い分け、生きる権利を享受しているわけで、第三者がとやかく言えるものではない。これらの現象の中で特に目を引くのは、今まで決して見られなかったマイノリティーの意見が大切にされるようになってきたことである。今までのようなマジョリティーで押し切ってしまうことができなくなってきた時代に入ったことの意義は大きい。高度な民主化に突入した現象として捉えてよいであろう。例を挙げると、同性婚やジェンダーアイデンティティーの問題などがその例である。その他、顕著な現象として国家としての威厳さが失われ、国同士の関係が児戯的になってきたとも言える。国連での国を代表する政治家や官僚の発言を聞くと、そのことが如実に実感できる。地に落ちた現象とも言える。これらなど機微にふれる問題が多々あるので、この判断は読み手に委ねることにしたい。 









                                         2013.12.12






  国家安保戦略なるものが正式に閣議決定をされた。日本を取り巻く安全保障体制の確立が強固になることは日本国民の一人として願ってもないことである。近隣国家の脅威から身を守るためには是非とも必要な構築であると思えるのである。今までの平和国家路線をそのまま引き継いだだけでは、日本を守り抜ぬくことは到底できない。中国の独善的な外交に対峙するには、それなりの防衛体制を固めないことには、足元を見られることになる。「積極的平和主義 」は、当然のことである。話し合いで解決できる相手ではないことは、今までの経過から判断できるものである。ある新聞の社説に 「平和国家の大道を歩め 」と題して、この閣議決定を強く批判しているが、口先の空論としか思えない弱いものを感じる。理想としては、よいかも知れないが、現実の世界はもっとシビアであることに目を向けるべきであろう。現実の世界と学問の世界を一緒に語らないほうがよい。現実の世界は常に変化しているのである。それに対応した措置を取るのが政治であると思うのである。今の日本は既成の法を守るだけでは、太刀打ちできない情勢であることに着目しなければいけない。






                                         2013.12.18






  特定秘密保護法を批判する 朝日新聞、毎日新聞、東京新聞 (中日新聞) に 「反論」 を自民党の国会議員に配布した・・・を読んで思うこと
批判的な各新聞社に対して一々反論を加えて説明することなどは、一昔前を考えると思いもしないことである。それだけ民主化が進んできた証拠だと、よい意味で解釈できる。自由に政権批判を展開できる環境に感謝すべきものである。半公共性の使命を負っている新聞メディアもそのことを十分承知をして、体制批判をしているとは思うが、最近の社説等を読むと、ただ反対するだけで終わっている記事が多いのである。反対するならば、その代案を示すべきものであろう。ただ「 反対、反対 !! 」 では納得できるものではない。それに代わるよき案がないのならば、無下に「 反対 」 の声を高らかに叫ぶべきではない。それこそ扇動行為にあたるものである。ネット上では現政権の支持が高いことを揶揄したような論評をしているが、ネットを利用する人々はリアルタイムで情報を多面的に収集している。一新聞だけの記事で判断することはないのである。しかしながら、ネットを利用しない一般国民は新聞をそのまま鵜呑みにしてしまう傾向があるのである。半公共性のメディアとは言えども、商業化した事業でもあるわけで、社の存続のためにはどちらかの方向へ走らざるを得ない必然性が存在する。そのことは当然として認めるが、相反する課題をバランス感覚で真摯に展開してもらいたいと願わざるを得ないのである。









                                         2013.12.23






  安倍首相が靖国神社に参拝したことで内外に大きな波紋を投げかけている。それぞれの国や個人の立場で捉え方が違うのが当たり前で、それに対して一々コメントする気にはなれない。個人的な考えだけを述べたい。第一に、日本人の心の中まで踏み込むような他国の干渉は許し難いこと。第二に第2次大戦の当事者でない者が、いつまでも拘っていたら明るい未来は築けないこと。そして過去の負の遺産を現代人に押し付けてはならないこと。第三に日本人として主張すべきことは、きちんとすること。例え反発があっても怯んではならない。いつかは理解される筈である。どこの国も自国のことだけで精一杯の現在、他国を当てにしないこと。第四に自国のことは自国で解決できるように国力を養っておくこと。(特に国家安全保障は他国に頼らずに自力でできること) etc.・・・・そのためには今、何をやるべきかは自ずから想起される筈である。







                                         2013.12.29














                                         2013.12.31




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