< How to live ? > is my subject matter.
And I will show you my identity.
As an artist and as a human being.


画家の眼 ② 



 6月14日のニュース記事 【 パリでクリスティーズのオークションに掛けられるモディリアニの作品。 約48億4000万円で落札された。落札価格は事前予想の約4億5000万~6億7000万円を大幅に上回った 】 を読んで思うこと。
 モディリアニ独特の表現である細長い顔の頭像で、そんなには大きくない、どちらかと言うと小品の作品である。これ程の高額で取引されているのを見て猜疑心を感じると共に、一美術品がこれだけの経済効果を生んでいることに驚いた。芸術と商業化は相容れないものと持論を持っているだけに、この記事を見てこれが現実なのかと目を覚まされたような感じがした。




                                         2010.06.15




 今流行のアップル社製の iPad を購入して、インターネットや メールの送信、音楽などを楽しんでいる。新しい形のパソコンの1つと捉えている。パソコン好きで有線ランで4台のパソコンを各部屋で利用している。 iPad は今出版業界で問題になっている紙を使わない書籍として今後利用価値が期待できるということで、早速購入したものである。有線ランから無線ランに切り替えて設定する必要があり、大変かなと思っていたが割と簡単に設定出来た。一昔前と比較して今は、ランの設定も簡単にできるようになった。時代の進歩の早さにびっくりした。まだ紙を使わない書籍としては機能していないが近いうちには日本でも活発化してくるものと期待している。




                                         2010.06.24






 世の中の変化はいつの時代でも起きているが、ただ違うのはテンポの速さが急激なのが今の時代の特徴なのかも知れない。職種を見ても時代とともに消えていくものや新しい職種が生まれてきたりで、うかうかしていると生き残れない厳しい時代でもある。いつも先を読んだ生き方をしていかないと取り残される。調子がよいと言って、それをいつまでも同じ調子で繰り返していると、必ず転落の道が待っている。常に新しい変化を追求していかないと時代の波に乗れない。これは企業人だけの話ではない。我々の行っている日本画の創作活動にも言えることだ。伝統を大切にすることは言わずもがなであるが、それに固執し過ぎると古い絵画になってしまう。たとえ日本画であっても今の時代の絵を追求しなければならない。古い主題や題材を扱っても今の時代の絵を描かなくてはならない。明治時代の絵と今生きている時代の絵は当然違うものでなくてはならない。そこに作家の思想が大きく作品に反映してくるものだ。ただの上手な絵にはそれがないことに大きな問題点がある。




                                         2010.07.01






 今日は参議院の選挙日である。現政権の初めての審判を仰ぐ選挙でもある。政治と芸術は関係なさそうに見えるが、実は深い関係があることを前の稿でも述べているので詳細については割愛したい。
現政権の民主党はどちらかと言うと社会主義的な考えが随所に見られるのに対して、自民党はアメリカ追随の市場主義の考えが基盤になっている。
 この2大政党のどちらに国民の審判がくだるのか大変気になるところである。明るい日本の未来を託せるのはどの政党であるのか判断に迷うところだ。私自身の支持政党を述べずにこの記事を書くのは大変失礼な事とは思うが、立場上省かせて頂く。ただ言えるのは、夢の持てる社会、努力をすれば報われる社会の実現に向けた取り組みが着実にできる政党は、どれかを選ぶ視点にしたいと考えていることである。




                                         2010.07.11








 参議院選挙の結果ほぼ予想していたような結果であった。民主党の敗北は選挙前に消費税の問題を取り上げたからだと言った風評が大半をしめるが、私は必ずしもそれが原因だとは思っていない。国益を損ねるような政策の推進や政治と金の問題、議論をろくにしないで数で押し切る今の政治に嫌気がさしてきたのが大きな原因だと私は見ている。将来に借金を残すようなバラマキ政治では国民の大半は納得しない。言っていることとやっていることのブレがあまりにも大きすぎることが反感をかった原因ではないかと見ている。どの政党にもよい点、悪い点の両方を持っているものだ。それも許容範囲がそれぞれあって国民はその中から支持政党を選んでいるものだと解釈している。






                                         2010.07.19












 久しぶりに他の会の公募展を観に県美術館へ足を運んだ。県美術館のメイン会場での発表であったので実に堂々としていた。大作も多く、バラエティーに富んだ作品群で好感をもったのだが、反面気になる点もあった。展覧会を鑑賞する時は、まず軽く会場を一巡して最初の印象をつかみ、二巡、三巡して個々の作品に触れるようにしている。何度見ても気にとめる作品が私にとってはよい作品であると捉えている。一回目の感動と二巡、三巡の感動はずいぶんと違うものである。ただきれいな作品とか、うまく描けた作品は二巡、三巡すると不思議とスルーしている。私にとって心に残る作品は外面的にも内面的にも共にしっかりしたものを持っている作品に惹かれる。次の作品に期待がもてるかどうかを大切な基準にしている。そのような観点からすると最後に心に残る作品が意外と少なかったのがが気になるところである。




                                         2010.07.25










 愛知トリエンナーレがこの夏8/21に、開催されようとしている。 世界最先端の現代美術の祭典ということで期待と不安の入り交じった雰囲気である。 領域は違うが、同じ芸術活動に関わる者として関心は高い。名古屋は芸所と言われているが、果たして最先端のアートを受け入れるような余裕があるかどうかは疑問である。かっては現代美術を扱う画廊も多く活気が見られた時期もあったが、今としてはどうかなと言った状況である。高度成長時期のような活気が見られない現在では、理解を得て発展していくような状況下ではない。一発勝負で終わるような心配もある。この愛知トリエンナーレが成功すれば我々のようなオーソドックスな活動も伸びていく相乗効果が期待される。愛知県民として、芸術活動に携わる者として手に汗を握るような思いである。






                                         2010.08.19








 8月21日、愛用していた自作パソコンが突如としてハングアップしてしまった。メイン機種であったのでショックは言葉にできないほど大きいものであった。猛暑のせいでマザーボードがオーバーヒートしたようである。データのバックアップをこの1ヶ月ほど怠っていたので被害が甚大であった。このホームページも最近はバックアップしていなかったので、修復が大変であった。自作して8年目を迎えるので、ある意味で寿命であったかも知れない。
 さっそく新しいパソコンを作るために専門店に足を運んだ。余計なものは付けない最小限必要とするパーッを吟味しながら選んだ。マザーボードは最新もので、USB3付きの動作の早いものを選択した。CPUも最新の早いものを懐具合を見ながら選び、特にこだわったのはグラフィックボードである。電源も大切なパートで高級品を選んだ。ハードデスクはアプリケーション用とデータ用に分けて500ギガを2つ総計1テラを決めた。BOXは前のものをそのまま使うことにした。メモリーは4ギガバイトで、OSはWINDOWS 7 プロフェッショナルを選んだ。必要なものは全部そろったので後は組み立てるだけであるが、今回は組み立ててもらうことにした。パーツの相性問題や細かい調整をするには相当な時間をとることになるのでしかたなく依頼した。今まで3台を自分で組み立てているが、使えるようにするにはずいぶんと根気をつめないと完成しないことを身をもって経験しているからだ。今回のパソコンは自作とは言えないが既製品とはひと味違うものになる。




                                         2010.09.02








 5月27日の記事の内容の中で一部誤りがあったので訂正したい。針生一郎氏の現代美術批評は、アメリカの抽象表現主義を扱っていなかったということをある専門誌から知った。針生一郎氏は抽象表現主義の出現をよく思っていなかったようである。そのためか評論は一切していなかった。明らかに私の思い違いであった。それではいったい誰が当時の具体美術評を書いていたのかが疑問として残る。針生一郎氏は一時期、ばりばりの共産党員であったことからアメリカの抽象表現主義の台頭は許せなかったのかも知れない。






                                         2010.09.03










 ホームページを公開しているがその効果は、果たしてあるのか自分でも分からない。自己満足でやっているに過ぎないと自分に言い聞かせながら続けているわけであるが、時々くる読者のメールで励まされることがある。じっくり見ていて下さる方があるんだなあと感激を新たにする。わざわざ感想をメールしてくださる方々に感謝を申し上げたい。自分の生き方に自信があるわけではないが、私と同じような道を選んだ方々の一つの指針になればと思っている。また、絵を諦めずにトライしている方々の参考にして戴ければ幸いである。






                                         2010.09.10










 絵を描いている時に思うことであるが、あまり完璧さをねらわないで完璧の少し手前で仕事を終えたほうが次の進展につながることを経験で知った。発想もよし、構想もよし、構図もよし、配色もよし、制作の取り組みもよし、全体の完成度もよしなどと自分一人ですべてを判断をし、完成に向けて区切りをつけるわけであるが、その時に注意したいことがある。はじめの発想や構想段階の考えを最後までそのまま続けていける場合は少なく、途中で修正を余儀なくさせられることが多いものだ。完成に近づくと少しの修正が全体を狂わせることが多いので特に気をつかう。完成間際は筆を動かすことよりも、じっと眺めて修正すべき箇所を見つけることに時間をかけることが多い。その時に前述した完璧さをねらわないほうがよいということを身をもって知ることができた。完璧はスキのない完全な状態であるから、つっこみができないことを意味する。どこかスキがあったほうが次の仕事につなげることができるからである。完成度が高いことも必要ではあるが、完璧にしてはいけないということだ。次の発展の余地を残しておかないとそれで終わってしまうからである。






                                         2010.09.28






 『根岸英一氏、鈴木章氏の二人がノーベル化学賞を受賞』・・・うれしいニュースが飛び込んできた。日本人としてこの上もないうれしいニュースであるとともに、この上もない快挙である。最近の日本は何かにつけても自信のない状態が続いていただけに、このニュースは日本にとってよき活性剤になるものと思われる。他の分野においても日本はもっと自信を持ってもよいのではないだろうか。
 今の日本の政治を見ると目先のことばかりの政策が多いが、もっと長期的な展望をもった政治が望まれる。根岸英一氏、鈴木章氏の二人の業績は一朝一夕でできたものではない。そのことを考えると長期的な見通しをもった国の支援が絶対に必要だ。また、この偉業を受け継いでいく若い研究者の育成と支援が特に望まれる。今の政局はこの点が特に欠乏しているような気がしてならない。






                                         2010.10.07








 私の所属する日本画の公募団体展 『秋の創日展』を10月31日(日)に無事終了することができたが、不覚にも終了直後体調をこわしてしまい、事後処理が大幅に遅れてしまった。体を病むと気力も衰えるようである。共催をお願いした新聞社やテレビ局、ラジオ局等の事業報告書を作成し、お礼状を添えて発送しなければならないところ、気力の消失でのびのびになってしまった。共催を頂いた事業所には大変申し訳なく思っている。年のせいにはしたくないと常々思っていたが、この状態に落ち込むと、受け入れるしかないのかも知れない。無理をするとてきめんに体に響いてくるので、今後気を付けて物事にあたっていきたいと気を引き締めているところである。また、展覧会にご来場いただいた方々にもお礼状も書けない状態で大変申し訳なく思っている。この場をお借りしてお礼申し上げます。








                                         2010.11.17









 高度成長期でできた公共の、美術館などの展示施設が同時期の改修にあたり、どこもかしこもてんてこ舞いの状態である。めったにあることではないので、対策を講じていないこともあり、対応に苦心しているところである。展覧会は恒例の行事になっているので止めるわけにもいかず、頭を悩ましている。どの会も同じような状態ではないかと思われる。一度途切れると同じ状態に戻すことが難しくなってくるので、無理をしてでも続けなければならない。新しい会場の確保と作品の保管の問題、運搬費の問題などの新たな経費の上積みが生じてくる。好きな道だからこそ何としてでも貫徹をしなければいけないと、自分自身に言い聞かせているこの頃である。






                                         2010.12.23










謹賀新年


 大変厳しい情勢の中、希望をもって物事にあたっていきたいと意を強くしている。先ずは4月開催の第18回 創日展(本展)に向けて、全力を傾けることを最優先にしたい。






                                         2011.01.01








 菅内閣での初の内閣改造が行われた。開けてびっくりしたのは主義主張の全く違う会派からのあり得ない入閣があったことだ。良い悪いは別として今までの政界では全く見ることのない現象であったからである。日本人として一般的に考えられる人間像を遙かに超えた事象である。西洋の合理主義がここまで浸透してきたのかと眼を疑った。報道にもあったが、これほどの大きな『変節』は多くの日本人に支持を得ることができるのかいささか疑問とするところである。このことは私たちの芸術活動にも言えることであるので興味深い出来事として記したい。








                                         2011.01.15










 芸術家の『変節』は個人の問題であるのに対して、政治家の『変節』は個人だけの問題ではない。政治家は支持母体があり、たとえ個人として活動していてもバックには大勢の支持者がいることを忘れてはならない。芸術家の『変節』は自己責任でそのリスクを負わなければならないが、政治家は個人レベル以上のリスクを負わなければならない。
 私の場合、洋画から日本画へと大きな『変節』があったが、人様に実質的な損失を与えたという認識はない。しかし、自己責任によるリスクは大きかった。今となっては、これも人生の試練と感謝している。






                                         2011.01.21










 巷には様々な色や形による画像や映像に溢れている。しかし、新鮮なものはあまり見かけられない。どれもこれも見たものばかりである。かっては車などに使われていたメタリック塗装や看板に使われた蛍光塗料、ネオンの色などに新鮮な驚きを感じたものであるが、最近はこれといったものが見あたらない。静止画像だけでなく、動画もよく目にするが見慣れてしまってこれといった感動も沸かない。時々ではあるが新鮮さを覚える画像や映像もあることはあるが、新鮮さは長く続かない。これも時代の流れというか画像や映像も消費されてしまい目に残らないのかも知れない。次々に新しいものを配信しないと飽きられてしまう。情報化時代の落とし子なのかも知れない。このことは絵画の世界でも言えることでもある。じっくりと一点の作品を鑑賞する暇がない世の中でもあるようだ。年々美術館へ訪れる鑑賞者が減少していることも今の時代の現れであり、対策を講じていかなければならない。






                                         2011.02.01








 夭折の天才画家と言われる青木繁の下絵が岡崎市で発見されるというニュースが飛び込んできた。没後100年にして未だに知られなかった資料があったとはまさに驚きだ。画学生の時に研究対象として学ばせてもらった画家である。20歳代でこんなすばらしい作品を創るとはすごい画家だと羨望の的としてとらえていた画家でもあった。荒削りではあるがエネルギッシュでダイナミズムのある作品は好感が持てた。完成度はやはり若い画家だけに高いとは言えないが、次作に期待がもてる作品群を残している。やはり天才と言われる所以である。短い期間に燃え尽くした明治・大正時代の芸術家によく見られた天才画家の典型でもある。早急な才能の開花は芸術家として羨ましい限りの生き方ではある。長寿の今の時代に彼らが活躍していたらどのように才能を枯渇しないで生きていけたかが知りたいところである。








                                         2011.02.16








 カリスマ性の高い画家であった故岡本太郎氏が再評価されている。故人になると評価が下がるのが一般的ではあるが、底力のあった画家・岡本太郎氏であったので当然かも知れない。彼の著作やメディアに登場したころの言動にぶれのない一貫性を感じ取り、画家志望の自分には大きな励みとなり、指針となった。進む表現の領域は違ったが、芸術観や作家論、美術論には共感するものが多く、今でも私の画論の根底には岡本太郎氏の影響が大きかったと言える。彼の作品が好きというのではなく、考え方にすばらしいものを感じとったということである。画家は作品で勝負といったとらえ方があるが、私は作品を創る前のビジョンも大切だという考えを持論としている。両方を備えた画家は少ないが、彼にはその両方を持ち合わせた貴重な芸術家だったと言える。








                                         2011.03.04











 世の中上手い絵を描く作家は沢山いるが、心に残る絵を描く作家は少ない。職人技の絵は上手いとは言えるが何か足りない。その何かとは観る人の絵に対するとらえ方によって個々に違うものである。学習度によってその差が生ずる。上手く描かれたイラストの絵などはこれに近い。絵とデザイン画の違いは歴然とあるが、その違いを認識できる人は意外と少ない。画家の絵はなかなか売れないが、デザイナーの絵はよく売れると言った現象がそれに近い。しかし、名作として残る絵は売れない画家の絵がほとんどである。
現実と理想の違いにも通じる。逆説的に言えば画家は売れるような絵を描いていたら駄目だという甚だ虚無主義的な結論に達する。






                                         2011.03.05









 アーチストと言われる人々の生活はいったいどうなっているのだろうかと、アーチストを目指す若者にとっては気になるところだと思う。奥の深い芸術活動は一朝一夕には成就できるものではないので、根気よく諦めずに取り組む必要がある。運良く名が出てトントン拍子で売れていく作家もいるが、多くのアーチストは何十年と続けて、やっと名が出てくるといったケースが多いものである。長い間作家活動を続けるには経済的な後ろ盾がないと続けられるものではない。自分の技術を生かした仕事につけるとはかぎらないし、いやな仕事もしないと生きてはいけないわけでなかなか大変なものである。アルバイト的な仕事をして芸術活動を続けている者も多いが、これも若くて元気な時だけである。ある年齢に達するとそんな甘いことは言っておられなくなってくるものだ。家庭をもったら先ずそんな生活は続くものではない。一か八かの覚悟でやって成功することも夢ではないが、あまりにも危険な冒険だとしか言いようがない。確実性の高い、しかも安定した生活の基盤を作ってからアーチストの道を目指すほうがより夢の実現に近づく生き方だと思われる。特に今のような不確かな時代にはそのことが言える。一生懸命に取り組んでも成功するという保証はないので肝に銘じて取り組んでほしい。






                                         2011.03.11









 芸術家は売るために作品を創っているわけではない。中には売るために作品をつくっている作家もあるが、商売人であり芸術家ではない。絵で飯を食っていてもブロとは言えない。芸術家はもっと次元の高い目標を持って取り組んでいるはずである。一流と言われる作家の作品はそのことをしっかりクリアーしているので芸術性が高いと言われる所以でもある。また芸術に対して確たる思想を持っている証拠でもある。大衆に迎合せずに自分の信念で創り上げた作品が、結果として高く売買されるのは至極当然と言える。然しながら歴史の例を見ると芸術作品の評価は作家の死後になされることが多いので、作家本人は自分の評価を知らずに亡くなっていることが多い。そんな中、生前中に高い芸術的評価を受けた貴重な作家がピカソである。






                                         2011.03.19









 オランダの画家レンブラントの『夜警』は彼の代表作として、今ではあまりにも有名である。しかし、その当時は不評をかっていたことはご存じの事と思う。依頼主の意向を無視して完成した作品であったので当然といえば当然の結果とも言える。当時の画家のステータスはルネッサンス後とはいっても、まだまだ職人の域の仕事であったことが不評の一因であったと考えられる。レンブラントは当時、売れっ子の肖像画家で注文が殺到していたと言われている。仕事の上では絶頂期を迎えるが、その後二人の子供の死や妻の死、そして浪費癖による破産で荒れ果てた生活の時代に入るわけである。絶頂期を少し過ぎた頃の依頼で描かれたものであるが、その頃の彼の仕事は高い芸術性を身につけ自分の仕事に自信を滾らせていたのではないかと想像する。職人の域を超えた高い理想で描いたのがこの『夜警』である。依頼主に迎合せずに自分の信念で描いた作品であったので、たとえ不評であっても彼自身は充実感を味わったのではないかと推測する。もし彼が依頼主のとおりに描き直していたとしたらこの作品は、名画として後世に残らなかったであろう。芸術は大衆に迎合したら駄目だという見本を示してくれたような気がする。





                                         2011.03.21








 この徒然文に登場する作家は名の通った芸術家ばかりを取り上げているが、全面的に信奉しているわけではない。ピカソはよい例で度々登場するが必ずしも全てがよいわけではない。画風をコロコロかえているピカソであるが、本質的には他人の利用でうまく自分のものにしているところが多い。キュビズム(立体派)というとピカソの名がすぐ出てくるが元々はブラックが最初に考え、試行したものである。それをうまく利用して自分のものにしているのがピカソである。アフリカのエスニック彫刻や素朴画家と言われるルソーの作品のよさをいち早く取り入れて自分のものにしている。その他の例は数々あって列挙できないくらいである。要するに言葉は悪いが、ピカソは知的財産の『thief』と言えるところがある。それにしても彼の少年時代の作品は大人のプロの作品と比較しても遜色がない、すばらしいものを持っていたことは事実である。大人になり、画家として制作した作品はその上手さを見せなかったところがまたすばらしい。どんなすばらしい芸術家においても人間の持つ両面性があるんだという認識でとらえれば多くのものを学ぶことができる。








                                         2011.03.23









 芸術に関する事項を整理していくと次から次と問題が生じてくるものである。刻々と変化していく今の時代に合ったものの考え方をしていかないと時代遅れの画家になってしまう。とにかく今の時代は変化が急激な時代であるわけで、当然芸術分野においても然りである。一昔前の大家と言われる芸術家の発言の多くが、『今の若者は理屈ばかりが先行していて内容が希薄だ』というようなことをよく耳にする。私自身、熟年になってきてはいるが、必ずしもそうとは思っていない。別に若者に迎合するわけではないが、時代の変化を注目をしておれば、否定はできないはずであると考えている。『芸術はタブーを破ることからはじまる』という名言があるが、その考えに沿えば理屈が先行すると言われる今の時代の変化も容認できるはずである。別に物分かりのよいことを言っている訳ではない。グローバルなとらえ方をすれば当然な事と考えている。1960年代に流行したコンセプチュアル・アートで、作品をつくらないで概念だけを発表していた作家がいた。当初はびっくりしたものであるが、時代の流れからすれば当然の結果である。その概念がその後、いろいろな分野に影響を与え、新しい芸術を生んでいることは承知のとおりである。この考え方の発端は明らかにマルセル・デュシャンの考えをさらに発展したものと考えられる。突然生じてきた事象ではなく、時代の流れの中から必然的に確立されたものである。私自身はクラッシックな日本画を選んではいるが、作画をする時にはこの考え方を大事にしている。作品を一点だけ見たのでは分からないと思うが、全作品を通すとその考えがあることを見つけることができると思う。伝統も大切ではあるが、同じことを繰り返していては新しい文化は生まれない。必要な所は残さなくてはいけないが、壊すこともしなければ新しいものは生まれない。その目利きが必要であるような気がしてならないのである。




                                         2011.03.24









 今の時代はアカデミックなものや最先端の現代アートが同時に混在していて、それぞれが独自に勝手気ままに展開をしている、とりとめのない時代に入っているような気がする。お互いが関連性をもたずに活動しているために足の引っ張り合いをしている現象もよく見られる。かってのルネッサンス以上の大きな変動の中に我々はいるわけで、作家自身がしっかりしたアイデンティティーを持って活動していかないと潰れてしまう時代だ。一昔前では画家は絵だけを描いていれば何とか芸術家のハシクレとして認められた時代があったが、今ではそんな簡単なものではない。マルチ的才能を発揮して他者に追随を許さない人物でないと生き残れない時代でもある。『一芸は身を助ける』ということわざがあるが過去の名言で、今では一芸だけでは生き残れない。








                                         2011.03.26









 画家には学歴は必要のないものであるが、学問として芸術を学んだかどうかは大きな関係がある。学校へ行かなくても芸術論、美学、絵画論、作家論、色彩学、その他諸々の学問等を自学自習することは可能である。勿論美大へ入れば必然的に学べるわけであるが、余計な学問も当然学ばなくてはならない。大家と言われる作家の多くは学校で学ばないで、独学で此れ等の学問を自分のものにしていることがよくある。また此れ等の学問を全く触れないで作家になっている場合も多く見られる。彼らは学校ではなく芸術家といわれる作家に直接、師事をしたり、全くの独学でこれらの内容を習得している場合である。俗にいうたたき上げの作家のことである。たたき上げの作家は自信に溢れ、力強い作品を作っていることが多いが、反面、作品の内容に遊びがなく堅苦しいものもが多いような気もする。学校で友と芸術論や画論などを闘わす機会もなく作家になったことに起因すると思われるが、全てに当てはまるというわけではない。美大で学ぶか、独学で学ぶかは自分で選択することなのでよく考えて当たってほしい。








                                         2011.03.27









 昔から売り絵専門の画家のことをパン画家と言って、揶揄したような言葉がある。隠語に近いものと思われる。芸術性の追求よりも生活のために売れやすい絵を描く作家のことである。絵で飯を食っていこうとすると多かれ少なかれこうなるのが普通である。しかし、芸術の追究という大儀を失っては、たとえ絵が売れて生活できてもプロ(芸術家)とは言えない。そのことをしっかりと押さえて突き進むならば個人の自由である。芸術の追究を諦めて、絵以外の分野で力を発揮し、実業家として大成した者も結構いる。これについても選択は個人の自由だ。芸術の道は一生賭けて行うものである。初志を貫徹できるように気長に進みたいものだ。








                                         2011.03.28









 画家には若くしてその才能を開花した者や遅くからその才能を展開した者などいろいろなタイプがある。早くから才能を展開する画家は天才型の画家が多く、短い期間に大成してしまって早死の人生を送った者などがいる。その反対の大器晩成型の画家は才能を発揮するまでに長い期間がかかり、晩年になってからその才能を発揮して長い人生を送った者などがいる。どちらの生き方がよいかについては各個人が判断することなので差し控える。また画家にはそれぞれの人生の中で盛隆期と沈滞期、後退期などがあって、傑作と言われる作品が生まれる時期は限定されることが多い。一生のあいだコンスタントに傑作ができあがるのが望ましいが、そんなうまい調子にはいかないものだ。ただ、この傑作の判断については第三者が選んだものであり、作者自身の考えとは違う場合もあることを考慮しなければならない。作家本人にとっては充実した創作活動中に生まれたものが傑作である筈なので、一般的評価と違うこともあり得ることを列記したい。








                                         2011.03.29









 工学にはファジー理論がよく使われているが、我々が行っている創作活動においてもこの考えは無意識のうちに使っている。ファジー理論そのものは数学の基礎分野にあたるもので芸術とは全く関係のないところに存在するものだと思っていた。ところがある時、このファジー理論のことを知る機会があり、関係ないと思っていたことが実は大変な関係があることを知って強いインパクトを受けた。沢山ある条件をクリアーしていくには、全ての条件の最大公約数を拾って構成したものがベストであるという理論は我々の世界でも共通するものである。ひとつを強調すると他方はマイナスが生じる。両方がともに効果のあるところで妥協するというのがこのファジー論理の考えである。使い良さを追求したパソコンやカメラのような精密機器は、この論理を使って製品にしていることが多いようである。まさに芸術にある曖昧模糊とした考えが科学にも生きているということである。どちらが先に影響を与えたかは分からないが、ともに影響しあっていることは事実である。なぜこの記事を書いたかというと、いろんな知識が創作には必要であり、またどこかでその知識が生きてくるということを言いたかったからである。大成するのに時間がかかった大器晩成型の芸術家の多くは、これをもっていたことがこのファジー理論で証明される。ただ完璧主義者には、この理論は通用しないということを特記しておきたい。






                                         2011.03.30









 創業94年の美術年鑑出版社のひとつが休刊に追い込まれたことを書面で知った。来るべきものが来たかと感慨深いものを感じた。美術家のステータス向上の役目を担ってきた出版社であったわけで誠に残念である。近年の大きな変化がこの業界にも及んできたのかと思うと他人事ではないものを感じる。時代の変化とともに消えていく職種は今後とも増えていくものと思われる。我々の行っている日本画についてもその危機感は常に感じている。戦後に起きた日本画滅亡論の危機を乗り越えて現在の日本画があるわけで、必ずしも安定した状態にあるわけではない。若い後継者が育たなければ第二の危機が訪れるはずである。日本画に限らず油絵についても同じことが言えるようである。最近の傾向ではコンピュータグラフィクス一辺倒の感があり、後継者不足が深刻に叫ばれる時代に入っている。






                                         2011.03.31





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