イエス之御霊教会教団

 村井ジュン牧師(ジュンの漢字は「屯」の下に「二」)(1897〜1970 明治30年〜昭和45年)(以下「村井」または「ジュン」と呼び、敬称略)が1941(昭和16)年にペンテコステ系キリスト教の日本聖書教会(日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の前身)から独立して設立した教団。そのため、教派的には通常「ペンテコステ派」に分類されるが、イエス之御霊教会自身は、自分たちは本来の初代キリスト教の復興であって、歴史的に後から生まれた旧教(カトリック)や新教(プロテスタント)のいずれでもない、と主張する。

 村井は鹿児島県の加治木町にメソジスト教会の牧師、村井競 (きそう) ときぬの次男として生まれた。父の競は、1900(明治33)年に、長野忠恕の後任として沖縄に派遣され、那覇や読谷 (ヨミタン) において伝道・牧会をした。特に読谷における伝道ではリバイバルが起こって一村全部が救われ、100名以上の者が同時に洗礼を受けたといわれ、熱情的・熱血的な伝道者として有名な牧師であった。ちなみに、競牧師が伝道したメソジスト読谷教会は、現在、日本基督教団読谷教会となっている。そのような情熱的伝道者を父に持つ村井は、日本におけるペンテコステ宣教の先駆者の一人であるレオナード・W・クートにも非常に強い影響を与えた宣教師J・B・ソーントン(Jesse Blackburn Thornton) (ソーントン・ピーナツバターの創始者としても有名) を慕い、彼の下で伝道活動に協力して働くことになる。兄の一 (はじめ) はソーントン一家が神戸東部の東明に居を構えた1917(大正6)年に通訳として同居し、その翌年、岡山におけるソーントンの一ヶ月余に及ぶ大天幕伝道を手伝うために村井も加わった。当時二人の兄弟はメソジスト系の青山学院高等部・人文科・神学本科の学生であったが、ソーントンの霊的な力に満ちた説教を聴いて圧倒された。このことについて一は「自分は伝道者になるつもりで神学を学んでいるが、自分の救いさえも不確かであることを発見した」と語り、「神学では人は救われない」という結論に至った。弟のジュンも同様であったようで、信仰の葛藤 (想像するに、青山学院で学ぶリベラルな神学と、内から燃え上がるような霊的信仰を求める心との板ばさみになったのではないかと思われる) に悩んだ末、一時は自殺まで考えたほどであった。しかし、村井はそのような煩悶の中、1918(大正7)年9月8日、岡山県児島湾の蒸気船上で突然に異言を伴う聖霊のバプスマを受けた。

この時の様子が、愛媛イエス之御霊教会のメールマガジン(2001年9月9日号)に掲載されているので紹介する。

第34号  大正7年9月8日
イエス、バプテスマを受けて直ちに水より上がり給ひしとき、
視よ、天ひらけ、神の御霊の、鳩のごとく降りて
己が上にきたるを見給ふ。また天より声あり、
曰く『これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり』
(マタイ伝3章16〜17節)

『すてよ!』
天からのみ声
『ハイ!』
たちまち肩からドッと重たいものが落ちて 口をついて出た・・・『ギリシタン・マーリア』
それから止めども無く言葉にならない声が溢れ出てくる
産声をあげた嬰児のように・・・

平安なんぢらに在れ・・・
聖霊を受けよ・・・
(ヨハネ伝20章21〜22節)

舳先に祈るこの青年の名は 村井ジュン
これが日本で初めて、 主の約束の聖霊・異言の伴う聖霊降臨のようすであった
同船していたのは、いとこの三好誠(まこと)さんとミセス・テーラー
時は大正7年(1918年)9月8日午後6時
児島湾、下津井から岡山に向かう小蒸気船の上
今にも沈まんとする夕陽に映えて金波・銀波がおどっていた

今生に別れを告げ、身を海に投げようと決意していたとは 思えないほど、いまや彼の顔に感激の涙が溢れる
すでにあの陰うつな影は消え失せ、喜びに照り輝いていた 
「ジュンさん、あなたの顔は・・・」
岡山教会に戻ると宣教師であるソントン先生が驚きの声をあげた  
すでに神のみ手が触れて「新しき人」となった彼を見て よろこび迎えたという 


ここで村井と同船していたミセス・テーラーは、もともと日本伝道隊の宣教師として1905(明治38)年に来日したが、その後ペンテコステの信仰を持ち、ペンテコステ派最初の宣教師として1911(明治44)年に再来日したテーラー夫妻の夫人のことである。村井兄弟の従姉妹である三好誠が伝道師としてテーラー夫妻の宣教活動を手伝っており、この三好誠に導かれて村井兄弟はソーントンの集会に出るようになった。 テーラー夫妻は宣教活動においてソーントンと深い協力関係を持ち、1918(大正7)年にソーントンが行った岡山での天幕伝道を引き継いだのもテーラー夫人であった。  

この日の前日(9月7日)、村井は青山学院の夏休みを終えて長崎から東京に戻る途中、岡山に立ち寄り、従姉妹の三好誠を訪ねる(余談ではあるが、この時、村井が三好を訪ねて岡山の教会にやってきた時に、玄関で応対したのが兵庫県出身の横田スワだった。二人は翌1919(大正8)年3月5日に結婚する)。三好はペンテコステ派の宣教師テーラー夫妻の下で伝道師をしていたが、村井は1913(大正2年)に長崎においてこのテーラー夫妻に会っている。推測するに村井は信仰の葛藤で苦しみながら、このまま東京の青山学院神学部に戻るべきか迷っており、以前に会ったテーラー夫妻のペンテコステ信仰に惹かれるものがあってテーラー宣教師(および三好誠)を訪ねたのではないだろうか。そして村井の信仰上の悩みを聞いたテーラー夫人と三好誠は村井に聖霊のバプテスマを受けるように勧めたのではないか。そして翌日、村井はテーラー夫人と三好誠と共に乗船していた児島湾の蒸気船上で異言を伴う聖霊のバプテスマを受けるのである。以上のような経緯を踏まえて考えると、村井がこの蒸気船上で異言を伴う聖霊のバプテスマを受けたのは、船上で二人の女性伝道者が村井を囲んで異言を語るための何かしらのアプローチをしたことが想像される。例えば、信仰の葛藤に悩んで今しも船上から身を投げて自殺しようとした村井に、テーラー夫人と三好の二人が、「聖霊を求めて祈れ。ハレルヤハレルヤハレルヤと唱え続けよ」と言いながら、村井の頭に手を置いて二人で異言で祈り続け、そのような雰囲気の中で、村井は異言を語ったのではないかと私は推測する。

ちなみにレオナード・W・クートがペンテコステの信仰を持つきっかけになったのもテーラー夫妻の影響が強かったようである。クートが初めて異言を語ったのも、テーラー夫妻の自宅で行われた聖霊待望会に於いてであったことがクートの自伝『不可能は挑戦となる』に記されている(当時、ソーントンやテーラーは、自宅でしばしばこのような家庭集会を開いていた)。また、ソーントン自身もペンテコステ派の影響を少なからず受けていたようで、毎週の説教の中で「聖霊のバプテスマを受けよ」と語っていたことが、同じく『不可能は挑戦となる』の中に記されている。ソーントンとテーラー夫妻は深い協力関係にあり、これらのことから考えると、ソーントンはいわゆる聖潔派の宣教師ではあったが、その信仰及び人脈には多分にペンテコステ派の影響が強くあったと思われる。

村井は、この蒸気船上の聖霊体験こそが真のキリスト教であるという確信と喜びを得て信仰的に新生し、青山学院を中退してソーントンの下で伝道活動に専念するようになる。ソーントンは1913(大正2)年から、イギリス国教会の宣教師B・F・バックストンと伝道面で協力関係を結び、バックストンの創立した日本伝道隊の神学校「神戸聖書学校」の教師として働くと同時に、超教派の伝道師として広範囲に活躍していた。その後1918(大正7)年に日本伝道隊を辞任して新しい伝道ビジョンを始めたソーントンは丹波一帯に渡って伝道活動を始め、また1922(大正11)年、柏原に「日本自立聖書義塾」を開設して独立自給の信仰リーダーの育成を始めた。この学校は「聖書研究」「労働」「伝道」を三本柱としており、神学生たちはこの理念に基づいた教育を施された。早朝から昼までの聖書講義、午後は夕方まで労働(ピーナツバター製造はこの賜物である)、夜は伝道という生活により学生たちは生きた神学教育をソーントンから受けた。(ただし、村井自身は、ピーナツバターの製造については非信仰的なアルバイトと考えて、これに参与しなかったと述べている。)一とジュンの兄弟もこの学校の教師として活躍し、ジュンは伝道部長として、路傍伝道においてソーントンに代わって陣頭指揮をとるという重責も任されるほどの信頼を得ていた。ちなみにこの日本自立聖書義塾は、1926(大正15)年のソーントンの帰米後、日本伝道隊の神戸聖書学校の御影聖書学舎に合流して、現在の関西聖書神学校の源流のひとつとなった。 

さて村井は最初、大正7年9月8日の岡山県児島湾の蒸気船上での聖霊体験を、あくまでも個人的な体験と考えていたようであるが、日本聖書教会の牧師であった長島ツル(1906〜1993)に出会い、異言体験の意味を教えられる。そして1933(昭和8)年、長島に招かれ、日本伝道隊を離脱して、長島が代務をつとめていた日本聖書教会の西巣鴨宮仲教会の牧師に就任した。同年7月23日の同教会の集会中にリバイバルが起こり、参加していた人々は口々に異言を発し、我を忘れて歌い踊ったという。この出来事によって村井は霊的指導者としてのカリスマ性が認められて教団内での地位を高めてゆき、最後は日本聖書教会の監督の地位まで登りつめる(当時の同教団内には、村井の率いる流れと、弓山喜代馬(1900〜2001)の率いる流れの二つがあった。弓山は東京滝野川の神召教会を拠点としており、この弓山の流れが現在の日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に続いている。弓山はバランスのとれた堅実な三位一体の信仰・神学を有しており、現在の日本アッセンブリー教団の基礎を築き、育てた功労者として高い評価を受けている)。ちなみにイエス之御霊教会では、昭和8年7月23日の宮仲教会における聖霊降臨リバイバルの出来事が教団の実質的な始まりと考えているようである。 

この7月23日のリバイバルの様子が、昭和14年8月1日発行の『聖霊』誌に載っているので紹介する。  

 懐かしの7月23日!!我らにとりては、種々な意味に於いて記念すべき日だ。満6年前の即ち昭和8年7月23日の日曜夜の事であるが、午後10時、俄然、聖霊は当教会に臨み給いて、全会衆を覆い給うた。輝ける主の臨在、透き通れる主の臨在、誰かよくその日の光景を叙述し得ようぞ。霊気は堂内に漂うて、皆聖霊に酔わされている。聖霊の御支配の中に、夢路を辿るが如き思いの中に、或者は俯き、或者は上を仰ぎ、或者は横に倒れ、又或者は感泣し、或者は唯唖然として、いにしえ聖霊降臨の日も斯くやありしならんと思わるる状況を呈していた。
 その中、横江兄が教会を出て行こうとなさる姿を見た私(注:村井)は、講壇を下りて言った。「兄弟、どうしたのですか?」「悪魔の圧迫を感じて祈りが出来ません。」「そうですか。教会で祈れなくて、どうして家で祈れましょう。あなたの奥様は未信者でしょう。勝利を得てお帰りなさい。」と、兄弟を引留めて、下駄箱の前に共に跪き按手すれば、突然、聖霊は兄弟に臨み、兄弟は両手をひろげ、立つかと思えば倒れ、立つかと思えば倒れ等して、半時間余も主の御取扱いを蒙りつつ聖霊に満たされている。側には、大木兄が横たわったまま「ねえ、エス様・・・」と静かに、和やかに対話しておられる。伊藤兄は、うつむいて小声で祈っておられる。阿部兄は酔わされた人のごとく、講壇の前を行きつ戻りつ、手を叩きながら主を讃美しておられる。講壇の近くには、見よ、兄姉方が一群になって猛烈に祈っている。我らは唯、この不思議な主の聖業に驚嘆して、言い尽くせぬ感謝、讃美、歓喜の中に散会した。時は十一時半。  

 (村井ジュン牧師近影)          


 (講壇の村井ジュン牧師)          


(水色の服を着て髭をたくわえた男性がジュンの父、村井競牧師。その隣の人はキリスト教の洗礼を受けた最初の琉球人。首里城の守礼門前で)

 (与論島の海での洗礼式)          


 (洗足式と洗礼式)          


 (東京イエス之御霊教会)          


 (金沢イエス之御霊教会)          


 (八重山イエス之御霊教会)          


 (福岡中央イエス之御霊教会)          


 (道央イエス之御霊教会)          


 (愛媛イエス之御霊教会)          


 (奄美イエス之御霊教会)          


 (沖縄イエス之御霊教会)          


 (単立・上尾イエス之御霊教会)          


 (単立・伊豆イエス之御霊教会)          


 (単立・小樽イエス之御霊教会)          


 (単立・山陽イエス之御霊教会)          


 (単立・浜松イエス之御霊教会)          


 1941(昭和16)年、日本聖書教会の教師5名(村井(監督)、上井(うわい)乙熊、川崎一、太田(名は不詳)、長島ツル)は台湾の真耶蘇教会から招かれて同地を訪問したが、真耶蘇教会はいわゆる「ワンネス (イエスこそが唯一の神であり、洗礼は「イエスの名」によって行うべきだと主張する)」の教義であり、三位一体の教義をとる日本聖書教会とは信仰が相容れない面があった。そのため、一ヶ月の滞在期間中の半ば頃から両者の間に激論が起こり、5名のうちの3名は真耶蘇教会と一線を画すようになるのであるが、村井と上井乙熊の2名は、その教義を受け入れて「イエスの名による洗礼」を受けて帰国する。このことにより村井らの信仰は日本聖書教会の信仰と相容れなくなり、村井はイエス之御霊教会、上井は日本真イエス教会として独立した。この年、日本のプロテスタント教会の大部分は日本基督教団として合同(日本聖書教会は第十部に所属)したが、イエス之御霊教会はそこに加わらず独立を保った。イエス之御霊教会という名称は、独立教団としての認可申請をした際に、折衝のすえ、教団名を変更すればよいとの回答を当局から受けて、昭和16年11月17日に教会会議を開き、その席上、村井の妻スワが天の異象を通して与えられたものだということである。

敗戦後、レオナード・W・クート(ワンネスの教派である国際ユナイテッドペンテコステ教団と関係が深かった)が奈良県の生駒に聖書学院を再開したとき、村井は自分の下に集まっていた献身志願者十数名を神学生としてクートの元に送るが、ほどなくしてクートの信仰と村井の信仰の差(村井は「異言を語らなければ救われない」と主張)が明確になってきて、クートは自分に従わない学生を全て退学させてしまう。そのために村井は、自らが神学教育を行う必要性に迫られて、1952(昭和27)年に2年課程の神学校・日本聖書大学院(教材は聖書と村井の著作だけ)を東京・荻窪の本部教会内に設立する。その後、日本国内はもとより南米を初めとする世界各地に積極的に伝道を進めており、現在はアフリカ伝道に力を入れているようである。1953(昭和28)年6月1日に宗教法人の認可を受けた。

創立当初の頃は、まだ他のペンテコステ派との交流があったようだが、村井が「異言を発しない者は救われていない」と主張したことなどや、三位一体の神観を否定したことなどから、他の教派から批判を受けるようになると(例えば、村井は1962(昭和37)年8月20日に内海教会で行った説教の中で、村井のことを「悪魔の大将」と呼ぶ他教派の人々のことを批判している。また、1955(昭和30)年5月17日の読売新聞に「うるさい気狂イ病院」として投書されている)、次第に他の教派への敵対心を強めてゆき、他教派はもとより、ペンテコステ派内での交わりすらも断絶するようになってゆく。この傾向は、1970(昭和45)年の村井の死去に伴う監督交代以降は更に強くなってゆき、イエス之御霊教会を訪れた者が、既に他教派で洗礼を受けたクリスチャンであった場合でも、「水と霊」によるイエス之御霊教会の洗礼を受け直させられるようなことも発生し、他教会から批判を浴びた。また、少々強引な伝道方法で教勢を拡大していったが(ただし、信徒数の算定基準が不明確なため、キリスト教年鑑収載の日本キリスト教教勢一覧には、参考資料として載せているだけで、プロテスタント全体の合計数には加算していない)、そのような教団のあり方に疑問を持ち、ついていけない教会や牧師が離脱して新たな教団を作ったり(聖イエス教会)、「単立イエス之御霊教会」となるケース(上尾イエス之御霊教会、山陽イエス之御霊教会、伊豆イエス之御霊教会など)もあるようである。

この件について、小樽イエス之御霊教会牧師の木田徳男先生は、「イエス之御霊教会は、教義的には村井ジュン牧師の著された『聖書神学 根本教義』は全教会が共通理解しているが、それ以外の教理は個々の牧師の信仰に任せられており、そのために一部の牧師や教会では少々逸脱気味の教理を振りかざしたり、それに基づく伝道が行われたりする場合がある。そもそも、イエス之御霊教会は、ホーリネス、ペンテコステ、伝道隊、カトリック、救世軍などから改宗した牧師たちの集合体であり、ある意味では合同教会とも言える。世間を騒がしたり、物議をかもしたりするのは、旧教派時代の古い皮袋を引きずっている一部の人達が、教団の中で発言力を持った結果であって、イエス之御霊の全教会に問題があるのではない」と言っています。

※上記の「聖イエス教会」は大槻武二が設立した「聖イエス会」とは別の教団である。名前が似ていて間違いやすいので注意が必要・・・


聖イエス教会がイエス之御霊教会を離脱した時の事情が、同教団発行の本に載ってるので紹介する。

「この第三の教会堂が出来上がった時(注:昭和43年12月)に、どうしても教団(注:イエス之御霊教会教団のこと)の名を入れた看板を掲げる気持ちが起きなかったのです。それは、その教団は死者の為の身代り洗礼と、土曜安息日礼拝を教理に取り入れたからです。それまでは、各教会の牧師の信仰によって、行っても行わなくても自由であったのですが、教団の教理に入れられたとしますと、これは大変なことです。という事は、信仰の無い異教徒の死者でも、身代りの洗礼を受ければ、直ぐに天国に入れるというのです。そればかりか、先祖代々の霊も、身代りの洗礼を受ければ、全部天国に入れるというのですから驚いてしまいます。その上、土曜安息日礼拝を行わない者は、全部神に呪われるという事を言い出しましたのですから、更に驚いてしまいました。昭和45年1月10日、遂に、その教団から離脱いたしまして、宗教法人聖イエス教会という看板を掲げる事ができました。」抜粋:『神の働き給う奇跡の教会』「教会の生い立ち」国分清牧師 昭和59年3月25日 聖イエス教会出版部発行


下記のホームページに、山陽イエス之御霊教会が教団を離脱して単立になるまでの経緯が書かれている。
Icon 単立宗教法人山陽イエス之御霊教会  

また、ここにはイエス之御霊教会についてのQ&Aコーナーがあり、非常に参考になる。
Icon よくある質問コーナー


イエス之御霊教会について外部から中をうかがい知ることは非常に難しいが、そのような中にあって、愛媛イエス之御霊教会のホームページは比較的オープンに教会のことを紹介している。またメールマガジン「わたしのイエスさま」も発行していて、申し込むと定期的に配信してくれる。ホームページやメールマガジンを見たり読んだりする限りでは、普通の教会とそれほど変わらない印象さえ受ける。これは、この多分にこの教会の牧師の人柄だと思う。現在の世界宣教の様子や、聖書研究、また、初代監督の村井ジュン牧師の著作の一部などを読むことがでるので非常に貴重なホームページである。ただ、残念なことに、「この牧師さんなら」と思い村井ジュンが発行していた雑誌『聖霊』の復刻版が入手できないでしょうか、とメールをお送りさせていただいたが、返事は「我が教団が主から託されている使命の大きさに鑑みて、外部の人に安易に公表することはできない」とのことだった。
※愛媛イエス之御霊教会のHPがリニューアルオープンしました。
Icon ハレルヤ!ようこそ


村井ジュン主筆の雑誌『聖霊』に、受霊についての村井の考えが非常に分かりやすく書いてある記事を発見したので、以下に掲載する。


「求霊者とのある日の問答」村井ジュン著


村井「兄弟、よくお出で下さいました。さあ、どうぞお上がり下さい」

求霊者「先日は聖霊誌ありがとうございました」

村井「いいえ、どう致しまして。お読みになりました?」

求霊者「ええ、素晴らしい経験談が載っていますね。泣いたの、笑ったの、倒されたの、光を見たの、幻を見たのと、如何にも見神の光景ですね。『キリスト教もここまで現実の神の力が現れねば嘘だ』とつくづく感じました。一体、受霊とか、異言とかありますが、どんな事ですか。実はそれを伺いたいと存じて、参上致しました」

村井「ああそうですか。受霊とは読んで字の如く、霊を受ける事です」

求霊者「霊を受けると申しますと・・・」

村井「神の霊、即ち聖霊をです。主イエス様が、ご在世当時、御弟子たちに『自分は、万民の身代りとなって十字架に架かるが、三日目に甦えり昇天して聖父の許にゆく。然し憂うる事はない。他に助け主、即ち聖霊を遣わす』と仰せられたが、その聖霊が、主を信ずる者に与えらるるのです。この聖霊を戴く事を『受霊』と言い、又『聖霊のバプテスマ』とも言うのです」

求霊者「まあ、そういう事があるのですか。ちっとも知りませんでした」

村井「そうですか。使徒行伝を見てごらんなさい。之は、弟子たちの伝道日記とも、又、教会史とも言うべきものですが、主が、御昇天前になされた『エルサレムを離れずして、我より聞きし父の約束を待て。ヨハネは水にてバプテスマを施ししが、汝らは日ならずして聖霊にてバプテスマを施されん』(1章4〜5節)との御命令を鶴首(かくしゅ)して、聖霊を待望していた百二十人の弟子たちの上に俄然、聖霊の大降臨のあった記事が第2章に録されてあります。第8章を見ますと、ピリポの伝道の結果、多くの男女が主を信じて、バプテスマを受けたが、エルサレムの使徒団は『これ主イエスの名によりてバプテスマを受けしのみにて、聖霊いまだ其の一人だに降らざりしなり』よって、ペテロとヨハネを派遣した。彼らが祷告し按手した時に聖霊は降っています。10章を見ますと異邦人の軍人コルネリオ家に於ける聖会の席上で、ペテロの説教中、聖霊が降った事が録してあります。最後に19章を見てごらんなさい。エペソに到着したパウロは、弟子たちに逢うや否や『なんじら信者になりし時、聖霊を受けしか』と質問しているが、丁度、愛兄や現代の信者方のように『いな我らは聖霊の有ることすら聞かず』と答えています」

求霊者「いやこれは恐れ入ります」

村井「然し、彼らは正直でしたよ。『されば何によりてバプテスマを受けしか』と問われて『ヨハネのバプテスマなり』と答うれば、その誤謬を諭されて、直ちに主イエスの聖名による洗礼を受け直しをしている。我らもそこまで真実でなければなりませんね。どうです。パウロが按手した時『聖霊その上に臨みたれば、彼ら異言を語り、かつ預言せり』とあって、聖霊は降臨し給うたのですよ。今でこそ聖霊降臨と言えば、人は珍しく思いますが、初代にあっては聖霊を受けるという事は普通であって、ペテロがペンテコステの日に、群がる民衆に向かって『なんじら悔い改めて、おのおの罪の赦しを得んために、イエス・キリストの名によりてバプテスマを受けよ。然らば聖霊の賜物を受けん』(2章38節)と申したように、改心して洗礼を受ければ、当然聖霊は授けられるののでありました。又エペソ書1章13節に『汝等もキリストに在りて真の言、すなわち汝等の救いの福音をきき、彼を信じて約束の聖霊にて印せられたり』とあって、主を信ずれば神様の方から、救ってやったと言う保証に、聖霊を賜わったものですよ」

求霊者「ああ、そうですか。昔はそうであったでしょうが、今はどうでしょうか。基督教界の偉い人達でも、聖霊を戴かれたという事は、滅多に聴かないですが」

村井「そういう人達が聖霊を受けないからと言って、神の約束や真理が変るはずのものではありません。『天地は廃れん。然れど我が言は廃れじ』彼等が受けないのには、幾多の理由があります。が、それを今、あなたが詮議なさる必要はありますまい。あなたも初代の人達のように、受霊なさりたくはないですか。受霊致せば、霊界の一切の不可解が自づと氷解されて行くものです。受霊前と受霊後の思想も、考えも、祈りもみな変るものですから、受霊前に、あれこれと、いたらぬ事に心を労するのは愚かな事です。先決問題は、先ず受霊する事です。其の他の事は、後でお考えになっても遅くはありません」

求霊者「今でも聖霊は降るでしょうか」

村井「降りますとも。今は末の世ですよ。聖書には、この末の時代に於ける聖霊の大降臨の預言があります。それを『後の雨』と言いますが、刮目して世界を眺めてご覧なさい。千九百年以降、聖霊は世界の此処其処に初代教会にありし様に降り給い、恰も使徒時代の再現かの如き観を呈しています。隣国支那では、受霊した兄姉が既に五万人以上もあります。私は二十一年前の大正7年9月8日午後6時、岡山県下の児島湾通過の小蒸気船上で受霊致しました。私がこの聖霊運動の為に奮起しています訳は、昭和8年7月23日の聖日の夜、俄然聖霊が当教会に降り給うて以来、求むる人は如何なる人であれ、皆与えられて、聖書そのままの事が実現してきたからです。数百名以上の兄姉が受霊しています」

求霊者「ああそうですか。私のような薄信の者でも受けられますでしょうか」

村井「勿論受けられますよ。信仰経験の短い人や、初心者ほど、単純に信じますから、早く戴きます」

求霊者「いいえ、私のような平信者でも受けられるのでしょうか」

村井「そうです。使徒行伝の第2章を開いてご覧なさい。使徒ペテロはペンテコステの日の聖霊降臨を、之は預言者ヨエルが預言した事であるとして、ヨエル書第2章から引照して説教を始めていますが、17節に『神言い給わく、世の末に至りて、我が霊を凡ての人に注がん』とあり、『凡ての人に』との言葉に注意して下さい。18節には『その世に至りて、我が僕(しもべ)、火はしためにわが霊を注がん』とあり、39節には『この約束は、汝らと汝らの子らと、凡ての遠き者、即ち主なる我らの神の召し給う者とに属(つ)くなり』とある通り、之はあなたに対する神の御約束ですよ」

求霊者「そうですか、そんな約束があろうとは存じませんでした。が一体、聖霊を受ければ、どんな効果があるのですか」

村井「御利益ですか。あなたも近代人ですね。御利益といえば沢山ありますよ。先ず失礼ですが、兄弟が救われているとおっしゃったところが、それは独り決めではないでしょうか。其処に疑惑が生ずると、信仰がぐらついて来ますよ。然し、聖霊を戴くと、救いの保証として御霊を賜わった、とある通り、神様が救ってやったという保証を下さっているのですから、救いに対してはどんな事があっても心の動揺はありませんね。
信仰にしても同様ですよ。聖霊の経験を持ちますと、神に触れるのですから、現実に神に支配されるのですから、そこに信仰の確かさがありますね。信ずるという概念的な信仰が、信じせしめらるるのですよ。私が何時も驚いて居ります事は、受霊と同時に、誰しも『イエスは主なり、神なり』と主様の聖前に拝跪する事です。それだけでも有難いものです。
兄弟は、主の御再臨を信じていらっしゃいますか。受霊した者は、いつ携挙があっても、それに与かり得る保証として、御霊を賜っているのですから、心は至極のんびりですよ。のんびりと言えば『主の御霊のある処には自由あり』本当に心は自由です。あくせくしませんね。聖霊でも戴きませんと、真面目な信者は、みな神経衰弱にならざるを得ませんよ。兄弟はどうですかね。
今の時代は、一切が混沌として、皆迷っています。然し『彼すなわち真理の御霊きたらん時、汝らを導きて真理をことごとく悟らしめん』『聖霊は、汝らに万の事を教え』とありますから、感謝ですよ。かのイスラエル民族が荒野にある時、昼は雲の柱、夜は火の柱が、彼らの道案内者であったように、ご内住の御聖霊様は、我らの生涯の尊師(みちびきて)となって、時には慰め、時には励まし、また教えなどして優しくお導き下さいます。
こんな有難いことが他にありましょうか。それのみではありません。我らの衷(うち)から、主ご自身が我らの智慧と義と聖と救済(すくい)とになり給いて、我らの全生涯を全うして下さいます。数えればかぞえきれませんね。
『何ものも奪う事の出来ぬ平安』(ヨハネ伝15章27節)、『喜悦』(ヨハネ伝16章22節)、『能力』ルカ伝24章49節、使徒行伝1章8節)、『霊能』(コリント前書2章12節)、『聡明』(イザヤ書11章2節、コリント前書2章15節)、『大胆』(テモテ後書1章7節)、『健康』(ロマ書8章11節)、『聖霊の結ぶ果』(ガラテヤ書5章22節)、『受霊後に戴く数々の御霊の賜物』(コリント前書12章)。
いくらでも御利益はありますよ。それから『生命の氾濫』(ヨハネ伝7章38節)、『霊の祈り』『霊の歌』(コリント前書14章14〜15節)。
然し兄弟、御利益を目当てにしては、動機が不純ですね。真の信者と言うものは、唯これ神の命に従うものですよ。主が御生命までも棄てて与え給うこの聖霊を『受けよ』とお命じになさるから、お受けするのですよ。然し、いま之を本質的に考えてみますと、受霊するとせざるは現世の問題のみならず、キリスト者の永遠の運命に関する重大問題です。キリストのご降臨の最大なる目的の一つは、教会の建政であります。此の教会というのは、宗派や教団の事ではなく、過去・現在・未来を貫く、キリストの体なる教会を意味します。信者はみな一つ御霊にてバブテスマを受ける事によって、キリストと一体となるのです。キリストの十字架のお救いも、ここに至って感性するものです。『キリストの御霊なき者はキリストに属する者にあらず』とは此の事です。真に人が主の者となる第一歩です。話が議論めいてまいりますから、今日は余り難しく言うのはよしましょう。
聖霊の事のみは、受けて見ないと判らないですから。まあ兄弟も聖霊を受けて、霊の世界に生まれ出づるのですね。霊に属する者となる事です。主が『聖霊を受けよ』とおっしゃるのですから、単純に、今日求めて、今日戴いたらどうでしょう」

求霊者「いやどうもありがとうございます。が、何ですかまあ、御利益は別にして、聖霊を戴くと、どんな現象があるのでしょう。」

村井「それは、お知りになりたい事でしょうから、是非お話しましょう。誰でも神様に近づくと、種々の霊感や異象を見るものです。が、それは聖霊のバブテスマとは違います。聖書を見ますと、聖霊の臨みたまう処には『彼らみな聖霊にて満たされ、御霊の宣べしむるままに異邦の言にて語りはじむ』(使徒行伝2章4節)と、必ず異言をもって語らしめられ、『ペテロと共に来たりし割礼ある信者は、異邦人にも聖霊のそそがれしに驚けり。そは彼らが異言をかたり、神を崇むるを聞きたるに因る』(使徒行伝10章45〜46節)とありますように、異言を語る事によって、聖霊のバブテスマが証明されました。
この事は今も昔も同様です。聖霊を賜わった当人は、予期しない異言を語るように余儀なくされる事によって、争えない証拠が与えられたのです。この異言を語るという現象は、聖霊が人の全霊、全心、全身を全く占領なし給うて、彼の舌を用い、超自然的に語り出で給うことです。もっと判りやすく言えば、衷(うち)に宿り給いし御霊が、彼の舌と口を用いて語りたまう事です。之が、御霊が衷に宿り拾うた外部的証明と言いましょうか、徴といいましょうか‥・受霊の場合は、主の御取り扱いは千種万様、各人相共にその経験は異なりますが、異言を語らしめらるると音う聖業は、みな等しく同じです。之によって、私共に聖書通りに、使徒たちや初代の信者たちの戴いた同じ霊を、また他の人達の戴いたのと同じ御霊をいただいたと、確認せしめらるるのです。
この異言を語ることに就いては、イザヤ書28章11〜12節に『このゆえに、神あだし唇と異なる舌とをもて、この民にかたりたまわん。さきに彼らに言い給いけるは、此は安息なり、疲困者(つかれたるもの)にやすみを与えよ、此は安慰(なぐさめ)なりと』ありますように、信者は御霊を受け、御霊が衷(うち)から異言をもって語りたまう時にはじめて霊に休息が来るものです。此処まで来なければ、霊感や異象やその他の神の聖業と、受霊すなわ聖霊のバプテスマとの区別が全然つきませんね。

求霊者「ああよく判りました。異言を語る時は、その意味が判りますか」

村井「いいえ、それはコリント前書14章2節に『異言は人に語るにあらす、神に語るなり、そは奥義を語るなれど、誰も悟るあたわず』とありますように、自他相共に了解し得ない言葉ですが、釈(やく)すれば意味のある言葉です」

求霊者「ああそうですか。祈って戴きたいですが、どういう風に求めたらいいでしょう」

村井「難しく考えないで下さい。『すべて求むる者は得』『汝ら悪しき者ながら、善き賜物をその子らに与うるを知る。まして天の父は求むる者に聖霊を賜わざらんや』
神の御約束を信じ、心から活ける主様を見上げて、主にお迫りなさる。唯それだけです。 外部的な熱心でなく。問題は唯こころです。決勝点に飛び込む思いで、主にお迫りなさい。後は主が、よしなに、愛兄には愛兄の如く、お取り扱い下さいますから、唯一切を主にお任せして、得るまで求め、得るまで主を崇め続けて待望なさい。主も又、御宝血の故に迫って下さいます」

求霊者「もし今日戴けなかったらどうしましょう」

村井「そんな事、御心配なさる必要はありませんよ。与えたまう時期は主のご権限内です。約束し給いし主は真実なり。求めた以上は必ず、今日か明日かそれは判りませんが、必ず与えて下さることに間違いはありません。でも、信仰はいつでも『今』ですから、『今』戴けると信じて、迫ることが肝要です。ここで戴けませんならば或いはお宅で、或いは事務室で戴くかも知れません。要はただ、何時でも、何処でも、絶えず心が主に向き、主に迫っている事です。
最後に、ご参考にと思いますから、此の日曜日(5月28日)に、御受霊なさった御夫妻のお話をして、ご一緒に祈りましょう。
二十五日の午後、鎌田の坂本姉から『待望会を致したいから』との速達を戴きましたので、次の日の午後、お訪ね致しました。受霊希望者はお隣りの柏倉夫妻。その夜の十時半頃まで、私ども五人が祈りましたが、御霊は降り給わず、何かそこに神様のご計画があるように感じられましたので、失望なさらぬように申し上げてお別れしました。」

求霊者「その方はもう古い信者でいらっしゃいますか」

村井「いいえ、お隣の坂本奥様から、イエス様を信じて聖霊を戴けば、本当に安心があると聴かされ、之が動機となり、遂に先ごろ入信なされたのです。この奥様とご一緒に、ご夫妻が二十八日の日曜日、教会にお見えになりましたので、礼拝後、有志の信者方と共に、講壇の前で待望いたしました。一時半頃奥様に按手すると、神の霊が姉妹に臨まれたかと感じた瞬間、後ろに倒れ、聖霊を受けて異言を語り始めました。暫くして起こしましたが、全く力が抜けたように、又うしろに倒れそうでしたが、主に一切をお任せした状態で静かに祈って居られます。兄弟はその中、片手で目を押さえたまま、長い間、横に倒れて居られましたが、一向に聖霊が戴けませんので、三時すぎひとまず祈祷会を閉じて、茶菓を頂きながら一休みいたしました。
兄弟の曰く「私は聖霊が戴けるでしょうか」
「確信がありますか。いただける信仰がありましたら、なお祈りましょう」
兄弟は、倒れている時に、急に暗闇が襲い、また其の中に光りが射してくる。それで今か、今かと受霊を待っていられたそうですが、戴けなかったとの事。祷告の兄姉がたはそれぞれ帰宅され、後には、杉浦姉と私と御夫妻と唯四人。五時ごろまた祈りだした。
透き通れる臨在!!丁度五時半、主の霊が強く兄弟を覆い給うように感じられた。
兄弟は聖霊を賜わったのです。異言は、一句一句吐き出すが如く流れ出てくる。暫くして、兄弟は両手を三回挙げて神に感謝を捧げられ、講壇を呆然と眺めて深い呼吸をしていられる。『兄弟、感謝でしたね、讃美致しましょう』と讃美歌を兄弟の手に置くと、『先生、まだ舌が電気に撃たれたようになっています』『ああそうですか。では祈りましょう』
兄弟の手は微かに振動している。異言の祈りは吐き出すが如く、一句、一句、溢れ出てくる。十分ほど経て、又深い息をしつつ呆然と講壇を見つめていらるる。『先生ありがとうございました。神様は、今まで遠い彼方にいらっしゃるように感じましたが、今は私の衷(うち)にいらっしゃいます。ハアと息をしますと、異言が玉のようにコロコロと出てきます。ありがとうございました』

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
我らの会話は斯くして終った。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

聖霊待望中の兄弟よ!!姉妹よ!! 求めて与えられない場合は、直ぐに種々の事が考えさせられます。而して、それをもって反省する事もいいでしょうが、然し神に逢うまでは、十年待つも一日待つも、同じ事で、受霊してみると長く待つ必要がなかった事が判ります。否、聖霊が臨み給う時には、一切の思いが、考えが粉砕せられて『ああ、唯主の御憐れみによって、御霊を戴いた』と判るものです。自らに失望する事は幸いですが、神に失望しないで下さい。ただ主の御血を崇めて、感謝しつつ主に迫って下さい。其処に、また真の渇きが与えられ、主の御約束が実現します。

『人もし渇かば、我に来たりて飲め。我を信ずる者は、聖書に云へるごとく、その腹より活ける水、川となりて流れ出づべし』これは彼を信する者の受けんとする御霊を指して言い給いしなり(ヨハネ伝7章37〜39節)

『聖霊』誌 第49号 昭和14年7月1日発行 より



 この教団の特徴は次のとおり。 
(1)聖書絶対主義(すべては聖書にあって神学なしという立場)
(2)イエス之御霊教会は、初代教会の復興した唯一の真のキリスト教である。
(3)イエス・キリストが唯一の神であり、父なる神と聖霊はイエスの中にあるというペンテコステ派の一部に特有のワンネス神観。キリスト教界で一般的な三位一体論をとらず、父・子・聖霊なる神は、唯一の神であるイエスが様態に応じて現れた姿であるというサベリウス的様態論をとる。
(4)人が救われるのは「水と霊」のバプテスマによる。霊のバプテスマの証拠は異言を語ることである。水のバプテスマ(洗礼)は、「父・子・聖霊の御名」ではなく「イエス・キリストの御名」により授ける。マタイ福音書28章にある「父・子・聖霊の御名によって洗礼を授けよ」という命令の「父・子・聖霊」とは、真の神であるイエス・キリストの「職名」「代名詞」であって、「父・子・聖霊」なる神の「名」は「イエス・キリスト」であるので、「イエス・キリストの御名」により授ける洗礼が正しい洗礼である、とする。
(5)病気の癒しと奇跡の強調。講壇には必ず「オリーブ油」が備えてあり、礼拝の中で、オリーブ油を頭に塗って、病の癒しを祈る。
(6)正しい安息日は土曜日である。(普通のキリスト教では日曜日)
(7)死者の救いのための身代わり洗礼を行う。
(8)再臨の日に信者は身体の栄化とともに携挙され、千年王国の祭司となる。
(9)聖礼典は、洗礼、洗足、聖餐の三つ。(普通のプロテスタントは洗礼と聖餐の二つ) 
(10)讃美には、教団が神から直接啓示されたという独自の「霊讃歌」を使用する。
※この「霊讃歌」は、初期の信者である鶴原玉(つるはら たま)が天の啓示により授かった166編の讃美歌を編集したものである。天の直接啓示によるものなので、内容の変更は一切禁じられている。
(11)教会政治は監督政治。二代目監督は村井スワ(村井ジュンの妻)、三代目監督は村井美都子(村井ジュンの娘)、2000年1月26日、村井美都子の死去に伴い、村井純基(村井ジュンの息子)が四代目監督に就任したが、2006年8月5日に死去。現在の監督(第五代目)は村井家の血筋から離れて、千葉県の牧師(氏名は未確認)が就任。
(12)最近、死者のための身代り聖餐という新しい教理が加わったが、これは聖書的な根拠の乏しさから、教団の中でも一部に疑問の声があるようである。


開祖・村井ジュン牧師の著作は、下記のページで読むことができます。(注)リンク先の、イエス之御霊愛媛教会のHPのリニューアルに伴い、下記著作のページが消えてしまったため、急遽、私のところで村井ジュン著作のページを作成中です。近日中に完成したいと思いますので、今しばらくお待ちください。現在、下記4つの著作を読むことができます)
「神の保証は如何?」

「イエスの御名を昂揚せよ」

「基督者よ 聖霊経験を明白にせよ」

「世々の経綸」

Icon パウロに啓示された『七つの奥義』
Icon 唯主を仰ぎて
Icon 幕屋の研究
Icon 預言者は斯く叫ぶ
Icon 詩篇講義
Icon クリスマスを囲繞(めぐ)りて


同じホームページに、イエス之御霊教会の教義を漢文で記した、木村修三郎牧師の「水輿霊福音(すいよれいふくいん)」という文章が載っています。
Icon 水輿霊福音



(特報)すごいHPを発見しました。イエス之御霊教会の教義を詳しく紹介しているHPです。作者の方の自己紹介はありませんが、西脇先生というイエス之御霊教会のベテランの牧師のようです。これまで外部からはなかなか伺い知ることのできなかったイエス之御霊教会の教義について知ることができます。 Icon 真の福音


イエス之御霊教会は真耶蘇教会の影響を強く受けているので、教義の多くは真耶蘇教会の教義と共通しています(例えば、ワンネス神観、土曜安息日、異言を語ることをもって受霊の徴とすること、洗足式を聖礼典に取り入れていることなど)。しかし、死者のための身代り洗礼だけはイエス之御霊教会に特有の教義であり、非常に興味深いものがあります。この教義について、次のHPに興味深い解説と見解が載っていますので参考にして下さい。これは、甲南女子大学名誉教授の私市元宏先生が主催する「コイノニア」ホームページの中の、質疑応答コーナーに載っているものです。
Icon 身代り洗礼について



(追補)
イエス之御霊教会の終末論は、保守的キリスト教によく見られる「千年期前再臨説」である。これがアメリカの牧師C・I・スコフィールド(1843〜1921)が主張した天啓史観(ディスペンセーション主義)と結びついて、次のような終末論を展開する(この終末論の基本的枠組みはイエス之御霊教会独自のものではなく、保守的福音派、ペンテコステ派、再臨派の教派によく見られるものであることに注意されたい)
アダムとエバによる人類の堕罪からイエス・キリスト誕生までの期間は4千年である。イエスの十字架により人間は神との和解が成立し、聖霊降臨(ペンテコステ)の出来事以降の時代は2千年続く「教会時代」となる。この時代において、神はさまざまな奇蹟や異言の徴(しるし)をもって救いの証(ただし、この徴の意味を本当に理解し、実践していくのはイエス之御霊教会だけである)とされる。この教会時代を通して異邦人に救いが宣べ伝えられ、その数が神の定められた定数に達したときにイエス・キリストは空中に再臨する。その時、真のキリスト教徒(すなわちイエス之御霊教会に属する者)だけが空中に引き上げられ(これを「携挙」と呼ぶ)、地上で始まる7年間の大艱難を避けることができる。地上でサタンが解放たれて大きな災難がもたらされる「大艱難時代」が終わると、サタンは地獄に投げ込まれ、イエス・キリストは救われたイエス之御霊の信者と共に地上に降り立ち、キリストが統治する「千年王国」が始まる。この千年王国時代に、イエス之御霊の信者は祭司としてイエス・キリストと共に世界を統治する。アダムからイエス・キリストまでの4千年、教会時代の2千年、そして千年王国の1千年という計7千年がこの世界の歴史である。千年王国時代の最後にしばらくの間、再びサタンが解放されるが、神とサタンの最終戦争すなわち「ハルマゲドンの戦い」で神の軍が完全勝利し、サタンは滅ぼされる。そして最後の審判が行われて、人類は「永遠に神と共に生きる者」すなわちイエス之御霊教会の信者と、永遠の刑罰に処されて火の池に投じられる者、すなわちイエス之御霊教会以外の者、に分けられる。そして、古い天地は破壊され、新天新地である永遠のパラダイスが代わって地上に降り、イエス之御霊教会の信者はイエス・キリストと共に永遠にそこに住む。


(追補2)
 私は15年ほど前に、東京の荻窪にある本部教会(東京イエス之御霊教会)の土曜安息日礼拝に出席したことがあります。住宅/商店街のどまん中にある瀟洒な建物のドアを開けて、一歩中に踏み込んだとたん、奥の礼拝堂の中から聞こえてくる「ウォ〜〜!!!」という異言の渦に圧倒されました。広い礼拝堂の中には数百名の信者が集まり、礼拝前のひと時、それぞれが「ハレルヤハレルヤ」「ラベラベラベラベラベラベラ」等、声の限りに異言で祈り、それらの声が一体となって、会堂全体が「ウォォォォーーーーン」と共鳴し、一種迫力のある雰囲気に包まれていました。ペンテコステ派の礼拝に慣れていない人には、ものすごいカルチャー・ショックだろうと思います。しかし、今回、ちょっとしたきっかけで静岡と小樽のイエス之御霊教会の牧師先生たちの知遇を得て、いろいろな資料をいただいたり、興味深いお話を伺う機会に恵まれ、イエス之御霊静岡教会の土曜日の安息日礼拝に出席させていただきましたが、非常に暖かく迎えていただき、色々なお話を伺い、共に祈り讃美をする中で、教派を越えた交わりを持たせていただき、大変感動いたしました。中には興味半分や、批判的な目的で教会を訪れる人もあるようなのですが、心から相手に敬意を持って接すれば、お互いに理解し合うことができるのだなあと、改めて教えられました。  


(追補3)
私の体験記を読んだある人からメールをもらいました。その人(仮にA氏とします)は、荻窪駅前で伝道をしていた信者に勧誘されて、東京イエス之御霊教会に行ったそうです。そこでA氏は、牧師の説得を振り切ることができず、とうとう洗礼を受けてしまったそうです。本人の了解を得た上で、そのときの様子を紹介いたします。 まず牧師(女性)は「救われるためには水と霊の洗礼を受けなくてはならない」という話をし、その場(会堂の中)で一緒に異言の祈りをしましょう、と言ったそうです。A氏が「自分は異言で祈ったことはないので祈れない」と言うと、「とにかくハレルヤハレルヤハレルヤと唱えなさい。途中で舌が回らなくなっても直そうとせず、そのまま続けなさい」とのアドバイス。A氏は素直に「ハレルヤハレルヤハレルヤハレルヤ・・・・」と一生懸命に唱えたそうです。すると、途中で舌はもつれてきましたが、それに構わずハレルヤを続けると、「ハレルヤハエユヤハヤユヤ」を経て「ヤベラボロラベブルボスベラヌラ」等と「異言」が溢れ出てきました。それを見た牧師は「あなたはこれで聖霊を受けました。次は水のバプテスマ(洗礼)を受けましょう」と言って、若い男性(恐らく、日本聖書大学院の神学生)を呼び、A氏を教会の裏の部屋に案内させました。そこが着替えの部屋になっており、A氏はそこで着ているものを全て脱ぎ、「イエス之御霊教会」とマジックで書かれたパンツをはき、白い洗礼着を身に付けて庭に出ました。会堂の庭にあるコンクリート製プールのような洗礼池では、さきほど案内してくれた男性が待ち受けており、A氏を洗礼池の中に連れていくと、しばらく異言で「ハレルヤハレルヤ」と祈った後、A氏を抱きかかえるようにして水の中に沈め、「イエス・キリストの御名による」洗礼を授けました。次いでA氏を池のふちに座らせ、タオルを出して足を洗ってくれました。これが洗足式(普通のキリスト教会では行わない聖礼典)です。これで終わりかと思いきや、男性はA氏に、「すでに死亡した親族(親、祖父祖母、叔父叔母等)を思い出せる限り言いなさい」と告げ、A氏が言った故人一人一人について、(A氏を代理人として)A氏に行ったと同様に洗礼式、洗足式を行ったそうです。これらの後、A氏は再び自分の服に着替えて会堂の中に入り、最初の女性の牧師さんから、紅茶を飲みながら祝福の言葉を受けて帰ってきたそうです。ちなみに、この洗礼に際して、特別な献金などは要求されず、その後の勧誘等もなかったそうで、この点については非常に良心的な印象を受けました。これがA氏のイエス之御霊教会体験記です。以上、参考までに紹介します。


(追補4)
キリスト教年鑑(キリスト新聞社発行)には、イエスの御霊教会教団について次のように収載されています。(1989版から抜粋)

イエス之御霊教会教団(Iesu no Mitama Kyokai Kyodan)
本部=東京都杉並区荻窪5−19−2

沿革=イエス之御霊は携え挙げられるキリストの体なる教会であって、この末の世に聖書の預言に応じて、主が日本に起し給うた群れである。1941(昭和16)年11月17日、天の異象により「イエス之御霊教会」なる名称が与えられたので、監督故村井ジュン師は、その教義の内容を整えて、これを宗教法人の教団とした。どこでも、聖霊が降って信者の一群が起こり、そこに選ばれた神の器が生ずればこれを教会として来たのである。これとともに1952(昭和27)年5月2日に創立された日本聖書大学院の卒業生を新約の役者として、その導かるる地に積極的に教会を建設して行く。

政治・財政=本教団は、監督政治ではあるが、全教会が主御自身の支配下にあって御霊の一致を保ち、その根本教理は全教会に浸透している故、教会は牧師一任主義として全権を持ち、牧師は全部無月給、教会はいかなる理由があっても、財的には他にその援助を乞わない。このため政治的会議はいっさい開催しない。

教義=本教団は、初代教会の復興した真の全きイエス・キリストの教会であって、教会は全部信仰による自給である。その教義とする処はみな、主イエス・キリストの御命令そのままである。

その大要は
(1)教典=聖書は神の言である。
(2)真の神=/燭凌世寮嗣召魯ぅ┘垢任△襦⊃燭凌世詫0譴覆訶恵呂梁い蠎隋∩看充圓任△辰董御自らを父、子、聖霊として示現し給う主イエス・キリストである。
(3)神の救=全き救いに与る条件、またその関門は「水と霊」とのバプテスマである故、人類は悔改めて、世の罪のために死にて葬られ、三日目に甦えり給える主イエス・キリストを救主と信じ、,修寮嗣召僕海訖紊離丱廛謄好泙鮗け、罪の赦しを得て義とせられ、¬鸞の聖霊を享けて神の実子となり、N邯(異言)を語らしめられて受霊の徴、聖霊の内住の証となし、以って救いを保証せられ、ぜ腑ぅ┘后Εリストの日(再臨)に身体の栄化とともに携挙され、ッ肋綺椴廚了展開する千年王国時代には千年の間、王なる祭司たる身分になる。
(4)教会=真の教会は、〕0譟聖・公なるキリストの体であって、御霊の住み給う神の宮である。4篤帖δ肱掘使徒・預言者・伝道者・牧師・教師の職位を保ち、ざ紊弔領遒了鯤を具備し、ジ羝世鮴襪拇舛─↓Εリスト御自ら立て給いしバプテスマ・洗足・聖餐の三聖奠を行い、Э世猟蠅甬襪い慧斃飽詑日を聖日として憶え、霊言の祈祷、讃美をもって礼拝をなし、神もまた御旨に従い徴と奇蹟と様々なる能力ある業と御霊を分ち与え給うことを以て証し給うところである。この教会はキリストの花嫁と呼ばれ、主イエス・キリストの空中再臨のとき携挙される。主イエス・キリストの空中再臨(顕現)の時期は、異邦人の数満ちる時である。
(5)儀式=\礼は全身浸礼、必ず主イエス・キリストの聖名によって施すこと。∋犲圓竜澆い琉戮某搬紊蠕礼を行う。洗礼後に洗足式を行うこと。だ算舛蝋擇覆轡僖鶲豸弔肇屮疋汁を用い、パンは必ず手でこれをさくこと。




クリスチャンホーム平岡家のページに戻る