五銖銭私考


参考文献   秦漢銭幣研究 蒋若是著           
     中国古銭大系 西南財経大学出版社
東洋古銭図録  穴銭堂   
  中国古銭目録 新疆人民出版社
漢和中辞典 角川書店    
       中国文明の歴史 貝塚茂樹 中央文庫 
貨幣の古代中国史 朝日選書
万有百科大事典 小学館 



外文鉛餅
白金三品 重八両当三千 同時代倣製品

 
  漢 武帝 紀元前119年発行115年廃止

 サイズ 54.0×16.1mm 135.6g







面文拡大図



面文概略

※七代皇帝武帝の時期には漢の国力も充実し対外的に領土を拡張しました。西方においては張騫の遠征を機にシル
クロードの開拓が行われ アムール川中流域の大月氏 隣接したバクトリア(大夏)との交易のためにギリシャ文字を
使用した貨幣を発行しました。しかしあいつぐ大規模遠征 土木工事などで財政が困難となり結局シルクロードによる
国家主導の貿易は行われずインフラ整備のみに終わりました。この時期から武帝は財政の補填を国外から国内に方
向を転換いたします。その方法は郡国より貨幣という形で財源を搾り取るというもの すなわち重さ四銖に満たない半
両銭を改鋳させ重さ五銖の貨幣を製作させるというものでした。また額面の五銖に関してなのですが私は次のように推
測しております。すなわち漢書の「律暦志」では量(かさ)や長さの単位が十進法に整理されていた為、一般的な数の概
念も同様ではなかったかと思われます。しかしこの時代までの貨幣の単位は半両銭に代表される様に十二進法あるい
は二進法をとった貨幣が殆どであった為(詳しくは古文銭面文解読の手引きを参照)試鋳貨的意味合いで三銖銭が製
作されましたが 度量衡の統一と言う意味で十進法に対応する「五」という額面を持つ貨幣が必要不可欠となってきた
ため五銖銭が発行されたのではないかというわけです。ここいら辺は異論があると思います。また このページに限っ
てかなりの私見を述べさせていただきました。ご意見お持ちしております。

※外文鉛餅に書かれている銘文に関しては諸説があります。学者(O.Maenchen-Helhen)によると、

BAΣIΛEΩΣ(王) BAΣIΛEΩN(王の) APΣAKOV(アルサスケの) EIIIΦANOVΣ(現人神の または権現、
顕現、顕赫) ΦIΛEΛΛHNΣ(ギリシャを愛す)

と解読されており、すなわちこれはパルチアのコインに書かれた銘文とほぼ同じという説ですが、私にはどう読んでも上
述の様には読めませんでした。御意見をお待ちしております。

         この手のコインが好きな人はこれをクリック! ⇒ コインの散歩道
 




※五銖銭より従来の貨幣には存在しなかった背内郭が設けられるようになります。理由は盗銅の防止です。下の写真
は盗銅後の半両銭 背を鑿のような器具で削り取られた様な痕跡があります。結果として背に郭らしき模様が浮き上
がっております。この様な貨幣は単独で使用される時には見分けがつくのですが何百枚も紐に通された状態 いわゆ
るサシで使用された場合選別排除が困難となるため この手の盗銅貨幣の予防には背内郭を持ち肉部が薄い貨幣の
新発行が有効であると考えられます。五銖銭の形態は前述の条件に合致しており実際の盗銅の防止には効果があっ
たと思われ、以降の穴銭はこのスタイルを踏襲していくこととなります。



〜郡国五銖〜

※かつては郡国五銖を「毛刺銭」と称しておりました。これは漢書食貨志に「郡国にて五銖銭を鋳、其の質に周郭
し、銅屑を磨手するを得可からざらしめん。」という一節がありまして、これを群国にて生産された五銖銭の外郭仕
上げを禁止したと解釈したために 未仕上げ状態で鋳バリがささくれている状態からつけられた名称ではないかと思わ
れます。1968年河北満城漢墓(劉勝墓)より大量の仕上げ済み郡国五銖が発掘されたことにより 未仕上げ品を全て
郡国五銖として分類する考え方は否定されつつありますが、鋳放し状態で発掘された五銖銭の中には下の品のように
初期型五銖銭を思わせる特徴を持つ品がかなりの割合で含まれておりまして 現状においては「鋳放しの五銖銭の中
には郡国五銖が比較的多く存在する」という見解で良いのではないかと思います。

※下の品は初期型の特徴を持っている鋳放し状の五銖銭です。すなわち書体は武帝三官五銖に非常に近いが古朴な
印象をうけます。内外郭が細郭で不慣れな感じです。これは当時の銭工が背の製作に慣れていなかったからではない
でしょうか?実際 中国では五銖銭から初めて背に郭がつくようになります。
外郭厚は1.8mmほどで これも一般的な赤側五銖(2.4mm前後)に比べると薄いのですが肉厚が1.1mmほどあり
これは逆に赤側五銖銭より若干ですが厚いです。仕上げ後の予想銭径は2.6cm強 重さ4g強となると思いますの
で、劉勝墓から多数発掘された郡国五銖銭の平均値とほぼ近値となります。

郡国五銖鋳放し 
 
  漢 武帝 紀元前118年

 サイズ 2.80〜2.91cm 6.7g


※書体、製作より最初期と類推される品です。

 郡国五銖面四決鋳放し 
 
  漢 武帝 紀元前118年

 サイズ 2.67〜3.14cm 4.5g 

  

郡国五銖面四決鋳放し 
 
  漢 武帝 紀元前118年

 サイズ 3.45cm(最大) 6.1g

※この品は鋳口が4箇所あります。



※前述の条件で選り銭して出てきたのが下の品です。ただしこの面文と非常に良く似た拓が 赤側五銖から初期型宣
帝三官五銖にかけて散見され 拓のみでの判定が非常に困難となっております。

    郡国五銖? 
 
漢 武帝 紀元前118年

  サイズ 2.57cm 3.9g
  


※下の品は一見赤側五銖に似ておりますがやや薄手です。製作 金質は赤側五銖と酷似しておりまして同じ流れを持
つ銭工の作と推測される為、郡国五銖製作時期(前118〜113)の官鋳品でないかと思います。

ここでは 初期型五銖銭の分類を製作の違いにより初期型五銖官鋳(関譜;三銖手五銖官鋳)⇒赤側五銖⇒
武帝三官五銖と 初期型五銖郡国鋳(三銖手五銖郡国鋳)⇒前113年廃止の二系統があると仮定しております。

  初期型五銖官鋳?

漢 武帝 紀元前118年

サイズ  2.55×0.20cm 3.7g   
   

初期型五銖官鋳下横文?

漢 武帝 紀元前118年

サイズ  2.55×0.20cm 3.7g
  

  初期型五銖官鋳四決? 

漢 武帝 紀元前118年

サイズ  2.55×0.20cm 4.0g


 
   


※下の品は製作が赤側五銖銭に代表される官鋳品とは異なっており 五字が長字で広穿です。同様の面文を持つ銭
范が陝西省澄城跡より出土しており 時代が郡国五銖鋳期であることから官鋳ではないかと推測される品ですが、
劉勝墓の後室から金餅と同時出土した五銖銭がこの面文に近いものである事より赤側五銖とする説もあります。

 初期型五銖官鋳上横文?

 漢 武帝 紀元前114年  

  サイズ 2.55×0.20cm 4.4g 
  


※以下のように銭径が2.7cm前後の品も存在しますが数は少ないです。

初期型五銖官鋳大様

 漢 武帝 紀元前114年  

  サイズ 2.70×0.20cm 4.9g



赤側五銖〜

而して公卿請ふらく 京師をして鍾官の赤側を鋳しめ一を五に当てん。」という記述があります。おそらくこれから
「赤側五銖」の名称がつけられたのだと思います。ここに記述されている「京師」とはすなわち鍾官を指しておりますが
この職業はもともと宮廷の青銅器等の製造をしていた職業と思われるため 銭工のトップに違う職業集団を置くことに
より前時代と比べてはるかに精緻な銭貨を製造することが出来たのではないかと私は考えております。

郡国五銖五枚を赤側銭一枚と等価とし 税金とか官用の支払いを赤側銭と規定してしまった為に民衆の反感をかい鋳
造期間は短かった為現存数は少ないと考えられます。余談ですが「赤側」という語句は赤い側面を指しているのではな
く 「ほのかに赤い」という色調を表現しているという説があります。この説から類推すると「赤側」とは鍾官の扱っている
各種金属のうち「ほのかに赤い品」 すなわち「銅」そのものを指しているのかもしれません。ただしこんなこと言ってい
るのは私だけです。ごめんなさい。
1968年河北満城漢墓(劉勝墓)の発掘調査により 従来赤側五銖銭として店頭で販売していた品がほとんど郡国五銖
であるという研究報告(秦漢銭幣研究)もありますが、この項では従来通り外郭が極細縁で仕上げが真円に近く 厚み
(2.3mm前後)及び肉と外郭との立ちあがりのシャープさ 銭径(2.5cm)を判別の基準としました。理由は旧分類
を改正するほどの資料がいまだに発見されていないこと また 当時税金とか官用などの多額の支払いをするにあた
って一枚一枚バラバラな状態で収めたのではなく 紐に通された状態 いわゆるサシを使用したのではないかと推測さ
れるため(これは先に記述した半両の盗銅状態からもわかります)選定にあたって重要なのは輪側と銭径であって面
文の微妙な差異は重要ではなかったのではないかと考えられるからです。
実際 現代の感覚からすると 一見平凡なこのような輪側仕上げはこの時代においてはまさに画期的で この仕上げ
は少なくとも赤側五銖が具備すべき条件である「一見して判別できる」という要素の一つに当てはまるのではないかと
思います。



赤側五銖を重ねて側面から見たところ 上から4枚目の郡国五銖が即座に判別できる。

※さらに赤側五銖で見られる形態的特長として 背郭が細郭気味でわずかに交差している群と 含円郭の2つの群が
あることがわかります。私見ですが時代的な流れから前者を初期型 後者を後期型と分類しました。           
                                                                       
細郭
赤側五銖長頭朱
 
漢 武帝 紀元前114年  

 サイズ 2.51×0.24cm 3.7g


   赤側五銖下横文
 
漢 武帝 紀元前114年  

 サイズ 2.52×0.24cm 4.3g
  

 赤側五銖穿上決文直交
 
漢 武帝 紀元前114年  

 サイズ 2.51×0.24cm 4.0g


含円郭
   赤側五銖穿上三角
 
漢 武帝 紀元前114年  

 サイズ 2.46×0.24cm 4.0g
  

      赤側五銖面四決 
 
漢 武帝 紀元前114年

 サイズ 2.50×0.23cm 3.7g 

 

    赤側五銖上横文
 
漢 武帝 紀元前114年  

 サイズ 2.50×0.24cm 4.3g    
  


〜武帝三官五銖〜


※史記平準書に「赤側銭賤し。民 法を巧にして之を用ふ。便ならず。又た廃す。是に於いて悉く郡国に禁じて銭を鋳
ることを無からしめ、専ら上林の三官をして鋳しむ。」というくだりがありましてこの記述より三官五銖と呼びます。
三官とは鍾官 弁銅 均輸を指しまして 鍾官とは銅器や銭の製造を掌る役所 弁銅は銅の類別整理を掌り 均輸は
地方より銅を買い入れて鍾官に輸送するのを掌る役所で共に長安の西方にあった漢の庭苑である上林苑にあったと
いわれております。また郡国五銖及び銅材を三官に運んだという記録もありまして 郡国五銖の相当数が三官五銖に
改鋳されたため郡国五銖の存在数が少ないとも言えるわけで 五銖銭は発行当初からかなりの枚数が実際に流通し
ていたものと考えられます。サイズは下の標本のとおり2.55×0.20cm程度で非常に安定しており 五の文字の
縦線は直線的に引かれておりまして特徴的です。なお金石文の五も直線的でこの書体は隋代の五銖銭に至るまで引
き継がれていきます。

※中期〜後期銭は薄手となり外郭に厚みが出てまいります。背内郭は含円郭の品は無くなり細郭で郡国の品と比べて
しっかりとした直線で鋳出されております。また背の形成は浅くなり特徴的です。

 武帝三官五銖

  漢 武帝 紀元前113年

 サイズ 2.55cm 4.0g
  

武帝三官五銖下半星

  漢 武帝 紀元前113年

 サイズ 2.55cm 4.3g
  

武帝三官五銖下半星
  五下星文

  漢 武帝 紀元前113年  

 サイズ 2.55cm 3.7g
  


昭帝〜宣帝三官五銖前期

※武帝の即位期間に行われた大規模遠征や土木工事のため昭帝(B,C87〜74)即位時〜宣帝前期にかけて国家財
政は困窮し これを切り抜けるために増税 貨幣の改変 塩・鉄・酒の専売 均輸法 平準法などの財政政策がとられ
ました。この時期に製作されたと思われる泥範が陝西省博物館に存在しております。この銭範から推測される銭径は
2.3cm弱の小型 面文は五字の中心に1mmほどの縦線が入り特徴的です。また同時期に製作されたと思われる
銭範が他にも数点発掘されておりますが前時代の五銖銭とほとんど同じ面文でここでは省略させていただきました。
下の品は面文の五字が昭帝五銖に近いが銭径が大きすぎるため確定できない品です。参考程度にご覧ください。

  昭帝五銖穿上横文?

   漢 昭帝 紀元前87年   

  サイズ 2.55cm 3.5g
  


下の品は五中の縦線がさらに顕著に出ている品です。上の品に比べて全体的なつくりは先述の「初期型五銖官鋳」
の品に近いです。

昭帝五銖穿上横文?その二

   漢 昭帝 紀元前87年   

  サイズ 2.55cm 3.5g
 


※下の品のような面文を持つ五銖は 郡国〜武帝三官五銖にかけてのそれぞれの出土品に散見されます。こ
のためこの様な中間品を拓本のみで分類するのは非常に困難で、サイズ 製作 金質等などを考慮に入れ総
合的な判断が必要となりますが、宣帝三官五銖後期以前の五銖銭の選別の指針となるべき資料が不足してお
り確実な分類が難しいというのが現状です。専門家の方々がんばってください。応援しております。

 宣帝五銖前期?

   漢 宣帝 紀元前74年   

  サイズ 2.52cm 3.2g
    


〜宣帝三官五銖後期〜

※宣帝五銖後期に関して類推できるような資料は現在の所発見されておりません。しかし五の書体は特徴的で 以前
の三官五銖と比べて縦線が曲線状となり、横線が書体より はみ出し気味となります。五字の縦:横の比率はおおよそ
10:5です。背郭は武帝三官五銖に比べて深くなり しっかりとした直線で鋳出されております。

  宣帝五銖下半星

   漢 宣帝 紀元前74年   

  サイズ 2.52cm 3.3g
      

 宣帝五銖穿下半星濶縁

   漢 宣帝 紀元前74年 

  サイズ 2.72×0.21cm 4.2g
     

 宣帝五銖穿上横文

   漢 宣帝 紀元前74年 

  サイズ 2.72cm 4.2g
  

  宣帝五銖額輪

   漢 宣帝 紀元前74年   

  サイズ 2.51cm 3.1g

  面の外郭が額縁状の品 王莽銭など
  によく見られる品ですが背郭は細縁と
  なります。
  

 宣帝五銖額輪大様

   漢 宣帝 紀元前74年   

  サイズ 2.68cm 3.9g
   


 宣帝五銖小金濶縁

  漢 宣帝 紀元前74年

  サイズ 2.68cm 3.4g
  


〜前漢末の三官五銖〜

※元帝期以降の三官五銖は手持ちの資料で「秦漢銭幣研究」に数点の拓本があるのみで、到底論ずるに値する知識
はないのですが たまたま手持ちに拓本と近いものがありましたので掲載させていただきました。
下の品は従来 後漢五銖濶縁として紹介されていたものです。書体そのものは後漢五銖そのものですが濶縁となって
いる分だけ小字となっており、厚みが比較的あり後漢五銖と比べて重量があります。背郭が細郭で直線的に整ってお
ります。通常 後漢五銖の背郭は中郭で反郭あるいは四決気味となります。


  元帝三官五銖?

 漢 元帝 紀元前49〜33年

 サイズ 2.61×0.21cm 
 4.0g
   


〜小型五銖、剪輪銭、延環銭〜

※小型五銖の時代区分は昭帝時 前漢末 後漢末などが考えられますが私鋳銭の可能性もあり特定できません。

  小型五銖

    漢 年代不明

  サイズ 2.38cm 2.0g
   

  小型五銖

    漢 年代不明

  サイズ 2.38cm 1.8g
  


※えん環五銖はご覧の通り通常の五銖銭の中をくりぬいたものです。五銖銭の通常品との同時出土が無いという報告
もあり あるいは冥銭の一種かもしれません。

  えん環五銖

    漢 年代不明

  サイズ 2.60m 1.2g


剪輪五銖は五銖銭の外郭を削ったものと、最初からこの形で鋳造された品があります。

   剪輪五銖上横文

    漢 年代不明

  サイズ 2.31cm 1.7g
  

  剪輪五銖

    漢 年代不明

  サイズ 1.80cm 0.9g
 


〜小五銖〜

※沈朗五銖という呼び名がありましたが 中国においてこの品は東晋孝元帝時の五銖銭を指し全くの別物であります。
また王莽銭の一種であるという説もありますが、近年 前漢時代の墳墓からの出土例がありこれも否定されました。さ
らに埋葬銭の一種という説もありますが、造りの精密さ(一般的に冥器としての埋葬銭は造りが雑な物が多い) 出土
数の多さより実際流通していた物ではないかと私は考えております。重さが一銖の五銖銭が小五銖 赤側五銖一枚が
郡国五銖五枚相当であるので 仮に小五銖を官鋳とすると小五銖と郡国五銖が等価となるためこの貨幣の発行により
銅資源を節約しつつ経済の混乱を防ぎ なおかつ当時の最先端の鋳造技術を用いた極小銭を発行することにより 盗
銅による貨幣の劣化及び私鋳銭の横行を阻止する意味合いがあったのではないかと考えられます。
つまりこの手の貨幣を発行するタイミングとしては武帝三官五銖の製造前後が最も有効的なため小五銖銭の発行年
代もそのぐらいまで遡れるのでは?と私は考えております。

※サイズの小さな銭種ですので通常の2倍の縮尺で掲載しております。

      小五銖

    漢 年代不明

  サイズ 1.3cm 0.5g

  小五銖上横文

     漢 年代不明

  サイズ 1.3cm 0.8g
  

      小五銖下半星

     漢 年代不明

  サイズ 1.3cm 0.8g 

   小五銖大字

    漢  年代不明 

  サイズ 1.15cm 0.6g

前出の三品とは明らかに製作が
異なっており、五の字は完全では
なく外郭と重なっており、銖の文字
は省文化されております。
この貨幣に限っては冥器(埋葬銭)と
いう説も成り立つと思います。
   




〜後漢五銖〜

※読んで字のごとく後漢(東漢)時代(AD25〜220)に発行された五銖銭を指します。サイズ的には2.6×0.16cm
内外(剪輪銭を除く)で統一されていた様で、面文のバリエーションが非常に多いです。前漢五銖の後鋳との判別が難
しいですがこの場合も五字が決め手となります。五の字の縦線が曲線となるのは宣帝五銖と変わりませんがこの場合
もう少しゆったりとした曲線となり、横線は書体からほとんどはみださなくなり、五の字の縦:横の比率はおよそ10:6
なります。元帝五銖が非常に似た五字を持ちますが後漢五銖のほうがサイズが大きくなります。面決文が無くなりまた
面半星は穿上には出現しなくなりなる代わりに面には記文 背郭が広郭 反郭気味となります。またこの銭種には
厚が1.0mm 重さ3.0g以上の前期型と肉厚0.5mm 重さ2.5g以下の後期型の品が存在いたします。

後漢五銖背四決

  漢 光武帝 40年

サイズ 2.60cm 3.1g

 後漢五銖磨郭銭  

  漢 光武帝 40年

サイズ 2.53cm 2.9g

   

 後漢五銖伝形

  漢 光武帝 40年

サイズ 2.45cm 2.2g
  


※後漢五銖銭には他の銭種には見られないような錯範が存在いたします。

  後漢五銖林五銖

  漢 光武帝 40年

サイズ 2.55cm 2.0g

錯范の一種 銖の朱のみが二重に
なっています。はっきり出ている品
は稀です。
 

 後漢五銖錯范 五?

  漢 光武帝 40年

サイズ 2.57cm 2.7g

こちらも錯范ですが五の文字だけ
二重になっています。比較的多く
存在します。
   
   後漢五銖錯范 金?

   漢 光武帝 40年

  サイズ 2.54cm 2.9g

 で、 あるかなーと思って選り
 出したのがこの品 金の文
 字だけ錯范となっております。
 五銖銭の製作を物語る好資料
   

後漢五銖錯范 金朱?

   漢 光武帝 40年

 サイズ 2.65cm 2.7g

この品は金 朱の二文字が錯
范となっている例 こうなると
わけがわからなくなってきます。
   

後漢五銖錯范 五銖?

   漢 光武帝 40年

  サイズ 2.55cm 2.2g

通常の母銭式の鋳銭法ではごく当たり
前に出現する品です。


※後漢五銖には面文に白文のあるものが存在いたします。

後漢五銖穿上白文(千or壬)

    漢 光武帝 40

 サイズ 2.58cm 2.6g
  

後漢五銖穿下白文(三or小)

    漢 光武帝 40

 サイズ 2.46cm 2.8g
  

後漢五銖背白文左右十

    漢 光武帝 40

 サイズ 2.18cm 1.8g
   


※後漢五銖には面文の五字が断たれている品が存在いたします。

  後漢五銖断五

   漢 光武帝 40年

  サイズ 2.60cm 2.8g

五字が中心で水平に断た
れています。
   

  後漢五銖断五

   漢 光武帝 40年

  サイズ 2.58cm 3.0g

五字が中心で垂直に断た
れています。
  

 後漢五銖断五

   漢 光武帝 40年

  サイズ 2.58cm 2.7g

五の文字が中心と上方で絶た
れています。
  

  後漢五銖断五

   漢 光武帝 40年

  サイズ 2.61cm 2.9g
  


※面に星 堅文 記文がある品も存在します。

  後漢五銖穿上星

   漢 光武帝 40年

  サイズ 2.59cm 3.4g

後漢五銖五下星文

  漢 光武帝 40年

サイズ 2.60cm 3.1g   
   

 後漢五銖五中二星

  漢 光武帝 40年

サイズ 2.30cm 2.1
       

後漢剪輪五銖五中一星

  漢 光武帝 40年

サイズ 2.15cm 1.8g
  

後漢五銖五右下二星文

  漢 光武帝 40年

サイズ 2.60cm 3.1g 

後漢五銖五下横文

    漢 光武帝 40

 サイズ 2.60cm 2.4g
  

 後漢五銖銖上横文

    漢 光武帝 40

 サイズ 2.61cm 3.4g
   

 後漢五銖銖下立文

    漢 光武帝 40

 サイズ 2.60cm 3.1g

文が金字に接しています。
  

 後漢五銖穿上二竪文

    漢 光武帝 40年

   サイズ 2.30cm 2.5g  

不鮮明な写真に見えますすが
手擦れにより実物もこんな感じ
です。 
  


 後漢五銖穿上三竪文
    背左魚紋

    漢 光武帝 40年

   サイズ 2.59cm 2.6g
  
魚紋の評価額は低いのですがなかなか
拾えない品です。魚紋中に陰字で文字の
書いてある品もあります。
  

 後漢五銖穿下三竪文

    漢 光武帝 40年

   サイズ 2.21cm 2.2g
  
面文中の魚紋に白文が書いてあって
文に見えるような見えないような
・・・という品
   
後漢五銖穿上五竪文

    漢 光武帝 40

 サイズ 2.57cm 3.1g  
   

後漢五銖穿上三星
穿下十字(陽文)

    漢 光武帝 40

 サイズ 2.60cm 3.1g
   

後漢五銖穿下三星
五中二立竪文

    漢 光武帝 40

 サイズ 2.55cm 2.8g
  

後漢五銖穿下王(陽文)

    漢 光武帝 40

 サイズ 2.55cm 2.4g 
  

  後漢五銖穿下平字

    漢 光武帝 40年

   サイズ 2.52cm 3.3g  

 この五銖銭は確かに後漢五銖
 をベースに造られております。
 
 
   

  五銖穿上平字(平當五銖)

   国不明

   サイズ 2.42cm 3.2g

   ところがこの五銖は六朝五銖に造りが近いです。
   この様に穿上穿下に「平」の字がある五銖銭は
   後漢末から晋にかけて流通した品らしく古銭書に
   よっては三国時代に分類しているものもあります。
   
  


   背四道五銖

  漢 霊帝 186年

サイズ 2.58cm 3.9g  
       


※で 漢が滅亡して三国時代の幕開けとなります。「平當五銖」の例の様にこの時代に入ってからも 後漢五銖
タイプの五銖銭の製造はあいかわらず続けられていた様です。

蜀五銖上横文

  蜀  〜214年

サイズ 2.40cm 2.8g

蜀五銖

  蜀  〜214年

サイズ 2.41cm 3.0g
劉備五銖背左白文

  蜀 劉備 214年

サイズ 2.21cm 2.6g

従来蜀五銖と呼ばれていた品
ですが 最近では上の2品と
区別するため劉備五銖という
呼称が一般的となっております。




 魏五銖小様?
 
 魏  220〜265年

 サイズ 2.38cm 2.4g
  

 魏五銖大様?
 
 魏  220〜265年

 サイズ 2.70cm 4.9g


※南北朝時代の五銖銭は一部の五銖銭を除いて素材 製造技術とも漢時代のものと比べて身劣りします。
また鉄銭も数多く製造されました。

    南斉五銖

  南斉 武帝 永明年間;479〜502年

   サイズ 1.81cm 1.3g  
  

   内郭五銖(天覽五銖)

  梁 武帝 天覽年間;502〜519年

   サイズ 2.55cm 3.3g  
    

     公式女銭

  梁 武帝 天覽年間;502〜519年
  (陳 557〜589年という説もあり
  日本ではこちらのほうが一般的)

  サイズ 2.40cm 2.5g
  

   六朝五銖 伝形

  梁 武帝 天覽年間;502〜519年

   サイズ 2.40cm 2.3g
   

     梁五朱(稚銭五銖)

  梁 武帝 天覽年間;502〜519年

   サイズ 1.90cm 1.3g  

 銖ではなく朱です。一見剪輪銭と間違えそう
 ですが五の字は完全です。他に銖が金 十
 のものもあります。
  

 梁五朱小様

  梁 武帝 天覽年間;502〜519年

   サイズ 1.60cm 1.0g  

  梁五朱広穿

  梁 武帝 天覽年間;502〜519年

   サイズ 2.10cm 1.4g  

  梁五朱最大様背四道

  梁 武帝 天覽年間;502〜519年

   サイズ 2.61cm(最大) 2.9g

おそらくこのグループでは最大級と思われる
品です。しかも背四道で珍銭の部類に入る
品と思われます。 
  

    朱朱

梁 武帝 天覽年間;502〜519年
  
 サイズ 2.03cm 1.1g
    

  鉄五銖背四道

    梁 武帝 502年

  サイズ 2.0cm 2.8g 
  

   鉄五金

    梁(一説蜀銭) 武帝 502年 
    (唐末五代初期幽州劉氏銭という 
    説もある)

    サイズ 2.26cm 2.8g
   

  北魏五銖

 北魏 宣武帝 510年

サイズ 2.4cm 2.1g
  

 敬帝四柱五銖

   梁 敬帝 559年

  サイズ 2.26cm 2.0g
    

    両柱五銖

梁四代 元帝(蕭繹) 太平4年(559年)

   サイズ 2.32cm 2.0g

   置様五銖(開皇五銖)
  (背左月文)

  隋 文帝 開皇年間;581〜605年

    サイズ 2.5cm 3.7g
  

  置様五銖(開皇五銖)
       (背上双月)

  隋 文帝 開皇年間;581〜605年

    サイズ 2.5cm 3.7g

 月文は通常品に良くみられます。
   

       隋五銖

  隋 文帝 開皇年間;581〜605年 

  サイズ 2.23cm 1.8g  
     

     隋五銖小様濶縁


  隋 文帝 開皇年間;581〜605年 

  サイズ 2.06cm 1.5g  
   

   白銭五銖

  隋 煬帝 大業年間;605〜618年

  サイズ 2.2cm 2.3g
  

       亀茲五銖

     亀茲(クチャ)国 六世紀

    サイズ 2.0cm 1.5g

亀茲は敦煌の西 天山南路にあったオアシス国家
であり屈支(クチイ)とも言います。背に数字の50
累を意味する亀茲語(トハラ文字B)が鋳出されている。
何故 五銖銭の裏側に50累とかいてあるのか?
詳しい説明は⇒古文銭面文説明
この手のコインの好きな人は⇒コインの散歩道
 



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