展示に関する雑記帖 〜展示を終えて〜
倭国兄弟記
(2003年1月24日UP)
真田冬之陣(2001年9月22日UP)
旅絵師 (2001年4月3日UP)
落城悲話 (2000年7月8日UP)
古東京旅行記 (2000年2月16日UP)
天日槍 (1999.10.22UP)
蒙古襲来 (1999年7月UP)
大坂城物語 冬の陣(1999年3月UP) 夏の陣(同年5月UP)
ギルガメシュとアカ(98年11月UP)
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第15話:卑弥呼の後継者「トヨ」 (管理者)2003.1
(作成中)
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第14話:弥生世界のCG (管理者)2003.1
今回扱った邪馬台国の話は完全フィクションである。古代というのは確たるモノが無いため、僕のように無責任な「歴史物語屋」には扱いやすい時代だ。遊び心たっぷりに自由に物語を作れる。
しかしCGの方はいい加減なモノは作れない。考古学資料を踏まえて少々こだわりつつ作ってみた。
・・・とは言っても僕の個人的な想像による世界構築には変わりないので、その点はご容赦願いたい^^;。
それを踏まえた上で、幾つか挙げてみよう。
| 1:土器売り おじさんが背中に土器壷を大量に背負えるように組み合わせている。これから市へ出かけるのだろうか?。管理者が雲南省で撮影したのだが面白い輸送方法だ。古代においても土器を大量に運ぶ時はきっとこんな風だったに違いない。背後の竪穴住居の前には売り物の土器が大量に積み上げられている。 |
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| 2:染めの服装 教科書や資料集に載っている弥生時代の服装はどれも真っ白だ。これは多分「詳しい事が分かっていないので」という配慮から来ているのだろう。 古代においても染物は盛んに行われていた。藍色や黄色、縞模様等など、様々な着色が成されていた事であろう。 雲南省で撮影した少数民族達の市場の様子を参考にして作った。 |
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| 3:衣笠(キヌガサ) 古代の出土絵画にも貴人の家にはキヌガサが立てられている様子が見られる。権威の象徴であろう。現在でもアジアの少数民族にキヌガサの柱を中心に祭りを行う人々がいる。 |
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| 4:ヤタガラス 日の出と共に飛び立ち、日没に森へ帰る。古代においてカラスは太陽の象徴である。三本足の伝説のカラスが神話に出てくるので宮廷内の装飾に使ってみた。 |
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他にもあるがまずはこの辺で。弥生時代の風景や世界観を疑似体験して頂ければ幸い。
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第13話:真田丸の空堀 (管理者)2001.9
大坂城から突き出た真田丸は専門用語で「馬出し」と呼ばれ、正確な位置付けをすれば「大坂城の出入口の発展した姿」だ。でも自分には専門的な事はよくわからない。
記録によると三段の柵に櫓、井楼などの防御施設があり、空堀が囲んでいたというから一つの独立した城だったとも言える。
12月4日の戦いの時、前田軍は 「深い朝霧の中、真田丸に接近し、2〜300人が堀へ入り、柵を切って塀に取り付いた」 時点からいきなり射撃を浴びている。 なので相当ギリギリまでひきつけていたようだ。
また、空堀に降りてしまった東軍も不運だった。逃げ出すには真田丸に背を向けて這い上がる形になってしまい、格好の標的だ。だから彼らは動くに動けず、互いに他の隊の動きを伺うばかり。結局、堀底を逃げ廻ったという。
味方の死体の下に隠れて日が沈むのをじっと待ったとか。
極寒の中、身の毛もよだつ体験だ。
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今回の展示「旅絵師」は「半七捕物帳」に収録されているが捕物帳とは関係なく、一つの独立した物語となっている。半七捕物帳はご存知の通り岡村綺堂の名作である。岡村綺堂は記者をやっていたとき、実際の江戸時代に生きた老人から様々な事を聞いているので江戸の描写が実にリアルだ。
「旅絵師」の原作は、少し地味な物語だった。別に主人公が刀を抜いて多勢相手にチャンバラする訳でもなし、また自ら率先して事件に挑み、解決する、というような事もない。主人公は第三者的に事件に出会い、巻き込まれ、そして去って行く。そんな話だ(考えてみれば半七捕物帳自体どの話もやや淡々としている)。
しかし淡々としているが故に、かえって昔の日本人感情がリアルによみがえってきて好きだ。何か郷愁的、ノスタルジックなモノを感じる。刀を振り回すだけの時代劇とはまた別の奇怪な味がある。
だが、これをそのままCG展示するとやはり地味になってしまう。淡々とした味は活字だからこそ活きるので、原作を尊重しつつも若干の脚色を加えさせていただいた。
なんとか原作の風味を感じとっていただければ幸いである。
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第11話:城主、横地監物の消息 (管理者)2000.12
写真は本丸の現在の様子である。
八王子城落城の際、本丸には横地監物という武将が城代として詰めていた。しかし落城の際の三の丸から起こった火災で本丸は煙にいぶされ、守りきれずに落ち延びて行ったと言う。
そして横地監物は18キロ離れた桧原村の蛇沢で自刃した。
その後、そこに地元の人々が彼を祭る祠を建てたが1957年に奥多摩ダムが造られるにあたって水底となる為、八王子城跡へ移された。その祠は現在でも「横地社」としてそこに祭られている。
(注:この本丸にある祠は横地社ではなく、中ノ丸にある。)
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第10話:御主殿の滝 (管理者)2000.7 
御主殿の滝は御主殿の裏手にある。落城の際、人質として屋敷に押し込められていた女達が皆ここへ飛び込んで自殺したのだという。
しかし現在その滝を見る限りではそんな事は想像もつかない。非常に小さくて、飛び込んだってまず死にはしないだろう。
でもだからといって伝説が全くの作り話とは限らない。400年も前の話だ。当時はもっと水量が多かったに違いない。
滝壷あたりにはお菓子や弁当のゴミが散乱している。滝のすぐ上流に回ってみるとなにやら造成工事をしていた。
”滝が大きいか小さいか”、本当に大切な事はそんな事だろうか。
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第9話:御主殿 (管理者)2000.7
総武線高尾駅下車の八王子城跡は最近氏照の屋敷跡が発掘調査され、様々な発見があったらしい。現在、復元整備計画が進行中で、既に屋敷へ通じる大手道と橋、そして堅固な石垣が復元されている。今後が楽しみだ。
屋敷への橋は、敵襲の際には取り外すことができたという。 橋を渡って屋敷に至る道は完全な石垣構造で、二階部分のある櫓門が建っていた。
いやはや、なんとも堅固な屋敷だ。落城当時、守兵さえたくさんいればもっと持ちこたえる事ができたかも。
今回作成したCGは、こうした発掘調査の結果などを取り入れた上での管理者の想像によるもの。
背後にそびえる山城の一部は『金子丸』といわれた城山中腹部の防御施設だ。

(物語中ではもっと大きい画像を使っている。)
※)屋敷と門はあくまでもCGなので現地に見に行ったりしないで下さい。(橋はあるよ)。
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第8話:着色写真 (管理者)2000.2
幕末の写真が写された当時、白黒写真が手作業で着色される事があった。古東京旅行記の「小網町運河」の写真がその当時のものだ。実に見事な出来映えで、カラー写真と遜色無い。
本当にあの写真の場所が小網町なのかどうかはともかく、当時のアナログ作業による着色の見事さには感心した。
自分のパソコン使っての着色などはるかに及ばない。さすが職人。
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第7話:北町奉行所CG (管理者)2000.2
展示にある北町奉行所は、現在の東京駅八重洲出口に存在していた。
柏書房の「江戸町奉行所辞典」(笹間良彦)によると、南北町奉行所の門は長屋門であったという。これは国持ち大名にのみ許されていた形式だが、市民への威光を示すために3000石級の町奉行の役所に使われたのだという。前書の押絵によると、北町奉行所には門続きに土蔵があったらしい。そういった事も加味してCGを製作してみた。

奉行所は外堀の内側にある。
向かって左が東。左にある森の向こうが江戸城外堀。
(ほんとは南町奉行所の方が豪勢な造りだったんだけどね・・)。
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第6話:日本書紀の中の天日槍(アメノヒボコ) (管理者)1999.10.25
『3年3月、新羅の王子、天日槍が来た。彼は七種類の物を但馬に納めて神宝にした。
一説に、はじめに天日槍は舟で播磨の宍粟(シサワ)村に居て天皇の使者が「汝は誰だ」と聞くと、天日槍は「新羅の王子です。日本に聖皇が居られると聞いてやって来ました」と言ったという。・・・(以下略)』
これがアメノヒボコ伝承の冒頭部分要約。
日本書紀では、アメノヒボコの妻を「麻多烏(マタオ)」、その父親を「太耳(フトミミ)」 とする記述と妻を「麻陀烏(マタオ)」、その父親を「前津耳(マエツミミ)」 とする記述と二通り書かれている。
また、古事記、播磨風土記にも記述があり、地方神のわりには古代において意外に有名だったらしい。
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第5話:「アメノヒボコ」の伝承 (管理者)1999.10.22
「アメノヒボコが沼の水を海へ押し流し、平野を作った」 という話は日本書紀には無く、出石郷土に残る伝承の中だけの話。
しかし実際、出石から豊岡にかけての一帯は昔湿地、沼地であったようで、現在でも台風が来るとすぐに湖のようになってしまう。
かく言う自分もこの地方のそのような状態を目撃した事があり、それはもう一面の泥沼だった。
しかし土地は洪水によって新たな土を迎え、肥えてゆく。それが大地の恵みに変るわけで・・・。
現在のように洪水を「悪」と決めつけて封じ込め、やせてゆく土地を化学肥料によって補うやり方には少し疑問を感じる。
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第4話:「怪しい三人組」 (管理者)1999.7.21
蒙古襲来絵巻の有名な「てっぽう」の場面で、跳ね上がる竹崎季長の馬に向かって矢や槍を飛ばそうとしている蒙古兵の3人組がいる。実はあの3人組、後世に誰かが勝手に描き加えたものだという。

確かにそう言われてから見ると、この3人だけあからさまに不自然だ。
服装も他の蒙古兵と違っており、何よりも筆の線がやたら太い。かなりヘタクソな書き加えで、絵巻のクライマックスシーンが台無しだ。
「蒙古襲来」の展示ではこの3人は滅殺!
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第3話:「元軍の撤退、神風が原因ではなかった?」 (管理者)1999.7.21
1274年10月20日、元軍の軍勢三万が攻めてきた。文永の役だ。
結果として元軍はその日のうちに退却してしまったのだが、その原因をいくつかあげてみよう。
一つは「矢の不足」、上陸戦では今も昔も飛び道具がよく使われる。上陸する味方は浜辺で敵の飛び道具の雨を受け、上陸する側も船から援護射撃をしなければならない。馴れない海戦で元軍は予想以上に矢を使ってしまった。
二つ目は連合軍ゆえの「統率の乱れ」。蒙古、高麗、女真、漢など、多民族軍のため言葉が通じない。これではどうしょうもない。
更には副大将の劉復享の戦いでの負傷の件もあったし、次へ軍を進めるための本拠地(大宰府)も初日に占領できなかった。これらは日本武士団の頑張りでもあったのだろう。
こうした理由で、元軍は退却するため船に戻った。しかし間が悪く偶然その夜嵐が来て無残な目に遭ってしまった。
実は弘安の役の「神風」も吹かなくても元は退却しただろうという。
結局このタイミングの良い神風は元ばかりではなく後の日本にも大きな悪影響を与えてしまったらしい・・・。
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第2話:「大坂城CG製作」 (管理者)1999.5
現在の大坂城はもちろん家康時代の復元であり、秀吉の大阪城の土台は一段低かったと言われる。つまり家康は秀吉の記憶を抹殺するために彼の造った土台を徹底的に埋めてしまったのである。
展示で使ったCGは、現在の大阪城天守閣を秀吉風に黒く染めて金箔でかざり、それを皇居の土台に合成、そこへ二条城の大屋根を合成してみた。なるべく現存する最良のものを使おうと努力したのだが個人的にはまだ不満足である。
機会があったら物語全体をリメイクしたい。(あくまでも機会があれば・・・)

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第1話:「謎のシュメール人」 (管理者)1998.11
シュメール人は紀元前3000〜4000年にかけて現在のイラクに移住してきた民族だが、そのどこからきたのか、どこへ行ったのか、詳細は謎とされている。
彼らの文化が近年日本文化とも関わっているという事を示唆する人もいるが、それはまだまだ眉唾なかんじもする。
ギルガメシュ王に関してはトゥンマル碑文やギルガメシュ叙事詩、その他の多くの文学作品の題材とされてきてはいるが、それらは全て1000年あまり後世の文献であり、その実在は今後の考古学的発見に期待されるところ。
・・・訳わかんない?マニアックですみません。一応書いてみただけ。
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