せんせいしょん『桃源郷』について

 このページでは、せんせいしょんが再結成してから初めてリリースしたアルバム『桃源郷』について紹介しています。
 (2008年2月6日ページ公開/2008年5月13日最終更新)

せんせいしょん再起動コンサートのレポート別のページにまとめてあります。

『桃源郷』の紹介

(この項、文中敬称略)

作品概要

桃源郷
2008.01.23 発売  YZKZ-50001(CD)  制作元:風 販売元:ファーストディストリビューション

 岩手県北上市の『風』レーベルからのリリース。
 ジャケットはススキ原から見た岩手山の遠景で、ライナーノートにも岩手山の写真が載っている。
 ライナーノートには、レコーディング風景や使用機材の写真とあわせて、佐藤将展が再結成のきっかけと心境を綴っているが、 そこには姫神せんせいしょん解散にあたって、「自分は“姫神”をやる、お前は“せんせいしょん”をやれ。」 と星吉昭から告げられたことが記されている。

 本作は佐藤に加え、『風』レーベルを主宰する岩手出身の若手ミュージシャン・柴田晃一が共同でプロデュースを行っており、 柴田率いるユニット『紅音』(あかね)のメンバーである、ゆげみわこ・山田尚史もコーラスで参加。 さらにエグゼクティブディレクターの姉帯俊之、エンジニアの永井慶則・佐藤和弥といった姫神せんせいしょん時代のスタッフが再結集している。 "Special Thanks"の項目には、姫神とゆかりの深い瀬川君雄、桂田實の名も。

アルバム全体の特徴

 斬新なアレンジでリメイクした『奥の細道』『リ・ア・ス』を含め11曲を収録。 80年代の姫神せんせいしょんサウンドを再現したような曲と、従来になかった現代感覚に富む作品が、バランスよく収められている。 前者はさらに、星吉昭のノスタルジックな音世界を思い起こさせるタッチの曲と、佐藤将展らしさが前面に出たノリのよいフュージョンスタイルの曲に分けられる。
 佐藤がライナーノートで記しているように、シンセの打ち込みパートよりも、生演奏による即興性・ライブ感が重視されたアレンジとなっていて、 とりわけ伊藤のグルーヴの効いたベースが存在感を示している。 シンセの音が占める割合は姫神せんせいしょん時代より減っているが、昔の曲で用いられていた特徴のあるアナログシンセの音がいたるところで再現され、 オールドファンには懐かしい限りである。 また、姫神が90年代後半から多用した民俗的なサンプリングヴォイスも、佐藤独自のアプローチにより、一部の曲で効果的に採り入れられている。

各曲の紹介

※特記のないものはすべて佐藤将展の作編曲。

(1) 風のかほり
 アナログシンセの響きが懐かしいプロローグは、スローテンポの、のどかで日本的な曲。 タイトルや曲調から、亡き星吉昭へのオマージュのようにも感じられる。
 作曲は大久保正人で、後半自ら尺八を吹いている。 姫神せんせいしょんと姫神の作品では尺八を模したシンセの音が頻繁に用いられたけれど、 尺八そのものが使われたことは今までありそうで全くなかったので、かえって新鮮。 最後はシンセ尺八と尺八がユニゾンでメロディーを奏でている。
 なお、タイトルの「かほり」は「かをり」が正しい仮名遣い。 大久保のソロアルバム『潮音』に『風のかおり』という曲が収録されているようだが、同一曲かどうかは不明。
(2) 奥の細道
 グループの出発点であり、本アルバムに唯一収められた星の曲。アルバム『奥の細道』から実に27年ぶりのリメイクとなる。
 原曲を踏襲した(音色は異なる)リズムボックスのイントロを経て飛び出してくる本編のサウンドは、驚きの一言。 ベース−ギター−ドラムスのセッションのスウィングを強調し、 曲の骨格となる循環コード進行をがらりと変えてきた(オリジナルは3コード→リメイクは延べ8コード)ため、 相当に雰囲気を異にしている。
 主旋律のシンセがピッチベンドでこぶしを回していないこともあり、東北の土の臭いは失せ、 ジャズライクな遊び心に満ちた、おしゃれなナンバーになった。 というより、原曲自体が、もともとジャズだったのかもしれない。それほどまでに違和感が、ない。 逆に、27年前この曲に、みちのくの妖気を漂わせてみせた星のアレンジを、今改めて高く評価したい。
 間奏では、かつて佐藤と『エレクトリック・ファンデーション』で共に活動した北田了一のエレピ、 伊藤英彦のベース、大久保のギターが生き生きとしているのが実に微笑ましい。
 後半はブラスセクション(PCMシンセの打ち込みなのが残念)が華を添え、 クライマックスのキメの部分では、思わずこみ上げてくるものがあった。故人の良い供養になったにちがいない。
 この曲について感じたことは、まだ書ききれないので別項にまとめた。
(3) 郷の踊り子
 民謡歌手で津軽三味線奏者の松田隆行(クレジットの"Chorus on M2"は"M3"の誤りでは)と 女性(氏名のクレジットなし。佐藤手持ちのサンプリング素材を流用?)のお囃子ヴォイスで始まる、軽快で威勢のよい曲。
 第一印象は、ありがちな“よさこいソーランロック”に聞こえなくもないが、 基本リズムは微妙にシャッフルした16ビートで、 よく聴き込むと、フェイクが入りまくりのリズムセクション・ベースラインをはじめ、かなり凝った音づくりをしている。
 メロディーは純和風とはいえず、祭り笛の音色を使ってないのに、ヴォイスの効果を差し引いてみても、 お祭りの曲にしか聞こえないところに、商業的な作編曲家として多様な注文に応えてきた佐藤の器用さが垣間見える。 姫神せんせいしょん時代には作りようのなかったタイプの曲で、今後はこういう感じの作品が増えるのかも。
 パーカッシブなサンプリングヴォイスや、後半の北田のエレピも聴きどころ。
 気になるのは、女性の唄の元ネタ。昔、姫神ヴォイスの志和純子がコンサートの余興で唄った「音頭取り」に似ているような…
(4) 北緯四十度
 透明感と広がりを感じさせるゆったりした曲。紅音のゆげみわこ、山田尚史がコーラスで参加。
 星吉昭風シンセ笛をかぶせたりして、思いっきり姫神を意識している――ように聞こえる。 しかしメロディーは凡庸で、はっきり言って、どうということのない曲。 作曲者の仲邑かおるは盛岡の音楽業界の人と思われる。プロフィールはよくわからない。
 北緯40度というと盛岡の少し北、八幡平あたりの緯度に相当するが、 私はこのサウンドから、もっと北の、北海道の晴れ渡った雪原をイメージした。
(5) 錦秋
 伊藤の作曲。岩手県西和賀町に錦秋湖というダム湖があるが、関連は不明。
 『紫野』(『奥の細道』に収録)『遠い日・風はあおあお』(『姫神伝説』に収録)のような日本的・牧歌的な路線の曲。 星がソロに転じてから作った『遠い音』(『北天幻想』に収録)にもけっこう似ている。アレンジはおとなしめ。 メロディーラインはそれほど悪いわけではないけれど、 どうしても、逝ってしまった人のそれと比較してしまい、今ひとつ心に響いてこない。
 思うに、星吉昭系統の曲はもう今回限りで捨て去った方がよいのでは? 無理やりそれらしいメロディーをひねり出したところで、失礼な言い方だが、劣化コピーにしかならないだろう。 星が姫神せんせいしょん時代に作った曲を、せんせいしょんのスタイルで、リアレンジあるいはサンプリングなどの手法で解体−再構築するほうが、 より前向きな態度であり、星もきっと喜ぶと思う。
(6) 御堂の森
 ここから、佐藤の作曲で、昔の姫神せんせいしょんっぽい曲が3曲続く。
 オリエンタル風味のキャッチーなイントロに続き、 大久保の尺八ソロとシンセのスタッカートによる印象的なフレーズが交互に現れる構成。 コード進行に追随せず延々と鳴り続けるベースのリフがcool。
 シンセの響きにどことなく80年代後半の雰囲気が漂っている。 今やすっかり聞かなくなったオーケストラヒットのせいかも。
 私の頭ではこの曲を聴いても具体的な情景が浮かんでこないが、良い曲なので、それはそれでかまわない。
(7) みみずく
 アップテンポで、マイナー進行にもかかわらずどことなくユーモラスなテクノポップ。 ほかの曲と違って、うにょうにょピコピコしたアナログシンセっぽい音を前面に出し、 ベース、ギター、果てはドラムスに至るまで、100%佐藤が打ち込みで制作した可能性もある。
 ベースや副旋律は部分部分で音色を使い分けており、その中でも副旋律のヒューマンヴォイス系の音色が懐かしい。 曲半ばのドラムスの超高速連打は打ち込みならではの味。これも最近は巷で聞かなくなった。
(8) ウスユキ草
 『七時雨』(『姫神』に収録)を彷彿とさせる、哀調を帯びたメロディーを持つ曲。 伊藤がベース高音部で奏でるしっとりとした導入部から徐々に盛り上がり、 ドラマティックなサビにつながる構成は、メリハリが効いて素晴らしい。
 特にサビのアレンジ、1拍目3拍目のバスドラムを抜いているのがポイント(ラテン系のリズム?)で、 曲の構成に不安定さを生み出し、サビを強く印象づけることに成功している。スネアのフレーズも凝っていて、ドラマー佐藤の面目躍如。 星に頼らずとも独自のせんせいしょんワールドを創造できることが証明されている。
 タイトルは、北上山地の早池峰山に自生する高山植物・ハヤチネウスユキソウを指していると思われ、 梅雨時に人知れず咲く可憐な花のはかなさを描写しているようだが、 個人的には、こちらのタイトルが『錦秋』でもよいと思った。色鮮やかな紅葉が舞い落ちるイメージ。
(9) 月見坂
 せんせいしょん風のセレナーデで、大久保が作曲。平泉の中尊寺境内に同名の坂がある。
 シンセソロの音色やピアノのアルペジオフレーズなどからわかるように、曲調が『姫神伝説』中の『北天の星』に酷似しているが、 星への供養と惜別の気持ちを込めて、意図的にそう作った気がしてならない。 せんせいしょんは、あなたがいなくても、この先しっかりと歩んでいける、 どうか遠い空から見ていてくださいと、呼びかけているかのようだ。
 打ち込みによるソロヴァイオリンのレガートが部分的に不自然に聞こえるのが残念。
(10) 夏まつり
 村の祭囃子を、ジャズ的なアプローチで現代的に再構築。 せんせいしょんのこれからの大いなる可能性を示唆する、渾身の作といえよう。 これをこの曲順(事実上のトリ)に持ってきたことに納得。
 佐藤、大久保、伊藤の3人が繰り出すグルーヴを軸に、横笛(フルート?)の主旋律、 山田のスキャット、それに松田と、サンプリングと思われる女性の(これも元ネタが気になる)合いの手が加わり、 賑やかでゴキゲンなナンバーとなっている。シンセっぽい音は脇役でしかない。
 横笛が奏でるメロディーは、多少こぶしが入っているが、日本民謡調ではなくジャズのアドリブのようであり、 コード進行はジャズ特有のテンションノートが入りまくり、山田のゴスペル風スキャット (再起動コンサートを見るまで私は女性ヴォーカルと信じて疑わなかった!)も実にうまくはまっている。 にもかかわらず、出てくる音は日本の祭囃子以外の何ものでもない。凄すぎる。
 これはライブでやるにはもってこいの曲だ。会場が盛り上がること請け合いである。
(11) リ・ア・ス
 アルバム『奥の細道』で初めて佐藤が世に出した曲を、紅音の柴田晃一が編曲。
 ゆげの幻想的なコーラスを除き、柴田がひとりでシンセをプログラミング・演奏していると推測され、 実質的には「せんせいしょんによるリメイク」というより「柴田によるカバー」ととらえてよいだろう。 そのためか、曲順はボーナストラック的な位置に収まっている。
 原曲のアレンジを踏襲しつつ、ユーロビート風のスピード感あふれる仕上がりとなっていて、 姫神せんせいしょんに対する柴田のリスペクトが感じられる。 せんせいしょんの横ノリに対して、縦ノリになっている点も妙味である。
 唯一難を挙げるとすれば、もはやリアス式海岸の佳景がイメージしにくくなっていることか。 三陸海岸沿いのローカル線ではなく、300km/h超で駆け抜ける近未来の東北新幹線の趣。

『桃源郷』に対する個人的な所感

「姫神」と「せんせいしょん」の違い

 −東北の土臭さを感じない−
 これが『桃源郷』を通しで聴いた第一印象です。
 そして、姫神せんせいしょんが人知れず解散した理由が、20年以上を経てやっとわかった気がしました。

 せんせいしょんのサウンドの具体的な特徴を、姫神との比較という側面から二、三挙げてみましょう。

 まず、せんせいしょんは主旋律の演奏で、こぶしをあまり回しません(『奥の細道』『リ・ア・ス』でオリジナルと比較するとはっきりわかる)。 また、ところどころのパートのフレーズや音色に、多少日本的なものは感じられますが、 ジャズ・ブルース的な処理を巧みに施しているので、泥臭く聞こえません(代表例が『夏まつり』のシンセ横笛ソロ)。
 それから、姫神は、バックトラックがループ主体で単調なきらいがある(特に星吉紀氏が担当し始めてから顕著)のですが、 せんせいしょんでは曲の進行とともにバッキングのフレーズが微妙に変わっていくので、繰り返し聞いても飽きが来ません。 レコーディングの時も、おそらくテイクごとに微妙にフレーズが異なっていたのでしょう。 バンド的なノリを重視していることは明らかであり、スタジオワーク重視でライブパフォーマンスが地味だった姫神とは好対照です。

 姫神とせんせいしょんのサウンドの特徴を大雑把に比較すると、次のようになるでしょう。

『姫神』 いにしえの東北(日高見−みちのく)に土着した響き
シンセ主体
打ち込み多用のバッキング(主旋律は手弾き)
ニューエイジ/ワールドミュージック系
『せんせいしょん』 和の風味をポップで現代的にアレンジした響き
ギター・ベース・ドラムス主体
生演奏感覚を重視した音づくり
ジャズ/フュージョン系

 姫神せんせいしょんのサウンドは、この2つの要素が絶妙なバランスで交じり合って出来上がっていたわけです。

 しかし、姫神せんせいしょん最後のアルバム『姫神伝説』には、星吉昭氏が一人で曲作りをしたような跡があり、 その時点で星氏は、佐藤氏らのバンドセクションと離れて、ニューエイジ的な音楽を追究したくなったのでしょう。 こうして、姫神せんせいしょんのうち、メロディアスで郷愁を誘う民俗的な部分は、 「自分は“姫神”を〜」の科白と一緒に、星氏が持って行ってしまいました(ついには冥土まで…)。
 あとに残された部分を、20年以上寝かせてからブラッシュアップして、できあがったのが、せんせいしょんなのです。 そのことが誰の耳にも明らかになった、今回の再結成だったと思います。
 再結成にあたっては、姫神的な部分を否定しているわけではなく、 姫神を意識して作ったような曲もあるのですが、どうも今ひとつ、私の心には響いてきません。 良いメロディーを作るのは努力よりも才能であることを痛感します。

 気がつけばメンバーがだいぶ高齢化しており(苦笑)、グループの今後の活動形態は今ひとつ見えてきませんが、 これからは星吉昭路線とは違う、せんせいしょんらしさをいかしたサウンドを積極的に追求していくことでしょう。 個人的には『夏まつり』『郷の踊り子』に見られる新機軸をさらに発展させていってほしいと願います。

 さて、姫神ファンはこのアルバムを買うべきかどうか?私が独断でアドバイスします。
 姫神せんせいしょん時代のファン、特にフュージョンっぽいサウンドがお気に入りの人なら、 文句なしに買うべきです。たぶん大いに満足してもらえるでしょう。
 いっぽう、姫神になってからのファンに対しては、何とも言えません。 上で述べたとおり、サウンドキャラクターが違いすぎるので、個人の好き好きになると思います。 『マヨヒガ』『青い花』あたりの民謡ハウス的なサウンドがお気に入りなら、入って行きやすいかもしれません。
 どこかで気軽に試聴できるといいのですが、岩手県以外に住む人にとって、店頭や放送で聴ける機会はほとんどありません。 ネットでサンプルを聴けるようになるとよいのですが。関係者の方々、販促のつもりで、ご一考を。 (追記…2008年5月ごろにせんせいしょんのオフィシャルサイトが開設され、一部の楽曲のサンプルを聴くことができるようになりました)

生まれ変わった『奥の細道』 〜過去から現在、そして未来の盛岡へ〜

 『奥の細道』がリリースされた1981年、盛岡にはまだ新幹線が通じておらず、電車だと東京から6時間以上もかかっていました。
 私が生まれて初めて宮城県から北に足を踏み入れたのが、この年の秋。 上野から最初の下車駅一ノ関まで、延々と電車に揺られて――そこは、遠い遠いところでした。 その日の夕方、中尊寺の月見坂のあたりから見下ろした鄙びた田園風景は、東北の原体験として、 今もくっきり脳裏に焼き付いています。あの姫神せんせいしょんの懐かしいサウンドとともに…

 翌年、地元待望の東北新幹線が開業し、それは「奥の太道」ともてはやされました。 東京−盛岡間は現時点で2時間半まで短縮され、日帰りすら可能になって、多くの人が行き交うようになりました。
 やがて、岩手にも民放FMが開局し、民放テレビも4局になるなど、東京との情報格差は以前より縮まりました。 インターネットにより、個人レベルでも東京と同時に情報を入手でき、発信することも容易になりました (『桃源郷』を岩手のレーベルから全国に送り出すことができたのが、まさに象徴的です)。
 盛岡の市街地はマンションが増えて岩手山が見えにくくなった、という話を聞いたことがあります。 盛岡駅の裏側にはいつの間にか高層ビルが建ち、郊外では新市街地の計画的な開発が進む半面、 大規模ショッピングセンターが2箇所もできて、中心市街地に影響を及ぼしているとのことです。

 そして2008年、『奥の細道』が帰ってきました。
 それは、星吉昭氏のアナログシンセが奏でていたみちのくの土の香りを微塵も感じさせず、小粋で小洒落た、近代的な盛岡の街の香りを放っていたのです。

 岩手にだって、都市はある。市民は普通に都市生活を送っている。
 考えてみれば当たり前のことなのに、遠く離れた場所に住む私は、長いこと姫神の音楽にはまりこんでいたために、 現実的な側面にあまり目を向けず、ファンタジックな想像をふくらませ過ぎたきらいがあったかもしれません。
 曰く、東北には、失われた古き良き日本が、色濃く残っていると。
 曰く、エミシの末裔たちは、自然を畏怖し、日々素朴な暮らしをしていると。
 装いを新たにしたせんせいしょんの『奥の細道』は、そんな私に、 着実に姿を変えつつある21世紀の盛岡と、そこで暮らす人々の活き活きとした情景を思い起こさせてくれました。

 このほかの曲でも、『郷の踊り子』『夏まつり』は日本的なモチーフを採り入れているにもかかわらず、バタ臭くなく、どことなく都会的な雰囲気を醸し出しています。 なかでも『夏まつり』は、若手のミュージシャンが参画し、今後のせんせいしょんの方向性を提示するかのような斬新な曲ですが、私はこの曲に、 市内中心部のビルが建ち並ぶ中央通で毎年夏に繰り広げられる『さんさ踊り』のイメージを投影すると同時に、新世代が担い、未来へ躍動する盛岡の、輝かしい姿を見たような気がします。

 もちろん、昔から変わらずそこにあり続けるものもあります。 街のあちこちに残る明治大正期の建築物、石割桜、盛岡城の石垣、上の橋の擬宝珠、 中心部で合流する3つの川の流れ、そして、北の空にそびえる岩手山と姫神山のシルエット… 先に具体的に挙げた2つの曲を聴くたびに、盛岡の変わりゆくものと変わらないものがオーバーラップして来ます。

 振り返ってみると、私が前回この街を訪れてから、10年近く経ちました。 2008年のありのままの盛岡の姿を、久しぶりにこの目で確かめに行きたくなってきた、そんな昨今です。

=追記=

 せんせいしょんの再起動コンサートを見に行ったついでに、盛岡市内を10年ぶりにあちこち回ってみました。
 中心部の商店街は人通りがあって、新しい商業ビルもあり、衰退しているようには見えませんでした。 かといって思っていたほど垢抜けた感じはしません。やはりそういう意味で地方都市なのでしょう。 いくつかの新しい建物や開発中のエリアも見ましたが、盛岡らしさを紡ぎ出す魅力には欠ける印象です。 変わりゆくものよりも、むしろ変わらないものの存在感、力強さが心に残りました。
 ただ、旧城下町の寺院や町家が残る一角にも、ロードサイドの新興住宅地にも、 それぞれの人々の暮らしがあったのは確かです。そして、それが今の盛岡の姿であることも。

 最後に。
 佐藤将展氏がかつて経営していたと思われる喫茶店『馬鈴薯』の所在地と現在の様子を、岩手県立図書館の古い住宅地図で調べてみました。 北上川の川べりにあったその店は、架け替えられた夕顔瀬橋の道路敷となっていて、もう存在しません。

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