ほどき心理相談所の仮のホームページ

ひきこもりは会話から

ほどき心理相談所

安藤則夫著 「抱っこでスクスク:育児困難な子どものための育児学入門」学苑社刊、定価2000円もお読みください。落ち着きのない子や自閉的な子など様々な問題を負った子への働きかけがうまくいくためのやり方が書いてあります。書店にてご注文してください。

安藤則夫著「スクスク子育て:情緒発達から見た自閉症」学苑社刊、定価2310円。じっくりと子どもの心の育ちを考えられる本です。

学苑社

「自閉症と情緒発達」のホームページここをクリックしてください。

「落ち着きのない子の考え方・働きかけ」のホームページここをクリックしてください。

E-メールでのご意見、ご感想、ご質問、 ご相談はこちらから

 相互リンクのページ。相互リンク募集中!

目次

第1章 ひきこもりと固さ

ひきこもりの子/固さの原因/固さの見方/全幅的経験の意義/沈黙も圧力に/こじれた場合どうする。法と制度の整備/ひきこもりに対する親の心構え(1)親子関係は大黒柱!/ひきこもりに対する親の心構え(2)ケガを叩いて出血を悪化させる!?

第2章 会話の進め方

会話を始める/拒絶もメッセージ/好き嫌いの表現を引き出す/本音を話す。好き嫌いについて/無理難題を言ってきたら/雑談をする/自分の性格について語る/自分の性格から生き方を考える/将来を語れる/「気軽に考え、気軽に取り組む」の意味の再考/核心に迫る/

第3章 言わない方がいい言い方

プライドを守る/心に負担をかけない/愚痴や先回りは益なし/不完全さを認め、楽しさを大切にする/子どもを包囲しない/子どもも苦労している/恨みごとは禁句/共に笑おう/過去の受け止め方/表情や身体言語を読み取る

第4章 あとがき

プライドを傷つけない相談/こじれる親子関係

 

第1章 ひきこもりと固さ

ひきこもりの子

 日本では、150万とも200万とも言われる人々がひきこもっているそうです。これは、日本独特の現象と言われています。これは、大変ということで、ひきこもりを改善するための研修会を計画しました。また、ここでもしばらくひきこもりの事について書いていこうと思っています。

 

 日頃、ひきこもりの子や人の相談に乗っていて言えることは、心の固さというか考えの固さということです。固さと言われても何のことかわからないと思いますが、固さはいろいろな面に現われています。

 

 まず、1つの考えにずーとしがみついていることがあります。「高校は一番の所に入るべきだ。」とか、「親友は、裏切らないものだ」といった考えを思い続け、そこからなかなか離れられないという問題があります。つまり、考え方を柔軟に変えられないという意味で固いと考えるわけです。「高校は一番の所に入るべきだ」と思っても、実際に入れなければ、他の所に入ればいいと考えるのが普通の考え方かと思いますが、「入れない」しかし「入るべきだ」と思い続けているものですから、進退窮まってしまうのです。

 

 「親友」に仲間はずれにされ、無視された人がいます。だいたい無視するような人は親友とは呼べないわけです。ですから、普通は、「今まで親友かと思っていたけど、無視するようになったから、もう親友ではない」と考えると思います。しかし、どうしたわけか、無視されても親友のままなんですね。だから、「親友なのに、なぜ無視する?」などと悩み続けるのです。「親友」という考えを捨てられないから、「無視する親友」などというわけのわからない考えで悩み、その「親友」に対してどう対処していいかわからないことになってしまいます。親友なのに無視するとは腹が立つと無性に腹が立ってきて、ひきこもってしまいます。そんなこともあるのです。

 

 自分の考えを状況に応じて転換させられないのです。そのため状況にあった対処ができなくなり、ひきこもるしかないことになってしまうのです。

 

 行動がころころと変化させられないためにうまく対応できなくなるということもあります。友達が、「あのドラマについてどう思う?」と聞いたとします。するとまじめに「何と答えたらいいか」などと考え始めます。だいたいまじめに考える人もいますが、頭が真っ白になってしまって考えられない人もけっこう多いのです。対人緊張が現われて、身も心も固くなり、柔軟に対応できないことになります。友達もなかなか返事が返ってこないので、相手にしなくなります。また、あまりにぎこちないために、バカにすることにもなります。本人もうまく対処できないので人とつきあうのが面白くなくなります。だんだん人とつきあうのを避けるようになり、ついにはひきこもりに至るということになります。

 

 一人でいるときが一番リラックスします。一人で好きなことをするのが一番楽なために、緊張してうまくつきあえない人とのつきあいを避けるのです。このタイプの人は身体も縮こまった感じで固くなっていて、例えば、体操してもうまく身体を動かせないとか、歌を歌っても伸び伸びとした声がでないということがあります。

 

 また、自分の趣味や考え方を人に合わせて変えられないために、人と話題が噛みあわないことになり、人とのつきあいを避けることがあります。独自の世界を築いてしまって人と楽しさを分かち合うことができないということになります。自分の考えに人が合わなければ、「人を変える」ように努力するか「自分を変える」ように努力することになりますが、どちらも変えないためにひきこまらざるを得なくなってしまいます。中には「まわりの人間が悪いのだ」と堂々とひきこもる人もいます。

 

 以上は、性格的に固さが現われている例ですが、いじめを受けたり、叱られたり、困った状況に陥って、固くなってしまうという場合もあります。反応性の固さです。いじめられても、腹が立つと言う人もいるわけですが、そうではなく、黙って腹の中にしまうわけです。反応性とは言っても、何か嫌なことがあると固くなりやすい性格がもともとある場合もあります。しかし、全く本人の性格に問題がなくても、いじめられるなどの不当な行為をされることで、固まりやすくなってしまうこともあります。

 

 友達とうまく行かなくなった場合、話し合いがなされ、友達と話し合いによって和解が成立した後も学校に行けない状態が続く場合があります。和解をし状況が変化したけれど友達を見ると「嫌な気分になり、緊張する」という反応が固く持続してしまうのです。友達が謝り、よかったと考えても嫌な感じ方は固定したままで変化しないために、ひきこもりが続いてしまうことになります。

 

 ですから、ひきこもりを解消するためには、予想もしない不利な状況や困難な状況においても、「固くならずに」「生き生きと柔軟に対処できる」ようになることが大切です。また、状況が変わったらその変化に応じて感じ方も変わるようになることが大切です。

 

 なお、・・・

 

 ひきこもりの人は性格が固い固いと強調しているようで、気を悪くなされた方もいらっしゃるかと思います。けっして悪い性格だと言っているのではありません。まじめで誠実、きちんとした性格がうまくいかなくなると「固さ」となってしまうのです。ひきこもりの本質をしっかり見られるように「固さ」という表現を使いました。ご了承してください。

 

 さらに・・・

 

 ここでは、本人のことや本人への働きかけを中心に書いています。「ひきこもり」が起こったそもそもの原因や誰に責任があるかを考えると、社会的環境や学校現場の対応、国や学校の教育に対する姿勢、周りの友達の影響を抜きにすることはできません。しかし、ここでは、そういったことについてはあまり取り上げていません。あくまで、ひきこもりが起こってしまった時点でどう考えるのか、どう働きかけるのかに焦点を当てて書いています。子どもさんや親御さんの対応について、あれこれ書いていますが、決して一方的に子どもさんや親御さんに問題があると言っているのではないとご理解いただけたらと思います。

固さの原因

 行動や考え方の固さのために人に柔軟に対処できずに、ひきこまらざるを得なくなる問題について考えていますが、そもそも固くなってしまうのはなぜかについて考えてみたいと思います。

 

 ひきこもりの人の親御さんを見ると、けっこうしっかり者タイプの人が多いです。きちんと部屋をかたづけるとか、約束を守る、とか、礼儀を守って友達とつきあうべし、とか、勉強はしっかりやるべき、といった考え方をし、子どもへのしつけだけでなく、親御さん自身の生き方もしっかりしています。

 

 このような親御さんのしつけのためか、ひきこもりの子はまじめにものを考えるタイプが多いと言えます。しかし、兄弟を見るとそういうことが言えないと言えます。ひきこもりになる子は、親が静かにしなさいと言うと静かにして待っているようなことがありますが、兄弟は、なぜ静かにしなければいけないのと文句を言ったりします。友達にいじわるされても、あの子がいじわるしたと気軽に言えます。親のしつけにかかわらずずけずけと物を言う一方、あまり過去にこだわることがありません。親にも逆らったりします。しかし、ひきこもりの子は、人の嫌がりそうなことを言わないか、言ってもスッキリせず、過去を引きずってしまいます。

 

 同じ親に育てられ、同じようにしつけられても、かなり性格の違った子どもが育ちます。親の育て方によって子どもがひきこもることになったとは考えられないと言えます。もっともよほど極端な場合があるかもしれませんが。しかし、子どものもともとの性格を助長してしまった、という側面はあるように思われます。もともと、おとなしくまじめな子が、しっかり者の親に育てられてますますまじめになってしまったということは言えると思います。活発でリーダー格だった子は、しっかり者の親によって、しっかりと自己主張ができる子に育つということがあります。

 

 しかし、それまで深く考えずに友達と仲良くしていた子どもも思春期になると、友達を選び始めます。自分の趣味に合った子を求めるようになります。このような友達関係の変動に対して、特に女の子らは友達関係を維持しようと必死になったりしますが、おとなしくまじめな子は、うまく対応できません。信義を守ろうと一貫した態度をとろうとして、友達の気まぐれに翻弄されてしまいます。親友だと思っているのに無視されるようになったりします。こつこつやってきた子は、面白みがないために孤立しがちとなります。自己主張してきた子は、我が強いことで嫌われプライドを傷つけられます。他の子にテキパキと応じることができないでカッカッとしてしまう子は、うまく自己表現できないことでバカにされたりします。

 

 固くなって、自分のやり方を柔軟に変えられない子は、本当言うと、冗談を言って笑わせたり、バカなことを言って軽妙な会話が楽しめるようにした方が(結果から見ると)よかったのですが、まじめでしっかり者の親の影響で、まじめであったり、誠実であったり、自己中心的であったりして固くなってしまい、うまく対応できない状況に陥ってしまいます。これは、親の育て方が悪かったということではなく、悪い状況にはまってしまったといった方がいいでしょう。ただ、うちの子はまじめすぎるから、もう少し柔らかくしておこうと考えられたら、それも一つの育て方と言えます。

 

 そこで、子どもがひきこもりになってもまじめに物事に取り組もうとすると、ますます柔軟な対応が難しくなることになります。

 

(今回も固さばかりを強調して、申し訳ありません。固くするつもりがなくても、固い性格になる成り行きがあるということです。)

固さの見方

 ひきこもりの子は、「固い、固い、固い」と言い続けて申し訳ありません。まず、普通の人の会話について見てみましょう。

 

A「よう、天気がいいね。このところいい天気続きだね。」

B「何言っているんだ。昨日は少し降ったよ。」

A「アレッ? あっそうね。アハハハハ、天気は良かったり、悪かったり・・」

B「本当に、調子がいいんだから。」

A「フン、凡人には、天才の気持ちはわかるまい。」

B「何言っているんだ。天気のこともわからないのに。」

A「いやー、こりゃ、一本取られましたな。」

 

 この短い会話の中でも、話し手の気持ちはかなり揺れ動いています。Aだけについて説明します。始めに意気揚々とした感じで話しかけます。気分が高揚しているので調子に乗って天気のことを話します。次に言ったことの間違いを指摘されて、驚き、しかし承認し、緊張を解きほぐします。しかし、批判されたので、少し腹を立て、軽蔑の意を示すことで優位に立とうとします。しかし、さらに決定的なことを言われ、認めざるを得ないということで、あっさり脱力して負けを認めます。

 

 つまり、「高揚」→「驚き(緊張)」→「リラックス」→「立腹」→「軽蔑」→「降参(殊勝に脱力)」と気持ちを変化させています。ころころと変わっています。ころころと変わることができるので調子よく人とやりとりができると考えられます。人に合わせることも容易になります。

 

 しかし、気分が細やかに変化しなければ、人とのやりとりもうまくいきません。固い感じのままであれば、人とまじわりたいと思っても、いや思うからこそよけい固くなり、テキパキと対応できません。何か答えようとしてもあがったような状態になり、頭もしっかり働きません。

 

A「最近、元気かい。」

B「エー、ンー・・・・・、ソー、ソンナモノ」

A「なんだい、簡単なことなのに、そんなに考えて。」

B「ンー、ンー、アー」

A「こりゃ、だめだ。」

 

 また、たとえ言葉では相手の言葉かけに対応していても、気持ちが動かないままに話していると、人からは乗っていないとか、冷たいと感じられてしまいます。話していても、つまらないので人からは声がかけられなくなります。また、ぎこちないので、人にバカにされることも起こります。固い本人も、なんとか話そうと思っても固くなり、なかなか声や言葉が出てこないので、人とのつきあいをつらいと感じるようになります。

 

 これは、無意識的に起こる身体と心の固さのためですから、「もっとテキパキと話せよ」と言ってもうまくいきません。家族の人と話しをしても、「早く、学校に行けばいいのに」といった無言の圧力を感じますから、よけい固くなって話しができなくなってしまいます。

 

 身体を動かすように働きかけると、身体かなり固くなっていることがわかります。両肩を力を入れて上げては、リラックスして両肩を下ろす運動も、ギッギッと力が入った感じでぎこちない動きを示したりします。単に声を出すように言っても、固い声しか出ないということもあります。

 

 いじめや冷やかし、試験での失敗、もともとの感じやすさなど、いろいろな原因が考えられますが、現象としては、固くなるということで現われているわけです。

 

 ですから、働きかけは、固さをとって、ゆったりさや快活さが気軽に現われるようにすることが大切です。柔軟さを引き出すことが大切です。その上で、会話を楽しめるようにもっていきます。

全幅的経験の意義

 ひきこもりの人や子には、様々な状況での全幅的経験が不足しているのではないかと思われます。全幅的経験とは、知的にも情緒的にもイメージ的にも身体的にも、全人格的にある状況に巻き込まれる形で経験することです。

 

 例えば、こわそうな人に話しかける状況を考えてみましょう。まず、こわそうな人に接近します。そのときには、攻撃されるかもしれない、何をされるかもわからないという不安感や恐怖を感じるでしょう。しかし、話をしなければならないという思いもあり、思いと不安の間で葛藤が起こることでしょう。近づけば、目の前に大きく立ちはだかる人物をまじかに見ることになり、自分の貧弱さを感じることでしょう。そしてハラハラドキドキしながらも、ままよと思い切って声をかけ、用件を伝えることになります。引きがちな自分の気持ちに反して、勢いをつけて話すことになるでしょう。

 

 話すときには、恐怖心を押さえて、いかにも楽しそうに話をするでしょう。相手が予想外のことを言っても、テキパキと頭を働かせて何か気の利いたことを言うでしょう。そして、話が終わって別れるときにも、にこやかに挨拶をして別れます。別れた後は、ホッと安堵感を感じます。やれやれよくやれたなと自分を誉めるかもしれませんし、自信を持つかもしれませんし、もうこりごりだと思うかもしれません。

 

 多少極端な例ではありますが、身体もイメージも情緒も知恵もフルに使って経験をするわけです。この短い体験の中でさえ、様々な面で自分自身をコントロールする能力が発揮され、発揮したことが記憶として積みあがっていきます。恐怖心に打ち勝って身体を動かしたり、頭を働かせたり、また、かなり緊張した後にいかにリラックスできるかどうかも重要な能力です。

 

 昔は、風呂に入るのも、食事をするのも、ちょっと遊ぶのも、簡単にはできませんから、身体と心を全体的に使って経験しなければなりません。薪を集めたり、火をおこしたり、薪を燃やし続けたりしなければなりません。水もどこからか汲んでこないといけないかもしれません。桶に水を入れて運ぶわけです。ご飯を炊くのでさえ、ずーとついていないといけません。下手するとこげてしまいます。魚だって、初めから刺身状態になっているわけではありませんから、きちんと骨をとったり、内臓をとったりしなければなりません。・・・すべてのことが全身を使った作業だったのです。

 

 今は、実に簡単です。それでも親は、料理を作ったり、かたづけたりと様々な仕事をしますが、子どもにいたっては、座ったり、立ったり、少し歩いたりするぐらいで、苦労知らずです。自分を細々とコントールする必要はありません。考えてみると、実にすわっていることが多いのです。

 

 食事ですわる、テレビですわる、勉強ですわる、学校の授業ですわる、電車ですわる、車にのってすわる、ゲームをしてすわる、パソコンをしてすわる・・・実にすわっている時間が多いのです。身体を使って身につける知識よりも、イメージや頭脳だけの知識がなんと多いことでしょう。

 

 特に困難なことが起こらないような状況や困難であっても純粋に知的問題である場合には、頭脳的知識優位であっても、特に問題は起こらないでしょう。しかし、身体や感情を発揮して、苦境を打破しなければならない状況に立たされた場合、何もできずに回避するしかないということになるのではないかと思われます。せっかくの頭脳的知識も、回避行動を合理化することに使われてしまうことになるかと思われます。いわゆる「精神的にひ弱な人」になってしまう。ということです。

 

 ひきこもりの子を見ると、けっこう、まじめでおとなしい人が多いですね。または、芯が強くがんこなタイプです。こういう人たちは、ダイナミックな対応が必要であったり、ゆとりを持った対応が必要な状況で、固くなってしまい、うまく対応できなくなってしまうと思われます。

沈黙も圧力に

 ひきこもる子に話しかけても、黙りこくっていたり、腹を立てている様子であれば、なかなか話しかけることができません。テレビゲームなどやっていて楽しんでいる様子のときなどもなかなか話しかけられないものです。親としては、気を使って黙って子どもを見守るというやり方をとることになります。

 

 ひきこもりの人は、人とのかかわりの中で、テキパキと言葉を交し合えるようになったり、動作的なやりとりでも、人と活発にかけひきができるようになることが望ましいと言えます。

 

 ですから、できるだけ会話ができるようになることが大切です。家での会話が盛り上がることで、他の人とも話しやすくなります。しかし、なかなか遠慮してしまって会話が少なくなりがちです。親としては、気を使ってあまり喋らないのですが、この喋らないことが「親は言いたいことがあるのに喋らないのだ」という変な疑いを子側に持たせることがあります。そうすると、子の方も警戒した感じをいつまでも持ち続けることになり、圧力を受けていると感じることになってしまいます。すると頑なな心を維持してしまうことになり、固い心を作ることになってしまいます。

 

 むしろ、まず始めは楽しく話しをすることを目標にして話しかけることが大切と思われます。険悪な雰囲気が既に存在する場合には、もちろんしつこく語りかけてはいけませんが、それでも時には語りかけた方がいいでしょう。

 

 例えば、「いい天気だね」でもいいですし、ジョークを言ってみたりします。私が勧めるのは、クイズを出すことです。これは、あなたと楽しい会話をしたいと思っていることの表明となります。私のもう1つのメールマガジンを参考にしていただきたいのですが、例えば「本が、水に沈むときの音は何んだかわかるかい?」と唐突に聞くのです。もし、答えなければ明るく「難しかったかな。」とか「そんな余裕ないかな。」と言ってあげて、「答えは、ブック、ブックでした。」などと言って引き下がります。そうして、しばらくしてからまた別のクイズをしかけます。子どもの方は、初めは無視していても、親がこんなことをすることで親は楽しい会話をしたがっているという意図を読み取るようになってきます。すると「バカだなあ」と言いながらも、答えてくれたりするようになります。「よくできました。」とか「残念でした」と軽い気持ちで言っていると次第に話ができるようになります。

 

 もし、話しかけて、腹を立てるようであれば、「これは、邪魔しました。」と言って引き下がります。そして様子を見てまた話しかけます。もし間をあけながらも繰り返し話しかけて次第に怒りが高まってくるのであれば、もっと間をあけた方がいいでしょうし、機嫌のいいときも見計らって話しかけるようにした方がいいでしょう。腹を立てたときには「よほど、怒りが腹の中にたまっているんだね。」などと話しかけるといいのではないかと思います。ずーとそっとしておくよりも、話しかけてこちらは怒らないことを示した方がいいでしょう。そうすることで、次第に警戒心が取れていきます。

 

 こちらへの警戒心が取れなければ、楽しい話ができないでしょうし、楽しい話ができなければ、まじめな話もできないでしょう。また、楽しい話ができなければ気持ちを湧き立たせることはできないでしょう。そして、気持ちを湧き立たせられなければ、頑なな心を和らげることもできないでしょう。

こじれた場合どうする。法と制度の整備

 私の考えの基本は、親子が楽しく活発に話しをしたり、しみじみとゆったり話しができるようにすることです。そうなれば、他の人との話もうまくいくようになります。そのためには、まず、親の説得が大切になります。ひきこもる子に文句を言うのでなく、活発さを引き出して、ゆったりできるようにしていくように話をしていきます。

 

 しかし中には、親子関係がこじれてしまい、うまく社会に出られない状況を親のせいにして子が親に暴力をふるうようになる例もあります。ここでいつも感じるのは、法と制度の不備ということです。

 

 ここで、基本的な考えは、暴力や脅かしは犯罪だということです。親が子どもに暴力をふるうことは児童虐待と呼ばれ法律違反(児童虐待の防止等に関する法律)となりますが、犯罪と考えた方がいいのではないかと思います。子が親に暴力をふるう場合も犯罪と考えたほうがいいと思います。刑法204条の傷害罪か刑法208条の暴行罪にあたります。また、親の育て方が悪かったとして子どもが「責任を取れ」と言ったり、「搾りとれるだけ搾ってやる」などと言う場合がありますが、これは、刑法222条の脅迫罪または223条の強要罪にあたると考えた方がいいのではないかと思います。また、長期間働かずに親の金で生活するのも、搾取と考えられるのではないかと思います。もちろんいろいろな事情があるでしょうから、第三者が入って相談することを義務化した方がいいでしょう。

 

 つまり、二者間またはグループ内、集団間で、暴力や脅かしが常態化したり、常態化しそうな場合、さらにある人が他の人に依存し他の人に過度の負担を強いるような状況がある場合には、必ず、第三者が調停に入らなければならない、と法律で定める必要があると思います。こじれた問題を当事者だけで解決しようとすることはよくないと考えた方がいいでしょう。そして、当事者は、第三者の相談を受けなければならない、つまり強制的にでもカウンセリングを受けなければならないと法律で定めることです。

 

  ひきこもりの場合、人に会いたくないと言っても、強制的に第三者と会って定期的にカウンセリングを受けなければならないとします。家庭で無理な場合は、社会が子どもを育てるという仕組みをしっかりと確立すべきです。うつ病でひきこもっている成人男性が「病院に行きたくない」といい、親はやむなく子どもを世話し続ける例がありますが、親は途方にくれてしまいます。そんな場合でも、強制的にカウンセリングを受けなければならないとした方がいいのではないかと思います。もちろん、相談を受ける側は、自分の好む第三者を選択してもよいとします。

 

 さらに児童虐待と同様にまたはそれ以上に、他者に過度の負担を強いる状況や暴力が行われている状況があると知った場合には、公的機関に通知しなければならないという通知義務を規定した方がいいでしょう。当事者も含めて通知義務を課します。つまり、近所の人、親戚、学校関係者だけでなく、また加害者であれ被害者であれ、そのような状況があることを通知しないといけないとします。困った親が訴えて公的機関が動き出すのでなく、通知義務を課すことで、「なんでオレを訴えた」などという逆恨みを軽減します。

 

 こうして、警察といった懲罰的制度や病院といった治療的制度だけでなく、こじれた関係や状況を解決し改善するという調停的制度や社会性の未熟な人を教育する教育的制度を充実することが大切です。かなりこじれたひきこもりや家庭の問題では、当事者は調停のためのカウンセリングを受けることを義務化し、そのためのカウンセラーを整備します。また、会社に入っても人間関係がうまくいかずにすぐやめてしまうような人も社会性の向上のための学校に入らなければならないとします。そのために社会人のための社会性を育てる学校を整備します。暴力を振るいやすい人や犯罪行為を犯しやすい人も定期的にカウンセリングを受けなければいけないという制度にします。社会の中でうまくいくようにしていく制度を作るということです。

 

 誰が悪いということでなく、「こじれた状況」が起こった場合には、第三者が入り、「こじれた状況」を解決するのだという姿勢で公的機関が動くべきだと思います。このように社会全体が暴力や人への過度の負担を許さないという姿勢を示すべきだと思います。

 

 何かあっても仲間うちで解決すべきだというのでなく、こじれた問題がある場合は、第三者が入って解決するものだということを小さいときから教えた方がいいでしょう。

 

 以上は、将来の話です。ニートやひきこもりが社会問題化する現在、家庭や友達間、同僚間のいざこざやこじれの解決の考え方や仕方を変えていく必要があると思います。

 

 また、現実の問題に立ち返り、ひきこもりへの考え方、解決の方法を書いていきたいと思います。

ひきこもりに対する親の心構え(1)。親子関係は大黒柱!

 ひきこもりは、社会の中でうまく生きていけない、人とうまくつきあっていけないために起こりますから、ともかく家の中だけでも、人とうまくつきあえるようになることが大切です。そして、社会に出てみようかと、心に勢いが出るくらい楽しいつきあいが家の中でできることがまず大切です。勢いが出てきたら、しみじみとうまく人とつきあえるようになるのにどうしたらいいか、話し合えるといいと思います。

 

 しかしながら、ひきこもりに対する家での対応は、往々にして親子関係(これも人間関係の一種)を犠牲にしてでも、社会に出させようとする働きかけをしがちとなります。親子関係を犠牲にするということは、関係悪化を意味し、関係が悪化すればするほど、子は親の言うことを聞かなくなり、逆に反抗したり意地を張ったりするようになりますから、関係悪化は避けた方がいいでしょう。どんな場合でも、何か問題があった場合には、建設的で楽しい親子関係が一番重要と考えて子どもに対処することが大切です。

 

親子関係悪化には、3通りが考えられます。

 

1つは、対立関係(この中には水面下の対立関係も含まれます)。お互いがいがみあっている場合です。

 

1つは、親が子に隷属している場合。親が、子の機嫌とりをすることで、表面的には争いがないように見える場合があります。

 

1つは、子が親に絶望し無気力状態になっている場合です。親に日頃からガミガミ言われるために、元気をなくし、やる気をなくしてこもってしまう場合です。

 

いずれの親子関係悪化であれ、よくありません。ですから、「ひきこもり」について相談を受けた場合には、まず親と話し合い、子どもとの接し方について、親子関係が悪化しないように、親を説得することが大切となります。大切にすべきことは何かを、始めに明確にしておかなければいけないということです。

 

 まずは、親子関係が一番大切であり、親子関係を悪化させないで、ひきこもりに対処していくことが大切であると説明します。親子関係がいいことで、困った問題に対して親子で協力して立ち向かえます。逆に、親子関係が悪ければ、子は親の言うことは聞きませんし、親が子のために努力しても、反発して親の努力をぶちこわすようなことをしたりします。

 

 「学校に行くこと」よりも「親子関係」が大切であると、説明します。学校に行くことが2階の柱だとしたら、親子関係は、1階の大黒柱だと言います。2階の柱が傾いたからと言って、1階の大黒柱を切って2階の柱の補強をしてはいけない、でしょうと話します。大黒柱を切れば、2階の柱の支えが傾くために2階の柱はますます傾いてしまい、さらに家自体が倒壊してしまいますよ、と説明します。私は、大黒柱を切って傾く家の絵を見せながら説明します。

 

 また、ひきこもりとは、対処できない問題があるために(心の弱さという問題かもしれませんが)ひきこもるしかないかと思ってひきこもるわけですから、がんばれと言っても、ダメじゃないかと言ってもうまく行かないことが多いものです。むしろ、休んでエネルギーを蓄えた方がよいと考えられます。力が蓄えられることで、問題に対処できるようになります。逆にがんばれとか文句を言ってい

ると力が蓄えられませんから、ひきこもりが長引いてしまいます。

 

 ひきこもりは、「よくない状態」として捉えるために、何とかしようと親はあせるわけです。問題に対処できるためのエネルギーを蓄えるための「よい状態」と考えればいいわけです。

 

 また状態が悪く見えるときこそどっしりと腰をすえなければならないのに、親はあせってしまう傾向にあります。風邪で熱を出したら、これは異常だと言って、無理に起こして働けなんて言いません。むしろ寝かせてあげて抵抗力をつけた方がいいわけです。

 

 このようにひきこもりも適応的行動であること、状態が悪いと見えるときこそ、どっしりと構えた方がいいことを親に説明します。まず始めに親に心構えを説明することが大切なのです。そうした上で働きかけを説明することになります。

ひきこもりに対する親の心構え(2)。ケガを叩いて出血を悪化させる!?

 前回説明しましたように、ひきこもりの場合、まず家族の接し方が大切となるので、家族特に父母の心構えを作ることが大切となります。

 

 それに関連して、面白いたとえ話を見つけましたので、紹介しましょう。それは、イソップの「水浴びをする少年」という話です。ある少年が川で水浴びをしていて深みにはまり、おぼれそうになったのです。そして通りかかった人に助けを求めたのです。すると通行人は、「なぜ、深いところへ行ったのだ。よくわからなかったのか。バカではないか。」などと説教を始めました。おぼれそうになった少年は、「説教は助けてもらった後に聞きます。今すぐに助けてもらわなければ死んでしまう!」と叫びました。話はそれだけなのですが、「何事にも、それをする最適の時がある」という教訓がついています。つまり、人がおぼれているときには、文句を言ったり、説教するのでなく、まず助けるべきである、ということです。

 

 同じように「固くなってひきこもっている子」に対して、「何が原因だ?、誰が悪い?、こんなことではだめではないか。」などと質問したり、説教したりしてもうまくは行きません。まずは、子どもの気持ちに共感し、気持ちを代弁したりしながら、会話をはずませるようにしていくことで、固さをほぐすことが大切なのです。そのことを親に説明します。

 

 ケガをして出血しているときには、まずケガの処置をしてから、なぜケガをしたのかと問うことになります。ひきこもりで固くなっているときにも、「固さ」が最大の問題なのですから、「やわらかくほぐすこと」がすぐにやるべきことなのです。なぜひきこもったのか聞いても心の固さゆえに話してくれません。悪口を言われたといってひきこもる場合でも、悪口を言った人が謝罪するだけでは解決しないことがあります。それは悪口によって心が固くなってしまったからです。ひきこもりを解決するためには、心の固さをほぐすことが大切となります。石につまづいてころび、ケガをして出血した場合も、石をどけたら解決するわけでなく、ケガを直すことが重要なのです。

 

 ところが、石をどけて、ケガの原因を取り除いたのにまだ出血を続けているのかと非難されるのがひきこもりなのです。いじわるした人が謝り、これから仲良くしようと言っても、ひきこもりは解決しないことがあります。そうすると、次第に「わがままでひきこもっているのではないの」と非難されるようになってきます。本人もなぜ、学校に行けないのかよくわからない状態である場合がありま

す。なぜか教室や学校に入れないと言います。悪いイメージが固定化してしまっているのです。

 

 ケガした場合には、ケガを直して出血を止めることが大切です。ところが、原因の石をどけたのになぜ出血し続けるのだと非難し、ケガの部分を叩いてよけい出血がひどくなるようにしていることが多いのです。ひきこもりの場合も、頑なになった心を非難しても、よけい頑なになるばかりです。その心の固さを取ることが大切なのです。そんなことがないように、親御さんに理解してもらうことが

大切なのです。

 

 次回からは、ひきこもりの人の心の固さをいかに取っていくかという問題について考えたいと思います。

第2章 会話の進め方

会話を進める

 ひきこもりを解決するためには、自分にとって都合の悪いことも、気軽な気持ちで人と話ができることが大切です。気軽な気持ちは、テキパキと活発に対応するために重要な要素です。それが、自分の都合の悪いことを話すときにも発揮されればすばらしいことと言えます。自分に都合の悪いことも、あまり深刻に受け止めずに、少し距離をもって気軽に語れるようになることが大切なのです。そのような話が相談に乗ってくれる人とできるようになればいいのですが、とりあえず、家族の人との会話をはずませることが大切です。

 

 さて、ひきこもりの子にも様々な子、人がいます。ひきこもりのレベルも違います。重症のひきこもりの子は、家の中にひきこもるだけでなく、部屋にひきこもったり、布団の中にひきこもったりします。そして、会話をしません。返事もしないことがあります。軽いひきこもりの子は、雑談や楽しい話ならできるけれど、自分にとって都合の悪いことは話せません。

 

 ひきこもりを改善するための指標として、「どのような会話ができるか」を使うことができます。そこで「会話のレベル」について考えてみたいと思います。

 

1.話をするのを拒絶する。

 

2.口は利かないが、頭を振って肯定・否定を示す。

 

3.日常生活での好き嫌いは言う。

 

4.簡単な雑談はする。しかし、自分の都合の悪い話は避ける。

 

5.世間話を意見を言いながら談笑できる。自分の都合の悪い話は避ける。

 

6.世間話を意見を言いながら談笑できる。自分の性格や生き方を話題にできる。自分の都合の悪い話を黙って聞く。

 

7.世間話を意見を言いながら談笑できる。自分の性格や生き方を話題にできる。固くならずに自分の都合の悪い話もできる。

 

8.世間話を意見を言いながら談笑できる。自分の性格や生き方を話題にできる。ひきこもりを脱するための話し合いができる。

 

9.世間話を意見を言いながら談笑できる。自分の性格や生き方を話題にできる。ひきこもりを脱するための話し合いをし、簡単な行動を起こす。

 

10.世間話を意見を言いながら談笑できる。自分の性格や生き方を話題にできる。ひきこもりを脱するための話し合いをし、多少つらい行動を起こす。

 

 話しない→要求→雑談→世間話で意見→自分の性格や生き方→都合の悪い話→行動計画、という順番で話ができるようになってくると、次第にひきこもりの程度は改善されてきたと考えることができます。もちろん、けっこう我がままを言うタイプとか自己抑制の強いタイプで現れ方はかなり違ってきますが、おおよその道筋はそれほど変わりません。

 

 話をしない。

 

 家族の人との話を拒否する場合は、子どもはかなり家族の人に対しても不信感を抱いていますから、子どものことを拒否的には見ていないことを子に示すことが大切です。基本的には、「子どもに社会に出て欲しいと思っている。しかし、嫌でも社会に出ろとは言わない。子ども自身が積極的な気持ちで社会に出られることが大切だと思っている。」という態度を持ちます。そして、具体的な対応と

しては、(1)怒りが激しくならない程度に声かけをする。(2)拒絶も、メッセージとして尊重する。(3)子の心の内を代弁してあげる。

 

 黙って見守ると、子にとっては沈黙も圧力と感じることがありますので、むしろ圧力をかけない言葉かけをして、こちらの態度が子に伝わるようにした方がよいでしょう。こちらの腹の内を明かしておく、ということは重要なことです。声かけをして、もし子どもが腹を立てるとしたら、多少腹を立てるぐらいはいいと考えた方がいいでしょう。腹立ちが少しずつでも増加するようであれば、声かけ過ぎと考えて、もっと間をあけて声かけをした方がいいでしょう。

 

 例えば、部屋の外から「元気かい?」と聞いてあげます。そのとき黙っていたら「話したくないほど、怒っているんだね。その気持ちが伝わってきて、うれしいよ」などと黙っていることも肯定的に受け止めていることを伝えます。

 

 もし、「うるさい」と拒否的に声を出してきたら、「声が聞けてうれしい。気持ちがわかってうれしいね。」と、拒否的行動も肯定的に受け止めます。このように肯定的に受け止めていると、子どもは何を言っても、肯定的に受け止めてくれると感じるようになってきます。

拒絶もメッセージ

  子どもが話しをしてくれないときどうしたらよいか、について考えています。まず、(1)怒りが激しくならない程度に声かけをする。沈黙も圧力と感じることがありますので、むしろ親の態度を常に示した方がいいわけです。もちろん、子どもの今の状態を肯定的に受け止めていること示すことが大切です。

 

(2)拒絶も、メッセージとして尊重する。声をかけても、無視されるか、「うるさい」と言われる場合、往々にして、「それでは、あなたの気持ちがわからないじゃないの」などと応じがちです。しかし、もう十分に気持ちは伝わっているわけです。「話したくない」という気持ちが伝わってきているわけです。ですから、次に、・・・

 

(3)子の心の内を代弁してあげる。「話したくないと思っているんだね」とか「話したくないという気持ちが伝わっているよ」とお子さんに伝えてあげます。ここで「ぼくの気持ちなんかわからないだろう」などと言ってくれれば、先週提示しました評価段階の3「日常生活での好き嫌いは言う。」に進むことになります。親が自分の気持ちを言うわけですから、子どもとしては、「あっているな」と思うこともあるでしょうし、「勝手に言いやがって」などと思うこともあるわけです。また、自分の気持ちを言ってくれるわけですから、本人もつい自分の気持ちはどうなんだろうと考えることになります。そうなると、自分の気持ちを表現したくなります。

 

 親の肯定的な気持ちがよくわかってくると、次第に部屋から出て、居間や台所にいることが増えてきます。ただ、顔を会わせても愛想はよくありません。しかし、「ご飯食べる」など必要なことはうなづいたり、嫌と態度で示したりします。つっけんどんであるわけですが、親が文句を言わない限り、聞いていないようで聞く感じになります。こんな場合は、雑談をするようにします。新聞の記事の感想を述べたりします。「これは、ひどいわね。」とか「これは、面白いわね」と言います。あまり意見を聞かずに、むしろ「あなたもそう思うわね」と言った感じで勝手な心読みをします。すると、人間とは不思議なもので自分の気持ちを言いたくなってきます。

好き嫌いの表現を引き出す

 本人の都合が悪くなるような解釈の仕方はもちろんよくありませんが、自分の気持ちを人が勝手に言っているのを聞いていると、何しろ自分の気持ちのことですから、合っているか合っていないかはよくわかり、喋りたくなってきます。家族の人もできるだけ面白おかしく大げさに気持ちを言ってあげるといいでしょう。例えば、好きな料理を作ってあげたとき「飛び上がるほど、うれしいと思っているでしょう。」とか、お茶をいれるとき、「とても、いい時に持ってきてくれたと感じてる。しかし、それを言うのが恥ずかしい。」と、できるだけ本人が肯定的な気持ちを持っているかのように言ってあげます。

 

 お茶を入れたときに、黙って自分の好きなことをしているからといって、「お茶なんか飲んでいる場合かと思っているんだろうね。」とか「どうせうるさいと思っているんでしょう。」などと否定的なことは言わない方がいいでしょう。(決して人に悪いことを言わない「いい子」の場合には、後で説明しますが、多少挑発的な言い方をした方がいい場合がありますが)大人が、子どもの気持ちを肯

定的に解釈してあげれば、それほど悪い気持ちにならずに、気軽な気持ちで反論しやすくなります。

 

 親が何かして、明らかに怒っているような場合でも、「怒っている気持ちが伝わってきてうれしいよ。何も伝わらないよりも、何でもいいから気持ちが伝わった方がいいからね。」と気持ちが伝わってきたことを肯定的に評価します。他の言い方としては、「お前は、怒っているんだ。」とか「お前は、怒りっぽいね。」と言わずに、「お前の心の中の怒りの気持ちが怒っているんだね。心の奥底では怒りたくない、楽しくしたいという気持ちがあるのに、怒りの気持ちを抑えるのが難しいんだね。」という感じで言います。子どもの全人格が怒っているのではなく、子どもの一部が怒っているのだという感じで言ってあげます。そうすれば、怒りを話題にしていても、子どもが怒っているからダメというように全面的否定、全人格否定にならないからです。

 

 このような声かけをしていますと、次第に子どもの気持ちはやわらぎ、自分の気持ちについて、親に反論するというような形で、言いやすくなります。「お前は、うれしいと思っているんだね。」と親が言うと、「うれしくないよ。」とか、「うまくやりたいと思っているんだね。」と言ってあげると、「やる気ないんだよ。」などと言うようになってきます。

 

 ただ、人の悪口を言ったことがないという「いい子」タイプの子は、意地でも「人が嫌がるようなことは言わない」と決意している場合があります。こういう場合は、もちろん「感じたことをありのままに言っていいんだよ。」と言っても、言いません。むしろ、本人が持っているであろう「どろどろとした気持ち」をそのまま代弁してあげるといいでしょう。例えば、「今日は、ムシャクシャしているんだよね。」などと推測しながら言ってあげます。しかし、否定的な感情を持っているのがよくないという感じで言ってはいけません。温かく見守っているんだよという感じで子どもの気持ちを言ってあげます。

 

 そうすると「そんなこと思っていないわ」とますます悪い気持ちは持っていないという感じで言うでしょうが、それがむしろ思うツボです。「ほう、私の考えていたことをズバリと違うと言ってくれて、うれしいよ。」というように、人に逆らって本音を言えたことを評価してあげます。言った内容よりは、態度表明の方を評価してあげるわけです。すると、次第に気持ちが言いやすくなるわけです。

本音を話す。好き嫌いについて

  ひきこもりの子との会話を進める場合、まずは、たいしたことでないことで、言いたいことが言えるようになることが大切です。ですから、たいしたことでないことで、「ビンビンと、あなたの気持ちが伝わってくる。」というメッセージを伝えます。もちろん、ぴったり合っていなくていいのです。そんなにまじめに考えないで軽く考えて言ってあげます。軽い感じの話しかけが始めは非常に大切です。

 

 例えば、一緒にお茶を飲みながら、「おいしいお茶ね。あなたも心の中では、なんておいしいお茶だ、と感激しているでしょうね。」子どもがあまりに沈んだ感じで飲んでいるときには、明るい雰囲気だとその場面にあまりにも合いませんから、次のように言うといいでしょう。「おいしいお茶ね。しみじみとお腹の中にしみいるわね。気持ちが落ち着くなー、て感じているでしょうね。」

 

 このようにいろいろな場面で、軽い感じで自分の気持ちを言われていると、「そんなふうに思っていない」とか、「私の気持ちがわかっていない」とか、「勝手なことを言うな」と言ってきたりします。もちろんこのような意見表明は歓迎すべきことで、「なんでそんなことを言うの?!」などと反論するのでなく、「気持ちがわかってよかったよ」とか、「そういう気持ちなんだね。なるほど」と、

むしろ批判的な意見でも言ってくれるとうれしいという態度を示します。そうすると、毒々しい感じはなくなってきて、子どもは気軽に意見を言えるようになってきます。

 

 そのように「気持ちの勝手な推測」を行って、自分の気持ち(好き嫌い)が言いやすくなってきたら、次第に「このおかずは、おいしい?」「塩からいかしら?」「こっちの方がよかったかね?」と直接的に意見を聞くようにしていきます。さらに「このおかずは好き?」「これは嫌いかな?」と感情を聞くようにします。

 

 返事が返ってこなかったら、少しズルーとヅッコケたり、「何と答えようか、考えているんだね。」と言ってあげます。決して答えないからといって、ムッとして固い雰囲気のままにしないことが大切です。そして、気持ちを言ってくれたときには、批判的であろうと、ともかく意見を聞けてよかったという気持ちで聞きます。

 

 このように「気持ちの勝手な推測」→「気持ちの直接的な質問」をしていき、聞かなくても自発的に好き嫌いが言えるようにしていきます。

無理難題を言ってきたら

  軽い気持ちで、意見を言っていると子どもの方も意見を言いたくなってきます。まだ、気軽に話しができない子の場合、すねた感じで否定的な意見を言ったり、ごく簡単な意見を言うだけだったりします。そのときには、ちょっとした反応も評価することが大切です。ひきこもりの子の場合、何か言うことに価値があります。まずは、言いやすい状況を作って言いやすくし、その上でどう言ったらいいのか、どう考えていったらいいのかを見ていけるようにすればいいわけです。

 

 子どもは、ときには無茶な要求を言ったりします。わがままが出てくるわけです。「わがまま」とは、まさに「自分をそのまま出せるようになる」と言うことです。これは、ひきこもりから脱するための第一歩として重要です。ここで「好き勝手はいけない。努力が大切」とか「親しき仲にも礼儀あり」と説教を始めると、また、ひきこもってしまうことになります。

 

 「わがまま」になるとは、エネルギーが出てきた、元気になってきた、ということです。元気が十分出てきて始めて、その元気をコントロールすることができるようになります。ですから、勝手に聞こえるかもしれませんが、好き嫌いを言えるようにしていくことが大切なのです。

 

 また、激しい調子で好き嫌いを言う子であるならば、それは、ゆとりがない子ということになります。その場合も、言うことを言って満足できるようにしていくことが大切です。満足させて、ゆとりを持てるようにしていくわけです。ただし、話をよく聞くにしても、できないことはできない、こちらがやりたくないことはやらない、やってはいけないと思うことはやらない、という態度で臨むことが大切です。無理なこと言うのはおかしいという態度で臨むのではなく、かなえてやりたいけれど残念ながら出来ない、という態度で臨むことです。話は聞くけれども、そしてその話に共感はするけれども、できないものはできないのです。

 

 もし、出来ないことで、子どもが攻撃的になるのであれば、いくつかの対応が考えられます。こちらが強いのであれば、攻撃的行動を止めた方がいいでしょう。もし、親の方が弱いのであれば、逃げることが大切です。これは、こわいから逃げるのでなく、「子どもに、人を傷つけるという悪」をさせないという配慮で逃げるということが大切です。暴力の可能性があるならば、ともかく逃げる準備をして話し合うようにします。または、近所の人か知り合いの人が立ち会う場で話しをするようにした方がいいでしょう。

 

 ともあれ、好き嫌いが言えるようになってきたら、さらに雑談ができるようにしていきます。テレビのニュースを見たり、新聞の記事を見たりして、感想を言います。やはり軽い感じで感想を述べ、意見を聞きます。意見を聞いてそれに答えなくても、「言いづらいんだね。」と軽く言います。そうして、自分なりの意見を言ってみて、「あなたも、そう思うわよね。きっとそうだ。」などと言って

おればいいのです。政治や天候など、生活とあまり関係のないようなことで質問し、話ができるようにしていきます。

雑談する

  好きなことが言えるようになってきたら、雑談を言えるようにしていきます。テレビを見て、天気や政治や料理や旅行などの軽い話題について話をしかけていきます。「これは、ひどいね」「これは、面白いね」と声をかけます。始めは単に感想を言うだけにします。それで、うるさがれなかったら「これは、こうした方がいいと思うわ」「これは、−−すべきね」と意見も言ってみます。

 

 それに対して「うん」とか「ふん」とか「そうだな」とか「どうかな」などと言うようになったら、次第に意見を求めるようにします。その場合は、まず、こちらの意見を言ってからどう思うか聞いてみます。返事がなくても気にとめないで「あなたも、きっとそう思うわよね」と言ってあげます。子どもとしては、返事をしなければ、親が勝手に自分の意見を決めてしまいますから、次第に自分の意見を言うようになってきます。決して「返事してくれなければ、わからないじゃない」といった親子の断絶を明確にするようなことは言わないことです。いつでもよくわかっているという気持ちで接します。

 

 意見を言ってきたら、どんな意見であれ、「よく考えたね」とか「よく言えたね。さすがだね」と評価してあげます。よい意見か正しい意見かは、別な問題とします。

 

 もちろん、「よい意見」や「正しい意見」かについて踏み込んで話し合いができそうであれば、「それでいいと思うかい。そう考えたら・・・となってしまわないか」「それは、おかしいんじゃないか。」と言ってあげます。ただし、この場合でも、親の権威でもって意見を押し付けるような雰囲気で言ってはだめです。議論を楽しむ感じでいきます。反論されても、また、気楽な雰囲気で反論できることが大切です。ひきこもりを起こす前の親子の会話が押し付け的であった場合は、気軽に話ができるようになることはなかなか難しいですが、気軽に意見を叩き合わせられるということは、非常に重要なことですので、こちらが反論するときは、ふと思いついたことをお伺い立てるように感じで言い、子どもが反論するときには、なるほどねと感心するような感じで答えるといいでしょう。

 

 ここで、感情的になって議論するのでは、社会に出てから意見の違う人とうまくは行きません。少し議論しただけで、「相手が気に入らない、もうやめた」ということになってしまいます。もし、子どもがきついことを言って、議論が過熱しそうな場合には、「うん、その意見については、もう少し考えてからこちらの意見を言うよ」と言って、議論を持ち越すことにした方がいいでしょう。どう答えたらいいか、よく考えてから、「この前の話だけど・・・」と話の続きを行います。こんなことは、あまりしないことでしょうが、ゲーム感覚で話を進めることが大切です。

 

 大切なことは、議論が停止してしまったり、決裂してしまわずに、粘り強く話し合えるようにすることです。意見交換が続けられるということが大切なのです。まず、始めの段階では、気軽に意見を言い合える雰囲気をつくることに気をつけてください。

自分の性格について語る

  ある程度、世間話や雑談ができるようになってきたら、これも雑談の部類に入れていいのでしょうが、お互いの性格について話ができるようにしていくといいでしょう。

 

 例えば、「性格判断」とか「あなたの深層心理を探る」といった人の性格の見分け方とか、どんな性格のときにはどうしたらいいのか、について書いてある本があります。それらを元にして、お互いの性格について語り合います。別にその内容が科学的でなくてもいいですし、かなり荒唐無稽な本でもいいのです。面白い本でいいのです。自分の性格を見極め、どう性格を改善していったらいいのかについて真剣に考えるわけではありません。もちろん、いろいろなことが深く話し合えるようになってきたら、性格についてまじめに書かれた本を読んで、真剣にどうしていったらいいのか話し合ってもいいわけですが、とりあえず、最初の段階では、気軽な気持ちで性格について話し合えればいいという感じでやっていただければいいかと思います。ですから、科学的根拠はあまりないにしても、血液型別の性格について書いてある本や、動物占い的なものでもいいのです。お子さんが軽い気持ちで興味を持ちそうな本からやってみます。

 

 目的は、自分について冷静に客観的に考えられるようにすることです。そのキッカケになればいいのです。

 

 まずは、親自身が性格判断の質問に答えて自分の性格について見てみましょう。そして子どもに、「私は、こんな性格て、出たわ。意外と当たるわね。」とか「まあ、ちっとも当たらないわね。私の性格は、こうなのに」等、話しかけます。例えば、「私は、明るくて楽観的な性格と出たわ。その通りね。」などと話すのです。子どもが賛成したり、反対してきたりしたら、乗ってきたということです。「違うよ、お母さんは、こんな性格だよ。」などと言ってきたら、「あれ、どんなところから、そう思うの?」と聞いて、日常の行動からどういう性格と判断できるかについて話し合います。

 

 そうしてから、「あなたもやる?」などと聞かずに、「あなたはどんな性格かしら・・」と言いながら、性格を知るための質問を読んで、自分なりに考えたり、子どもに意見を聞いたりします。抽象的に性格判断をしようと言うと警戒心を持ちやすいものです。それよりももっと具体的に聞いていけば、子どもはその場で答えられますから応じやすくなります。例えば「人前でもべらべら喋る方だ」とか、「友達が反対したら、言い返せない。」などの質問を読んであげて、「あなたは、おとなしい方ね。」とか「友達がいろいろ言ってきたら、引いてしまう方ね。」と言ってあげます。そうすれば、とりあえず、「そうだな」とか「そうじゃないよ」などと言ってくるでしょう。そうして、自分の性格について一緒に考えられるようになります。そして結論として、「こんな性格の人は、こんないい点があるみたいね、しかし、こんなところは欠点となるみたいよ」と話しているうちに、自分がどんな人間であり、どんな短所や長所があるかを考えるようになっていきます。

 

 深層心理の本では、例えば、パーティーのとき部屋のどの位置にすわるか、などといった質問があるでしょうから、「私なら、こうだわ。あなたは、どうかしら。」などと言って誘いこみます。そして、「こんな性格だってよ。」とか「こういう人は、こうした方がいいってよ」などと話してあげます。

 

 始めは、性格全般の話題から、友達の作り方の話題、勉強や将来どうなるといった話題へと広げていくといいのではないかと思います。

自分の性格から生き方を考える

  世間によくある性格チェックの本やクイズを通じて、次第に自分の性格について話し合えるようにし、本人自身、自分のことを考えられるようにしていきます。

 

 大切なことは、このような話題であっても、気軽な気分で話ができることです。頭に思いついたことを遠慮なく、気軽な気持ちで言えるようになることです。

 

 本当は、「場をわきまえて、他者の立場も考慮しながら自分の言いたいことを言えるようになること」また「自分の立場が悪くなり、評判が良くならなくても言うべきことを堂々と言えること」が大切ですが、ひきこもりの人や子ではとりあえず「遠慮せずに意見を言えるようになること」が大切です。

 

 ひきこもりの人でも、もちろん腹を立てると、それこそ遠慮なく人を傷つけることを言うことがあります。ですから、大切なことは、腹を立てたり、恨みを感じて「遠慮せずに意見を言うこと」ではなく、楽しい気分の中で「遠慮なく話しができること」が大切です。いい気分の中で、人とのいい関係の中で遠慮なく言いたいことが言えないために、腹を立てて人が傷つくことを遠慮なく言ってしまうのです。

 

 このように考えると、腹を立てても、嫌なことがあっても遠慮せずに話せない人も、腹を立てた時だけ遠慮なく言ってしまう人も、どちらの人でも、「いい気分で、人とのいい関係の中で、遠慮なく話ができるようにしていくこと」が大切です。

 

 さて、性格の話が気軽に出来るようになってきたら日常生活の中でいろいろな問題が起きたとき、あなたならどう行動するか、人に何か言われたらどう感じ、どう返答するか、など、自分の生き方、考え方に関わる話ができるようにしていきます。

 

 このために、学園ものや人間関係の難しさを描いたもののドラマや映画を一緒に見るといいのではないかと思います。そして、登場人物の行動の仕方や考え方について、感想や意見を言えるようになるといいのではないかと思います。そのような話し合いを通じて、人間の心理や自分に対する洞察を深め、困難なときにどうしたらいいのかが考えられるようになるといいと思います。そうしながら、人とのコミュニケーション(とりあえず、親しい人とのコミュニケーション)がうまく出来るようになることが大切と思われます。

将来を語れる

  自分や人の性格について考え、こんな時はどうするといった話が気軽にできるようになると、自分の嫌な経験や苦手なことについても語れるようになってきます。そうすると、苦手や嫌な状況にどう対処したらいいかについても相談できるようになってきます。

 

 これからどう行動したらいいのか相談し、とりあえずできることを決められるようになってきます。買い物に行ったり、映画を見にいくとか、遊園地に遊びに行くとか、先生などの訪問を受け入れ、会って話しをするといったことをやってみようとします。前向きに解決策を考えるようになるわけです。人の提案も受け入れるようになったり、「自分で考えている」と言って、実際にどうするかのプランを自分で考えたりします。

 

 気軽に自分を出せるようになってくると、自分自身でも自分について前向きに考えられるようになってきます。多少自分にとってつらいこともやってみようと考えるようになります。私が基本的に勧めたいのは、「気軽に話せるようになる」ということです。考え方としては、「いろいろなことを気軽に考えられるようにすることが大切」というものと、「困難なこと、つらいことも我慢してできることが大切」というものがあると思われます。私は、我慢を教えるよりも、気軽に話せる方をお勧めしたいと思います。

 

 心にゆとりがなくても、自分から困難を克服していこうとするのであれば、無理しない程度にがんばりを援助していけばいいわけですが、本人自身にその気がなければ、心にゆとりを持たせ、いろいろなことが気軽に喋れるようになり、苦手としたり嫌だと思っていたことも気軽に考えられるようになることが大切と思われます。

 

「楽しく話せる」→「気軽に考え、やってみる」→「自信を持つ」→「困難克服」

 

というようにまずはコミュニケーションを楽しめるようにしてから、まじめな話や深刻な話も気軽に話せるようになることが大切です。だいたいが「物事をまじめに考えてしまう」「固く考えてしまう」ために、柔軟な対応ができなくなってしまう点に問題があると考えられます。ですから、気軽に考えられるようになることで柔軟に考えられるようになることが大切と思われます。

 

 一方、さぼりや怠けで困難なことに立ち向かわない場合も、本質は、自分には難し過ぎるという気持ちがあってやる気をなくしているわけです。自信がないことが問題です。そこで、自信が持てるようになるためには、気軽な気持ちになり、気軽にできるところから気軽に問題に取り組み、自信をつけていくことが大切です。気軽な気持ちになっていないと、簡単な問題に対しては「バカにするな」と反発します。ですから、まずは素直に問題に取り組める心を作ることが大切なのです。なにごとも気軽に考え、取り組めるようになることが大切なのです。

 

 しかし大人の目から見て、「気軽に考え、気軽に物事に取り組む」ことは、まじめさがない、真剣さがない、熱意がないと評価されてしまいます。そして、「もっと、まじめにやれ」とか「まじめに考えろ」と言われてしまいます。そう言われると、言われた子はやる気をなくしてしまいます。

 

 いつまでも、「気軽に考え、気軽に取り組む」ことばかりしているのではよくないわけですが、しかし、この段階を経て、まじめに考え、取り組むことができていくわけですから、「気軽に考え、気軽に取り組む」段階も大切と考えられます。固く考える人にとっては、気軽に考えることが、柔軟さをもたらします。やる気がない人には、自信とやる気をもたらします。

 

 気軽に考え、語れるようになってから、次第にまじめに考えられるようにしていくといいでしょう。

「気軽に考え、気軽に取り組む」の意味の再考

 前回に「気軽に考え、気軽に取り組む」の意味について考えてきましたが、重要ですので再び書いてみます。簡単に言いますと、「コミュニケーション」の方が「自立」より大切だということです。

 

 学校へ行ったり、社会へ出るのは、「社会で自立して生きていける」ためです。しかし、自立と言っても、人と関係せずに生きてはいけません。自立とは言っても、みんなで「助け合って自立」しているということです。もっと正確に言うと、「お互いに依存し合っている」ということです。自立の反対が依存です。しかし、現実の世界での自立は、「相互的依存」ということであり、「自立=依存」なのです。日々食べるお米や魚、野菜は、お百姓さんや漁師に依存しています。もちろんお金を払って買うわけですから、こちらもお百姓さんや漁師を助けていることになります。お互いが支えあっているといった方がいいでしょう。

 

 そうです。「自立」の実態は、「相互依存」「相互支持」なのです。それなのに自立するために人に頼るなと教えているのです。相互性の基礎となるコミュニケーションを犠牲にして、自立のために学校に行かせようとします。子どもが泣いて訴えるのを無視して学校に行かせようとしたら、コミュニケーションはうまくいきません。コミュニケーションがうまくいかなければ、当然学校にも行けませんし、社会にも出られません。

 

 学校で重要なのは、勉強です。勉強によって学力をつけ、社会で自立した人間になれるようにするわけですが、「1人でコツコツやる勉強」が主流になっている現在、まじめに勉強すればするほど自立する力が失われていきます。「1人でコツコツやる勉強」は、自立ではなく、「孤立」を助けるからです。「1人でコツコツやる勉強」によって、まるでコミュニケーション不全人間、ひきこもり予備軍を養成しているみたいに思えてきます。

 

 「自分の部屋で、まじめに勉強しなさい」「人と無駄口をたたいていないで、黙って勉強しなさい」などと言い続けていたら、これは、ひきこもりにならないのが不思議なくらいです。言い換えると「ひきこもりなさい」としつけているようなものだからです。多くの子どもは、幸いにも、そんなことはまじめにやりませんから、ひきこもりにならないのですが、まじめに実行する「いい子」は、ひきこもりになる可能性が高くなってしまいます。

 

 人とのコミュニケーションが大切です。そして、始めから、まじめなコミュニケーションはできませんから、まずは「気軽なコミュニケーション」をしましょう。そうすれば、ひきこもりは改善しますよと言うのが今までの趣旨だったわけです。

 

 日本人は、まじめです。そのまじめな人に「1人でコツコツやる勉強」をしっかりしなさいといったら、ひきこもりになる可能性が、他の国よりも高くなるように思えます。ひきこもりは、日本だけの現象と言われています。そして、ひきこもりの人が、100万人いるとも200万人いるとも言われています。これは、私達の考え方を変えないといけないという警告のように思えます。「まじめ孤立勉強」から「コミュニケーション勉強」へと転換する必要があるように思われます。

核心に迫る

 山の頂上が目標だとしても、すぐに到達することはできません。麓から着実に歩いて登る必要があります。途中の山道を抜かすことはできないのです。ところが、不登校やひきこもりの子どもを持つ親御さんの中には、いきなり麓や谷間から、途中を抜かして、頂上に行こうとして、いつまでも頂上に近づいていかないといった状態を続けている方がいらっしゃいます。

 

 例えば、なぜ学校に行かないのだ、と聞こうとしてなかなか子どもは言わないことがあります。親としては、核心に触れたことが話せないために問題が解決しないと感じるわけです。一方、子どもの方が、世間話や雑談をしてくると、なんでくだらない話をするのだとバカにしたり、相手をしないということがあります。「雑談をしてくれる」ということは、「雑談さえしてくれない」よりはずっといいことなのですが、そこから出発しようという意識がないと、いつまでもその段階に留まってしまうことになります。核心に迫らねばとあせって、かえって核心に少しも近づかないことになり、ひきこもりを長くする結果になってしまうことがあります。

 

 基本は、コミュニケーション能力を高めることです。そして核心的なこともコミュニケートできるようになることが大切です。そのために、今できる会話から出発して、徐々に会話が深まるようにしていくことが大切です。順序立てて話を深めていくことが大切です。今まで説明してきました段階は、1つのやり方ですが、参考にしていただいて、少しずつ深い話が「気軽に」「しみじみと」できるようになれば幸いです。会話の評価基準を再掲しますので見てください。

 

「会話のレベル」

 

1.話をするのを拒絶する。

2.口は利かないが、頭を振って肯定・否定を示す。

3.日常生活での好き嫌いは言う。

4.簡単な雑談はする。しかし、自分の都合の悪い話は避ける。

5.世間話を意見を言いながら談笑できる。自分の都合の悪い話は避ける。

6.世間話を意見を言いながら談笑できる。自分の性格や生き方を話題にできる。自分の都合の悪い話を黙って聞く。

7.世間話を意見を言いながら談笑できる。自分の性格や生き方を話題にできる。固くならずに自分の都合の悪い話もできる。

8.世間話を意見を言いながら談笑できる。自分の性格や生き方を話題にできる。ひきこもりを脱するための話し合いができる。

9.世間話を意見を言いながら談笑できる。自分の性格や生き方を話題にできる。ひきこもりを脱するための話し合いをし、簡単な行動を起こす。

10.世間話を意見を言いながら談笑できる。自分の性格や生き方を話題にできる。ひきこもりを脱するための話し合いをし、多少つらい行動を起こす。

第3章 言わない方がいい言い方

プライドを守る

 基本的には、子どものプライドを傷つけないことです。理想としては、ズバッときついことを言っても、子どもが軽い気持ちで言い返しができるようになっておくことが大切かと思います。親が、言いたいことを言っても、子どもが何言っているんだと、立派に言い返し、それを聞いて親の方もよく言えたなと鷹揚に受け止められることが大切です。つまり、プライドを傷つけるようなことを言われても、跳ね返せるぐらいになっていることが大切です。

 

 親が、ちょっと子どもの欠点を子に言って、子どもが真剣に怒るとしたら、もちろんずばりと欠点を指摘することはよくありません。しかし、子どもの方にも、許容性や受容性がないという問題があると言えます。こんな場合は、「お前は、こういう欠点がある」とずばりと言うことはもちろんよくないわけですが、「もし、こう言われたらどうする」という仮定の形で、自分に都合の悪いことが起きたときにも、たくましく対抗できるように、どういう手立てがあるかなど、話し合えるようにしておくことは大切と思われます。

 

 また、人が非難めいたことを言ったとしても、人は人と軽く受け止められるようになっておくことが大切かと思います。また、本人が自分のすばらしさを十分感じられるようにしておけば、つまり自尊心が育っていれば、人に多少のことを言われても平気となります。

 

 さて、問題は、プライドが傷つきやすい子の場合です。人と思い切り、論じ合えないというコミュニケーションの問題がある場合です。プライドを傷つけないで、次第にいろいろな議論ができるようにしていくといいと思われます。

 

 さて、次のようなことは言わない方がいいでしょう。

「ーができたらいいのにね。」「ーするようにがんばりなさい。」特に、「−」の部分が本人ががんばってもできないことである場合、こんなことを言うと、心の負担となります。

心に負担をかけない

 ともかく、無理なことをやらせようとすることは、確固とした信頼関係がある場合にはいいのですが、何かさせようとしているのではないかと警戒している場合には、だめでしょう。

 

 「−−するのよ。約束よ」約束は守るもの、だから約束さえすれば、難しいことでもやらなければならないという状況に置くことができると考えて約束することはよいことではありません。人を無理に束縛する感じになり、そう言われると反発を感じてしまいます。

 

 「お前のためにこんなに苦労している。」「なんで、お前のせいでこんなに苦労しなければならないのだろう」と愚痴るのは、親子の関係をますます悪化させます。子どもとしては、「そんなに苦労してもらわなくても、けっこう」と思うでしょう。客観的には、子どもがひきこもるために親は苦労しているわけですが、それを言っても問題は解決しません。子どもとしても、外で自分の実力を十二分に発揮できるとか、発揮したいと思えればひきこもらないわけです。心理的な弱さがあるわけですから、心理的に強くなるように働きかけなければなりません。現状を言い、しかもいかにも迷惑と言ってもうまくはいきません。

 

 同様に「お前が、−ができなくて肩身が狭い。」とか「恥ずかしい」「世間様に顔向けできない」「迷惑だ」と言うのは、子どもと親との関係を悪化させるだけです。

 

 このような言い方をしないだろうと思われるかもしれませんが、けっこう言ってしまうものなのです。親も子どもがひきこもることで、イライラしたり、ストレスを感じるわけですが、親もどこかでストレスを発散させなければ、心の健康が保てないことになります。つい言いたくなってしまうわけです。無理からぬことです。しかし、根本的に問題を解決することにはなりませんから、やはり言わ

ない方がいいでしょうと言うしかありません。しかし、こういう助言も、役に立たないことがあります。「これをしないように」と助言するよりは、子どもを笑わせましょう、といった「−しましょう」という助言の方がいいでしょう。

愚痴や先回りは益なし

 できないことを嘆くようなことを言うのは、よくありません。例えば、「ーできないのか。こまったね。」とか、さらに責める言葉、「できないでどうするのよ。だめね。救いようがないわね。」などです。愚痴りたい気持ちはわかりますが、子どもの心を悪化させるだけです。

 

 同様に、できる子と比較することも望ましいとは言えません。「−君はできるのに、あなたはできないのね。」また、「こんなことができないなんて。誰でもできることなのに。」などと言うことも、害あって益なしです。

 

 前向きに考える親は、できそうなことを次々と提案するようなことをします。子どもと一緒に考えるような雰囲気であればいいのですが、子どもが乗り気でないときは、提案されると子どもには圧力に感じられて、子どもの気持ちを沈ませることになりかねません。「あれしたら、それができないなら、これしたら・。」特に子どもが黙って聞いている場合は、気をつけなければなりません。もちろん「なるほど」と思いながら聞いている場合もあるでしょうが、黙っているということは気乗りしないことを示していると思った方がいいでしょう。「うるさいなぁ」と思いながら聞いていたり、「早く終わらないかな」と思って聞いている場合が多いと思っていいでしょう。

 

 また、子どもが何か言ってきても、親がうまく説き伏せることができてしまう場合、親としては理屈では勝ったぞという気分になってしまいます。しかし、問題は子どもを説き伏せて、グーの音もでないようにすることが、親子の話し合いの目的ではないということです。子どもから、自分にも何かできそうだと自信とやる気を引き出すことが重要です。子どもに理屈の上で勝つと、親としては得意な気分になって、滔々と語り続けてしまうことがありますが、子どもとしては、反論できない分よけい閉塞感を感じることになってしまいます。

 

 むしろ、親としては、下手なことを言って、子どもが反論できるようにしておく方がいいくらいです。子どもが反論してきたら、よく言えたね、と誉めてあげればいいでしょう。子どもは、自分の主張に自信を持てるようになります。

不完全さを認め、楽しさを大切にする

 言わない方がいい言葉について書いていますが、あまり神経質になってはいけません。うまく行ったり行かなかったりするのが自然です。あまり、気を使いすぎるのも不自然です。善良に話し、子どもを楽しませていれば、子どもは次第に心を開いてくるものです。こちらが敵意を持って臨めば、子どもも敵意で返してきます。

 

 こちらが不完全であって、そのことを認める態度で行けば、子どもも自分の不完全さを認められるようになります。自閉症の子でも、どのような場合にも通用することですが、「楽しく、ゆったり」の精神が大切です。ですから、子どもの楽しさを否定するような言葉は避けた方がいいでしょう。つい、嫌みを言いたくなりますが、抑えた方がいいでしょう。

 

 例えば、子どもが漫画を読んだり、テレビを見て笑ったとします。親としては「そんなに楽しんでいる場合じゃないでしょ」と言いたくなりますが、楽しさをつぶさずに、楽しさを活用することが大切です。楽しさは、積極性の第一歩だからです。子どもが1人で楽しんでいるならば、徐々にではありますが、声かけしていって、一緒に楽しめるようになることが大切です。一緒に楽しみ、満足できるようにしてフッと落ち着いたとき、まじめな話ができやすくなります。まじめな話が難しければ、「あっそうか、まだ、話しにくいのだね。そのことがわかっただけでもうれしいよ。」と言って引き下がります。しかし、楽しさを共有しては、まじめな話を仕掛けていけば、次第に話もできるようになります。

 

 子どもは、将来の夢についても、ポロリと言うことがあります。今がしっかりできていないのに、とても実現しそうにないことをやってみたいなどと言い出すことがあります。こんなとき、夢をつぶすようなことは言わない方がいいでしょう。「そんなことできるわけはないじゃない、夢みたいなこと言っていないで、とりあえず、学校にでも行ったら。」と言いたくなります。

 

 例えば、日頃、勉強もしていないのに、レベルの高い高校に行きたいと言い出すことがあります。親としては、コツコツと勉強もしていないのに、そんなの無理だと思いますから、「そんなの無理よ、まず勉強しなくては。」と言いがちです。コツコツとまじめに土台を築くことで、夢がかなうと親は考えます。また、夢みたいなことのために努力して、失敗したら子どもはますます傷つくだろうと考えて、賢明な意見を言いがちです。

 

 しかし、夢がなければコツコツと勉強できないことも確かです。失敗したらしたで、一緒に泣けばいいのです。その方が親子の一体感が得られ、一緒に考え、努力していこうという気構えが作られます。

 

 また、実際のデータを示してどれくらいの成績が取れないといけないのか、自分で考えられるようにしていけばいいのです。明確なデータも示さず、親がまず決定を下すようなことを言えば、敵対関係になってしまいます。データを示してどう思うか、考えさせればいいのです。

 

 ひきこもりの問題ではありませんが、プライドが高くて、いつまでも高い学校を望み続ける子もいます。その場合は、高いレベルの学校に入って何をやりたいのかを話し合い、将来の目標のためになにをしたらいいか話し合えるようになるといいと思います。]

子どもを包囲しない

 今回は、子ども本人に言う言葉ではなく、周りの人に言わない方がいいことを書きます。それは、「あなたも何とか言ってくださいよ。」「みんな、歩調を合わせないといけないでしょ。」です。

 

 子どもの調子が悪いときに、同じように説教してくれるように、いろいろな人に頼むのはよくないでしょう。子どもは包囲された気分になってしまいます。子どもには、どこかに息抜きできる場があることが大切です。焦燥感の強い親は、自分たちの力では子どもからうまくやる気を引き出せないと思うと、周囲のいろいろな人に応援を頼ことになりがちです。しかし、それが裏目に出てしまうことがあるのです。

 

 ある中学生の子どもの例です。その子どもは、学校に行く気がなくなり、ときどき休むようになっていました。子どもを何とか学校に行かせなければと、母親は必死でした。のんびり屋の父親にも、子どもに何とか言いなさいよと頼みます。しかし、やる気が出ません。

 

 その子どもは、近くに住んでいるおじいさんが好きでした。そこに行くとホッとすると言うのです。おじいさんはうるさく言う人ではなかったのです。やさしいおじいさんでしたので、子どもは慕っていました。母親は、子どもがおじいさんを慕っているので、おじいさんの言葉ならよく聞くだろうと判断しました。そこで、おじいさんに働きかけて、きちんと学校に行くように言ってくれるように頼みました。

 

 そこで、おじいさんもしぶしぶながら、子どもに学校に行かなければいけないと言いました。すると、その日を境にして、子どもはおじいさんのところに行かなくなり、しかも、学校にも行かなくなってしまいました。子どもとしては、唯一息抜きができる場が奪われ、行き場がなくなってしまったと感じたのでしょう。本人なりに、がんばって時々学校に行っていたのが、そのがんばりも効かなくなってしまったのです。

 

 子どもにとっては息抜きできる場があったり、わがままの言える人がいることも大切なことです。周りの人が歩調を合わせて子どもに働きかけるのは、いいとは限りません。誰にも頼れないと絶望する場合もあるからです。

 

 もちろん、やさしく見守る方で歩調を合わせてあげるのであればよかったのでしょうが。しかし、世の中、強く言う人もあれば、やさしい人もいるという感じがいいのではないかと思います。やさしくされて甘える反面、強く言われてがんばろうと思うことがあるからです。人もそれぞれであると学ぶことも大切なのではないかと思います。

子どもも苦労している

 子どもができたことを過少評価することはよいことではありません。そんなことわかっていると思われるかもしれませんが、けっこう文句を言ってしまうことが多いものです。例えば、こんな具合に、

 

「できて、当たり前じゃないの」子どもとしては、努力してちょっと外へ出られたというのに、親としては、こんな簡単なことで喜べるか、といった気持ちになってつい言ってしまうということがあります。学校へ行って欲しいと思っているのに、たかが外に出るくらいで喜べるか、と腹立たしく感じてしまうのです。

 

「やればできるじゃない。今まで何でやらなかったのよ。」これも、本人としては苦労してやっていることに対してケチをつけることになりますから、言ってはいけないセリフでしょう。しかも、現在の行動を評価せず、過去の行動を非難しているわけですから、せっかくの努力が報われないことになります。

 

 たとえ目標に達していなくても、現時点で努力していれば、きちんと評価した方がいいでしょう。しかし、親としては、努力した行動も、目標に達していなければ、つい文句を言いたくなってしまうのです。しかも、目標が普通にできるようなことであれば、目標を達成したとしてもうれしくはないことになりますから、ますますケチをつけたくなってしまいます。

 

 さりとて、少しでもできたことを評価することは大切です。子どもも努力しますが、親も努力が必要となるのです。ただ過大評価もよくありません。過大評価することで、また、同じようにやらなければならないと子どもは重圧を感じることがあります。難しいですね。

恨みごとは禁句

 ひきこもりの子どもの場合、本人が少しも努力していないように見えるために、親としては、自分は不幸で、しかも子どものせいで不幸になってしまったと言いたくなる場合があります。しかし、もちろんこの種のことを言ってみても問題をこじられることはあっても、解決にはつながりませんので、気をつけなければなりません。例えば、次のようなセリフです。

 

「お前は遊んでばかりいて、私ばかりが苦労している。」

「私だけが、辛い思いをしている。」

「お前はいい気なものだね。人の苦労も知らないで。」

「お前のために働いても、苦労が報われないよ。」

「お前を生んで不幸になってしまったよ。」

「お前なんか、生まれなければよかった。」

 

 大切なことは、やる気を出させたり、活力を生み出すことです。ですから、恨みごとを言っても、ますます暗い気分になったり、やる気をなくさせたり、重荷を感じさせたりするだけですから、うまくいかないことになります。時には、親に対する反感を生むことになり、なんでよくなってやるか、などとヤケッパチにさせる危険性もあります。

 

 親がこう言うのを聞いた場合は、もちろん「そんなことを言ってもだめだよ」と言うだけでは解決になりません。「辛いと感じているんですね。つい愚痴を言いたくなりますよね。あなたは、ずいぶんがんばっていますよ。」と共感してあげることが大切です。

 

 また、愚痴を言うと、家庭全体が暗い重苦しい気分になりますので、ますます積極的な気持ちを減らすことになりますので、気をつけないといけません。子どもの辛さに共感して、楽しい会話をするようにして、気分を盛り上げていくことが大切です。

共に笑おう

 ひきこもりの子は、ただでさえ暗い気分になりがちです。表面的には、何も気にしていないように見えても、心の中ではこれではよくないと思っていますから、内面的には暗いと言えます。ときには、強がりを言ったり、明るい態度を示したりする場合もありますが、プライドを保つためであったり、家族に心配をかけないためであったりで、心の底から明るいという人はまれかと思います。

 

 ですから、悪い予想ばかり言うのは、気を滅入らせるだけで、ますますやる気をなくす元になってしまいます。例えば、子どもが「こうなるといいな」とか、「こうできるといいな」と言ったとき、「そんなことではうまくいかないでしょう。」とか、「あなたは、甘いのよ。」などと悪いことを言うことで、子どもの心は、暗くなってしまいます。子どもは信頼されていないと感じて、やる気をなくしてしまいます。今まで何回も失敗して、次も確実に失敗するぞと思われても、やはり暗い気分にすることはよくありません。ひきこもりの子は、なによりも人とのやりとりで明るい気分にし、心に勢いをつけることが大切なのです。

 

 悲観的に考える親は、端々の言葉によって重苦しい雰囲気を作り出します。もちろんこのようなことも避けた方がいいでしょう。例えば「一生、このままだったらどうしましょう。」などと言って溜め息でもついていたら、それこそ、家全体の雰囲気が重苦しいものになってしまいます。ただでさえ、人の言葉をまじめに受け取ってしまう傾向がありますから、将来を暗いものととらえてしまいます。

そのような見方をすると、やる気は起こりません。逆境でよけい「なにくそ」とやる気を出すタイプではないのです。

 

 生活には、笑いが大切です。1人でにやにやするのでなく、人と一緒に笑い合うことが大切です。笑いがあることで、心に活力が生まれます。本当は、つらいときこそ笑いが必要なのに、つらいときにまじめになり、暗い気持ちになりがちです。まじめになって笑うのが一番いいのでしょうが、せめて軽く考えて笑うことをしてもらいたいと思います。

過去の受け止め方

 「うるさく言うのは、あなたがやらないからよ。」

 「私がこう言うのも、みんなお前が原因なんだから。」

 「こうなったのも、お前がだめだからだ」などと、

 責任をお子さんに取らせようとする人がいます。これも、親子関係が良好になり、本人も元気になり、社会に出られるようになった段階で、しみじみと反省する意味で話し合う場合には、どうしてこのようになったのか考え、責任の所在を考えることもいいでしょうが、心が積極的になっていない段階で言われても、お子さんの積極性がますます失われてしまうだけで、よくありません。

 

 なかには、お子さんの方が「昔、お母さんが、こうさせたから、こうなってしまったのだ」と親の責任を持ち出す場合があり、それへの対抗として、子の責任を申し立てる場合もあるかと思います。この場合でも、お子さんと同じレベルで言い争いをされるのは得策ではありません。もっとも、言い争いができるということは、一方的にあやまるよりはいいかと思います。一方的に「お母さんが悪かった」などと言うことは、まるでお子さんを子供扱いしていることになります。いじめられたとか、困難な状態に陥ったことに対しては責任はないにしても、これからどうするかという生き方を考え決めるのは、子ども自身の問題であるわけです。親が全部、責任を引き受けます、という姿勢では、子どもの心は育ちません。子どもにあやまるのは、こちらがよほど鬼親であった場合を除いて、よくないと思われます。

 

 対等の形で言い争いを行うのであれば、売られたケンカは買うという形で「誰が悪い」と始めは論争するにしても、次第に、冷静に、現在に至った経緯を振り返るようにしていくといいでしょう。

 

 ともあれ、過去のことには、安易に結論を出さずに、どういうことが考えられるのか、いろいろな可能性を考えながら話し合うことが大切です。いろいろな可能性を考えて対処を考えられるようになることが大切です。そうすることで、考える力や困難に対処する態度が養われるのです。

 

 ただ、話し合える雰囲気でなければ、責任について言及してもよくありませんし、これからどうしたらいいかを話し合うこともうまくいかないことが多いものです。とりあえずは、以前に説明しましたように、世間話や面白い話をして、明るい雰囲気にもっていくことが大切です。明るい雰囲気の中で、少々都合の悪いことでも言えるようになることが大切なことと思われます。

表情や身体言語を読み取る

 「どうしてこうなったの。言わなければわからないでしょ。」

 

 言葉で説明しなければ、情報が伝わってこないという言い方は、人の気持ちを読む力の乏しさを露呈してしまう結果となります。言葉以外にも、人はいろいろな情報を発信しています。言葉ほどは意図的ではないにしても、自分の心のうちを表現していることになります。「どうしてこうなったの。言わなければわからないでしょ。」を繰り返せば繰り返すほど、子どもと親の心のつながりが切れ、距離が広がって深い溝ができていきます。

 

 ですから、言葉で言わない場合でも、いわゆる表情や身体的言語を読み取って、応じることが大切です。例えば、「学校で何かあったの」と聞いたとき、「何もないよ」と答えたとしても、暗い表情で元気がなかったり、思いつめた表情であったりすれば、「言葉では、何もないと言うけれど、顔や身体で何かあったことが伝わってくるわ。そして、あなたは言いたくないわけだから、よほどのことがあったのね。辛いんだね。」などとお互いの心が通じ合っていることを示した方がいいでしょう。「何がわかるんだ!」などと腹を立てても、「あなたが苦しんでいることはよくわかるは。」と言ってあげるといいでしょう。

 

 もちろん、単に身体言語を読み取るだけでなく、共感的に接することが大切です。しかし、その場合、「1人にしておいてくれ。」と言うこともあります。不快感を1人になって静めたいという気持ちになっているわけですから、「よく気持ちを言えたね。たいしたものだ。その調子でどんどん主張してちょうだい。」と言って、自己主張を評価してあげてください。

 

 他方、何か嫌なことがあった場合、プライドが傷ついたと感じ、しかも、人に相談することもプライドが傷つくこととして、頑なになっている場合があります。その場合も、もちろん一時的に1人にさせてあげることが大切ですが、言葉かけは大切です。本当は、変なプライドを捨てさせた方がいいわけですが、本人としては当面プライドにこだわっているわけですから、聞く耳が持てるようになるまでは、変なプライドも尊重しなければなりません。

 

 要領は、こちらが強者、子どもが弱者という立場で相談に乗るとか話し合いをするという形にしないということです。なにしろ、友達にいじめられたとか、自分の思い通りにならないということでプライドが傷ついているわけですから、そんな形の相談をしようとすれば、よけいプライドが傷つくことになるわけです。

第4章 あとがき

プライドを傷つけない相談

 何か困っている人の相談に乗る場合、どうしても相談に乗ってもらう人は弱者であり、相談に乗る人の方が優位な立場にいるような雰囲気になってしまいます。自分で問題を解決できないから、相談に乗ってもらうという感じになるわけです。そうなると、プライドの高い人にとっては、相談に乗ってもらうことは、耐え難い屈辱だと感じる場合も起きてきます。

 

 子どもの場合、親に相談できない理由として、「親に心配かけたくない」という理由と「プライドが許さない」という理由が考えられます。親に心配かけたくないと言いながら、話さないことでよけい心配をかけることになる場合もあるわけですが、ともあれ、本人はそう考えて都合の悪いことを話さないわけです。

 

 さて、今回の話題であるプライドが高くて相談しない子にどう語りかけるか、という問題について考えてみましょう。まず、プライドを満足させて、ゆったりさせて、しみじみと話し合える状態に持っていくことが大切です。

 

 そのために、本人が何か言ったら、その真偽や価値については、判断を保留しつつ、しかし、意見を言うことはいいことだと持ち上げます。プライドが高いということは、望みが高いということです。そのためによりいっそう努力すればいいのですが、もちろん、調子がいいときは努力していたわけですが、いったんうまく行かなくなって、よりいっそう努力するのでなく、全く努力しない方向にい

ってしまうわけです。何かのつまづきによってうまく行かなくなると、自分の目標は達成が困難になるわけです。そのために、自信を失い、しかしプライドは捨てられないので、身動きが取れない状態になってしまいます。

 

 そのために、まずは話をすることに対して、高く評価してあげてプライドを高めることが重要になるでしょう。評価されることで、逆に自分のプライドを見つめ直すことができるようになります。「自分は、それほどでもないよ」といった感じで、案外素直になっていくものです。また、できることを評価することで、自信がついてくれば、何かしようという気持ちにもなっていきます。元気になってくるのです。ですから、まずは何か言うことに対して。大いに認めてあげましょう。そうすると、だんだんと相談ができるようになってきます。

こじれる親子関係

 子どもがひきこもり、なかなか学校や社会に出られないケースを見ると、かなり親子関係がこじれて悪くなってしまっていることがけっこうあります。親子関係がそれほど悪くなくても、ひきこもりから立ち直るのは難しい場合があるのに、親子関係がこじれてしまうとそれだけよけい解決が困難になってしまいます。

 

 親の顔も見たくない、声も聞きたくない、ましてや一緒にご飯を食べたくない、などとなると話もできなくなりますし、親にも会いたくないとなるとて、かなり精神的にも荒れた状態ということになります。なんとか社会に出ようなどと考える心のゆとりもないことになります。親に反抗することに多大なエルネギーを使っていますから、自分が社会へ出るなどという夢を考えることすらできないことになります。

 

 親に不信や恨みを感じると、親が努力して社会に出られるようにがんばっても、社会へ出ようなどとも考えられません。どうやって親を困らせるかを考えることで頭がいっぱいになってしまうということになってしまいます。親に腹を立てていることで、時間が過ぎてしまうということになってしまいます。くれぐれも親子関係をこじらせないようにすることが大切です。

安藤則夫著 「抱っこでスクスク:育児困難な子どものための育児学入門」学苑社刊、定価2000円もお読みください。書店にてご注文してください。

E-メールでご意見を