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おやじの足跡 (2010年度の活動実績)

篠岡小ポンポコクラブのお骨折りにより、小牧市おやじの会合同主催で 女金八先生こと香葉村真由美先生の講演会が実現しました。 なお、この記事は講演中にとったメモを再構成したものであり、聞き違いなどがあるかもしれませんが、ご了承ください。記事の公開にあたっては香葉村先生の許可を得ております。

2010年6月14日(月)
女金八先生 香葉村真由美氏 講演会

私は公立小学校の現役教師です。
テレビの金八先生(武田鉄矢さん)は、私の大学の先輩です。 学校では、たくさんの子どものたくさんのドラマがあります。 子どもたちからいろんなことを教えてもらいました。 それを多くの人に伝えていきたいと思います。

わからなかった勉強がわかったとき、友だちと遊んでいるとき、 先生からほめられたとき、夢を見つけたとき、子どもは笑顔になります。

子どもが笑顔になったとき、目がキラキラと輝きます。 そして大きな大きなパワーが生まれ、奇跡をおこすのです!! その奇跡、その感動が、今の私を支えています。

両親の死

香葉村真由美先生

私が子どもの時、母がガンで死にました。私にとってはじめての死。 生前その母から聞かれたことがありました。「大きくなったら何になるの?」  「先生!」 「それならいつも笑顔でいなきゃね」
母が亡くなった後も、父は「真由美なら何でもできるよ」と励ましてくれました。 参観日も、父が見に来てくれました。 大学を卒業後、何度も試験を受けて念願の先生になれました。 しかし父がガンで逝ったとき、私はショックで学校に行けなくなりました。

何日か振りに学校に行くと、子どもたちに言われました。 「先生、もうお父さんのことは忘れてください。ボクたちのことを思ってください。」  私が休んでいる間、子どもが校門のところでずっと待っていてくれたのだと聞きました。 それ以降、「先生」という職業が私の人生のすべてになりました。

彼女の死

でもそんなことを覆す出来事が起きました。 ひとりの活発な女の子の事です。 彼女の誕生日に手の傷を見つけました。 左手にはたくさんのリストカットの跡。右手にも…。 「どうしたの?」 「好きな人ができて一緒に暮らし始めた。 でも赤ちゃんができたら彼はどこかにいなくなった。 ひとりではどうしようもなくて、子どもをおろした…。」

辛くて義理のお兄ちゃんに電話をすると、 「赤ちゃんの分まで生きるんだ!今すぐ行くから待ってろ。」と、励ましてくれました。 しかし夜遅くなっても、翌朝になってもお兄ちゃんは来ませんでした。 彼女に会いに来る途中で交通事故に遭い亡くなっていたのです。 「私の周りはみんな死んでいく!」彼女はその後、薬を飲むようになりました。

相談に来た彼女に私は言いました。「何やってるの!命はひとつでしょ、頑張らなきゃ!」  「わかってる。」「わかってないって!」 「わかってるから先生のところに来たんだよ…。」  別れ際に私はもう一度「頑張るんだよ!」と言いました。

1ヶ月後、彼女は家の近くのインターネットカフェで、誰にも見取られずに死にました。 店員によって発見された彼女は、たくさんの薬を飲んでいました。

私はハンマーで頭を叩かれたようでした。 彼女は最後に私に相談に来たのに、私は彼女の心の叫びを受け取れなかったのです。 私が彼女にすべきことは「頑張れ!」と言うことではなく、 「辛いことがあったのに、よく頑張って生きてきたね。」 と受け止めること、褒めてあげることでした。

まだつながっていた彼女の携帯に電話して、こう言いました。 「ごめんね、先生は何もわからなかった…。」
私は人としてではなく、先生として生徒に接していました。 私はすべての自信をなくしました。

復帰のきっかけ

その頃の私は、映画にも音楽にも外にも行きませんでした。 ある日、知人が「てんつくマン」の映画に誘ってくれました。 たくさんの人が、たくさんの夢を追う映画、夢に向かっている映画でした。 その映画をみて、私も夢を持っていいのかなぁと思いました。 そして映画のpart2が撮影されると聞いて、撮影現場の小豆島に渡ったのです。 当時は冷たい水のシャワー、前に海を見ながらドラム缶風呂に入りました。 そこで「ミネハハ」さんの「人は愛でしか変わらない」という歌を聞き、 心の中でそのコトバを繰り返しました。 そしてだんだん心が癒されていったのです。

学校に戻ることができても、彼女のことは誰にも言わずに自分を責めていました。 同僚に思い切って彼女のことを話すと、 「ずっと泣いている先生をみて彼女は喜ぶのかな?」と言われました。 その時、子どもたちを信じていこうと決めたのです。

6年3組

4年生までいじめを受けていた子がいました。 彼が5年になったとき、父親が言いました。「もう我慢しなくていい。」 彼はいじめた子や先生に対して、暴力を振るい、叩いたり蹴ったりしました。

彼には2人の先生がつきました。 1人は他の子が怪我しないように、もう1人は彼の行動を記録するために…。 しかし暴力はひどくなって教室にも入れなくなり、会議室を改造した彼の部屋が作られました。

6年生になるとき、だれも彼の担任になると言いませんでした。 「このまま彼をほっておいていいの?」「もう第2の彼女は作らない。」 私は校長先生に言いました。「私に担任をさせて下さい!」 自信なんてありませんでした。それは私の覚悟でした。

始まり

子どもにもらった元気で一杯

6年3組が始まりました。 学級開きのときはいつも緊張しますが、このときは特に緊張し、怖かったです。 子どもたちの前で私は話しました。「32人が、この教室から笑顔で卒業すること。それが私の目標です。」 何事もなく過ぎた2週間。しかし運動会の練習で問題はおきました。

みんなでグランドを半周か1周走るリレー競技。 目立ちたがりの彼は、1週走ると主張しました。 しかし足が速くなかった彼は、練習で抜かされるたびにバトンを放り投げました。 だから6年3組はいつも失格でした。 みんなは怒っているけど、それを彼には言わず私に当たってきました。「先生、何で彼を怒らないの?」

あるとき、彼はバトンに砂を入れて、私の頭に振りまきました。 逃げていく彼を追いかけ、抱き上げて教室に戻しました。 「なぜ次の人にバトンを渡さないの?次の子が頑張ってくれるよ。」 「おまえなんかにはわからん!」

家に帰って風呂に入るとき、服の間から砂が落ちてきました。鏡をみると 体中、引っかき傷だらけ。私は何をやっているんだろう…。声を上げて泣きました。

時には怒り、褒め、抱きしめ、私の持てる技を全部出し切っても、どれも通じません。 いろんな本を読んで、著名な先生に話を聞いて、やってみました。 でもだめでした。私のドラえもんのポケットには、何もなくなりました。

子どもに心を伝える

次の日、彼は休んでいました。私はクラスの子たちに言いました。 「ごめんなさい。彼には伝わらなかった。先生1人の力じゃ無理。 でも先生はどうしてもあきらめることができない。みんなの力を貸してほしい! みんな彼の友達。一緒に笑ってあげて、遊んであげて。 その代わり、あなたたちの事は、先生が守るから。」 「先生やろう!」「彼がいたからこんなクラスができたんだと言えるように!」

それから周りの子たちが変わりました。彼が殴った後は、クラスの子が彼に「謝るんよ」と言いました。 教室中にチョークをばらまいたとき、私は逃げる彼を追いかけて連れ戻しました。 教室に戻ると皆が掃除をしていました。そして彼に雑巾を渡しました。 「お前がよごしたんだろ!」 その後も彼が暴れると、彼を止める子、先生を呼びに来る子、 怪我をしないように机をどかす子、他のクラスに見せないようにドアを閉める子…。 みんなが彼の方を向いていました。

ある日、暴れる彼を抑えるために私は馬乗りになりました。 「お前はオレが何を望んでいるのかわかるか?」「わからん、教えて?」 「オレはただ友達がほしかっただけなんだ!」そう言ってワアワア泣きました。 私は「ごめんね」といって彼を抱きしめました。 友達をいじめたかった訳でも、叩きたかった訳でもない。 ただ友達がほしかっただけ…。表に表れる行動や現象を見るのではなく、 心の奥をのぞかないといけないのだと教えられました。

次の日、ある子が言いました。「先生、本当のことは眼では見えないんだね。」 「でも良く見ようと思えば、心も見えるよ!」 そしてまわりのみんなの誠意と愛が彼に伝わり、彼自身が「ごめんなさい」「ありがとう」を言えるようになっていきました。

運動会

運動会の練習で、私は賭けにでました。 「あなたは半周はとっても速い。これをクラスの武器にしよう。 その代わり1周は○○くんに走ってもらおう!」 と彼に言ったのです。 クラスの武器というコトバが気に入ったのか、 彼は「武器ならしょうがないなぁ」と走者を代わってくれました。 走る距離は半周になりましたが、本番までどうなるかわかりません。

そして運動会の当日。 彼は抜かされることなく半周を走りきり、次の走者にバトンを渡しました。 その時点で6年3組は、失格ではなく順位がつくことになったので、 皆は「やったね、やったね」と本当に喜びました。 会場中の大歓声に気がつきトラックを見ると、アンカーの子がどんどん抜かして ついに一番でゴールのテープを切りました。 私は彼とアンカーの子と応援したクラスの皆に感謝しました。 運動会が終わって教室に戻ると、黒板に「おめでとう」と書かれていました。 そして私は初めて胴上げされました。クラスの子どもたちが一つになった瞬間でした。

その後も問題は続きました。 学校中の石鹸をぶちまげたり、ほうきでガラスを割ったときも、みんなで掃除しました。 修学旅行で施設を壊したときも、みんなで謝りに行きました。 でも彼にとって皆が敵だった教室は、安心の場所に変わっていきました。

そんなクラスで、他の親からのクレームは一つもありませんでした。 親が学校に電話しようとしたとき、それを止めたのは子どもたちだったと、後で知りました。 一方、彼のお父さんは教育委員会に文句を言っていました。 私は毎日お父さんに電話をして、「今日は10分話を聞けた。XXできた。」 と学校の様子を連絡しました。そしてだんだんわかってくれるようになったのです。 彼が右手を骨折してしまい、卒業文集を書かないと言った時も、 お父さんが「書かせます」と学校の協力をしてくれました。

卒業式

始業式に約束した、みんなで笑顔の卒業式がやってきました。 感極まって、私はなかなか彼の名前が呼べませんでした。 やっとの思いで名前を呼ぶと、彼は大きな声で「はい」と返事をしました。 卒業式が終わり、教室で彼は黄色のガーベラを持っていました。 「先生、ガーベラの花言葉は『希望そして前進』 先生はそれを教えてくれたよね。6年3組にはボクの場所があった。 6年3組はボクのクラスです。ありがとうございます。」 そして彼のお父さんは、「先生、よく息子の話を聞いてくれました。 よく頑張ってくれました。」と言って下さいました。

私が逃げないで子どもに向き合うとき、子どもたちはそれ以上のものを 返してくれました。たくさんの奇跡を子どもから受け取りました。 どうか目の前の子どもたちを愛してください。信じてあげてください。 そして子どもたちの奇跡を信じ、まずは大人たちが心ある行動を…。

もう一つの運動会

練習で一度も成功しなかった10人タワーが立った!

1週間前のことです。5年生は運動会で組体操をします。 「こんなのできない。無理だ!」と言ってはことごとく失敗しました。 「無理って言ったら本当にできなくなるよ。自分のことを信じないで誰を信じるの?」

子どもたちは次の日から「できる、できる」と言ってチャレンジするようになりました。 でも1段目6人、2段目3人、3段目1人で作る10人タワーがどうしてもできません。 「○○ちゃんが」「○○ちゃんが」という声が聞こえてきたのです。 番長格の子が「○○ちゃんを代えて」と言います。 「もし○○ちゃんをはずすなら、今まで失敗した子もみんなはずすよ。 タワーが立たないのはみんな人のせいにするの? できなかったら誰かをはずすの? 嫌いだからはずすの?」 すると一人の子が、「一緒にやってみよう」と言いました。そして○○ちゃんに謝っていたのです。

結局練習では一度も成功しませんでした。 運動会の当日、10人タワーの皆は、呪文のように「できる」「できる」と言い始めました。 そして1段目が立つ。2段目が立つ。よろよろしながら、ついに3段目が立ったのです!

運動会の後で、番長格の子がこんな感想文を書きました。 「1つだけわかったことがあります。友達の大切さです。 私は今まで人からはずされてきました。 その私が人をはずそうとしていました…。」

子どもたちはいろんな環境で一生懸命生きています。
私はこれからも、友達のすばらしさを教えていきたいと思います。

講演を終えて

子どもだけじゃなく、おとなでも孤独で生きていくのは辛い。 いじめっ子もいじめられっ子も、本当は友達がほしいだけかもしれない。 しかし子どもは思ったことがそのまま行動にはならない。 心と心の会話を! そして湧き出るエネルギーをプラス方向に導く大切さ(マイナス方向はいじめや暴力、リストカットなど…)。 悩みながら必死で生きようとする子ども、その命と向き合うには全身全霊でぶつかるしかない。

公立の現役教師でありながら、講演のために全国を飛び回る。なぜあんなに熱いのだろう。 先生方にもぜひ聞いていただきたい講演だった。

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