創価・公明特集

公明・木村芳彦前市議が死亡。「万引き冤罪事件」でも不審な動きをした人物!(「週刊ポスト」95年8月4日号から)
 5月3日、木村芳彦・前公明市議が死亡した。
 昨年夏に倒れたが、その後復帰したかにみえたが、3月には予算委員長などを担当、どうみても無理なポストだった。 4月半ばには、すでに昏睡状態となっていたという。
 草の根・矢野、朝木両議員は通夜に出席し、棺の木村芳彦前市議に対面したが、棺のそばにいた山川昌子市議は、なぜか二人をみるやいきなり姿を消した。

 ところで、この人物は、朝木明代議員の事件でも不審な動きをした。当時から「万引き苦にした自殺」説を強調し、現在、約20件もの本人訴訟を朝木明代議員遺族、同僚らに対して提起し、昨年11月には敗訴判決を言い渡された事件当時の東村山署・千葉英司副署長とも深い関係にあった。
 
 その後、法廷での証言で、「万引き犯」の服装について千葉副署長と洋品店主との供述が食い違って「万引き冤罪事件」であることがはっきりしているが、この「冤罪事件」でも木村前市議は不審な動きをしたことが「週刊ポスト」95年8月4日号(226頁)に掲載されているので、以下に紹介しておこう。

 ・・・ それにしても今回の事件は単純な万引き未遂事件と思えないこともたしかだ。普通、1,900円のシャツを万引き未遂して送検れるだろうか。さらにこの件では怪文書がバラまかれている。しかも警察が事件を発表2日も前に、マスコミ各社にファックスが送りつけられているのは不思議であるとしかいいようがない。「東村山在住 健全な社会を願う一市民より」という発信名を記したファックスには、こうある。
<東村山市議会議員の朝木明代氏が、市内の女性服販売店で万引きをしたとの事実を確認しました。(中略)ぜひとも、取材の上、事実の正否を市民に投げかけて下さい>
 さらに書類送検当日には、偶然というのは、あまりにも奇妙なシーンが東村山署で目撃されている。東村山市議会副議長でもある公明の木村芳彦市議がなぜか、署長室にデンと座り込んでいたのだ。
 この件について木村市議に確認すると、彼は訪問の事実を認めた上で、こう続けた。
「7月11日に市民(ある主婦)から事件の報告を受けた私は、その確認に行った。本当に万引きしているのであれば大変なことですから、7月12日、東村山署の防犯課を訪れたのです。たしかに署長室に入りました。しかし、それは応対してくれた副署長が入ってくれといったから。署長に何かをいったわけではありません」
 当初、地検への書類送検は13日だといわれていたが、なぜか1日早くなった、という関係者もいる。こうなっては、真相はどこにあるか全くわからなくなってくる。
 書類送検の4日後、事件が起きた。今度は、矢野市議が巻き込まれたのである。「7月16日の深夜、午前3時過ぎです。仕事をやっと終えて事務所から自宅に自転車で帰る途中、暴漢に襲われました。最初は、車が止まっていて、2人の人物が何かをみていた・・・
酔っ払いらしき人が道に大の字に寝ていました。それで2人と話して酔っ払いらしき人を道路の端に移動させました。が、その2人が車で去った直後です。今まで酔っ払いと思っていた男が突然スックと立ち上がり、私の胸ぐらをつかまえて、ヤクザ言葉で私を脅し始めた。
 それを無視していると、今度は殴りかかってきた。頭を殴られ、膝蹴りで顔面や足もやられた。確実に武道の経験のある男です。幸い、近くで遊んでいた若者10数人が助けてくれましたが、傷がひどく救急車を呼びました」
 この男が学会関係者ではないか、と矢野市議は見ている。「というのも、男は最初、私を挑発するだけで手をだそうとしなかった。先に私に手を出させ、傷害などで訴えるつもりではなかったのか。そうすれば、朝木市議は万引き議員、私は暴力議員として議会から『草の根』を追放できるからです。翌朝、事務所に出ると、朝木さんに対する怪文書が挑発的にドアの脇にボンドで貼り付けてありました。(矢野市議)・・・
矢野議員を襲った人物の親も創価信者で、自分も信者に登録されていた!
 その後、95年7月16日に矢野議員を襲った人物の親も創価信者で、自分も信者に登録されていたことが判明した。
 
 矢野議員を助けた目撃者は、この犯人のすぐ近所に住んでいて同じ中学の1学年下だったので、氏名もよく知っていた。矢野議員は、この犯人をみつけ警察に突き出したが、当時の東村山警察署は、捜査の責任者「元副署長」の下で、この事件を一切捜査しようとしなかった。


トップへ
戻る