「健全な精神は健全な肉体に宿る」

とは言わなかったユウェナリス



 先日、といっても大分前(1988年2月2日)になるが、産経新聞に連載されている『戲論』 (全文) で「健全な精神は健全な肉体に宿る」という格言の間違いを指摘した玉木正之氏が「ユウェナリス( Juvenalis 60-136 )は若者が体を鍛えるだけで勉強しないことを嘆き、『健全な肉体には健全な精神も!』(肉体だけ鍛えてもダメ!)といった」のだと書いているのを見て、な るほどそうだったのかと、久しぶりに手もとにある原文をひもといてみたが、どうもそうでもなさそうなのでここで報告したい。

  この言葉の出てくるのはユウェナリスの十番目の詩 で、その内容をごく大ざっぱにまとめると次のようになる。

  人々は間違ったことばかりを神様にお願いしている。例えば金持ちになること、 例えば長生き、例えば美貌。しかし、これらはなかなか手に入りにくいだけでな く、手に入ったところで決して持ち主を幸福にはしない。金持ちになっても泥棒の 心配が増えるだけ。長生きしても、もうろくした人生にいいことはない。美人にな っても不倫に陥って苦しむだけだ。「心身ともに健康であること」。願うならこの 程度にしておきなさい。これなら誰でも自分の力で達成できるし、それが手に入っ たことによって不幸になることもない。しかし、けっしてそれ以上の大きな願いを 抱いてはいけない。

  ユウェナリスが言いたかったことは、要するに「青年よ大志を抱くな」であるら しいのだ。玉木氏には申し訳ないが、この詩がスポーツマンに勉強しろと言ってい るのでないことだけは確かである。そして、例の文の本当の意味は「心身ともに健 康であること」という、われわれ日本人にとってもごく普通のありふれたお祈りに 過ぎないらしい。

  ところで、「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という日本の格言のもともとの英語の格言は、

  A sound mind in a sound body

 であり、これを例えばジーニアス英和辞典のsoundの項は「健全な身体に健全な精神 (が宿るように祈らねばならない)」としているので、辞典のほうが正しいのではと 思う人のために、原作の問題の箇所の英訳(Juvenal The Satires A new translation by Niall Rudd in World's Classics )を紹介しておこう。

  You ought to pray for a healthy mind in a healthy body.

また、有名なバートレットのFamiliar Quotationsも

  You should pray for a sound mind in a sound body.

 となっている。ここから「健全な身体に健全な精神が宿るように祈らねばならない」という意味を引き出すことは難しいし、この文に上記の 「心身ともに健康であることを祈るべきである」以上の意味が含まれていないことは明らかあろう。おまけに、「ねばならない」という訳も、何を祈ったらいい かという問いに対する答えとしては不適当である。

  しかし、原文は違うのではと疑う向きのために、原文のラテン語を英語に、語順 もそのままに直訳してみよう。

  You ought to pray that be a mind healthy in a body healthy.

   この中の、be がよく言われている「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という訳の「宿る」にあたるのだが、これが単に「〜となる」という意味でしかないことは、この英 訳でもわかるだろう。したがって、この訳が間違いであることは、ここからも明らかである。

  いや明らかではない、単語を一つ一つ直訳してくっつけていけば、「健全な身体の中に健全な精神があるようにと祈るべきである」となる ではないか、と言う人もいるだろう。しかし、直訳は多くの場合誤訳の温床であることが、この場合も前後の文脈からわかるはずだ。つまり、この文脈では、精 神と肉体は対照的に取り上げられてはいないのである。さらに、ラテン語の原文が韻律に制約される詩であることを考え合わせると、原文の単語のinには、精 神の健康と身体の健康に何らかの関係があると言っているのではなく、作者が言いたかったことは単に、

  You ought to pray that both mind and body be healthy

であり、この格言の真の意味は「心身ともに健康であることを祈るべきである」であるとみるのが適当であることが理解できるのではないか。

  そしてこの「健康」ないし「健全」の中身を、ユウェナリスはその詩の続きで説明 している。それは死の恐怖からの自由、怒りからの自由、欲望からの自由のことである。そしてこれは快楽主義とは正反対の本当のエピクロス派の哲学の主張で ある。この最後のほうは、まるで宮沢賢治の「雨にも負けず、風にも負けず・・・」の詩を思わせるものがある。

  実は、この玉木氏の意見は、知識人の間ではかなり普及しているらしい。ユウェナリスの詩集は『サトュラエ』と題して藤井昇氏の全訳が 日中出版から出ているが、この訳は注釈書として読むにはいいが、読んで楽しむたぐいのものではない。第10歌の訳を参考にさせていただいたが、訳し落とし や誤字脱字のたぐいが散見され、校正も充分行なわれていないようだ。訳者が慶応大学名誉教授ということで、出版社も遠慮したのだと思われる。しかし、それ でも前後の文脈から、俗説の誤りを確認することぐらいは可能だ。もっとも藤井氏は、例の箇所を「健全なる肉体に健全なる精神が宿るようにと希うべきであ る」としていて、新たな誤解を生み出す元となった可能性はある。

 この第10歌の全訳を掲載したから、俗説の誤りを文脈からも確認してもらいたい。 問題の文章はこの詩の最後 のほうに出てくる。「願い事はほどほどに」という題名は筆者が英訳書を参考につけたものである。ところで、一番最後に登場するアッシリア王サルダナパロスは ドラクロアの有名の絵「サルダナパロスの死」に描かれた人物である。

 ところで、日本の知識人に槍玉に挙げられている「健全な精神は健全な肉体に宿る」ということわざは、どうも日本だけのものではないようだ。最近、 「スタートレック」を見ていたら、バーベルを握って筋肉トレーニングに励んでいる若者(ノーグ!)が、友達のジェイクに筋肉トレーニングの良さを勧めなが ら「『健全な肉体に健全な心』(多分、Health in body,health in mind)と言うじゃないか」と言うシーンに出くわした。
 このことから、格言というものは一人歩きするものであること、欧米においても、もうずっと昔からユウェナリスの詩は読まれなくなっているということが分かる。


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