天孫降臨と神武天皇誕生の地を行く T

(古事記ゆかりの地を走る)

1 鹿児島から宮崎まで

2 宮崎から高千穂を経て熊本まで

2007年10月16日〜19日

 今回は、古事記の天孫降臨の地と神武天皇誕生にまつわる地を訪ねて鹿児島・宮崎県をめぐる旅である。

 古事記にいう天孫降臨の地・「筑紫の日向の高千穂のくじふる嶺」とはどこなのか。代表的な説として二つがある。一つが宮崎・鹿児島県境の霧島山、もう一つが宮崎県北部の高千穂町である。その両方を訪ねてみた。

神の名 - 所在地説1 所在地説2 所在地説3
ニニギノ命 降臨の地 霧島山(高千穂の峰)
宮崎県高原町
くじふる峰
宮崎県高千穂町
-
宮の地 笠沙宮址
鹿児島県南さつま市
高千穂神社
宮崎県高千穂町
-
陵墓の地 可愛山陵
鹿児島県川内市
男狭穂塚
宮崎県西都市
北川御陵伝説地
宮崎県延岡市
神武天皇 誕生の地 皇子原神社
宮崎県高原町
四皇子峰
宮崎県高千穂町
鵜戸神宮
宮崎県日南市(不訪)

古事記の天孫降臨の地にまつわる要旨は、次の通りである。

1 神代七代、イザナギの命が黄泉の国から帰り、「筑紫の日向の阿波岐原」で禊(みそぎ)をし次々と神を生む。左目を洗い天照大神、鼻を洗ってスサノオノミコトが生まれる。二人は、「天の安川」の「真名井の井戸」で剣を清め占いを行った。スサノオが勝ち誇り乱暴を働いたので天照は「天の岩屋」に立て籠もった。

続いて、スサノオ、国譲りと因幡・出雲地方の話に移り、

2 天孫降臨の話に移る。

天照大神の孫にあたるニニギノ命(天孫)は、豊葦原の水穂の国を治めるため「筑紫の日向の高千穂のくじふる嶺」に降り立ち、はるかを見渡し、『海の向こうに韓国を望み、「笠沙の岬」にまっすぐに通じている良い土地だ』と宮殿を建てる。ニニギノ命は、木花佐久夜姫と結婚し、火照命《ほでりのみこと》(海幸彦)と日子穂穂手見命《ひこほほでのみこと》(山幸彦)を生む。

3 日子穂穂手見命《ひこほほでのみこと》(山幸彦)は、海の神、綿津見(わたつみ)の宮殿の豊玉姫と結婚し、海岸の鵜の羽で屋根を葺いた産屋で建鵜葺草葺不合命(たけうがやふきあえずのみこと)を生む。 日子穂穂手見命は、「高千穂の宮」で580歳まで生きその墓は、「高千穂の山の西」にある。また、火照命《ほでりのみこと》は、隼人族の先祖である。

4 建鵜葺草葺不合命(たけうがやふきあえずのみこと)は、玉依姫と結婚し、神倭伊波礼毘古命《かむやまといわれびこのみこと》(神武天皇)を生む。神倭伊波礼毘古命《かむやまといわれびこのみこと》は、「日向」を発ち、「豊国の宇佐」から「筑紫の岡田」、安岐の国の多祁理、吉備の高嶋に宮を築いた。


1日目
鹿児島空港 4km→ @高屋山上陵 64q→ A可愛山陵 ・新田神社 67q→ B笠沙宮址 48q→ C仙巌園 9q→ 鹿児島東急ホテル   計192q
2日目
鹿児島東急ホテル 47km→ D鹿児島神宮 22q→ E霧島神宮 8q→ F高千穂河原 25q→ G皇子原 1q→ H狭野神社 72q→ I宮崎神宮 3q→ J平和の塔 徒歩→ K皇宮屋神社 7q→ ホテルプラザ宮崎   計185q        (走行距離)

3日〜4日目  2 宮崎から高千穂を経て熊本まで


 1日目

 鹿児島空港前のパジェットとというレンタカー会社の車を借り、9時50分にレンタカーで鹿児島空港を出発。空港の出口をすぐ右折し、北東へ4キロ、九州自動車道の下をくぐると右手に高屋山陵の碑が見えた。駐車場に止め219段の石段を登ると拝殿がある。

 @ 高屋(たかや)山陵 

    鹿児島県溝辺町

高屋山陵 宮内庁の看板(天津彦火火出見尊とある)

 日子穂穂手見命《ひこほほでのみこと》(山幸彦))の陵と伝えられる古墳。古事記に「御陵は高千穂山の西」とありここは高千穂峰の西にある。平安時代の延喜式の「高屋山上陵 彦火火出見尊日向国にあり」となっているそうである。明治7年に陵墓と決められた。宮内庁の管理小屋がある。



 カーナビで次の目的地、新田神社を電話番号からセット。九州自動車道を南に鹿児島を通りそこから川内市に向うものと思っていたら、示されたルートは一般道を北へ向い途中から西に行くというルートである。これは想定もしていなかったので地図も持っていない。距離は短いが山の中を通り細い道をくるくる走るのではと迷ったが、カーナビの指示どうり走ってみたら、山を登こともなく、二車線の道を快適に走れた。
 後でわかった事だが、このカーナビは優れもので、県境にくると「ここから宮崎県に入ります。」と案内し、ぐるぐる回るループ式の道路では「ここから熊本県へ」少し走ると「ここから宮崎県」さらに「ここから熊本県」と細かく案内までする。しかも案内ルートを複数提示し、また推奨ルートまで示すことがわかった。自分の使用している10年前のカーナビとは比べものにならない。このカーナビを頼りに4日間走ったことになる。

 12時、新田神社に到着。鳥居をくぐり300段の階段を上ると神社があるが、車で途中まで上ると大きな駐車場がある。神社の裏に可愛山陵がある。

 A 可愛(えの)山陵・新田神社

    鹿児島県川内市

可愛山陵 新田神社

 可愛山陵は明治7年、明治政府が治定したニニギノ命陵墓。神亀山(高さ70メーター)の山頂にあり、宮内庁の管理小屋がある。

 新田神社はニニギノ命を祀る。「神社のしおり」によれば、社殿は400年前のもので、鎌倉時代から室町時代の記録や鏡(国の重要文化財)が残っている。



 笠沙宮址までは、快適な道で市来からの海岸線は温暖な伊豆半島の東海岸を走るような気分だった。南さつま市役所の交差点を左折し案内表示板に従って進み、小さな三叉路を右に100メーターくらい入ったところにあった。2時30分に笠沙宮址に着いたが、途中車を止めて入るような食堂が見当たらず、コンビニでおにぎりを買って昼食とする。

 B 笠沙(かささ)宮址

    鹿児島県南さつま市(旧加世田市)

笠沙宮址 笠沙宮址説明版
日本発祥の地碑 「日本発祥の地」碑の周辺の風景

 ニニギノ命木花佐久夜姫宮居を建てた所古事記には、「筑紫の日向の高千穂のくじふる嶺」に降り立ち、はるかを見渡し、『海の向こうに韓国を望み、「笠沙の岬」にまっすぐに通じている良い土地だと宮殿を建てる。』とある。

 「笠沙宮碑」の前には、「日本発祥の地」碑がある。建立紀元2634年となっているが、センセーショナルな名前を付けたものだが、周辺はのどかな里といった感じの所だ。


 笠沙宮址をあとに、時代はぐっと新しく幕末の薩摩藩主の別邸、鹿児島市内の仙巖園と尚古集成館に行く。(4時〜5時)

 C 仙巖園(せんがんえん)と尚古集成館(しょうこしゅうせいかん)

    鹿児島市内磯地区

仙巖園の庭園から桜島を望む 薩摩藩150ポンド製鉄砲(復元)

 桜島と錦江湾を借景とした仙巖園は、万治元年(1658年)19代島津光久がこの地に別邸を構えたのが始まりです。隣の尚古集成館は、幕末、島津斉彬の頃は、幕府に隠れ反射炉をつくり大砲の製造をしたり、造船所を作ったりした所。


 ○ 2日目

 ホテルを8時15分に出発。九州自動車道鹿児島ICから東九州自動車道の東隼人ICを降り、鹿児島神宮へ。9時5分に到着、ちょうど朝の「のりと」?が本殿であげられていた。

 D 鹿児島神宮

    鹿児島県隼人町

鹿児島神宮 「高千穂宮址」碑(石体神社の前)

 日子穂穂手見命《ひこほほでのみこと》(山幸彦))とその妃、豊玉姫を祀る。大隈正八幡宮とも称せられ、大隅国一ノ宮となっており延喜式にもある。 日子穂穂手見命はここに宮をおいたという。鹿児島神宮の元宮の石体(いわた)神社の前に高千穂宮址の碑がたっている。(鹿島神宮の東北に300メートル)  武勇をもってしられる隼人の祖先は、日子穂穂手見命の兄・火照命《ほでりのみこと》(海幸彦)であり、。古来、日子穂穂手見命(山幸彦)が海神の宮からもたらしたという干満珠(かんまんじゅ)が神宝として秘蔵されているとう。

 その墓は、高屋山陵(このページのトップに掲載)であるという。


 鹿児島神宮から30分、鳥居をくぐって霧島神宮駐車場へ。

 E 霧島神宮 

    鹿児島県霧島市

霧島神宮 「君が代」のさざれ石だという(岐阜県春日村の山中にあったもの)

 祀るのは、ニニギノ命(天孫)を主神とし、天武天皇など天孫から四代にわたる直系の神々とその妃を祀る。霧島山の噴火により幾度か社地を変えているが、天明16年(1484)に現在地に移る。


 霧島神宮から車で15分登ると標高970メーターの高千穂河原に着く。このあたりは霧島神宮の境内になっている。駐車場から歩いて10分霧島神社古宮址がある。1866年(慶応2年)、坂本龍馬と妻おりょうは2人で参拝し天の逆鉾を見に行っている。龍馬が姉の乙女あての手紙で霧島山とその山頂に立っている天の逆矛をスケッチしている。(手紙は、京都国立博物館に収蔵されている−同ホームページからでも収蔵データーベースから閲覧できる)

日程の関係で、高千穂登山をあきらめたがビジターセンターの2階の望遠鏡で逆鉾を眺めることができた。

 F 霧島神社古宮址 

    鹿児島県霧島市

天孫降臨祭神籬(まがき)斎場 高千穂の峰(この写真はビジターセンターの近くの駐車場から撮ったが、右の峰の山頂から左側に下がったところに逆鉾がある)

霧島神社は、初めは高千穂の峰と御鉢(噴火口)の間にあり、約1400年前の噴火でこの地に移り(鹿児島県自然公園財団の説明書)、そして文歴元年(1234年)現在の神宮の位置に移った(霧島神宮の説明版)。
 大きな鳥居の向こうに天孫降臨祭神籬(まがき)斎場があり。 高千穂山頂(天孫降臨の地)まで徒歩1時間半。山頂には、ニニギノ命が天から降りてきた時持っていた鉾を突き刺したという天の逆鉾(長さ138センチ)がある。
 ビジターセンターの2階の望遠鏡から、旗の左にアンテナのようなものが見えたが、センターの職員に聴いたらそれが逆鉾だそうだ。


 鹿児島県から宮崎県に入る。1時10分皇子原公園の駐車場に車を止め皇子原神社へ行く。鳥居にはクモの巣が下の方に張っており、鳥居の下をくぐらず、脇から石段を登る。訪れる人は少ないのだろうか。

 G 皇子原(おおじばる)神社 

    宮崎県高原町

皇子原神社 「神武天皇誕生地」の碑

 皇子原は神武天皇の誕生の地この付近は皇子原古墳と呼ばれる5〜6世紀の古墳が6基あるが、皇子原神社はその1号墳の上の小さな祠であり、狭野神社の末社である。神社の裏に「産婆石」という石の付近で神倭伊波礼毘古命《かむやまといわれびこのみこと》(神武天皇)は生まれたことになっている。「産婆石」は、どこにあるか見落とした。


 皇子原神社から東へ1q行くと狭野神社に着く。

 H 狭野(さの)神社 

 宮崎県高原町

狭野神社 狭野神社前から高千穂の峰を望む

 神倭伊波礼毘古命《かむやまといわれびこのみこと》(神武天皇)を祀る。神社の由緒に寄れば「孝昭天皇の御代神武天皇誕生の地に社殿があった。その後たびたび噴火で、社殿は炎上し慶長10年(1610年)現在の地に社殿が造営された。狭野は、神武天皇が若い頃名乗っていた狭野命(さののみこと)に由来すると言われている。


 2時に狭野神社を出発、宮崎自動車道を高原ICから宮崎ICを通り、宮崎市内の宮崎神宮へ3時20分着。

 I 宮崎神宮 

    宮崎市内

宮崎神宮(中央の丸く小さく光っているのが鏡) 東征を再現した「おきよ丸」

 神武天皇を祀る。神武天皇社といい明治6年に宮崎神社と改称。宮崎神宮が伝える歴史では紀元前7年10月5日この宮崎を出立し、北の美々津港から東征の船出をしたことになっているという。東征を再現した「おきよ丸」が境内に常時展示。


 平和の塔は宮崎神宮の西北1qの平和台公園に建つ。この丘の周辺は「下方形古墳」といわれ最長110mはじめ前方後円墳が4、円墳12が分布する。丘の上に建つ「平和の塔」は遠くからでもよく見える。丘の上に大きな駐車場がある。

 J 平和の塔 

    宮崎市内

平和台公園の下から塔を望む 平和の塔(紀元2600年とある) 扉にある神武船出のレリーフ

昭和15年「八紘一宇」(地の果てまで一つの家のように統一支配する)の塔として建てられた。戦後「平和の塔」と名を改めた。正面の扉には、神武天皇東征の船出の様子を描いてある。


平和台公園から155段の石段を降り、南に徒歩5分、右の路地を入ると皇宮屋神社に着く。駐車所がないので徒歩で行く。

 K 皇宮屋(こぐや)神社 

    宮崎市内

皇宮屋神社 「皇軍発祥之地」碑

 神武天皇が東征前に宮を置いたという伝承地。宮崎神宮の敷地であり駐車禁止という立て札がある。神社の前に「皇軍発祥之地」(紀元2600年書)の碑が建っている。

 5時10分ホテルプラザ宮崎に到着。このホテルは、大淀川沿いに建っており、別棟に温泉があり(源泉45℃でかけ流しではない)大衆的な料金で十分満足した。

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