三角点について

角点って何?と思う方は多いと思います。三角点は地図を作成するために測量を行う際、その位置の基準となる点のことで、他の点との位置関係(距離、方位など)及び絶対的な位置(経緯度など)がきわめて正確に測定されています。
これはすでにその位置関係が分かっている二つの点(これを既知点と言います)から新たに測定する新しい点(新点と言います)までの角度を測定すれば新点との位置関係が三角関数によって定まることを利用した三角測量に使用される点だからです。


*1三角測量

既に位置関係が分かっている点Aと点Bから新点Cをを観測する場合、角A、角Bの角度が分かれば
辺ABの長さは分かっているので三角関数により辺AC、辺BCの長さがわかる。
この原理により三角点を設定し、次々と三角形を網状に形成し、三角網を完成させ、各三角点の位置を
確定していく方法が三角測量

三角点と等級

三角点には原則として一等から四等まで等級があります。この等級を山のランク付けと思われている方がいらっしゃいますが決してランクなどではなく設定された順番によるものです。
明治時代、正確な地図を作成する必要があった政府は日本全国で三角測量を実施しました。この計画は当初内務省の仕事として始まりましたが、始まってまもなく陸軍の手に移る事になります。この作業は明治15年、現在の神奈川県相模原市にある一等三角点「下溝村」と座間市の一等三角点「座間村」との距離を正確に測定することに始まり(これを基線測量といいます)全国を一辺約45qの三角の網で覆うことから始まりました。この時設定された三角点が一等三角点の本点です。さらに一辺約25qごとに設定された一等三角点補点を加えて作られた三角点の網が一等三角網で、全国972点より構成されています。
実際には平行して行われましたが、一等三角網が完成するとより高い精度を求めるため、一等三角網を利用して、新たに一辺約8qの三角点の網が作られます。これが二等三角網です。さらに二等三角網を利用して、一辺約4qの三等三角網が完成します。この成果を利用して基本的な地図である五万分一地図が完成しました。
三角点は四等までありますが、これは戦前、戦後で大きく異なります。戦前にも四等三角点は存在しましたが、これは三等三角網を補完するためのもので、測量が行われた際に一時的に利用するのみで標石も埋められませんでした。
戦後になり、GHQの指示より日本全国の再測量が行われましたが、この際、土地の所有を明確にするための地籍測量を目的として一辺約2qの三角網が作られますこれが四等三角点です。
また、極めて少数ではありますが、四等三角網を補完する五等三角点や精度が四等三角点より若干劣りますが製図上のポイントになる図等三角点(図根点)も存在します。

*2 三等三角網作成の時代、最後まで測量が難しかった地域に富山県の剱岳一帯があります。この地域を測量した測量官柴崎芳太郎を主人公にした小説が新田次郎の「剱岳・点の記」です。是非ご一読をおすすめします。

基線測量
三角測量はすでに分かっている一辺と二角により三角形を確定する方法なのですが、一番最初の三角点どうしの距離だけは計算では求まらないので、直接測る必要があります。これが基線測量で、関東地方の場合。神奈川県相模原市の一等三角点「下溝村」と座間市の一等三角点「座間村」を結んだ線がこれに当たります。これを「相模野基線」と言い、明治15年に測量されました。今日につながる三角測量の基線としては日本初のものです。国土地理院の説明板によればこの間隔は5209.9697mで、この数値を基に最初の一等三角測量が始まりました。何しろまだ飛行機もなかった時代(ライト兄弟の初飛行は1903年(明治36年))、基線尺と呼ばれる極めて正確な物差しで測っていくわけですから大変な作業です。しかも0.1o単位の精度が求められていた訳ですから当時の測量官の苦労がしのばれます。結果、この距離データをもとに近隣の一等三角点「長津田村」「鳶尾山」間、「連光寺村」「浅間山」間の距離が計算され、最終的に一等三角点「丹沢山」と「鹿野山」の距離が割り出されました。さらに、東京麻布台にあった東京天文台の子午環の中心(日本経緯度原点)からの一等三角点「鹿野山」までの方位角が測定され、それぞれの一等三角点の絶対的な位置が測定されました。
尚、基線測量は理論上は一カ所でいいのですが、精度を高めるため日本全国(北方領土及び当時の海外植民地をのぞく)で14カ所で行われています。

*3 相模野基線測量以前にも北海道開拓使による「勇払基線」(明治6年)、内務省による「那須基線」(明治11年)などが測量されていますが、この成果は今日われわれが現在使用している地図のもとにはなっていません。
*4 相模野基線以外の基線測量(順不同)
饗庭野(滋賀県)
須坂(長野県)
三方原(静岡県)
西林村(徳島県)
天神野(鳥取県)
塩野原(山形県)
久留米(福岡県)
笠野原(鹿児島県)
鶴児平(青森県)
札幌(北海道)
薫別(北海道)
声問(北海道)
沖縄(沖縄県)


三角点と標石
厳密な意味で言うと三角点とは標石上面もしくは金属標上の+印のまん中にある概念上の点と言うことになりますが、一般には標石、金属標そのものを指します。原則として三角点標石は小豆島産の花崗岩が使われていますが、四等三角点が設定された戦後以降、金属標やコンクリート製の軽量標識も使われるようになりました。また戦前、戦後で標石の文字の表記も変化しています。南面におかれることが多い○等の描き方も戦前は右から、戦後は左からです。また点の字も戦前は旧字体、戦後は新字体です。三等まで三角点は原則として戦前の選点、埋標ですが移転などの理由で新しいものに交換された場合も多く、標石が戦後のものもよくあります。戦後の標石の場合側面に「基本」「国地院」など文字が刻まれていることがよくあります。また、四等三角点は戦後のものですので新字体の標石になります。四等三角点の標石には点のナンバーが表記されています。
尚、三角点の標石は大きさも決まっていて、一等は一辺18cm、二等・三等は一辺15p、四等は一辺12pの石柱です。

*5               

戦前の三角点標石        戦後の三角点標石        金属標(建物屋上設置の例)
一等三角点「連光寺村」     二等三角点「下九沢村」     国土地理院「地球ひろば」展示品

また、三角点とは別に主要国道沿いを中心に、標高の基準点である水準点が設置されています。

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