小笠原の歴史
ビジターセンターの展示を私なりにまとめてみました。

[発見] [探検調査] [島名と最初の住人]
[咸臨丸の派遣と小笠原の開拓] [明治新政府による小笠原開拓]
[戦前・戦中の暮らし] [戦後の小笠原]

小笠原の発見

小笠原の探険調査

島名と最初の住人

咸臨丸の派遣と小笠原の開拓 明治新政府の小笠原開拓 戦前・戦中の暮らし
当時の家

大正中期の糖価の暴落まで、農作の中心はサトウキビ栽培だった。 糖価の暴落によりサトウキビ栽培は下火となり、 農作の中心は観葉植物栽培とカボチャを中心とする野菜栽培に移っていった。
今のように温室栽培は行なわれていないため、内地とは時期のずれた小笠原の野菜は好評を得た。
漁業もマグロ・カツオ漁を中心に行なわれた。
最盛期(1939〜1942)には、学校の先生の年収が800円、 総理大臣の年収が8000円だった時代に、農家1個あたりの年収が7000円を越し、 漁業組合員1人あたりの年収は4500円越していた。
1944年、青年男子を除き強制疎開となる。約7000人の島民が着の身着のまま横浜へ向かった。
食糧不足と収入の激減が苦しい生活にのしかかった。

戦後の小笠原