死後の世界

死というのは人生の最後に必ず訪れる不幸と考えられているから、死に関することには全て暗い悲しいイメージがついてまわる。ここで言うようにたとえ死後にも生活の場があるとしても、誰しもお墓の中の暗い寂しいイメージしか湧いてこないのではなかろうか。しかし、私たちが死者と呼んでいる人たちからのメッセージによれば死後の世界はそのような世界もないわけではないけれど、おおむね私たちの想像するような陰鬱な世界ではないようなのだ。ではどのようになっているのだろうか。心霊学はあの世からのメッセージを元にしているので、死後の世界がどのような世界かも知ることが出来る。臨死体験をした方々の体験談がたくさん出版されるようになり、死後の世界の入り口までのことは読んだ方々は分かっただろうと思いますが、あくまで臨死体験なので、入り口の門のところで引き返していて、そこまでの描写しかない。引き返さないで、そのまま行ってしまったらどうなるのか書いてみよう。

どうやら寿命というのは生まれる前からおおよそ定まっているらしい。したがって、病気や事故などで死ぬ場合も老衰で死ぬ場合も、寿命の尽きることは本人に関わりのある人には分かっているらしくて、いよいよ肉体から抜け出すときがくると迎えに出るそうである。生まれるときも死ぬときも一人ぼっちとよく言われるが、実はそうではないのである。死ぬとはいかなることか分かっているような人は死ぬときも意識を保ったまま離脱するようだ。臨死体験者の話もそういうものが多い。ただし、ほとんどの人は死とはすべての終わりと考えているから死後、意識を回復させるまで時間がかかる。関係者によって意識を失ったまま中有界と呼ばれる世界に運ばれる。中有界とは、地上や霊界、幽界の中間にあるどこにも属さない世界である。誰しもがまずはここへ入ることになる。ここはこの世とまったく、何もかもよく似ている世界である。急に環境が変わってショックを与えないようにするためである。そのため自分が死んだことに気が付かない人も多いと聞く。肉体は脱いだのに肉体と変わらない体があるからである。

ここは大気が澄み渡り全体が青みがかって見えるので、別名をブルーアイランドなどとも呼ばれる。暑くも寒くもなく、山や湖があり太陽は沈まない。色とりどりの花が咲き乱れ、名も知らぬ小鳥たちが歌を歌う楽園である。意識を取り戻した者はこの世での垢を落としたり、病気だった人や事故で死んだ人のためのリハビリテーションの施設も整えられていて、これから始まるあの世での生活に備えるのだ。古くなったり傷ついた肉体はもうないのだから、その必要はないように思えるのだが、この世界は思いがすぐに現実化する世界だから、まず心からの診療も必要になるのだ。その必要のない者は何をしていてもよい。好きなことを好きなだけやることが許されている。飽きるまでやりたいことをやればよいのだが、いずれそれでも不満が湧いてくる。そうしたら次に住む世界への準備を始めるのだ。

あの世は無限の階層に別れている。この世で獲得した霊格によって住む階層が違う。同じ霊格の者同士が一緒に住む世界を形作っているのである。。最もこの世の波動に近い幽界から、その上の霊界、再び人間として生まれてこないような霊界の上層部から神界へと連綿と続くが、境目や区切りがあるわけではない。物質的な空間感覚や、距離感で判断しないでほしい。すべて波動の違いから生じる区別である。呼び名を付けないと説明しにくいので便宜上そう呼んでいる。まずこの世である物質界があって、中有界があって、幽界、中有会、霊界、中有界、神界と登っていく。もっと詳しく分けている人もいるがここでは簡潔にしておく。なぜなら、死後の世界を論ずる人でも死後はすぐに霊界などと言うけれど、実はほとんどの人は幽界あたりへ行くことになるのであって、霊界に入るには相当に厳しい経験をクリアした清廉潔白な霊格の持ち主なのである。シャーロック・ホームズの生みの親であるアーサー・コナン・ドイルは晩年をスピリチュアリズムの普及に尽くし、スピリチュアリズム界のパウロとも呼ばれたが、彼のような者でも霊界通信の中で、霊界入りの困難さを書き送ってきている。

死後の世界も幽界、霊界、神界と区別のあることは分かっていただけたと思う。各界の詳しい様子は「ベールの彼方の生活」(推薦図書に掲載済み)をぜひ読んでいただくとして、ここではほとんどの人がお世話になる幽界の様子を簡単に説明してみよう。幽界にも低い階層から、もう近々霊界へ移住するというような高い階層まで別れている。高い世界は常に太陽が輝き夜のない世界である。眠らなくてよいし、食べる必要もない。もちろん、食べたければ欲しいものは欲しいと思えばすぐ出現するのだから食べてもいいのだが、だんだん食べることに興味がなくなっていくという。睡眠も同様である。寝たければ寝てもよいし、休みたければいつでも好きなだけ休めばいいが、別段疲れることもない。しかし、すこしずつ階層が下がるにつれ、夜はないが黄昏はあるというような世界に変化していく。そして、さらに下がると夜ばかりの世界、いわば最下層の世界がある。幽界ではあるが物質である地球と重なり合っているため、もろに物質的影響を受けている。おそらく地球の中心部と重なり合っているのだろう。幽界でも最も波動の低い世界、当然そこに引き付けられてきた住人たちといえば、最も霊格の低い人たちである。地上での行いが最低だった人たちの世界である。

同じ霊格、すなわち最低の人たちが一緒に生活しているのだから、皆、自己中心的であり互いが罵りあい、そしり合い喧嘩が絶えない。傷つけ合い殺し合いも日常茶飯事だが、傷付いてもすぐに直ってしまうし殺してもすぐに生き返ってしまうから怒りがぶりかえす度にまた同じことを繰り返す。闇の中での長い長い時間である。客観的に見れば恐ろしい世界だが、そこに暮らす人たちはそこが合っているし、それが当然と思っているから変だとも思わないし一番暮らし易いのである。いつか本人の心がそこでの生活に空しさを感じ始めたとき、やっと魂が進化向上を目指す。当然のことながら、その時を待っていた先行く者たちがやさしく手を差し伸べるのは言うまでもないことである。

死後の世界は生活を維持するために働く必要はない。しかし仕事がないわけではない。主な仕事が他人に尽くすことであるということはこの世と同じであるが、あの世の仕事で下位の者に手を差し伸べて手助けをするという仕事が最も多いのではなかろうか。低い階層から高い階層へ行くことは出来ないが、高いところから低い世界へ降りることは、自分の波動を下げればよいのだから可能である。こうして、高い階層の者ほど低い階層を思いやり手助けをしようとしているのである。これがまた、めぐりめぐって自分を高めることにもなる。

低い階層では高い階層から見れば地獄のように思える生活もあるが、ほとんど一部と考えていいだろう。特別に酷い人生を送ったようなことはないような人たちはどうだろうか。それぞれの階層は自分の霊格に見合ったものだし、一緒に暮らしている人々とも同じ霊格だから、およそ争うことなどない平和な生活をいつまでも送ることができる。しかし、魂というものは常に進化向上を求めているから、そのような生活に満足できなくなり更に上を目指したくなるのである。上を目指す、言い換えれば霊格を向上させるにはどうしたらいいのだろうか。先に書いたように、後からやってくる未熟な魂の手助けという方法もあるが、もっとも良いのが、再び地上に降りることなのである。一説には地上での生活は、幽界での暮らしの百倍にもなるという。幽界にいるよりは地上での生活は百倍苦しいとも言えるわけで、地上生活が修行とも言われるゆえんである。

今、現在地上での生活を送っている私たちは、生まれる前、それを承知で生まれてきたのである。簡単に弱音を吐いてもらっては困るのである。

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