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 じいちゃんの葬式が始まる時刻、私は試験会場で参考書をめくってた。生まれたときからずっとお世話になった「おじいちゃん子」としては、当然、最後のお別れにも出席しなきゃならないはずだった。けど。

「あんた今年絶対受からないといけないんだし、お葬式出るために大学入試受けないなんて、おじいちゃんだって喜ぶはずがないでしょう?」

 いや、母ちゃんに後押しされるまでもなく、そうするつもりだった。でも。参考書をめくるだけめくりながら3割くらいはじいちゃんの思い出チェックもしてたので。試験のほうは、たぶんこれはだめだなぁ、と素直に思えるほどの出来になった。
 ……もちろん言い訳だ。やっぱり勉強が足らなかったんだよ。
 それでもともかく試験が終わった解放感があったし、帰りの特急ではうつらうつらと寝て過ごしたおかげか、そんなに深刻な気持ちにはならなかった。ところが改札を抜けて我が街・赤槻市の駅前にこぼれ出た瞬間、あまりに快晴なお空のお出迎えにあって、不意にくらりと来るものがあったのだ。
 あわてて地上に目を落とせば、眼前にはおととい降ったドカ雪が集められて積み上げられて灰色になりかけている。この灰色って近くで見ると、車の排気とかはねた泥が小さな黒い粒になって雪を覆っているんだ。なんていうか、とてもきたない。
 やばい・・・なんだか気分が悪くなってきた。
 今度は駅前ロータリーに入ってくる車に自分の注意をそらす。でもまだ不安がねっとりと染み出してくるのを感じる。
 落ちたらどうすっか…?
 最後には自然に自分の足元を見ていた。
 ハンパに溶けたあげく、泥と混じって歩道脇に溜まる雪。ああ。今のわたしはこんなんだ。と、茶色いシャーベットへの感情移入をこころみたとたん、そこを前輪でショリショリギューと押しつぶして止まる車。だめだ。もうぐちゃぐちゃだ。パワーウインドウがじわじわ下りて、車の中から呼ぶ声がする。
「ナ……ミナ…………こら皆子!」
 父ちゃんだった。
「待ったかい? ごめんな遅れて。さ、乗りな」
 助手席に乗り込んで、カバンを後ろの席に放る。クルマの中はエアコン全開で暑すぎた。そしてタバコくさい。
「どう・でした・か?」
 発進しつつ軽い調子の丁寧語で父ちゃんが聞いてくる。でも今の私には、その上げすぎの語尾が癪にさわる。
「どうもこうも」
「なんだ、ダメか」
「ガ!」
 短くうなって右手でヒーターを切り、左手でスイッチを押して窓を開ける。つめたい空気が吹きつけたところで深呼吸。街なかの風は排気くさいが、ま、それもいいや。
「ガってなんだこら。寒いだろ」
「お葬式のほうはどうだったの」
「お葬式こそ、あんた、どうもこうもない。ごくフツーの葬式さ」
「どんくらい人が来てた」
「うん。そりゃそこそこ来たよ。200人はいたんじゃないかな」
「うっそ、そんなに? それって普通?」
「嘘じゃない。義父さんはあれで顔が広かったの。おまえにとっちゃただのじいちゃんかもしれんけど、あの人にはそれだけの人たちと関わった人生があった……と、いうわけだな」
 信号待ち。横断歩道をわたる人はない。突然、なんだか、こんなことが言いたくなる。
「200人もいたんだったら、確かに無理にわたしが出ることもなかったってか……」
「そんなことはない」
 父ちゃんの声がちょっと低くなった。
「そんなことはないです。それにね、おまえにとっては、『ただのじいちゃん』でいいんだ、もちろん。ほら、もう窓閉めるぞ」
 それから20分間、「受験は結果が出るまで分からない」とかなんとか、当たりさわりなく慰められて過ごしたおかげで、火葬場に着く頃には、どうにか開き直った気持ちに落ち着いてきた。
 そういえば、火葬場に遅刻して来るなんて生まれて初めてだ。
(続)






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