創価学会のニセ本尊、危険な宿業


聖教新聞より

今から28年前の1978年4月10日─
生天目美智子さん(53)=つつじが丘支部、地区副婦人部長=は、2人目の子供を出産した。念願の男の子だ。「とっても、元気ですよ。」。4320グラムという大きな赤ちゃんだったが─。
間もなく、若き母の心を、不安という黒雲が覆う。発語が遅い。1歳半を過ぎたのに「ママ」の一言もないのである。おんぶしても、抱っこしても、全力で突っ張る。まるで母の愛を拒絶してるかのよう。事実、何を話しかけても無表情だった。
何度か通院した結果、生天目さんは、こう宣告された。
「お子さんは、『自閉症』です」
自閉症とは、先天的な脳障害(情報処理機能)によって起こる発達障害のこと。「いわゆる、引きこもりや心の病ではありません。今の医学では直すことはできません。」─生天目さん母子の苦闘が始まった。

いまこそ信心だ!

生天目さんの長男・祐樹さん(28)=男子部員=は、3歳を過ぎた頃から、とにかく動き回る「多動」が顕著になった。歩くと言うより突進。泣くというより奇声。それは昼夜を問わなかった。
 4歳になって、ようやく片言の言葉を操るようになるが、多動は収まらない。風のように家を飛び出し、よその家に上がりこむ。道端の水たまりで”行水”して泥んこになる。夜中に泣き出し、冷蔵庫の中身を放り投げる・・・・予想不能な多動に振り回されるたび、生天目さんはイライラし、くたくたになった。しつけようにも、祐樹さんと母子のコミュニケーションが成り立たない。襲い掛かる疲労と絶望。
”この子がいなかったら、どんなに・・・”
そんな考えが心をよぎり始めたころ、生天目さん宅に一本の電話が入った。
郷里の母からだった。心配させまいと事情を伏せていた生天目さんだったが、ぽつりと言った。「実は、祐樹のことなんだけど・・・」
自閉症のこと。多動のこと。体力も気力も限界を超えていると言うこと。いつしか、信仰もおろそかになっていること・・・。
堰を切ったように苦悩を語った。じっと耳を傾けていた母・伊藤キヨ子さん。(83)=佐渡市、小木支部、婦人副本部長=は言った。
「私の孫だもの、宿業だね。私も祈ってくよ」
凛とした声。やさしく気迫に満ちていた。
しおれかけていた生天目さんの心に、”学会っ子”の負けじ魂がよみがえった。”祈る─そうだ、私にはご本尊がある。今こそ信心だ!! 

とはいえ、それは、いばらの道ー。
祈るといっても、落ち着いて仏壇の前に端坐する暇がない。5分10分すると祐樹さんが騒ぎ出す。なだめて戻る、その繰り返し。”負けない!”いつしか母の心は仏壇の前であろうとなかろうと、祈りであふれるようになった。”祐樹を一人前の成人に。広布の人材に!”母の祈りの照準がピタリと定まると、不思議なことに祐樹さんが母の愛を受け入れるようになった。さらに、母は、地域訓練会の存在を知る。障害児の保護者が自主的に組織し、療育活動をしているという。そこに、足繁く通い、ともに訓練を受けた。例えばー電車で遠足に。あらかじめ、車内では静粛にと言い聞かせておく。多動が出れば、集団とは別に次の駅で下車し、後の電車を待つ。乗って再び騒げば、また次の駅で次の電車を待つ。−一つ一つが根気の要る訓練だった。だが、これらによって、祐樹さんは社会生活のルールや分別を徐々に理解していった。いつからだろう。祐樹さんと一緒に唱題できるようになったのは。「いろいろありすぎて、明確な記憶がないんですよ。(笑い)覚えているのは”よし、これで祐樹はすべて乗り越えていける”と確信できたこと。

(以下略)