
窪田空穂将棋教室
| 木祖村さわやか将棋まつり〜棋士との交流〜 |
概要 窪田空穂記念館の文化事業の一つとして開催されているイベントですが、塩尻支部師範格のプロ棋士、芝沢小学校を始めとする小学校、そして、窪田空穂記念館の皆様等、様々な方達の協力によって行なわれている中信棋界の目玉とも言える1大事業です。 また、最近は大町高校棋道部の皆様の熱心な協力を得ているとのこと。そして今や窪田空穂記念館だけに留まらずに木祖村でも同様のイベントを開催するなど、大きな拡がりを見せている教室です。 午前中は小学生の部、午後は大人の部にわかれていますが、午後には小学生ミニ大会が開催されます。 こちらもごらんください。→一就塾と石川勝又教室 場所 窪田空穂記念館。 時間 午前10時10分〜12時小学生の部。13時〜15時30分大人の部 問合せ先 窪田空穂記念館 TEL.0263-48-3440 FAX.0263-48-4287 |
窪田空穂将棋教室開催までの経緯と活動の広がりについて この活動の中心的役割をされている山下先生(現 木祖小教諭)が「松本教育」第38号(H16.3発行)に寄稿されたものです。是非、ご一読ください。 空穂生家でのプロ棋士との交流 芝沢小学校 山下 同 松本市和田、のどかな田園地帯である。東にアルプス、西に美ヶ原を望む広々とした風景のあちらこちらに、欅や高野槇の巨木が目立つ。歌人窪田空穂の生家にも、空穂が「二百年の深緑かも」と詠んだ高野槇が大空に聳える。 生家は堂々とした本棟造りで、玄関に足を運び少し暗い土間から「おえ」と呼ばれる座敷に上がると、古い木造建築や畳が生み出すこの空間に、訪れた者は誰しも、温かく包み込まれるような安心感を覚える。 そして、ここには空穂の短歌や人柄を敬愛して止まない人々の心が、偉大な歌人・国学者空穂を産み育てた誇りと気概として空気のように流れている。 それを如実に表すことが、文学館でありながら、短歌の枠を越え、生家を会場にし、一流のプロ棋士を招いて行われる空穂囲碁教室・空穂将棋教室の存在である。 一 囲碁棋士藤沢一就八段 縁は異なもの。新宿の寿司屋で(と話すとほとんどの人が喜ぶ)たまたま隣席した日本棋院棋士藤沢一就八段に出会ったのは平成十二年の盛夏のこと。当時、受け持っていたクラスで一学期に将棋が流行った。自然に子ども達は「もっと将棋が強くなりたい。地域の方々を呼んで将棋で交流したい」と願い、「さわやか将棋祭り」を計画した。公民館や駅に出かけ、ポスターで告示をした。 学校視聴覚室を会場に、進行係、会場係、接待係、記録係などの役割分担をして、地域の方が四名と保護者三名の皆様とともに楽しく行うことができたことを囲碁棋士にお話しすると、「学校は学習の場であると同時に地域との連携の場でもある」と大変感銘していただいた。そればかりでなく、八段は「授業で囲碁をやるなら、松本へ教えにいく。お金はいりません」とおっしゃるではないか。 新学期早々、子ども達に話すと大いに盛り上がり、八段をお招きする準備を始めた。一流の方に教えを乞うなら、日本文化の香りが漂う学区の宝、窪田空穂記念館・生家を会場にしようと思い立ち、前館長大輪敏雄先生にご相談すると「そんな素晴らしいことはない。ぜひやりなさい」と力強く励まされた。生家での「一就塾」の誕生である。 十月二十八日。八段の名前を頂戴した「一就塾」は、その情熱と出会った人を魅了させるお人柄に、囲碁は初心であっても感動の一日を体験することができた。その成功の陰には、新村囲碁クラブ、塩尻欄花の会、、松商学園高校の丸山先生、松本短大(当時)の住吉教授等の皆様のお力を忘れてはならない。八段ご同様、子供たちに自分の大好きな囲碁の面白さや囲碁を通して礼節を教えたいと願っておられる方々の熱い思いに、「一就塾」は支えられていたのだ。 八段は パチパチいい音響いてた あんなふうに打てたらいいな 彩香 二 空穂記念館神澤会長 そして、この萌芽を大木に育てて下さったのが、窪田空穂記念館運営委員長の神澤邦雄氏である。 地元和田のご出身で、空穂の偉大な業績を後世に脈々と伝えていきたいという日本全国弟子達の願いを力強く受け止め、生家の保存と記念館建設の推進者である。日本文化へのご理解深い神澤氏は、生家を会場に一流の棋士の眼前で囲碁に夢中になる子ども達の瞳の輝きや手弁当で囲碁指導を買って出られた藤沢八段の情熱に共感された。 短歌の枠を越え、子どもだけでなく大人も一緒に学ぼうと空穂囲碁教室を開催されたのだ。子ども達の学習が空穂記念館の文化事業として、発展させていただいたのだ。子供たちの純粋な願いが、まるで夏雲のように大空へぐんぐんと力強く上っていくさまを見るかの思いであった。 三 将棋棋士 石川陽生六段・勝又清和五段 囲碁の地域指導者馬場一行氏は日本将棋連盟塩尻支部長でもある。塩尻支部の師範である日本将棋連盟棋士石川陽生六段に総合学習での囲碁の取り組みを話された。すると、石川陽生六段は、「将棋も負けてはおられません。私にできることなら」と芝沢小学校に単身将棋を教えにきて下さった。 石川六段によると、NHKの「課外授業ようこそ先輩」で羽生善治名人が母校を訪れ将棋を教えたが、名人の母校でさえ、将棋のルールを知らない子どもが多いことにを将棋関係者は一抹の危機感を覚えたという。 そのような中で、空穂生家を会場にしての子ども達の目の輝きや、空穂記念館と学校・地域の連携に感動された石川陽生六段は、仲間の棋士に呼びかけた。それに真っ先にご賛同されたのが、勝又清和五段である。(ご本人からの後日談。「石川先生から電話があり、『仕事だ。謝礼はない』と。それをうちの奥さんは、笑顔で送り出してくれましたよ」とのこと。つくづく不思議なご縁を感じる。得難い方々との出会いに感謝である) お二人でこの三年間、ゆうに十回を越える来松になろうとしている。 四 「本物の空気を吸う」プロ棋士模範対局 生家座敷でのプロ棋士同士の模範対局は、子ども達の心を射止める。息を潜めて、プロの手つき、駒の流れを見つめる。そして、プロ棋士の精神力、集中力の高さに子ども達は、見ているだけで、緊張感を覚える。本物の空気を吸うのである。 私も石川先生、勝又先生のご厚意で、将棋連盟でのプロの対局を見せていただいた。五分とその場にいられないほど、張りつめた空気である。20畳ほどの特別対局室に、本榧七寸ほどの立派な盤が二面。床の間を背に、昭和、平成の将棋史に燦然と輝く中原誠永世十段、米長邦雄九段の両雄が平行に並んで対局をしている。 盤上没我、すさまじい気を感じた。オーラを感じるとはこのことか。そのすぐ横の小さな机では、プロを目指す奨励会員が記録をとっている。背筋をぴんと伸ばし、対局者と同じように手を読んでいるに違いない。少年の志の清く高いこと。 将棋界の長老原田泰夫九段は、少年の時に新潟でみた時の名人の紋付き羽織袴での対局姿勢に憧れて、棋士を目指したという。少年にとって憧れを持つことはなんと大切なことか。 勝又五段は「我々プロ棋士は子ども達に技術を教えることを第一に考えていたが、模範対局こそが最高の教材であると、空穂将棋教室の子ども達の姿から教えられました」という。
そうした将棋棋士の熱意に対して、神澤氏は将棋も囲碁同様春秋二回すつの空穂将棋教室として文化事業に位置づけていただいたのである。囲碁将棋同等に扱うそのスケールの大きさに驚きを禁じ得ない。感謝の気持ちでいっぱいである。 プロの先生方が子ども達の目の輝きに、生家での活動に感銘をされ、あちこちでその様子を話されているのである。勝又清和五段は地元の町田小学校の校長先生に芝沢小の子ども達の作文を持っていかれて、感激された校長先生が将棋教室を作って下さったそうである。 この秋の空穂将棋教室には女流棋士の石橋幸緒参段にも呼びかけて下さった。「人が人を呼ぶ」活動である。東京の養護学校を出て女流のトップ棋士に成長された石橋女流参段(テツ母注 現4段)。「生後3日も生きられない」と医者に宣告されたほどの重い病を抱えて、今も病と闘っている。お一人での移動は大変でお母様がいつも陰に日向に付き添っておられる。そういう女流棋士が、生家での文化事業・空穂将棋教室にはるばる駆けつけて下さったのだ。 四 学ぶのは子ども達だけではない 本校では人権教育を柱に学級経営をすすめている。ここ数年の各学級の実践の中、自尊感情を育てる指導の成果として、次の三点が浮かび上がってきている。 一 いろいろな場での成功体験 二 友達からの認め合い、教師、地域の方々からの称賛や愛情 三 豊かな生き方に学ぶ 囲碁、将棋の先生がわざわざ東京から、「お金はいらない」と何度も指導に来て下さるのはどうしてか。地域の方々も手弁当で教えにきて下さる。そんな思いを子ども達と何度も話し合い、「大事にされている僕たち、私たちの存在であることを」を子ども達と実感してきた。 芝沢小学校では学区内の和田在住の洋画家野中秀司先生にもここ五年間絵手紙や絵画のご指導をいただいている。 ある日のこと。野中先生は、「『お金はいらない』と何度も囲碁や将棋を教えにくる藤沢八段や石川六段、勝又五段の気持ちが、私にはわかりますよ。それはね、子ども達から『ありがとう』という言葉と笑顔をもらえるからなのです。だから、私も芝沢小に教えにいくのです。そんな子どもの純粋な真心に何かお返ししたいのです」と子ども達に負けない笑顔で教えて下さった。 そして、 「私は小学校に絵を教えにいくようになり、自分自身が変わってきたように思います」と真顔で話して下さいました。 美術年鑑を紐解くと野中秀司先生は1号の評価が100万円近い。芝沢小学校30周年には80号もの大作を寄贈された。中校舎2階の音楽室へ上がる階段で子ども達の豊かな情操を育むように見守ってもらっている。同じように、将棋の石川六段は「この将棋教室は私の励みです。だから恥ずかしいことはできません」。勝又五段は「小学校に教えにいくようになり、私の人生が変わった」と話される。先生方、皆同じ思いなのである。 プロばかりでなく、地域の愛棋家も同じであることを教えられた。囲碁の地域指導者の熊井記者が市民タイムスにコラムを載せて下さった。子ども達も私も驚いた。 空穂生家での囲碁教室・将棋教室、(小学校の野中先生の絵画教室も)で学んでいるのは、子どもだけではないのだ。指導者の先生には極めて不遜な表現になるが、ここに集うすべての参会者が「窪田空穂記念館に育ててもらっているんじゃないか」と思うと身震いをする思いである。しかしながら、その答えを、現代短歌協会の理事木島靖夫先生の毎日新聞への寄稿にみつけた気がしている。 五 「短歌」の枠を越えて 本年6月に空穂記念館開館十周年を記念して、松本市で全国短歌大会が成功裏に行われた。その時の模様を、木島先生は、次のように紹介された。 「今各地の文学館では、若者の活字離れの影響であろうか、来館者の減少が目立つという。そういう状況下で、窪田空穂といういわば地味な歌人の記念館が、こうした華やかな活動を続けているのは奇蹟といってよいかもしれない。(中略) この記念館の変化に富む日常活動が注目される。短歌講座やこども短歌教室は当然として、昔の生活の聞き取りなどを行う一方、空穂生家を利用しての茶会、かるた会、囲碁・将棋教室、小音楽会などが幅広く催されている。 短歌は、もとは日本人の生活文化に、広くかかわるものであった。文学一筋、短歌一筋という狭い考えを越え、隣接文化との交流を深めて行く。そこに新しい文学の場が開け、平成の西行が、芭蕉が、飛び出さぬとも限らない。その捉えわれぬ態度こそは人間空穂の広さでもある。窪田空穂記念館の一見大胆な空穂記念館の試みは、文学館のあり方の新しい提言と見ることもできよう。」(毎日新聞より一部抜粋) 窪田空穂記念館にお世話になっている者として涙が出そうな玉稿であった。空穂は歌は「内なる感動」から生まれると教えている。子ども達が空穂生家で得た感動ははかりしれない。歌を詠む術は未熟であるが、生家で得た体験の感動の大きさは歌人の「内なる感動」に負けないものがあろうかと思う。 人との出会い、その方々の願いに触れて、体を通しての感動が今の子供たちの大きな財産となるに違いない。子供たちは生家が大好きです。生家は子ども達の「もう一つの学校」なのです。 末筆になりましたが、「空穂将棋教室」「空穂囲碁教室」」を励まし、支えて下さる方々にこの場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございます。これからもよろしくお願い申し上げます。 |