絶滅寸前こだわり商品No.16
 【番外編】2002年に姿を消したもの
当コーナーは"絶滅寸前"ということがそもそもの趣旨で、既に絶滅してしまったものは対象外なのだが、今回は番外編として惜しまれつつも2002年に絶滅したもの、姿を消したものを特集してみた。
(1)横浜ドリームランド 閉園
「横浜ドリームランド」は1964年にオープンした老舗の遊園地だが、残念な事に2002年2月17日を最後に37年の歴史に幕を閉じてしまった。(泣)
79年には回転コースターを導入して、一時は120万人近くの入場者を集めたものの東京ディズニーランドなど大型レジャー施設との競争が激化。また都心から中途半端に離れた立地と、交通の便の悪さもネックだったと思うが、最近は入場者は60万人台に落ち込み、ここ10年ほどは恒常的な赤字状態に陥っていたようだ。
そういえば、はすぴーの勤務先でも「横浜ドリームランド」のグランドで運動会をよくやっていて、その後、遊園地でゴンドラが揺れる観覧車にのったりしたよなぁ〜
閉園した横浜ドリームランド跡地には、横浜市が市営墓地や天然芝の野球場を備えた総合公園を建設するそうだ。公園全体の完成時期は2008年の予定。
実は横浜ドリームランドが閉園になった影の理由として、"モノレールの悲劇"がある。交通アクセスの悪かったドリームランドまで、大船駅からモノレールが伸びたのが1966年。しかし、このモノレールは車両の設計ミスによりたった1年運行しただけで、翌1967年には運行休止に追い込まれてしまった。以来35年、悲運のドリームランドモノレールは運休中のまま、大船〜ドリームランド間の山中に、その屍をさらし続けている。モノレールが、もし運行されていれば・・・墓場にならなかったのかも知れない。。。
詳しくはこちらのサイトまで
郵政事業庁は57種類の普通切手のうち、30種類を2002年9月末で販売中止した。
理由は需要が減少した、つまり利用が少ないということだ。(泣)
普通切手の販売中止は94年の料金改定で廃止された41円、62円切手以来8年ぶりで、30種類を同時に販売中止するのは初めてという。
大掛かりな切手の券種整理では92年に55年ぶりに16券種を廃止したことがあるが、廃止後も在庫があれば販売は続けていた。今回の整理では在庫も含め販売を行わないそうだ。
そういえば、秋田犬(2円切手)は消費税が導入されて、封書の料金が60円から62円になった時によく見かけたもんだ。なんとなく悲しい気分になってきるぞ。ワンワン!
(2)普通切手30種を販売中止
発売中止になった切手たち
秋田犬(2円切手)
ベニオキナエビス(4円切手)
シオカラトンボ(9円切手)
ミカドアゲハ(15円切手)
テントウムシ(18円切手)

平等院梵鐘(60円切手)
30種類の内訳  その画像
(3)東芝日曜劇場から東芝が撤退
1956年から46年間続くTBSの看板長寿のホームドラマ枠「東芝日曜劇場」から、1社提供スポンサーの東芝が2002年9月で完全撤退した。46年間で通算1500作を超える東芝提供ドラマとしての幕を閉じたということだ。「日曜劇場」は引き続き放映されるが、東芝の冠は消えてしまった。(泣)
長引く不況などの影響で東芝側が広告宣伝費を大幅に見直し、テレビドラマの単独提供を"リストラ"する形だ。連続ドラマ1本の制作費は4000万〜5000万円の費用がかかるようで、それだけで年間20億円前後の支出になる。
同社は98年に「サザエさん」(フジテレビ)の一社提供から撤退している。そういえば少し前まではサザエさんの最初の歌と一緒に東芝のマークがでっかく出ていて、「あすを作る技術の東芝がお送り致します」とサザエさんが言うと、タラちゃんも「いたちまーちゅ」と言っていたシーンも妙に懐かしい。東芝のテレビCMは、以前は主婦向けの冷蔵庫や洗濯機などの家電製品中心だったが、最近ではパソコンなどの情報通信機器に移行してきたから、商品ターゲットの変化も、撤退の一因かも知れない。
東芝は家電不況の中、02年3月期の営業損益が1136億円。1万人規模の大リストラも断行しており、番組提供など文化事業への出費も大幅に見直すことになったわけだ。

視聴率の高かった「ラブストーリー」と
「ビューテフルライフ」
番組一覧
作品一覧
(4)「ベータマックス」生産終了
ソニーはビデオカセットを使った国内初の家庭用VTR「ベータマックス」の生産を2002年で打ち切った。日本ビクターが開発したVHSと呼ばれる録画方式を使ったVTRとの熾烈な「VHS・ベータ戦争」に1980年代半ばに敗れて以降、需要が激減したのが主因。居ながらにして映画を楽しめるホームシアターに先鞭をつけたベータマックスは、来年以降店頭から完全に姿を消し、27年の歴史に幕を下ろすことになった。
ただし、機器の修理やテープの生産は当面続けるようだ。
ベータは、国内に約100万人のファンがいるといわれ、中古市場での引き合いも多いそうだ。

ベータマックスの1号機は75年に発売。83年度に国内で約70万台、84年度には海外で約230万台を出荷、それぞれピークをつけた。累計の生産台数は国内外合わせて約1800万台にも上る。76年にVHS型VTRを発売したビクターは、親会社の松下電器産業の強力な販売力を武器にベータを圧倒。ソニーは88年にベータと並行して、VHS型の生産を余儀なくされ、敗北を認めた。88年以降14年間も生産を続けた理由についてソニーは「ホームシアターの草分け的存在との誇りである」としている。(泣)
熾烈なシェア争いを演じたVHSも、今やDVDレコーダーに主役を奪われつつあり、1つの時代が終わろうとしている感じだ。
はすぴーが社会人になったばかりの83年頃、ベータマックスはレンタルビデオ屋でVHSと並んでいた頃が懐かしい。
生産終了のプレスリリース
(5)スキードーム「ザウス」閉鎖
千葉県船橋市にある大規模屋内スキー場「ららぽーとスキードームSSAWS"ザウス"」が惜しまれながら、2002年9月末で閉鎖され、9年3カ月の歴史に終止符を打った。
世界的にも最大規模の施設としてバブル経済の余韻が残る93年7月に開業。
東京駅からJR京葉線で約三十分の南船橋駅。遠くからも目につく巨大な"かまぼこ型冷蔵庫"の中に、全長490メートル、最大幅100メートル、最大斜度20度の本格的ゲレンデが広がる。レンタルも充実し、手ぶらでもスキー、スノーボードが楽しめ、人工降雪、耐震設計、省エネ対策…。ザウスには日本の技術の粋が注がれた。部品の大半は、ザウスのために作られた特注品。総事業費は400億円を超えたらしい。ピーク時には年間120万人を超える利用があったが、レジャーの多様化や個人消費の不振の影響で収益が悪化し、最近は約70万人にまで落ち込み営業継続は難しいと閉鎖にいたった。首都圏のスキーヤーに「東京湾岸で真夏のスキー」という夢を与え続けてくれたが、長引く不況には勝てなかったようだ。さよなら、常冬の楽園!

譲渡先のめどは立っておらず、巨大な施設のために解体にも費用がかかるので、当面はホントにでっかい冷凍庫状態な空家となる(泣)
ららぽーとの歴史
向ヶ丘遊園(川崎市多摩区、敷地292千平方メートル)は、昭和2年(1927年)4月1日、小田急線開通と同時に無料の遊園地としてオープン、昭和27年(1952年)に有料遊園地となり、2002年で開園75年目を迎えたレジャー施設だが、この年の3/末をもって営業を終了した。(泣)
小田急線の向ヶ丘遊園駅から遊園地までは、わずか1キロほどの道のりで、その昔「豆電車」がゆっくりと優雅に走っていた時代もあったそうだが、昭和41年4月から「モノレール」にバトンタッチされた。跨座式で鉄のレールと鉄車輪をもつ珍しいタイプのモノレールも、平成13年2月に廃止となった。これは、もしかすると遊園地自体も閉園するのでは・・・??と気をもんでいたが、予想が的中してしまった。。。

向ヶ丘遊園といえば、まず連想すのが、約1千種2万株のばらが咲く「ばら苑」だ。昭和38年(1963年)から日本初となる本格的なフラワーショーを開催するなど、「花と緑の遊園地」として有名になった。あとは「桜の名所」としてもここは名高いスポットでもある。そして上記の横浜ドリームランド同様、少子化やレジャーの多様化、近年の経済情勢などの社会的要因に加え、TDLやUSJの台頭もあり、来園者数が減少し閉園にいたったというわけだ。小田急線の 「向ヶ丘遊園」という駅名は今後、変更されるのかどうか興味深いが個人的には残してもらいたいと思う。ちなみに閉園後の跡地は、現在未定とのことだ。
(6)向ヶ丘遊園 閉園
さよならフェスティバル

 
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(原稿:2003.1.7)
Goodbye写真
(7)名曲喫茶「スカラ座」半世紀の歴史に幕
東京・新宿の歌舞伎町で、名曲喫茶の灯をかたくなに守ってきた「スカラ座」が2002年大晦日の日、半世紀の歴史に幕を下した。「昭和」を見続けてきた木造建築。レンガ作りの暖炉や大きなシャンデリア、照明を抑えた欧州調のフロア、そして静かに流れるクラシック〜54年に開店したスカラ座は、オープン当時のたたずまいをそのまま残す。その雰囲気からテレビドラマや映画のロケ地として重宝された。2代目オーナーの林岱山(だいさん)さん(55歳)は「平均すると毎月1回のペースでドラマや映画の撮影がありました」という。
また多くの著名人が、この店の雰囲気とコーヒーを愛していた。作家の故向田邦子さんが熱心に執筆し、「釣りバカ日誌」で知られる漫画家の北見けんいちさんはアシスタントだった65年ごろから平均月1回は通っているという。また庶民文化研究家の町田忍さんもこの店のファンだ。(先月、ご一緒させていただきました)
しかし、ギラギラとした新宿の街の様子と「スカラ座」のもつ静かな店の雰囲気が合わなくなり、店の経営は赤字が続くことになる。なんとかファンの励ましで続けてきたが、林オーナーの体調不良も重なり、悩んだ末に閉店を決めた。「そっくり買いたいという人もいましたが、スカラ座は他人にはあげたくありません」と林オーナーが主張。そして建物は解体する。
大みそか、閉店の日。林オーナーは洋風の大きなベルを店内につるし、午前0時ちょうどに、それを打ち鳴らした。店に、そして店を愛してくれた客に、別れを告げる鐘だ。
ファンたちは自らの青春時代の思い出を重ね、寂しさを募らせている。

[毎日新聞12月28日より一部抜粋]
スカラ座のお姉さんと
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