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 山形国際ドキュメンタリー映画祭2009
   
 ミーハー体験記 
(2009年10月9日〜10月14日)

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『忘却』 から

今回も映画の感想や、あれこれをだらだらと綴ってみた。興味あればドウゾ。


行く前に


 山形国際ドキュメンタリー映画祭は隔年で開催されている。前回から早くも2年がたち、今年もまた出かけた。
 以下、だらだら日記である。
  

 

2009年10月9日(金) 1日目


 午後の1時に新幹線で東京を発ち、4時に山形に着いた。

 山形には2年ごとに来ているが、街の衰退の気配は、2年前と変わりなかった。喜ぶべきか(衰退していない)、悲しむべきか(発展がない)、よくわからない。
 駅の改札を出てすぐ右に、2年前はあったレストランのシャッターはおりていた。玄関口でそうゆうものに出会うと、街も相当に沈滞しているのかと思う。あとで知るが、街中のほうは、新しいビルの建設もやっており、イケイケな八百屋も繁盛しており、このしょっぱなの衰退の気配は、のちに修正され、衰退と発展は、五分五分のようだった。

 山形に来ていつも不便に思うのは食堂のないことだった。ふらっと入って食事のできる場所が、ほとんどない。
 この日も駅近くで食事をとろうとしたが、食べるところがなかった。駅近くでそれである。
 駅ビルの地下に飲食店があるようなので行ってみた。しかし、ないのだった。ロッテリアはあったが、私はふつうのご飯の食事がしたいのである。

 ずうっと歩いていくと、隣のビルの地下に(通路はつながっている)中華食堂があった。近くに数軒、飲食店はあったが、営業をしているのはこの店だけだった。
 その中華食堂にはいった。名物らしいカレーラーメンを注文した。待つこと数分、カレーラーメンが出てきた。ラーメンの上にどかっとカレーのルーが載っている。ほかにご飯と福神漬けが添えられている。ふっくらした顔の娘が、「食べ方、わかりますか」と聞いてきたので、「はじめて」と答えた。娘は笑顔を見せて、「このままの状態でですね。下からすくい出す感じで麺をはじめに食べてしまうんです。そのあと、この福神漬けをばっと残った汁にいれて、そして汁をご飯にかけて食べるんです。でも、いいんですよ、好きなように、めしあがって」と娘はニコニコ顔。愛想のいい人である。私は言われたままの作法で食べた。おいしかった。出るとき、娘に、「おいしかった」と言うと、娘はニコニコ笑い、私の気持ちは、すこし、ほのぼのとした。

 山形に来たときの常宿は、街の中心の七日町のステイインである。
 そこまで歩き、チエックインした。部屋の広いホテルで、ここで暮らしてもいい、といつも思う。快適なホテルである。
 このホテル、シングルは4900円である。しかし特別キャンペーンをやっていて、ネット予約だと4000円だった。その4000円で私は予約をいれていた。朝の食事つきで(トーストとコーヒーだけだが)、この値段は相当に安い。値段について、ついでに書いてしまうと、後日、人に紹介したときは、平日ということで3000円になっていた。安すぎる。経営が苦しいのだろうか。
 すこしホテルの話を続けるが、これまで、私の常宿はこのステイインで、このホテルに連泊していた。しかし今回は、ここは最初の2泊のみで、あとはサンルート山形にした。というのは、映画祭の会場に変化があったからだ。私はいつも「アジア千波万波」のプログラムを中心に見ており、その会場は映画館ミューズだった。この会場に一番近いのがステイインで、そこからは「コンペティション」プログラムの上映会場である中央公民館も近かった。なので、どちらへ行くにも近く、ステテインにしたわけだが、映画館のミューズが今年の6月に閉館してしまった。そのため「アジア千波万波」は映画館フォーラムに移動した。フォーラムはステイインから遠かった。そのためホテルを変えたのである。最初の2泊をステイインにしたのは、急にこのホテルを去るのは、名残惜しさがあったからである。

 ホテルに荷物を置いて、いよいよ映画祭へ出陣である。
 映画館フォーラムまで歩いていった。20分かかった。遠い。

 1本目の映画は『細毛家の宇宙』。
 会場に行くと、ロビーでS夫妻に会った。S夫妻は横浜から来ている。ヤマガタには毎回来ている。夫妻で来るというのも、ずいぶん仲のいいことである。旦那さんは映画関係者ということでなく、映画が単に好きな人だが、長く映画を見ているので、映画がよくわかっている。クセのある批評家より、数段すぐれた鑑賞眼をもっている。この人が、いい、という作品は良く、ダメ、といった作品は必ず悪い。だから、私はこの人の作品に対する判断を信頼しており、見るべき作品の情報収集先として頼りにしている。今は映画祭は始まったばかりなので、ほかの作品の評価を聞くには早すぎ、やあやあ今年も来ましたね、と挨拶し合っただけで終わった。 

●『
細毛家の宇宙』(中国/監督マオ・チェンユ 76分)
 湖南省にある細毛家の民俗詩だが、つまらない作品だった。観客は度外視、自らの思いだけで綴ったドキュメンタリーである。監督はこの細毛家の村の出身で、だから、生まれ故郷の考古学的な過去をあれこれ探っているわけだが、描かれるのは、占い、賭け事、田畑に埋まる古船などで、それらの映像がだらだら流れ、それに合わせて詩が読まれる。しかしなんの詩かは、よくわからず、退屈なだけだった。退屈なのは、その詩を味わう教養が私にないから、ということもあるが、それ以上に、故郷の民俗詩を描くのに、占いや賭け事くらいしか出してこない考察の浅さに、うんざりするものを感じてしまったのである。もうすこし、ぐいぐいと、奥行のある探索をしてくれよ、と思ったのである。それに占いのシーンは、あまりに長すぎる。角棒を2本、金具でつないで、2つに折った両端を両手で持って三角形にして、それを木の台上にたたき付けながら文字を書いていく、という占いなのだが、金具と角棒の先が台にあたって、ガシャ、ガシャと音をたてる、その音が、えんえんと続いていく作品であった。それがまたいい、宇宙的だ、という変人がいて、この作品が選ばれたのだろうが、私には退屈なだけだった。

 ロビーに出てS夫妻を探したが、見つからなかった。帰ったのかもしれない。S夫妻は夜はわりと早くひきあげる。
 私はもう1本見た。『ハルピン螺旋階段』。終了は深夜の12時近くになるだろう。

●『
ハルピン螺旋階段』(日本/監督ジ・タン 109分)
 監督のジ・タンは中国の人で、アジアプレスに所属する人である。私は面識がある。彼女はこれまでチベットの村に住みついて、濃密なドキュメンタリーを撮っていた。しかし今回はハルピンという町を舞台にして、2組の家族の都会生活を題材にしている。驚くのは、この作品がドキュメンタリーというより、ドラマのように出来ていたことである。ドラマのように、というのは、筋立てが、ということでなく、カメラ位置が、である。カメラは人物にものすごく接近し、セリフの切れ目と、カットの切れ目が合っている。こんなに、カメラの移動に合わせて、人物がセリフを切るわけがなく、相当、演出がはいっているのでは、と思えた。上映後にこの点の質問はなかったが、登場人物はみな、監督の友人で親しいということは言っていた。だから、このような接近が可能だった、とは言うのだが、かなり作り込みもあったのでは、と思える。別に、それはそれでもいいのだが。
 作品のテーマは「親子の関係」。2つの話があって、ひとつは娘と母親、ふたつめは息子と両親の、どこにでもある悩み、確執が描かれていた。上映後の質疑応答で、観客が、主人公たちに閉塞感を感じた、と言っていたが、私はそこまでは感じなかった。ごく普通の家族の物語であって、彼らの悩みを、閉塞感と、あえて取り出すまでもないだろう、とは思った。その程度の閉塞感は誰ももっており、この作品特有のものではないと思ったのである。
 この作品のジ・タンの映像は美しく、カメラマンとしての才能もある人なのだなと、感心した。

 この作品について、内容に関してではなく(それも関係することだが)、私には、ひっかかるものがある。それはこれがNHKの作品だということである。この作品は、NHKの放映用に作られている。監督がつくった作品をNHKが放映したということでなく、最初からNHK用としてつくられている。今回の映画祭ではほかにもNHK作品がある。NHKの作品だろうと、なかろうと、作品が優れていれば、上映する、という方針は、それは、たぶん正解なのだと思う。しかしコンペにまで入れていいのだろうか、という疑問はわく。
 この作品は監督個人の作品というより、NHKの作品である。NHKという枠の中でつくられているのだから、そういうことである。作者はNHKという法人である。作品を見ても感じるのだが、NHK的な「わかりやすさ」が随所にある。あくまでつくっている主体は監督なのだから、これは監督の作品だ、と言い切るには、どこか苦しさを感じる。
 どんな作品も監督ひとりでつくっているわけではない。周囲の友人や、金を出す制作会社の人間とも協議しながらつくっている。そういう文脈でいえば、NHKが制作に関与していても、最終的な作品は監督のものだ、という言い方はできる。しかし、制作会社(標準的な)と監督の関係と、NHKと監督の関係は、違うと思うのである。前者は最初に監督ありき、があって監督の意向は守られている。が、後者は既に観客(視聴者)が想定されているため作法上に暗黙の強制がある(監督は初めから自由ではない)。そう思うのである。だから、個人の腕を競うコンペにNHK作品を入れてはまずいのではないか、と思うのである。コンペには入れず、「NHK作品」と看板を立てて別プログラムで上映するべきなのではないのか。
 海外の作品が現地の放送局制作ということはよくあるが、日本とは異なる気がする。監督の独立性は守られているような気がする。そのへんの事情に私はうとく、どうなのだろう。
 コンペは個人の腕を競うのでなく、作品の質を競うのだ。だから作者が法人であっても問題はない、という言い方もできるが、このへんの議論は複雑になるので展開しない。
 また誤解をまねくといけないので書いておくが、この作品はジ・タンの才能がなければ出来ないものである。ジ・タンの能力が劣っていて、NHKの協力があってはじめて、この作品は出来た、ということではない。ジ・タンは充分に才能のある人である。

 この日の上映はこれでおしまいである。香味庵(映画祭関係者が毎夜巣食っている飲み屋)には行かなかった。ここに行き、誰かに会うと、つい楽しくなり、話は深夜に及ぶ。そうなると翌日がキツいのである。私は映画を観ることを優先しているので、香味庵行きは自粛した。
 深夜、食堂は開いていないため(そもそもない)、コンビニに寄り、にぎり飯とカップラーメンを買った。ホテルにもどり、それを食べた。粗食であるが、気分は楽しかった。映画祭に来ているので、気分はハイなのである。
         

 

10月10日(土) 2日目


 この日は『馬先生の診療所』を見る予定だった。しかしこの作品は3時間45分ある。たいへん長い。この上映は午後の1時からなので、午前中に1本見ることは可能である。しかしその終了時間は、『馬先生』の開始に接近している。昼の食事がとれない時間ではないが、先に書いたように周辺に食堂はなく、あったとしても混雑する(周辺の喫茶店が映画祭期間中だけカレーライスとか軽い食事を用意していた)。もし食いそこなったら、そのあと4時間は食えず、空腹をかかえたまま映画を見ることになる。そんなに無理して映画を見ることはない。私は午前中の映画は外した。見ないことにした。

 ホテルでゆっくりしていたら、10時に掃除婦がやってきて、ドアをどんどんたたき、「部屋から出ていけ」と言った。私は連泊の客なので、出ていく必要はない。掃除の時間は融通がきくはずである。そういうことを知らないのか、婦人は、頭ごなしに、出ろ、と言う。仕方なく、出た。フロントで文句を言った。フロントの男は、すいません、と頭をさげた。さげながら、掃除はやっぱり10時にさせてほしい、というような顔をした。掃除婦はたぶんアルバイト。時間外労働はさせたくないのだろう。経営が苦しいのである。

 中央公民館前のマクドナルドで朝食を摂った。新聞も読んだ。くつろいだ朝である。
 町を散歩したのち、すこし早めに会場のフォーラムに行った。
 『馬先生の診療所』は混むと思われたからである。

 入り口のところでS夫妻に会った。そわそわしている。食事をとるか迷っているのだった。午前中に1本見たが、まだ昼食は食べていない。この先4時間、何も食べないのは、きつい。そうは思うが、次の開始時間はせまっており、混みそうなので列には早めにならびたい。どうしよう、という感じである。私が予想したとおりの窮地に陥っているのだった。私も午前中に1本見ていたら、こうなった。
 フォーラムの階上に喫茶食堂があった。結局そこに行くことにした。私も同行した。
 行くと、すごい賑わい。列をつくっている。
 料理を注文するとカードをくれ、あとで番号の呼び出しがあり料理を受け取る、という方式になっていた。
 私らは注文し、テーブルに座ったが、呼び出しはぜんぜんなかった。料理人はひとりしかいないらしく、時間がかかっていた。映画の開始時間はせまり、あせった。映画祭苦難の1つである。ようやく順番がきて、呼び出しがあった。私はジュースだったので、ぐいと飲みくだし、先に行って席をとっておくとS夫妻に告げ、下の会場にむかった。
 ところで、先の、料理を待つあいだ、『フェンス』を監督したFがやってきた。彼はいつも黒装束である。黒の服いがい見たことがない。作品の出来はどうか、と聞くと、いやいや最高の出来ですよ、と自信の顔であった。ならば見に行くよ、と私は答えた。上映は明日である。

 会場は6分の入りだった。そんなに混んでいない。開始前には8分くらいまで入ったが座れないという状態ではなかった。以前の映画館、ミューズだったら立ち見となっただろう。フォーラムは広い。

●『馬先生の診療所』(中国/監督ツォン・フォン 215分)前半
 甘粛省の寒村にある漢方診療所。ここの馬先生は名医ということで、周辺各村から連日、患者がやってくる。この作品は、その患者たちの様子、話を、急がず騒がず、じっくり撮っている。馬先生のことはあまり語られず、ひたすらやってくる患者の話に耳をかたむけている。そうした話からは、貧困、就職難、仕事斡旋業者の誤魔化し、嫁買い、など、など僻地で暮らす人々の生活が見えてくる。それは大多数の中国の農民の生活実態でもある。なので、興味深い作品ではあるが、話はあまりに単調である。ほとんど地元ネタの話がえんえんと続く。それは日常の風景ではあるが、それをそのまま見せられても疲れるだけである。およそ2時間見たところで、私はギブアップした。最後まで見ることができなかった。もうすこし観客のことを考えてくれよな、と毒づきながら会場を出た。

 ホテルのステイインの入っているビルの4階は飲食街になっていた。昼食を食べにそこに行った。2年前は、そこには、洋食や和食や中華や喫茶や、ひととおりの店があった。しかし、今回行ってみて驚いた。店の構えは残っているが、のきなみ営業はしていなかった。つぶれていた。唯一、中華食堂だけが営業をしていた(きのうも中華食堂はやっていた。中華は強し、ということか)。そこに入って麻婆飯を食べた。四川の本場仕込みらしく(店の人がそう言った)、やたら辛かった。私の口には合わない。だいぶ残した。私が入ったときに客はおらず、食べてる間も客が来ることはなかった。おそらくこの食堂も長くは続かないだろう。そんな店で、本格仕込みにこだわっているところが、妙に、寂しかった。

 そのあと見たい映画はなかったので、町の散歩をした。メインの通りで大規模な建設工事をやっており、マンションが出来るようだった。マンションの需要はあるということか。その工事場の対面には、新規の野菜販売店ができていた。2年前にはなかった。店内はスーパー式で、道路側に野菜の籠をならべ目立つ価格表をベタベタ貼っていた。活気が演出されており、この店だけ周辺から浮いていた。客は入っており、店は成功しているようだった。何か新しい空気が山形にも流れこんでいるようであった。
 町を歩いていると知った人間に会う。多くが東京から映画祭にやってきた連中である。会釈して行き過ぎた。みな、早足で歩いている。目当ての会場に急いでいるのである。
 時間がきて、私も中央公民館に向かった。

●『忘却』(オランダ、ドイツ/監督エディ・ホニグマン 93分)
 この監督はヤマガタではおなじみである。作品のほとんどはヤマガタで上映されている。『アンダーグラウンド・オーケストラ』もこの人の作品である。私はこの人はオランダ人かと思っていたが、本作品の中でスペイン語を流暢に喋るので、パンフレットで確認するとペルーのリマの生まれの人なのだった。今回は故郷のリマを撮ったのだった。貧富の格差が激しく、政権は私欲に走り、インフレ率はひどく、山賊が跋扈する。そういう悪徳の町でも人々は明るく生きている。この作品はそういうことを描いている。監督は体制批判とか大きいことは何も言わない。政府庁舎の前の通りでバーや軽食喫茶や装身具店を営むオヤジに、その生活ぶりを語らせている。大統領がやってきたときのエピソードなども語られる。彼らの話は生活感にあふれ、具体的で、ユーモアに富んでいる。世間の矛盾など笑い倒しているところがある。政府も山賊も、その所業は不正だが、どっちが悪いか、と聞かれ、ある店主は、そんな質問は山賊に失礼だ、と答える。そういう笑いがある。この監督は作品で変化球を投げない。常に柔らかな直球を投げる。そこには女学生のような初々しさがある。実際は50代後半の女性なのだが、この感性は得がたいものである。作品の素直すぎるところに、やや物足りなさは感じるが、計算の多い映画祭の作品の中で、こういう作品は一服の清涼剤である。その素直さ、作品のわかりやすさに、感動してしまう。乞食の少年少女を描くのに、この監督は彼らに貧困の厳しさを語らせない。彼らが路上パフォーマンス(それで金をもらう)を練習する姿を描く。彼らも、彼らのやり方で生きているのだと描く。貧乏な少年を暖かく見守る同級女学生ような視線がそこにある。その視線が、たまらなく、いいのである。

 終了後、ファーラムに行った。中央公民館からフォーラムまで、歩いて12分かかる。ちょっと遠い。早足で歩いた。

●『長居青春酔夢歌』(日本/監督 NDS 佐藤零郎 69分)
 大阪の長居公園。ホームレスたちと、それを強制撤去する警官たちと、その場で演劇をおこなおうとする集団、彼らの衝突や共闘が描かれている。私には嫌いな作品であった。様々登場する人物たちの本音が描かれていない。ホームレスも、警官も、役者も、彼らの役割を担っているだけである。もうひとつ奥、彼らが、その場にいて、何を感じているのかは描かれない。彼らは、よくある行動をし、よくある言葉を喋るばかりである。作品に新鮮さ、ドキッとするものは何もない。はっきり言って、駄作である。作品の雰囲気も、60〜70年代っぽく、何かの作品をまねているのでは、と思えた。まね、でなく、今の時代でこの雰囲気がいいというのなら、それは干からびた感性である。

 この夜もコンビニに寄り、握り飯とカップラーメンを買った。この時間、食べられる店が、開いていないわけではない。しかし、それは暖簾をくぐる飲み屋といった風情の店で、そういうところに入る習慣は私にはない。私は酒呑みではないので、そういう店は私の人生には登場しないのである。
 ホテルの部屋でカップラーメンを食べたが、昨夜同様、私は幸せであった。
  

 

10月11日(日) 3日目


 8時に起きた。本日は10時の回から見る。
 ホテルを替わるので、荷物をまとめ、ステイインはチェックアウトした。

 中央公民館の前のマクドナルドで朝食を食べ、中央公民館へ。
 サンルートホテルにチェックインする時間がないため荷物はもったままはいった。

●『要塞』(スイス/監督 フェルナン・メルカル 104分)
 スイスの難民センターを描いている。様々な人間がスイスに逃げこんでくる。彼らはパスポートもビザも持たないため、このセンターに収容される。約3ケ月いて、その後の措置が決定される。本国送還か第3国への出国かスイスに定住か、その結果の違いによって、彼らの人生は大きくかわる。彼らが一様にかかえているのは将来に対する不安である。このセンターで新たに所長となった男を主人公にしてこの作品はすすめられる。このセンターはもともと人権に配慮されている。が、この所長の登場によって人権への配慮はいっそく手厚くなる。見ていて、こんなに手厚かったら、世界中から難民が押し寄せてくるのでは、と心配になるが、カメラが内部の隅々まで入っていることを考えると(そう許可されている)、作品にスイス政府による宣伝が含まれているはずで、そのへんは割り引いて見る必要がある。それにしても手厚い保護である。私はかつて東京の入国管理局(言わゆる東京難民センター)を取材したことがあるが、このスイスの収容所は、東京とはまるで違う。東京は留置場とほとんど変わらないが、スイスは外出時間まであり自由度は高い。精神面での対応もきめ細かい。難民にとって極楽である。この作品は、各人の難民になった経緯、センターでの暮らし、彼らの措置(審査はけっこう厳しい)、などが淡々と描かれている。不安におびえる男、難民同士の喧嘩、難民慣れしたような海千山千の婦人、それは日常風景である。この作品を見ていて私が感じたのは、難民というのは、たまたま不測の事態にみまわれた人々ではなく、常態として世界に満ちている、ということである。難民という民族がいる、と言ってもいい。世界は今やそうゆうことになっている、と実感させてくる作品であった。

 上の上映の終了から、次の映画の開始まで40分しかなかった。あせった。
 次は駅の反対側の映画館ソラリスに行く。歩いて30分かかる。途中、ホテルに寄って荷物もあずけたい。急がなくてはいけない。
 ホテルはサンルート山形。駅に近い。
 走るように歩いて、ホテルに飛び込み、チェックインしている時間はないので、荷物だけ預け、駅に向かい、駅の下をくぐり、正面の高層ビルに入った。
 が、映画館の場所がわからない。

 当初、ソラリスで上映される映画は見るつもりはなかった。会場が離れているので、ここの映画を見ると、行き返りで時間を食い、ほかの映画が2本、見れなくなる。そんな犠牲をはらってまで、行く必要はないと思っていた。しかし、今回は「アジア千波万波」の作品のレベルが低かった。まだ数本しか見ていないが、昨夜のような『長居青春酔夢歌』が選ばれているようでは他の作品もたかが知れていると思った。それで急遽、ほかのプロク゜ラムを見る気になった。ソラリスにも行ってみようと思ったのである。ことに「明日へ向かって」プログラムは、信頼するF嬢が作品選考をしており期待できる気がした。それでソラリスに走ったのである。
 映画館の場所はビルの案内嬢に聞いてわかった。ぎりぎりで上映には間に合った。

●『メグニカ』(イタリア/監督 ロレンゾ・フォンダ 82分)
 イタリア人のアーティストグループが、中南米の壁絵を探して歩く旅の記録である。壁絵というのは、遺跡の絵というのでなく、路上の朽ちた建物の壁に書かれたスプレー絵である。それらの絵は現在の素人が書いたもので、巨大でシュールで味わい深い。その絵をなぜイタリア人が探すのか、なぜ中南米なのか、そのへんはよくわからない。なにか学術プロジェクトの一環なのだろう。全体に特に深い描写はないが、一緒に旅してるような旅感覚を味わえ、好作品であった。途中、ちょっと眠くなった。

 終了後、食堂を探しながら、フォーラムまで戻った。案の定、徹底的に食堂はなかった。
 途中、サンルート山形に寄り、周辺を偵察した。ここにも食堂はなかった。コンビニもなかった。不便なホテルである。
 ホテルのある界隈は、歓楽街で小さなバーが密集していた。じめっとした湿気がただよっている。あまり良い場所ではない。ぶらぶらしていると男に声をかけられた。遊ぶところ紹介しますよ、と言う。呼び込みなのだった。まだ午後の3時である。私は、まだ早いよ、と笑顔をかえした。相手も、にが笑いをした。声をかけてきたのは営業外の冗談だったのか。
 ホテルから離れた表通りに松屋があった。山形まで来て松屋はないだろうと思ったが、ほかに食堂がないのではいった。いつもの350円カレーを食べた。
 食後、フォーラムに行った。

●『現実、それは過去の未来』(中国/監督 ホァン・ウェイカイ 61分)
 タイトルが気取っているので、まったく期待しなかったが、この作品はかなり面白かった。ある1日の出来事なのか、それともバラバラの日の出来事なのか、よくわからないが、道路が水びたしになっている状況下、交通警察官や町警察官が様々な事件に遭遇する。その現場の映像が集められている。車の下敷きになった男や、高速道路をふさぐ豚の群れや、汚泥の川で網を投じて魚を獲る男や、裸で呆然と立つ男など、混沌とした映像が綴られている。すべて具体の映像なので説得力がある。全編、モノクロでザラザラの映像に統一されている。監督がすべて独りで撮ったものだと思ったが、あとで知ったが、これは複数の素人カメラマンが撮った映像を監督が、そういうザラつき映像に統一したものだった。その作業には相当の苦労があったようだが、統一感は完璧に実現していた。監督は、この作品で、人々の生活の断片を示したかった、というようなことを言っていたが、それも成功していたように思う。さまざまな事件現場の映像が交錯し、中国=いまいる自分の場所、が表現されていた。

 ホテルにもどって、チェックインした。
 このサンルート山形の位置を書いておく。点在する映画祭の会場のほぼ中心にある。上映回数の多い山形市民会館と映画館フォーラム(その2つは背中合わせで隣接している)までは、100メートルくらい、すごく近い。中央公民館までは歩いて15分、駅の反対のソラリスまでは歩いて同じく15分である。だから映画祭には都合のいいホテルだが、上に書いたように、周辺環境が良くない。ステイインのようなホテルが近くにあるといいのだが。
 部屋でコーヒーを飲んでいたら、またたく間に次の上映時間がきた。あわただしい。
 山形市民会館に行った。

●『フェンス』(日本/監督 藤原敏史 167分)
 昨日、監督に会ったとき、監督は「自信作だ」と豪語していた。私は、この監督のこれまでの作品には魅かれるものを感じており、この作品は大いに期待した。が、結論を先に言えば、ダメだった。
 ずいぶん丸くなったなあ、というのが、第1の印象である。
 この作品は2つの章にわかれている。1章は「失楽園。2章は「断絶された地層」。そして、この作品の各章は、その章のタイトル、そのままのものだった。ヒネリはない。素直である。素直すぎる。
 池子の森はかつて太古のままの自然の宝庫であった。木が茂り、小川が流れ、虫が生き、人は自然に囲まれて自然のままに生きていた。それは今はない。まさに池子は「失楽園」である、と第1章は言う。池子の森から切り出してきた木材を使って移転先に家を建て、そこで暮らしている家族は、今も失しなった楽園を郷愁して生きている。池子の森は素晴らしかったのだ、と、第1章はそればかり述べる。自然が嫌いな私は監督の自然崇拝が理解できない。
 2章になると、ちょっと趣向は変わる。楽園にも害虫はいるし、はたして理想的にいい所か、と疑問がはいる。おっ、いいな、と思ったが、こっちの線へはあまり進まず、その疑問は社会的な視点への移動を誘い、2章は主に、池子の森から移転を強制された家族(主に2人の婦人)の戦中・戦後史が語られる。しかし、この戦中・戦後史というのが、私には退屈だった。監督はこの婦人たちが魅力的だったと言うが、私には、ことさら魅力的には思えなかった。彼女たちの語る戦中・戦後史は、戦前生まれの婦人を連れて話させれば誰でも話すだろう話以上のものではない。よくある苦労話なのである。数多くあるだろう、そういう婦人話の中で、なぜ彼女たちの話が選ばれたのか、その点の考察が弱いのである。池子の森にいた、ということは他の婦人とは異なるが、だから何なのか、この作品は語らない。住む土地を、日本軍にもっていかれ、戦後は米軍にもっていかれた、そういう歴史はあるが、だから何なのか。権力に翻弄された家族、というのであれば、大味すぎる。もっと監督なりの深い考察、感受性を見たいと、私は思うのである。2章のタイトルは「断絶された地層」。土地が、古人の森(遺跡が眠っている)、日本軍基地、米軍弾薬庫と変遷した(断絶された)と語るもので、タイトルのままの内容である。ヒネリはない。
 この作品の全体を、あらためて、見ると、繰り返すが、とても素直である。私は監督はもっと変わり者だと思っていた。これまでの作品は、本流を避け脇に寄り、そこから本流を批判するような視線があった。あるいは脇にしか真実はない、というような視線があった。それは、私の願望がはいった監督に対する見方だったのかもしれない。今回の作品は堂々と本流を歩いている。それは進歩なのか、退化なのか、よくわからない。もしかしたら、登場する婦人に亡くなった祖母を見て、一時的に気持ちが柔らかくなったせいであるのかもしれない。そのへんは、よくはわからないのだが、今回の作品は、成功した作品とは思えない。ただ、技術的には、ハイビジョンの映像は素晴らしかった。

 終了後、山形市民会館と背中を接するフォーラムにまわった。

●『カビールを巡る旅1』(インド/監督 シャプナム・ヴィルマニ 103分) 
 16世紀にカビールという詩人がいた。彼の詩は宗派に関係なく誰からも愛された。曲がつけられ歌となり、ことに下層階級の人によって綿々と歌いつがれてきた。監督はこのカビールを巡る旅に出る。4部作のこれは1作目である。4部あるといっても、各部はそれぞれ独立しているらしい。この1作目は、ヒンドゥとイスラムの対立を描いている。カビールは、ヒンドゥ教徒にもイスラム教徒にも愛されている。監督はそれぞれの立場からのカビール像を聞きにインド全土への旅に出る。同一人物を愛しているのだから、両派に一致点はあるはずだ、という希望を監督はもっている。しかし、行く先々で聞く話、主張は、それぞれの宗教から解釈されたカビール像で、対立は対立のまま存在していた。歩み寄りを誘導すれば、あるところから先には行かず、相手宗派に理解を示すことはなかった。それでも監督は、両派の溶け合いを希望して、旅を続ける。同じような議論が繰り返されるので、その部分は退屈なのだが、監督の願望には好感がもてるし、映像はロードムービーのようなところがあり、インド各地の風景が良く、また音楽もかぶさるので、見ていて退屈はしなかった。

 毎夜、カップラーメンも悲しいので、この夜は松屋に行った。松屋も悲しいが、仕方ない。食べていると、男が2人がはいってきた。ものすごいオーデコロンの臭いである。近くのバーに勤めているのだろう。しかし臭いがキツすぎる。やっぱりここは山形なのだなあ、と思った。
                

 

10月12日(月) 4日目


 8時に起床し、中央公民館に急いだ。
 中央公民館の前のマクドナルドで朝食を食べようとしたが、混んでいた。それで本日が祝日であるのを知った。
 列に並んでいると上映に間に合わないので、隣のモスバーガーに行った。こちらはすいていた。が、この店はゆっくりハンバーガーをつくる。出てくるのが遅い。調理を急がせた。やっと出来た時は開始時間がせまっていた。全部を食べる時間がないので、半分食べ、中央公民館に駆けこんだ。映画祭はせわしない。

●『包囲 デモクラシーとネオリベラリズムの罠』
                     (カナダ/監督 リシャール・ブルイエット 160分)
 難しそうなタイトルだが、内容はわりと単純である。言わゆる新・自由主義というのが、いちぶグループの陰謀である、というのが、この作品の言っていることである。新・自由主義の起源(それは戦前からはじまった)から説き起こし、この主義が、いかにインチキであるかが、様々の学者によって語られる。登場する学者は、いずれも毒舌家で、語るところは、過激である。この作品は、それらの学者が語るのを撮っているだけなので、映像は単調である。まるで講義を聞いているようである。しかし学者の語る論がわりと面白いので、前半はそれほど退屈はしなかった。各国のシンクタンクや研究所と称するものが、新・自由主義の宣伝機関だ、と説くところなど、私は膝を打って納得した。日本では、やたら米国のシンクタンクを有難がるが、どこも、ある意図のもとに運営された、生臭い機関なのである。
 この作品は長い。後半になると、作品の主張がずっと一辺倒なので、退屈を覚えてくる。そして、この作品自体が、ある派からの宣伝工作映画なのだ、ということに気づく。この作品は、新・自由主義打倒と叫ぶが、そう叫ぶ主体は何か、と考えると、社会主義勢力が思いうかぶ。この作品は、社会主義を信奉するグループによる、新・自由主義に対する怨み、つらみ、糾弾の映画ではないのか。そう気づく。それはたぶん間違いない。
 つまるところ、新・自由主義を信奉するグループも、この映画をつくってそれを批判するグループも、要は同じ穴のムジナであって、この作品をあまり信じてはいけないのであった。

 終了後、駅の向うの映画館ソラリスに走った。

●『肝っ玉おばちゃん』(イギリス/監督 キム・ロンジノット 104分)
 この監督の作品は好きである。行け、行け、ドンドンというところがある。行け、行けでも、けして破廉恥にはなっていない。思慮深い。だから、行った先のカメラには、いまある現実、が赤裸々に映し出されている。これこそドキュメンタリーの本道である。この作品の舞台は南アフリカ。少年、少女は日常的に大人に強姦されている。その虐待から子供たちを救う活動をしているボランティア組織の日常を作品は撮っている。作品の入口は優等生的である。しかし、開始早々、カメラは強姦された様を語る少女の表情をアップで撮っている。その表情が、痛烈である。悲しい顔でも、泣いた顔でも、耐える顔でもない。うまく書けないが、見ていると、痛い、のである。このシーンの先、つまり以後の作品の全部のシーンは、私の心の奥深くに食い込んできた。展開される映像に、心が一喜一憂した。激しく揺れた。作品と、私の間に、ピーンと、何か金属の糸が張られたようである。私は何度も落涙してしまった。子供たちが可哀想と思って涙が出るのでなく、何か、不意に、という感じで、涙が出てきた。映像に力があるのである。多くのドキュメンタリーでは、子供の顔にはモザイクがかかる。しかしそれがいかにドキュメンタリーを台無しにしているかが、この作品を見ると、よくわかる。この作品で、子供たちの顔を隠したら、作品として成立しない。やはり、人は人と向き合わなければ、何もわからないのである。
 この作品を見て、はじめて山形に来た甲斐があると思った。

 昼食である。ソラリスのはいっているビルの一階の緬屋にはいって醤油ラーメンを食べた。これが旨かった。絶品であった。淡白な味に品があった。
 食事後、山形市民会館に走った。今日はいそがしい。

●『田中さんはラジオ体操をしない』(オーストラリア/監督 マリー・デロフスキー 75分)
 田中さんは沖電気の社員だったが、朝のラジオ体操をしなかったので会社をクビになった。ラジオ体操は、ひとつの比喩で、田中さんは、日本の会社の家族主義的な強制慣行にことごとく反抗したため、イジメ → 左遷転勤 → 転勤拒否 → 解雇の順番でクビになったのである。以来、25年間、25年である、田中さんは毎朝30分、会社の前に立って、ひとりで復職抗議活動をしてきた。ときに叫び、ときに歌い、ときに経をとなえた。この作品は、この田中さんに興味をもったオーストラリア人が撮ったものである。面白い作品だった。田中さん本人が飄々とした人で、沖電気のおかげで楽しい人生を送らせてもらってる、と笑っている。監督の興味は、田中さんはどんな人なのか、日本の会社はどんなものなのか、なぜ抗議は25年も続いているのか、といったところだと思うが、それを描くには成功していない。田中さんの個性が特異すぎて、その個性が煙となって、それにまかれたしまったような出来になっている。作品は田中さんの日常生活を描くにとどまっている。それでも面白い作品であった。田中さん本人は、自分を活動家、真面目な人物と思っているが、はた目にはそう見えない。そのギャップがおかしい。会場には本人が来ていたが、映画そのままの人であった。

 次の開始まですこし時間があり、中央公民館の事務局に行った。
 今年はビデオ・ボックスが用意されているのか、確認しに行った。ビデオ・ボックスというのは、上映作品を設置のテレビで見ることができる部屋である。作品のDVDが用意されている。会場で見逃した作品はここで見ることができる。小さなテレビ画面なので、ちょっと疲れるが、気になる作品はここでおさえておきたい。

 事務局に行くと、山形事務局長のTさんがいた。Tさんとは原稿の件でメールで何度かやりとりしているが、会って挨拶をするのははじめてである。名を言うと、感じの良い挨拶が返ってきた。しかし、ちょっと迷うふうの表情があった。たぶん、名前だけでは、私が誰なのか、わからないのだ。映画祭期間中はたくさんの人がくる。いちいちは覚えられないのだ。私はすこし苦笑し、その場を離れた。今頃、あれは誰なのだ、とTさんは考えていることだろう。
 ビデオ・ボックスは今回も用意されていた。最後の日に利用させてもらおう。
 外に出て、マクドナルドでコーヒーを飲み、ひと息いれたあと、フォーラムに向かった。

●『改宗』(タイ/監督 パーヌ・アーリーほか 83分)
 タイ人の多くは仏教徒である。主人公(美人な娘)も仏教徒。彼女がイスラム教徒の若者と結婚することになった。娘はイスラムに改宗する。タイでは稀なケースである。この作品は、この2人の結婚前後のことを撮っている。作品タイトルが「改宗」なので、そのへんの大変さを描くのか、と思ったが、そのへんは、さらっ、と描いている。では何を描いているのかというと、何も描いていない。ごく普通の2人の恋話がつづられているだけである。そのへん、いかにもタイの作品らしいとは思ったが、映画祭で上映するほどの作品か、と疑う。上映後の質疑応答で、私はタイ人の監督(男)に、こんな美人のタイ娘をイスラム男にとられて、くやしくないのか、と聞いてみたかったが、不謹慎なので、やめた。

 終了後、隣の山形市民会館で開催のシンポジウム『映画監督って何だ!』をのぞいてみた。この企画は、映画監督協会によるもので、ドキュメンタリーとはあまり関係ないように思え、どうしてこんなものをやるのか不思議だったが、細かい詮索はこの際置いて、時間つぶしでのぞいてみた。

 壇上に司会者と3人のパネリストがならんでいた。ひとりは『RIP!リミックス宣言』をつくったブレット・ゲイラーである。シンポジウムのテーマは「著作権」。日本では監督の著作権は認められていない。著作権は映画制作会社にある。その著作権を監督のものにしよう、という訴えが、今回のシンポの開催動機である。ところが、シンポというのは、いつもそうだが、パネラーは自分の考えを述べるのみで、パネラー間で共通の認識にたっするということはない。B・ゲイラーは、まったく別のこと、著作権の未来というようなことを話した。そんな権利はもう消滅するだろう、というような発言をした。総ての作品は模倣である、とは言わなかったが、ITの進化によって映像のコピーは簡単になり、コピーで遊ぶことは、今後、盛んになる。そんな時代の到来の前で、作品を囲いこむ著作権などは、時代遅れのモノだ、というようなことを言った。この考えは面白いと思った。つきつめれば、著作権というのは、ひとえに商売上の概念である。そんな金勘定に囲われた「著作権」は、確かに、言われてみれば古い概念かもしれないのだ。面白い議論だ、と思い、ワシは椅子を座り直した(前のほうに移動した)。しかし、パネラーが日本人の監督に移ると、また自分たちに著作権を、という話になり、ひどくつまらないものになった。しばらく聞いていたが、B・ゲイラーの発言はなく、退屈になり、私は会場を出た。

 フォーラムにもどった。

●『カビールを巡る旅2』(インド/監督 シャプナム・ヴィルマニ 96分)
 4部作の2作目である。今回はカビールの詩を歌って国民的な人気を博した歌手の伝記である。彼はどのようにカビールに目ざめ、国民にどのように受け入れられたのか、そのへんを、旅して探っていく。作り方は1作目と同様で、関係者のインタビューと、音楽で構成されている。その歌手、名前は失念、は20歳で既に全国的な人気歌手だった。しかし、病気になってしまい、歌手の道を閉ざされる。数年の失意のなかで、彼はカビールに出会い、カビールを歌う歌手として再生していく。そのへんの展開(作品の前半)はドラマチックで面白かった。しかし後半は、歌手の生き方や、受け入られ方の描写となり、カビールの詩にそれほど感動できない私には、退屈なものとなった。音楽ビデオとしては楽しめた。

 そのあと、映画館ミューズに行く予定だったが、疲れてしまった。
 ミューズは先にも書いたが今年の6月に閉館した。この映画館は、これまで本映画祭の「アジア千波万波」の会場だった。私はそのプログラムを中心に見ていたので、毎回、このミューズには入り浸っていた。ここで親しくなった人も多い。私には思い出深い映画館なのだが、そう思う人はほかにも多いらしく、この夜は、さよならパーティがひらかれていた。半ば壊されたミューズを会場にして、あれやこれやのイベントをやるらしい。
 私は行く気はあったが、疲れてしまった。人の渦巻く中に行くのが億劫に感じられた。会場までは遠いし。それで行くのはやめてしまった。あとで聞くと、盛大におこなわれたらしく、行けばよかった、と後悔した。

 ホテル近くには、うどん屋があった。それまでそんな店があるのに気づかなかった。
 入って、うどんを食べ、すこし遠まわりしてコンビニに寄り、明日の朝食を買い、ホテルにもどった。
         

 

10月13日(火) 5日目


 8時に起きて、昨夜コンビニで買ったパンとコーヒーで朝食とした。朝1回目の会場は山形市民会館で、近くには朝食を食べられる店がない。正確にいえば、あるにはあるのだが、かなり時間がかかりそうな気がし、避けたのである。
 ホテルから会場までは近い。助かる。

●『アムステルダム(新)国立美術館』(オランダ/監督 ウケ・ホーゲンデイク 120分)
 美術館の大規模な改造計画にまつわる、すったもんだを描いている。館長は大胆な改造を計画するが、市民から大反対をくらった。工事は完成間際にストップとなった。そして、そのまま無為に数年が過ぎ、今もって完成にいたっていない。いったいどうなっているのか。この作品はそれを撮っている。題材は面白い。しかし作品はつまらなかった。作品のメインは、館側と市民側の対立のはずである。その対立が、どんなふうに進展していったのか、観客はそこを見たい。しかし作品は、館長人事や、工事入札の経緯や、脇の描写に、どんどんブレていく。そういった事々も、改造計画の中で起こったことではあるが、テーマを広散させるばかりである。作品の狙いはボケるばかり。改造を計画した館長は、結局最後に、館長をやめてしまうが、そのお別れパーティを描くところ、やけに入念で、この作品の狙いが、いよいよ、わからなくなった。対立や工事のほうは、どうなったのか。これは単に館長を称えたいだけの作品なのか。ブレ続けのよくわからない作品であった。
 私はこの美術館に行ったことがあり、そのへんは懐かしく見た。

 終了後、フォーラムに行き、『馬先生の診療所』の後半を見た。10日にこの作品は見たが、農民が単調な話をするばかりで面白くなかったので前半を見て会場を出た。しかしのちにS夫妻に会い、この作品は後半がいい、と聞いた。それで、後半を見たくなったのである。

●『馬先生の診療所』(中国/監督ツォン・フォン 215分)後半
 たしかに後半は面白かった。登場する人物も増え、彼らの話にも厚みが出てきた。農民を単に善良な人と描くのでなく、彼らの卑しさ、非道もちゃんと描いている。嫁の売買の話などは、その最たるものである。買った嫁は1年で逃亡する。斡旋業者の保障期間(逃亡しない)が1年なので、それを過ぎると、逃げる。裏で糸をひいているのは斡旋業者で、逃がして、別のところに売る。農民たちは、逃がすまいと、嫁を監禁同様にする。逃亡を阻止するため殴る蹴るは日常茶飯。そのへんの話は、非常に迫真に満ちていて、くぐっと画面にひきつけられた。そのほか、出稼ぎの実態とか、中国農民の暮らしが、目の前に見えるようであった。この作品は前半をもうすこし短くすれば、もっといい作品になると思う。

 この日は夜の時間が空く気がした。
 見たい映画がないのである。
 『カビールを巡る旅』の3、4部は気になったが、1、2部から判断して、内容の見当はついた。見る必要は感じなかった。もっとほかの作品を見たい。
 ビデオ・ボックスに行くことにした。見たい作品はいくつかあったが、人に聞くと面白いという 『THE ダイエット!』をえらんだ。

 中央公民館の事務局に行き、ビデオ・ボックスの予約を入れた。
 受付を山形事務局長のTさんがやっていた。今日は私が誰かわかったらしく、親しげに最初から笑顔を見せてくれた。
 予約を終え、事務局を出ようとしたところで、声をかけられた。
 東京事務局長のF嬢だった。人と打ち合わせをしていた。
 疲れた顔をしていた。
 慰撫のためハグをしたくなったが、人前ではそうはできず、やあ、と挨拶のみして、仕事の途中らしいので、すぐにその場をはなれた。

 ワシントンホテルまで行き、スパゲッテイを食べた。
 遅い昼食である。ここのスパゲッテイは旨い。スープとサラダがついている。
 このレストランをなぜ知っているかというと、ステイインの前は、私はワシントンホテルを常宿にしていたからである。
 食後、中央公民館前のマクドナルドにはいり、コーヒーを飲んだ。
 斜め向かいに、子連れの美女が座っていた。目の覚めるような美女で、何回も、じろじろと見てしまった。美女というのは、どんな動作も、美しく見える。動くたびに、私は、ゾクッとした。
 時間がきたので、中央公民館に行った。

●『春天 許金玉の物語』(台湾/監督ツォン・ウエンチエン 80分)
 白色テロの犠牲となった許金玉の一生を描いている。まだ亡くなってはいないので半生とするべきか。しかし、つまらない作品だった。描き方が、型にはまっている。まるで、共産主義者を讃える映画、になっている。英雄物語になっている。北朝鮮の英雄映画ほど、ひどくはないが、それに近いものがある。映画として、これは最悪である。よくは知らないが、監督はバリバリの共産主義者ではないか。今の台湾で、共産主義者はどういった位置にいるのか、私は監督に興味をもった。

 会場のロビーでSさんに会った。
 お互い、すこし時間があったので、下の階に降りてコーヒーを飲んだ。
 『春天』はひどい映画だ、と酷評し合った。

 本日の予定を聞くと、Sさんは特に見たいものがないと言う。私が『カビールを巡る旅』はそんなに悪い作品ではないですよ、というと、ではそれを見に行くと言った。しかし3部と4部の両方を見る気はなく、その先の夜は空くようであった。Sさんの奥さんは先に東京に帰っていて、Sさんはひとりだった。私もこのあとは 『THE ダイエット!』を見るが、その先は空いていた。ではそのあとは、香味庵に行きましょう、という話になった。お互い、見る映画が終わるのが9時過ぎで、落ち合うのにも調度いい。ということで、Sさんはフォーラムに向かい、私はビデオ・ボックスに向かった。

●『THE ダイエット!』(オーストラリア/監督 関口佑加 52分)
 監督は肥っている。監督はダイエットに挑戦する。この作品はその自らの体験を撮ったものである。しかし、つまらなかった。この作品はドキュメンタリーというより、テレビのバラエティに近い。ある意味、バラエティよりつまらない。いろんな挑戦での反応が、描かれていないからである。派手なリアクションは不要だが、もうすこし反応が見たい。監督は体操をし、精神科に通い、結婚相談所にも行く。そういう行動は面白いが、わざとらしさを感じる。ほんとに監督はダイエットをする気があるのか。見ていて中途半端である。だから、面白くない。

 香味庵は飲み屋である。
 毎夜、映画祭関係者が集っている。
 制作者やスタッフだけでなく、一般観客もやってくる。そこでは、いろんな会話がうまれる。楽しい宴となる。人によっては、映画そのものより、ここでの飲み会を第1に考えている。昼は寝て、夜になるとここに出没するという人間を、私は数人知っている。それはそれで彼の楽しみ方なのだから、OKである。

 9時過ぎに私は香味庵に行った。
 すると店は閉まっていた。中にはいって聞くと、10時からだという。
 もっと早い時間からやっていると思ったが、間違いだった。Sさんとは9時半の待ち合わせである。それまで店の前にいてもいいが、夜は冷えていた。寒い。フォーラムまで行くことにした。フォーラムから出てくるSさんをつかまえ、香味庵の開店は10時であることを伝えようと思った。香味庵とフォーラムの間は、そんなに距離はないと思ったが、あんがい遠く、歩いて15分かかった。フォーラムに着くと、映画は終わり、観客は去っていた。Sさんは香味庵に向かっている。私はUターンして、香味庵に向かった。計算すると到着は9時半を過ぎる。Sさんには待たせることになる。こんなだったら、ずっと香味庵にいればよかった。
 香味庵の前に行くとSさんがいた。
 私は往復30分の歩行で疲れてしまった。
 
 香味庵の前にいたのは私とSさんだけである。1番乗りである。
 そのうち、ひとり、ふたりと、人がやってきた。
 来た人間と会話がはじまった。あの作品は良かった、とか、悪かったとか、そういう話である。そんな話の中にHさんがいた。40歳過ぎ(たぶん)の婦人である。

 10時になって、店があいた。
 私とSさんは、一番落ち着きそうな場所を確保した。4人用のテーブル席である。1番乗りの役得である。そこにHさんも来た。歓迎である。
 10時の開店を知ってか、客は急に増えた。
 青年がきて同席してもいいか、と言ってきた。もちろん歓迎である。知らぬ人と話すのは楽しい。これで席の4つは埋まった。
 ほどなく芋煮がはこばれてきた。席からは近い。すぐに取りに行った。この芋煮はすぐになくなる。早く取ったほうが勝ちなのである。そうやってすぐに芋煮が手にはいるのも、1番乗りの役得である。
 その後、Hさんの友達のFさん(40歳前後の女性)が加わり、主に、この5人のメンバーで話がはずんだ。
 あらためて紹介すると、こうゆうことになる。Sさんは先にも書いたが筋金入りの映画ファン。年齢は60歳前後だが気は若い。K大学で日本の近現代史を学ぶ大学院生でもある。Hさんは東京の人で、映画祭ファンとして来ている。ディリーニュース(前日の映画祭の様子を伝える速報。スタッフは徹夜でつくっている)のスタッフには知り合いがいるらしい。おっとりした感じの婦人である。S青年はまだ20代、北海道大学の院生で、わざわざ札幌から映画祭にひとりで来ている。ジャーナリズムに興味があって、ドキュメンタリーにも興味があるようだった。飄々とした青年であった。あとで加わったHさんは、北海道よりももっと遠いところからきていた。タイのバンコクから来ていた。京都うまれの日本人だが、タイに永住を決意してバンコク暮らしをしている。仕事はピアノを教えているとのことだった。今回はこの映画祭のために来日している。この映画祭が好きで、ここ数年は毎回来ているとのことだった。見た目、タイ人に見え、タイ語も喋るというから、タイ人に間違えられることは多いのではないか。性格には無邪気なところがあるように思えた。私はこの4人のメンバーと、馬が合うのを感じ、確認すると、S青年いがいの血液型はみな、B型であった。S青年はA型とのことだが、彼は測り直したほうがいい。B型である可能性は高い。

 飲み会は深夜の2時まで続いた。テーブルに人の出入りはあったが、基本は上の5人で話した。何を話したかは覚えていない。酒の席の話はそんなものである。楽しい会だった、という記憶だけが残っている。
 2時過ぎに店から追い出されても、人々は、外で話しこんでいた。私も、何人かの知り合いに会い、なんだかんだ話しているうちに、3時ちかくなった。
 Hさんが今夜の宿がないというので(友人宅に行くには遅すぎる)私はステイインを紹介した。帰り道の途中なのでホテルまで連れていった。

 自分のホテルにもどり、風呂にはいったり、アイスクリームを食べたりしていたら、5時近くなってしまった。ベッドにはいったが、気分が興奮していて、寝つけなかった。
 半分起きているような状態のまま朝をむかえた。
         

 

10月14日(水) 6日目


 ぜんぜん寝てないような感じで、8時にベッドを出た。
 部屋でパンとコーヒーを飲み、朝食とした。
 いずれも2日前に買ったものである。コーヒーは冷蔵庫があるので入れておいた。

 本日は最初の1本をどっちにするか迷った。
 『監視員を監視するのは誰?』と『稲作ユートピア』のどっちにするか。
 『監視員』は4時間あるので『稲作』にした。映画は長ければいいというものでない。
 山形市民会館に行った。

●『稲作ユートピア』(タイ/監督 ウルポン・ラクササド 122分)
 映像詩のような作品であった。農村の貧困に苦しむ状況は描かれるが、その面の描写は少なく、それよりも農村や、農作業の美しさが、これでもか、というぐらいに強調して描かれていた。映像は美しく、泰西名画のようである。色は刷毛で塗ったのでは、と思わせるほど鮮明である。ビデオは今はここまで色を出せるのだなと感心した。作品は、美しい映像を、ゆったりした時間で流していく。私は昨晩の寝不足があって、ところどころで寝てしまった。悠久の大地のシーンで、寝にはいり、はっ、と目覚めると、まだ広々とした農村の風景で、作品全体が夢うつつのように、私には感じられた。その受け取り方は、この作品の受け取り方として、あながち間違っているとは思えない。まさに、そのような作品(陶酔的な農村を描く)である気がした。もちろん、寝ていい、ということではないが。強い主張はない作品だが、妙に印象に残る作品だった。

 昨晩会ったタイから来ているHさんがいるかと探したがいなかった。
 この作品を見にくるとは言っていた。
 ホテルのステイインから、この山形市民会館までは遠い。途中で道に迷ったかもしれない。
 相当の方向音痴であると言っていた。
 遠いホテルを紹介して申し訳なかった。

 本日で映画祭は終了。
 夕方に表彰式がある。
 その表彰式の前に私は東京に帰る。表彰式は見てもあまり面白くない。何が入賞するか、私にはあまり興味がなかった。毎回、そうである。審査員の好む作品と、私の好む作品は違うことが多い。審査結果はそんなものかという程度の興味しかなかった。

 東京に帰るにはまだ早かった。
 もう1本、見ることにした。
 いろいろ人に会って聞くと『ナオキ』が面白いという。
 ならば、それを見ていこうと思った。
 ビデオ・ボックスに予約は入れておいた。中央公民館に向かった。

●『ナオキ』(イギリス/監督 ショーン・マカリスター 110分)
 人が言うほど、面白い作品ではなかった。作品として失敗していると思う。山形を舞台に、ナオキという男を主人公に据えて、周辺の人物の生活を撮っている。が、このナオキという男が、捕(つか)まえどころのない人間である。何を考えているのか、よくわからない。こういう人物は時にいる。彼の語る言葉は、どこまでが本心なのかわからない。総てが嘘のようであり、本音のようでもある。彼のこのような個性が、なぜ育ったのかまで、作品は追っていけばいいが、それはせず、彼の語る、どこまでが本当かわからない言葉を、そのまま信じ、ナオキの語るまま、バブルの栄光や、ワーキングプアの悲惨を監督は言いつのる。私は白けるばかりであった。監督は、ナオキの個性の前で、上すべりしているのである。監督はナオキを捕まえていない。よって作品は、何かを撮っているようで、何も撮っていないのである。作品として成立していないと思うのである。俗っぽく言えば、ナオキは「女たらし」である。そして「監督たらし」でもある。「たら」された結果など、私は見たくないのである。
 なお、この作品もNHKの作品であった。NHKで放映された作品をコンペに入れていいのかなあ、という疑問は残った。

 私の映画祭も終了である。
 山形駅に向かった。
 途中、うどん屋に寄って、ミニ牛丼+うどんを食べた。旨かった。
 午後4時の新幹線で山形を去った。
          

 

おわり


 今年の映画祭は、静かに始まり、静かに終わったという感じである。粛々と始まり、粛々と終わった。なぜ、そんな印象をもったのかは、よくわからない。目玉の作品がなかったから、とは言われるが、それだけの理由ではない気もする。

 今回も、120本以上上映されたなかで、私が見たのは、たったの20本である。『シマ/島』『ギー・ドゥボール』『やまがたと映画』のプログラムは1本も見ていない。残念である。またセミナーやシンポジウムも、見ていない。
 そんな程度の参加であるが、今回の映画祭の印象を述べると、以下のようになる。

 言わゆる左翼や、環境崇拝系の作品が多かったように思う。以前からその傾向はあったが、今年はよりそっちに傾斜しているような印象をもった。そんなことはなく、たまたま見た作品がそのようなものだったので、その印象が強まったのかもしれないが、「弱い者は正しい」とか「大きな組織は悪い」とか「自然は優位」とか「伝統は美しい」とか、そういった主張は多い気がした。その考えは、間違ってはいないが、そればかしだと、この映画祭は、何か偏向してるのでは、と思えてくる。今回の大賞をとった『包囲』はまさに、グローバリズムを批判する社会主義勢力の映画だし(そう見える)、『春天』は共産主義まるだしの作品である。どうしてこのような作品が選考されたのか、気になるところてある。

 もうひとつ気になったのは、私の知らない人や企画が多い、ということだった。それは単に、私の勉強不足に起因するのだが、特集のギー・ドゥボールという人など知らなかったし、インターナショナル・コンペティション審査員の、ヌリット・アヴィブ、カレル・ヴァヘックなども、まるで知らなかった。えっ、誰なの?という感じである。私の希望としては、どうしてその審査員が選ばれたのかも、事前にもうすこし説明(公表)してほしいと思う。そうすれば映画祭の参加も楽しみが増す。しかし希望するより前に、総ては私の勉強不足。ここは自戒である。

 そのほか、これは作品の内容についてではないが、撮影カメラは、ほとんどビデオになっている。その映像も格段に美しくなっている。フィルムではないかと思える作品もあった。映画祭の数々の作品を見ながら、映像をとりまく技術は進歩しているなあ、という実感をもった。フィルムが淘汰されるのは時間の問題のような気がした。

 以上が感想である。

 いつもながら、ボランティアの方々の親切には、心が滲みた。何かお願いすると、すぐに対応してくれた。若い方が多く、動きも機敏で、気持ちが良かった。感謝である。

 また、さ来年、会いましょう。

●プログラムの概要、作品総応募数、受賞作品などは下記の公式サイトに詳しく載っている。
  山形国際ドキュメンタリー映画祭公式サイト