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つれづれ小腹立ち日記 春田の極私的日記
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6月19日(火)

●このあいだ昭和の香りの残る五反田のTOCビルのことをFBに投稿したら、ぜひ連れていってくれ、と旧知の人妻 Kからメールを頂戴した。別にわかりにくいところにあるわけではないし、ワシが同行することもないと思ったが、Kには別用もあったので、本日、ご案内、申しあげた。五反田駅で待ち合わせ、TOCビルに行った。このビルに行ったのは久しぶりで、あいかわらずの昭和ぶりであった。それでも賑わいはずいぶんなくなってるように思った。ごちゃごちゃした店舗はまだ残っており、ワシには落ち着く空間であった。Kも、こういう場所は好きらしく、趣味の一眼レフでバシャバシャ、写真を撮っていた。いいのか、そんなに、あけすけに写真を撮っても、と、すこし心配になるほどであった。階上も見てまわり、やや疲れ、地階のラーメン屋でラーメンを食った。
●KとはTOCを出たところで別れた。いちおう主婦なので夜の用事があるらしい。ワシはもうすこし歩きたかったので、駅とは反対に歩き、ずいぶん行ったところの右側に、ずいぶん長い商店街があり、そこをまっすぐ行ったら、よく知る武蔵小山駅に出た。なんだ、と、ちょっと驚いた。五反田駅から武蔵小山駅まで、それほど遠くはないのだった。
●武蔵小山のマクドにはいり、さっきラーメンだけでは食い足りなかったので、ハンバーガーを食い、コーヒーを飲んだ。
●本日は気温の高い日であった。


6月18日(月)

●昨夜は目がさえて、眠りについたのは、本日の朝10時で、起きたのは午後3時半となり、起きて朝パンなど食っていたら、もう夕となり、本日は終り、という感じであった。近所に散歩に出たが、すぐあたりも暗くなり、あっという間に1日が終わってしまった。こうゆう生活はよろしくないなあ、と深く反省。生活サイクルを前にもどすべく、努力しよう。


6月17日(日)

●本日もイベントはパス。このあいだ六本木に行ったときに、東京タワーの方向に行く道があり、気になり、本日、歩いてみた。六本木 → ロシア大使館 → 東京タワー → 芝公園 → 浜松町 → 新橋、と歩いた。わりと近く全工程は1時間かからなかった。過日は六本木から信濃町まで歩いたが、これで信濃町から浜松町までがつながった。だから何、ということではないが、新宿あたりから品川方面に行くのに歩いていけることとなった。そう遠くはないのである。本日の道筋は瀟洒な店が多く、わりと楽しいものだった。
●浜松町でメンチカツカレーを食い、マクドでコーヒーを飲んだ。このあたりは客に外国人が多い。店員も外国人なので、ふと、ここは外国か、と錯覚する。


6月16日(土)

●上野のイベントに行こうと、電車に乗ったが、なんか気が進まず、秋葉原で降り、散歩となった。こうゆうことは、最近は多い。イベント会場で誰かに会うという約束がないと、それは余計、多くなる。思うのだが、最近のイベントは面白くない。だいたい内容が想像でき、実際、そのとうりなのである。無料ならまだあきらめもつくが、有料だと、損した気がし、同じ額で旨いもんを食ったほうがよかったと思う。最近のイベント、レベルが低い。下準備があまりされておらず、ぶっつけ本番が面白いだろうという傲慢がある。ま、というわけで、本日は、雨模様のなか、秋葉原→御茶ノ水あたりを、ぶらぶらした。あまり人がおらず、それが良かった。
●御茶ノ水でつけ麺を食い、ベッカーズでコーヒーを飲みつつ読書した。
●『壊れる子どもの事件簿』(宮川俊彦・著)を読んだ。著者は作文研究所を主宰。子どもたちの作文教室から見えてくる教育のみならず現代の問題について発言が多い。この本は1997年に出たもので新刊ではない。しかし内容は古びていない。産経新聞に1年間連載したコラムに加筆したものてある。いくつか文章をひろう。「フツーが良いとする規範は、このところますます厚い雲のように子どもたちを覆い始めている。変な絵、ヘンな文、ヘンな表現、そしてヘンな人、それらが危険なことだという考えが、親ならまだしも、子どもたちに広がっている」「家族それぞれの事情を配慮しすぎ、尊重し過ぎると家庭は確実に崩壊する。デーンとつなぎとめるものが必要だ。スケジュールをこなすだけの家庭運営は見直していい」「親と子に、きずなと愛情はあるとして、それでも何かが欠けている」「子のしつけができるほど、今の親たちは確たる自分をもち合わせていないのだ」「親子、教師と生徒、友人同士、このつき合いはもう退屈なのだ。そんな子どもたちの心をつかむものがあったら、彼らはきっと熱狂して動く。そしてすぐに飽きていくだろう」。この本で、著者が言ってるのは、子どもは生き物なのだ、というあたり前の視点のように思う。それは親にも言える。


6月15日(金)

●本日も雨降り。
●日がな、ぼーっ、としていた。ネット文を読んだり、本を読んだり、テレビを見たり、そんな、こんなをして、日が過ぎた。雨は深夜までやまず、陰鬱な日であった。


6月14日(木)

●台北からHがやってきたので、新橋で会った。新橋に2棟の駅前ビルがある。テナントはほとんど入っておらず、取り壊しになるだろうと思っていたが、なかなか、そうならない。昼なお薄暗く、陰気な風が流れ、人もほとんど歩いていない。地下には飲食店があるが、ここだけが、やや、賑わっている。しかし、どこか、隠れ家的な雰囲気がある。店はどれも間口が狭く、5人もはいれば満員である。そんな店が所狭しとならんでおり、細い通路に暖簾、提灯がぶら下がり、どこか裏町の飲み屋街という感じである。そんな中の1軒の飲み屋にはいった。ママは上海からきた気さくな婦人である。この店をえらんだのはKで、Hとワシの3人で飲んだ。この店、椅子はなく、立ち席である。話題はもっぱら台湾のこと。それと出版業界のこと。いろいろ面白い話であった。ママさんも話にはいり、キャッキャッと興じた。で、店はしだいに混んできた。5人もいたら満員なのに、10人がきた。この店、人気があるのである。ママの人柄のせいだろう。店からあふれた客は通路に出て飲んでいた。ひとしきりののち、ワシらは、あとから来た客にスペースをゆずるべく、店を出た。で、そのあと、同じごちゃごちゃ横丁の別の店に入った。ここは大連から来たママが仕切っており、このママも気さくで店は満員であった。ワシらの入店といれかわりで2人が出ていった。で、ワシらはママをからかって、しばし楽しんだ。ワシの横に座っていたカップルは不倫カップルのようであった。歳が違うし、ときどき男が女の手を撫ぜてるし、こんど会う日などを話し合っていた。で、その店も混んできたので、ワシらは出た。そんな飲み会であった。


6月13日(水)

●久しぶりに晴れたので、いつものように散歩に出た。中野 → 大久保 → 高田馬場、と歩いた。特に特徴のある道筋ではないが、空が高く、なんとなく気持ちが遠くなる日であった。
●高田馬場でタンメン+餃子を食い、ニューヨーカーでコーヒーを飲んだ。
●帰宅後は、なんとなく、来し方、行く末を考えた。


6月12日(火)

●歯医者に行き、治療した。助手は若い娘だが、春田さん、若く見えますね、と言われた。娘は診断書は見てるのでワシの実年齢は知っており、その年齢にはとても見えない、と言う。お世辞だと思うが、医院がそんな世辞を言う必要はなく娘は本心を言ってるのだろう。ワシは、老けてる、とはよく言われるが、若く見える、と言われることは、ほとんどない(セールスで言われるくらいである)。で、気を良くして、恋でも愛でも、もってこいという心境になった。単純である。やっぱり人というのは、気持ちの持ちよう次第だなとも、思った。
●阿佐ヶ谷に出て、炒飯+餃子を食い、マクドでコーヒーを飲んだ。しばし読書をし、帰りに西友に寄り、バナナ、もやし、フランクフルト、林檎ジャム、ところてん、を買った。


6月11日(月)

●本日も雨降り。外出する気が失せ、風呂場の掃除をした。けっこう時間がかかり、足腰も疲れた。しかし、ほんと、風呂桶は撤去したい。ワシは湯船に入ることがないので、シャワーだけでいいのだ。近所の工務店に行って希望を話すと、まず、やってくれない。そういうのは、と口をにごす。つまり、風呂桶を入れてナンボの商売らしいのだ。撤去だけでは商売にならないようなのだ。まったく不便な世の中である。
●夕に吉祥寺に出て、天麩羅定食を食い、ドーナツ屋でコーヒーを飲んだ。トーナツを前にしてニコニコ笑う婦人がおり、ちょっと不気味だった。
●帰宅して、ふつうは夜にやらないが、洗濯をした。ここずっと雨であり、小降りになってるあいだに、やってしまおうと思ってである。


6月10日(日)

●隣家の騒動で起こされた。夫婦喧嘩である。奥様の声はひときわ高く、もうイッてしまっており、ヒステリー以上の叫び声である。ワシは寝続けることはできず、うっるせえなあ、と、仕方なく起きた。隣家は、平日は夫婦がそろうことはないが、休日は2人が対面する時間がうまれ、何か会話すれば、それが激震のはじまり、雷とどろく修羅場となる。2人はそもそも一緒に暮らしてるのが災いの元である(と、思える)。
●本日も雨の降る日であった。梅雨なのか。荻窪に出て、麻婆定食を食い、サンマルでコーヒーを飲んだ。サンマルでは可愛い女が勉強をしており、なんか、ずいぶん見てしまった。
●新幹線で殺人事件が起こった。犯人は自閉症ということなので無罪になるだろう。殺され損である。こうした事件が起こると、犯人の動機が、あれこれ言われるが、ワシには、ことは単純に思える。親がバカなのである。別居してるようだが、なぜ別居となったのか。犯人は親がわからず、したがって自分もわからず、自分は存在の意味がないと考え、自殺を願ったが死ぬ勇気はなく他力本願の他殺に走った。そんなところだろう。こんな事件はまた起きる。現在、居場所がつかめない若い男女は非常に多いと思う。


6月9日(土)

●朝からすごい湿気。身体が重い。空気が水を含んで重いのだろう。大雨がくる予感で、外出はやめた。
●夕になっても雨は降らず、今のうちにと、駅前に出て、松屋にはいり、新メニューの回鍋肉定食を食った。特に特徴があるわけではなく、人気は出そうにない。そのあとマクドにはいり、アイスコーヒーを飲み、読書した。
●『二つの故郷』(岡部茂・著)を読んだ。過日、湾生の集いのときに頂戴した自費出版の本である。自費出版といっても著者は印刷業を営んでいるので本の造りは豪華である。内容は大きく2つあり、1つは印刷業の変遷。もうひとつは台湾時代の思い出話である。前者は実際の作業をやってきた人なので、かなり具体的で詳しく勉強になった。社会的な変遷ではなく、印刷機械、印刷方法の変遷で、素人にはのぞけない世界で興味深かった。後者はあまりに個人的な思い出話なので、あまり面白くなかった。家族の誰それがどうしたというようなことは、他人が読んでも面白くない。戦前の台湾生活の様子が見えるところは面白いが、そういうのはわずかで、書かれている内容は別に台湾でなくてもいい話である。ごく普通の、ありふれた、あの頃の生活が描かれているだけである。著者はこの本の書いたのち、出来上がりを待たずになくなった。


6月8日(金)

●「ミャンマー音楽の謎めいた世界へ」というイベントがあり参加した。会場は四谷である。イベントの内容はよく知らないまま出かけた。要はトークショーであった。ゲストは司会も含めて5人。2人はミャンマー人で、日本人の3人がミャンマー音楽の紹介をした。1人はミャンマーのマンドリン修業とレコード盤探しの話をし、ひとりは、そのレコード探しの同行旅を話し、もうひとりは、自ら製作のドキュメンタリーの話をした。どの話も、深くはないが、楽しい話で、面白く聞いた。司会のMは、進行が念入りで、写真や音盤など的確に用意していて感心した。相当の下準備をしたのではないかと思われ、Mには好感をもった。Nはテレビ番組で見たことのある人で、わりと小柄なのが意外だった。もっと大きな女かと思った。この人、元は男で、タイで手術して女になっている。この人の話も、ツボを得ていて面白かった。頭が良さそうである。I はワシもよく知るドキュメンタリー監督である。本日はメイキングの写真を見たが、あらためて体力のある人だなあ、と感心した。台北の町を一緒に散歩したとき、食い物屋に出会えば必ず食っていた旺盛な食欲を思い出す。そんだけ食って出てくるエネルギーなのだろう。で、本日のイベントのメインの話はミャンマー音楽の変遷。レコードからテープ、CDとなり、今はダウンロード。そういう節々での音楽を語っていた。ミャンマー人の2人は、その話に随所で加わり、話をふくらませた。で、最後に、歌と演奏の実演があった。椅子は硬かったが、3時間近く、楽しく過ごした。


6月7日(木)

●過日、青山に行ったときに、信濃町にぬける通りがあるのを知った。へえ、と思い、本日、信濃町から青山に行ってみた。遠いのか、近いのか、よくわからない。地図を見ればわかるが、ワシはどうも、机上で判断するのが嫌いで、実際に歩いてみたい。で、歩いた。で、わかったが、ずいぶん近いのだった。15分でいけた。なんだ、と思った。これまで青山に行くには地下鉄で、ずいぶんややこしく行ったが、そんな遠回りをすることはなかったのだった。信濃町から、すっと、行けるのである。今さらながらの発見だった。なんか、青山がずっと近くなった気がした。途中、神宮外苑の中を通っていくので、木立が深く、自然がいっぱいだが、ワシはどうも、そういうのがニガ手である。そこは欠点である。
●青山通りに出たので、→ 外苑前 → 参宮前と歩いた。青山通りはお洒落な店が多い。そういうの、ワシは嫌いではない。
●参宮前でキューバの絵画展をやっていたので見たが、退屈なものだった。無料なので仕方ないのだろうが、主催は国際交流基金で、いかにも、という感じの生活感をそぎ落としたクズ作品の展示ばかりであった。斜めに構えた、キドった姿勢は、なんとかならないか、と思った。


6月6日(水)

●終日、雨であった。外出はせず、撮影機材などを点検した。久しく使ってないので、動作確認などをした。
●夕に駅前に出て、「すき家」でカレーを食い、ドトールでコーヒーを飲んだ。ドトールでは、携帯バカがおり、うるさい、と注意した。周囲の客は、不快に思ってるハズなのに、なぜ黙ってるのか。携帯する本人より、黙る周囲にワシは腹が立った。
●帰宅後はクラシックを聞いていた。
●このあいだブラジル大使館に行き、館員がみな親切なので、ブラジルはいい国だろうと書いたが、とんでもない、ブラジルほど殺人の多い国はなく、いい国などではない、とメールを頂戴した。それは、たしかに、そうなのだろうが、妙な言い方だが、善人国ほど殺人は多いのだよ。大きく言えば、大虐殺が起こる国ほど善人国なのだよ。そこ、わかるかなあ?


6月5日(火)

●近所の図書館に行って調べ事をした。幕末時の衛生状態を調べた。幕末はいわば内戦であったが、そんなときの疫病には何があったのか、興味をもち調べた。しかしあんまり、これという資料はなかった。結核などは知られているが、各地の風土病などは今いちわからない。薩摩の西郷が陰膿水腫(ペニスが腫れる)をかかえていたことは有名で、それが彼の行動に関係していたのか、そのへんはよくわからない。
●駅前の松屋でカレーを食い、マクドでコーヒーを飲んだ。


6月4日(月)

●高円寺の図書館に本を返しにいった。途中、電車の対面で、身なりのいい婆さんが、何か食っていた。クチャクチャ、下品で、うるさく、今や婆さん世代も崩壊である。
●神宮前のブラジル大使館に行った。何か絵画展をやってるみたいなので行ったのだが、特にイベント案内は張り出してなかった。中に入り聞くと、やってるよ、ということで会場まで案内してくれた。くねくね地階まで電気をつけながら案内してくれた。客は誰もおらずワシだけらしい。で、会場にはいると、たしかに作品が展示されており見たが、特にどうっていう作品ではなく、つまらなく、すぐに出た。が出るのにひと苦労で、出口がよくわからない。館内で出会う何人かに聞きながら、やっと出た。しかし皆さん、とても愛想がよく、ブラジルって、いい国のように思えた。
●神宮前から六本木まで歩いた。神宮前→青山1丁目→乃木坂→六本木で1時間ほどかかった。しかしワシはやっぱり都会が好きである。いろんな店があり、いろんな人がいて楽しい。野山や自然は、やはり大嫌いだ、というのが、本日の歩きでまた確認できた。
●六本木で北朝鮮の写真展を見た。これは良かった。なんでもない日常が撮られており、ワシはとても気に入った。しかしここも客はワシひとりであった。


6月3日(日)

●「台湾を学ぶ会」があり参加した。会場は神田と大手町のあいだのイベントルームである。御茶ノ水から歩いていった。本日の会の内容は、湾生の台湾時の生活や引き上げ時の話を聞くというものだった。湾生が8人ほど集まり、彼らの話を聞いた。司会進行はKさんだった。彼らの話自体は、これまで聞いたことのあるもので(本や映画で)、それほど新鮮味はなかったが、やはり実際の体験者が話してるのを聞き、いろいろ感じるものはあった。彼らは何故かくも台湾を愛しているのか。理由の半分は、彼らは台湾で、ある意味、理想の生活をしていたからだった。いずれも上流家庭の育ちであり、身辺雑事は台湾人がやっていた。下働きを置いた優雅な暮らしをしていた。その優雅さは、のちに消え、数々の辛酸をなめるが、やはり幼少時の育ちというのは一生消えず、老いた今もそれは残ってるのだった。彼らの話が、いずれも、どこか、のほほん、としており、品があり、まるみがあり、心地よい。やはり人は優雅に育つべきだ、ということは感じた。こうした優雅さは、今の日本にはない。ほかの半分の理由は、それは彼ら上流階級ではないほかの湾生(農民として渡り苦労した人もいる)ももっているもので、そこが曰く言い難いものだが、台湾の空気のようなものである。それはワシにも感じられるもので、うまく言葉にできない。その台湾の空気のようなものに彼らも惚れているのである。その空気というもの、それが何なのか、それがワシにもわからない。それが何なのか、ずっと考えている。本日も湾生の話を聞きながら、それを考えていたが、うまく合点のいく解答は得られなかった。本日のイベントは4時間近くあり、しょうしょう疲れた。ゲストの湾生もいずれも80歳前後の人であり、しかしそのわりには元気であった。


6月2日(土)

●「歩き方会」があったので参加した。会場は目黒である。この会はどこかを歩く会ではなく、ガイドブックを書いてる人が主宰している飲み会である。誰が来るのか、何をやるのか、なにもわからない会で、行ってみないと内容はわからない。本日は参加者はわりと少なく10人ほどだった。若い人が多く大学生が5人、中学生が1人、あとは会社員などだった。メインの余興は若い娘のシルクロード旅のトークだった。西安→敦煌→ウルムチの10日ほどの旅を写真を見せながら語った。今やどこも観光化しており、この旅も辺境の旅という感じはなく、有名な観光地をめぐる、それなりに楽しい旅のようだった。しかしどこも観光客で満員で、移動や遺跡入場は事前に予約しておかないと乗れず、入れずであるようだ。気ままに当日行って乗れる、入れるということはないらしい。なんかもう地球上に辺境という場所はなくなってるのかもしれない。そういうトークのあと雑談会となり、若い人の夢など聞き、うまい料理を食い、楽しい会であった。主宰者の奥様の出す料理は、毎回、旨いと思う。
●本日は鉄道の大規模な工事をやっているらしく、やたら電車が混んでいた。しかし、混んだ電車で自分の位置を動かぬ奴というのは本日もいて、その理由がわからない。半歩前に動けば、そばの人間に隙間ができ楽になるのだが、ガンとして動かない。ワシは電車のゆれに合わせて、そいつを思い切り押しとばした。奴は手からスマホを落としそうになり、おっと、と場所を動いたので、すかさずワシは詰め寄り、こんどはこっちが場所を動かなかった。ざまあみろ。


6月1日(金)

●御茶ノ水から、ぶらぶら、東京駅まで歩いた。
●東京駅で天丼を食い、マクドでコーヒーを飲んだ。東京駅はガラガラ荷車を引く人が多く、ワシも久しく旅をしてないなあと思った。
●帰宅して、陰毛を切った。ワシのは長く、イチモツの先端にかぶさり、夏になると汗ばみ、ベタとはりつき、毛の先はカーブして、チンポの先を突つくのである。それがチクチク痛い。なので草刈りの要領で、周囲をバサバサ切った。毛を刈ったあとは、なんか情けない風情となったが、夏はこれでいい。



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