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つれづれ小腹立ち日記 春田の極私的日記
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4月21日(土)

●浅草橋に行った。この町は、暗く湿った町だったが、最近は活気のある町になっている。ガード下は飲食店がならび賑やかである。近くに高層ビルも立ち、都会的な雰囲気となっている。餃子の王将に入ったが、餃子を4皿食う男がおり、驚いた。4皿というのは24個である。山盛りの餃子をメシと一緒にかきこんでいた。なんか、すごい世界であった。ワシは2皿の餃子定食を食った。
●浅草橋に行ったのは特に用があってではない。隅田川に沿って歩きたくなり、歩いてきただけである。浅草のほうまで行き、対岸に渡って、浅草橋にもどった。初夏のように暑かった。


4月20日(金)

●府中の古民家カフェに行った。M嬢が通う絵本教室の作品発表展示をやっているからである。このカフェはギャラリーも併設している。ワシは絵本には、ほとんど興味がないが、M嬢、および古民家カフェには興味があったので行ったのである。こうしたカフェは全国に作られており、ひとつの潮流になっている。カフェは駅から離れており、なんかもう地方の町に行ったような感じであった。探さなければおそらく通り過ぎてしまうようなところにあった。ちょっと大きめの民家の中を改造して作られており、まだ改修の途中という感じであった。入ると若い娘が、いらっしゃーい、と明るく迎えてくれ、なんかやはり地方の農家に行ったような感じである。どこか純朴な娘である。で、ギャラリーには絵本が展示されており、いちおう、見た。ほとんど全作品を見た。まだ素人っぽいのや、技巧の優れたものもあった。が、びっくりするような作品はなかった。残念ながらM嬢はいなかった。各作家がもちまわりで会場にいるようで、本日はM嬢の番ではなかったようだ。ま、仕方ない。コーヒーを飲みつつ、スタッフと雑談もし、ゆったりした時間を過ごした。
●帰路、府中の町を散歩した。けっこう広い町で、路地も多い。なんといっても大国神社は風格があり、敷地も広く、安らげる場所であった。ひととおり歩いたあと、北海道食堂に入った。入る前、客がひとりもいないので大丈夫かと思ったが、その心配はあたった。ひどい食堂であった。全体、クズみたいな料理であった。店の前のサンプルとはぜんぜん違う。クズみたいな白菜漬け、クズみたいなモヤシ和え、拾ってきたような鮭の切り身、ぬるい味噌汁、ごわごわしたご飯。なんかもう、バカにすんな、という感じの定食であった。ほかの料理も同じ感じなのだろう。これでは客は来ない。じきツブれるな、この店。


4月19日(木)

●本日も散歩であった。高円寺から青梅街道に出て、阿佐ヶ谷まで歩いた。いい天気の気持ちのいい散歩となった。
●阿佐ヶ谷で天丼を食い、ベッカーズでコーヒーを飲んだ。
●そのベッカーズで3人の男が真剣な話をしており、しぜんと声が耳に入ってきた。なんだか流行りの言葉が次々と出てきて、そういう世界があるのだな、と実感した。流行の言葉というのは、引きこもり、自傷、育児放棄、うつ病、精神障害、大震災、ボランティア、絵本、子ども食堂、家出、養護学校、などなど。その3人は、なにかNPOのスタッフのようで、彼ら自身の悩みも話していた。ひとりは、次のような経歴を語っていた。ボクサー(目が出ず) → 精神カウンセリング学校で学ぶ → 見守りボランティア (夜間に歩いてる子どもの話を聞く) → タイに出てボクサーで再起 (失敗) → 日本にもどりコンビニ経営 (資金は親から。数年で失敗) → 子どもたちの居場所作り活動に参加 (内紛があって活動が破綻) → その後、今のボランティアに参加。聞いていて (聞こえるのである)、そういう経歴の紆余曲折以上に感じたのは、本人にどこか、依存体質がある、ということだった。自分と同じ人を探して、助けているという感じがある。それは自分を助けている、という感じにもなり、つまり、人を助け、自分を助け、というところがある。依存共存というか、助け側のこの人も、結局、助けられたいのだ、というところがある。つまり、ここから、話はすこし飛躍するのだが、最近、群れる人は多い。「反安倍」の一派もそうである。見ていて、彼らは思想信条で群れているのではなく、なにか、群れたくて群れている感じがある。わかりやすい「反安倍」という旗をかかげて、安心して群れている感じがある。その底には、依存体質がある。そんな気がする。どこか精神が病んでいるのである。そんなことを3人を見て感じたのだった。


4月18日(水)

●過日、新宿ゴールデン街に行こう、という話が出て、本日、行った。同行者はH嬢である。新宿ゴールデン街は昔は危なく暗い印象の場所だったが、今は、ほとんど昭和の香りのテーマパークになっている。外国人が多く、そのため、入りやすいように表のドアを開けており、開放的な空間になっている。2軒まわった。最初の店は「十月」で、居心地のいい店だった。2軒目は「クリシュナ」で、ここはふつうの飲み屋とあまりかわらない。両方とも、事前に、初心者が行きやすい店をNに聞いていた。Nはゴールデン街を飲み倒した男で、今はゴールデン街が観光化してつまらないと、よりディープな2丁目のほうに通っている(余談ながら、Nはこのあいだ人を殴り警察のやっかいになったようである)。ワシが新宿ゴールデン街で飲むのは、昔にちょっとあったが、最近はまったくなく、ほとんど新人であり、行くのにちょっと緊張したが、入れば、心配することはなく、店には、すんなり、なじめた。店の人の対応が百戦錬磨で上手だからだろう。店の人とも世間話をした。H嬢とも、あれこれ話し、楽しい一夜となった。
●今日も気温はさがっていて寒い。


4月17日(火)

●氷雨の降る寒い日であった。真冬にもどったような感じ。
●特に何をするということもなく過ぎた。鼻毛と爪だけが、元気に伸びている。
●夕に近所の日高屋に行ったが、どんどん、ジジ・ババの店になっている。客にジジ・ババしかいない。日高屋のジジ・ババ化はこの店だけではない。どこもそうなっていく。なにか、その年代の人間を安心させるものがあるのだろう。ならば、若い連中はどこへ行ってるのか。たぶん、町にうじゃうじゃ増えてるラーメン店だろう。家系とか、なんとか系とか、そういう、もうアブストラクトになってる店だろう。味濃い、麺太い、ドカンと肉、そんなラーメン店である。どこか戦闘的である。比べて日高屋は、老人の日だまり的な平和感がただよう。で、本日、そういう平和の中で、タンメン+餃子を食った。


4月16日(月)

●温かいんだか、寒いんだか、よくわからない日が続いている。あれこれ、いろいろ考えて、半日が過ぎ、駅前に出て、松屋で「チキン・ゴロゴロ・カレー」を食い、マクドでコーヒーを飲んだ。マクドは地下1階にあり、エスカレータはなく階段だけなので足の弱い老人はこない。客は元気な中・高生が多く、とうぜん女の子は可愛い。そうした娘を見ているだけで目の保養になる。マクドではたいていワシは読書をしているが、目が疲れると顔をあげ、そうした娘を見ている。目の疲れはすぐとれるような気がする。
●帰りにスーパーに寄り、バナナ、もやし、ポテトサラダ、薩摩揚げ、杏ジャムを買った。


4月15日(日)

●いろんなイベントがあったが、行かずじまいになった。なんか、最近、街のイベントに興味を失っている。気合がはいってない、そう感じている。時代祭りは、その時代の精神を再現しようとは思ってないし(衣装を似せてるだけ)、アジアの民族祭りは、同じような伝統音楽が流され、同じような飲食店がならんでるだけ。何か、行った者の魂をぎゅっと掴むものが欠けている。それは、見に行くワシのほうのテンションが下がってるからだとも言えるが、やるほうにも四面を驚かせてやるという心意気がないようにも思える。いずれにしろ、全体、だらだらと進行するだけで、どうも、つまらないのである。というわけで、本日も、どこにも行かず、三鷹周辺をぶらぶら歩いた。
●人にすすめられて 『霧のむこうの ふしぎな町』(柏葉幸子・著)を読んだ。童話である。悪くはないが、面白くはなかった。著者は童話作家としては新人で、その新人らしさがあり、将来に期待はもてるが、この作品は、まあまあ、であった。話を広げすぎていて、だから何なの、という感じ。不思議な話をして、それは夢だった、という、フンタジーでは、一番やってはいけないことをやっている。ま、しかし、全体のトーンには統一感があり、登場人物の描写も的確で、次作に期待、である。


4月14日(土)

●豊島区役所に行った。昔はしょぼくれた建物であったが、今は池袋の町を見おろす超高層のビルになっている。用事を済ませたあと、上の階に展望庭園があるようなので行ってみた。植物には興味がないので、ぐるっとまわって、池袋の町を眺めてきた。で、墓が多いのに、あらためて驚いた。雑司が谷のほうは墓ばかりである。展望庭園には誰もおらず、警備員がひとり、ずっとワシの動きを見張っているので、なんか落ち着かず、すぐに降りた。
●池袋は不思議な町である。田舎と都会がごっちゃになっている。どっちかというと田舎臭のほうが強い。歩く男女も、どこか垢抜けない。そんな町のうとん屋でうどんを食い、格安コーヒー店でコーヒーを飲んだ。どこも地方から出てきましたという人ばかりであった。
●帰りの電車で、肥った男が隣に座り、ぎゅうぎゅうとなった。頼むから、肥った男は座るな、である。


4月13日(金)

●本日もいい天気。ぶらぶら三鷹の南を歩いて、どこを歩いてるかわからず、疲れたころ、バス停があったので乗り、吉祥寺にもどった。
●吉祥寺で天麩羅定食を食い、マクドでコーヒーを飲みつつ、読書であった。
●『帰国船 北朝鮮 凍土への旅立ち 』(鄭箕海・著 鄭益友・訳)を読んだ。1959年から1984のあいだに10万人近い在日朝鮮人が北朝鮮に渡った。なかには日本人妻が3000人弱含まれている。彼らは、日本での朝鮮人差別から脱するためと、新天地への希望から彼の地に渡った。日本のマスコミは全紙をあげて、北朝鮮は「地上の楽園」と報道していた。が、行ってみたら、そこは地獄だった。歓迎されるどころか犯罪人扱いで常に監視されることとなった。生活の全般にわたって制限され、なにかとイジめられた。この本は、そうした北朝鮮での日々を綴ったものである。描写は具体的で、文章もうまく、一気に読んだ。食事、医療、移動、総てが最低、不自由で、著者はスパイ罪で獄舎にもブチこまれる。苛酷な拷問も体験する。北朝鮮に渡って、いいことは何もないのだった。結局、彼は妻子を残して脱北し、韓国に亡命する。この本はその韓国で書かれたものである。たいへん、いい本なのだが、若干の疑義もある。著者は北朝鮮に行くとき、全財産を運んでいるが、トラック2台、数年分の生活用品を運んでいる。そんなものを運べたのは、何かしら北とのコネがあったのではないか(一般の人とは異なるふう)。また、この本は北朝鮮を批判ばかりしているが、亡命者の正当性を主張するための記述ではないか。そういう不審点はあるが、しかし、帰国事業の実態を知るには、いい本であった。帰国事業は日本の棄民政策でもあった。


4月12日(木)

●過日、撮影機材の一環で高級ヘッドホンを購入した。その後、それは仕舞われたままになっていたが、本日、部屋の整理で、それを見つけ、仕舞ったままも芸がない、と、それで音楽を聞いてみた。で、驚いた。音が、いいのである。低重音は腹にくるし、全体に音がクリアである。価格の高いものはそれなりに、いい音が出るようである。で、ほぼ半日、音楽を聞いていた。いい音は、聞いていて快楽である。
●夕に吉祥寺まで歩き、餃子定食を食い、マクドでコーヒーを飲んだ。天気がいいせいか、吉祥寺はいつも以上の人出であった。若い娘は、みな、可愛い。
●朝に、いい音で音楽を聞き、そうか、やっぱりミュージカルを作りたい、と思った。それには作曲家を探さねば。知り合いはいないし、さて、どうするか。しかし、願えばなんとかなる気もする。手始めに、どこから始めるか、そんなこんなを考えて夜が更けた。


4月11日(水)

●美女2人と飲んだ。場所は神楽坂の鶏焼酒場。この場所は以前、今は亡き写真家のHさんと行ったところである。場所柄にしては安い店である。店内は品がある (店に入り、ふとHさんのことを思い出した。まだ生きてるような感じがある)。今日の2人は作家とその友人である。作家はバツイチだが、まだ美貌の人である。その友人は初めて会ったがまだ若く (といったも30代中盤とお見受けした)、旅行好きであった。本日の会の目的は特になく、久しぶりなので雑談しましょう、ということであった。で、あれこれ雑談した。世事のことや、親世代と自分世代、さらに下の世代の違いなどを話した。下の世代になるほど保守的だ、というようなことを話した。あと、生活の香りのこととか、外食文化についてとか、話した。面白い話の数々であった。作家は40代中盤(たぶん)、しぜん大人の雑談会となり、私が、私が、とならず、たいへん快適な飲み会であった。
●上に行く前、早稲田駅から神楽坂まで歩いた。駅で2駅である。特に理由はなく、散歩がしたかっただけである。風が強かったが、天気よく、いい散歩であった。


4月10日(火)

●いい天気。いつものように散歩である。新宿から渋谷まで歩いた。いつもは明治通りだが、本日は外苑通りを歩いた。代々木公園をぐるっとまわる行き方である。歩いていて気持ちのいい日で、特に何かあったわけではないが、いい散歩となった。
●渋谷で釜揚げうどん+稲荷2個を食い、モスドでコーヒーを飲んだ。街歩く女はオーバーを脱ぎ、薄着になっており、ボディラインの良し悪しがわかる季節となった。
●神泉駅まで歩いて、井の頭線で吉祥寺にもどった。


4月9日(月)

●特に何事もない1日であった。洗濯、部屋の掃除、資料の片付け、駅前の吉野屋で牛丼、マクドでコーヒー、クラシックの視聴、そんなことで日が過ぎた。


4月8日(日)

●吉祥寺まで歩き、あたりを散歩して、ぶらぶら、もうひとつ先の西荻窪まで行った。吉祥寺と西荻窪のあいだのガード下には新規の店ができていて、そんな店をのぞいてまわった。本日は日曜で、わらわら人がはいっていた。この界隈も、オシャレな店が増えた。
●西荻窪の松屋で、チキンごろごろカレーを食い(最近はこれ、よく食う)、ローソンのイートインでコーヒーを飲んだ。
●帰宅したらハガキが来ていて、死んだのか、と書いてあった。ワシは今年から年賀状を出していないが、それで気になって連絡をくれたらしい。ネットをやってない人なので、メールとか、ましてやフェイスブックなどは見ていず、ワシの音沙沙汰なしは、死んだか、入院したか、と思ったらしい。電話もくれたらしいが、ワシは電話に出ないので(銀行とかセールスの電話ばかりなので)、今回のハガキになったらしい。で、さっそく、申し訳ない、まだ生きてる、とハガキに書いて、近くのポストに投じた。ぜひネットもはじめてほしい、とも書いておいた。


4月7日(土)

●歩く会があったので参加した。会場は目黒である。この会は、高齢独身男と若い娘を合わせる目的もあり、本日も、その両方が集っていた。いちおう余興として、アフリカについての講義、というかトークがあり、そのあとは雑談会となった。アフリカのほうは、ザンビアが面白そうだと思った。ここは行ってみたい。雑談会ではワシも若い娘と、キャッキャッと話した。20台の娘たちであり、大学で研究活動をしてるのや、JICAで活躍してるのや、青年海外協力隊で活動してるのや、活発な方々であり、そこそこインテリなのて、あれこれ話ははずんだ。いずれも美女であった。しかし、あれだな、今は男より、女のほうが圧倒的に元気である。未知のことへの挑戦も、断然、女のほうが積極的である。この先、もう男は不要になるのではないか。
●上の会は5時間ほど続き、やや疲れた。


4月6日(金)

●いつもの会があったので参加した。会場は本郷である。本日のテーマは「中琉合作映画にみる、台湾・沖縄・日本の三角関係」。講師は在日華僑の研究をしている神奈川大学のY先生。話は面白かった。ワシは沖縄にはそれほど興味はないが、台湾との関係で見ると、なかなか新らしい視点が見えてくる。台湾は沖縄をどう見、沖縄は台湾をどう見ているか。それがわかる映画を中心に話がすすんだ。ワシの知らぬ映画ばかりで、そこも興味をそそられた。そんな映画があったのかと。映画の解釈になると、Yさんの話はいかにも学者的でつまらなくなるが、情報の点では、へえ、という話ばかりで、いろいろ勉強になった。政治的には、台湾は沖縄の独立をのぞむが(大国に翻弄される島同士の共感)、米軍基地は置いておきたい。そこが沖縄の人とは逆。また台湾自身が自らの独立に積極的でないところも矛盾している。そのへんの沖縄、台湾、日本の立ち位置の話は面白かった。ほか、沖縄には琉球華僑のグループもあるようで、そこも興味をそそられた。
●帰り、小雨に降られた。生暖かく、春なのだなと。


4月5日(木)

●今日は寒い。暑くなったり、寒くなったり、上下の激しい天候である。
●本日もぶらぶら散歩に出て、浜田山まで歩いた。電車で吉祥寺にもどり、サバ焼き定食を食い、マクドでコーヒーを飲んだ。吉祥寺は、なんだか人がたくさんいた。新年度となり、人が動きまわっているのだろう。
●大型の書店に行ったが、特に読みたくなる本はなく、100円ショップに寄り、海苔を入れる容器を買い、西友に寄り、夏用のシャツと、コロッケを買った。


4月4日(水)

●パソコンのファイルの整理をして半日が過ぎた。「お気に入り」の整理は予想外の時間がかかった。
●駅前に出て、松屋で、チキン・ゴロゴロ・カレーを食った。これは旨いと思う。そのあとマクドでコーヒーを飲んだ。マクドは、やたら混んでいた。ちょうど、すいていたときに入ったが、すぐに長蛇の列となった。ひところ、ガラガラだったのだが。
●隣家はゴミのはいったレジ袋をベランダに並べている。強風の日は、これが、あおられ、チャラチャラ音をたてる。これが、うるさい。本日は風が強く、ああ、うるさい。文句を言いに行くのも面倒なので、棒をのばして、レジ袋を風があたらないところに移動させた。その作業をしながら、なぜ、ワシが、こんなことをしなけりゃならんのだ、と腹が立った。


4月3日(火)

●散歩日和なので、本日も、ぶらぶら。四谷→赤坂→虎ノ門と歩いた。どこでも初々しい新入社員を見かけた。すぐわかるのは、世俗のアカをまだ身につけていないからだろう。
●荻窪にもどって、回鍋肉定食を食い、マクドでコーヒーを飲んだ。マクドでは、アメリカ人が2人、英語で会話していたが、ぜんぜんわからないのは、シャクだった。聞き取りには、すこし自信があるのだが、まだまだ修業が必要のようである。
●マンションのエレベータで上の階の男と一緒になった。60過ぎの独身男である。過去に、大型水槽をひっくり返され、ワシの部屋が水浸しになった事件があり、その際、あれこれ会話しており、知らぬ仲ではなく、本日は、向こうから話しかけてきた(水漏れ事件は円満解決している)。話しかけてきたというより、ひとり言という感じである。「お花見は行きましたか。私、花見に行くより、つい、飲んじゃうんですよ。今日もね、今日こそ、井の頭公園の花見に行こうと思ったんだけど、駅前の大島屋(立ち呑み屋)で足がとまっちゃって、ちょっと呑んだら、もう花見に行く気はなくなっちゃって。私、家族いないし、ひとりだし、毎日、なんにも、やることがなくて。毎日、ヒマなので、外出するけど、特に行くとこなくて、つい、呑みに入っちゃうんですよ。ダメだよね。だけど、やること、なんにもないし・・・」。この人は、老けるのが早い感じがする。水漏れ事故のときは、まだ、溌剌とした感じがあったが、本日は、よぼよぼ爺さんという感じである。次に会ったら、背はまがり、歯はぬけ、ひとまわり身体も縮んでいるのではないか。風貌がワシと似てる感じもあり、あまり他人事とは思えない相手であった。


4月2日(月)

●新宿に出たが、入社式が今日という会社は多いようで、西口あたりは、黒いスーツの新入社員のグループであふれていた。しかし、どいつも、こいつも、同じような服で、げんなりするが、ま、そこは置いて、女の子は、初々しい。うしろから、尻を、つつきたくなる。しかし、こういう娘たちも、1年がたち、2年がたつと、トウが立ち、額に縦皺(たてじわ)の社員となるのだろう。くわばら。今が華である。
●地下街でメンチ・カレーを食い、ロッテリアでコーヒーを飲んだ。ここも黒スーツの人ばかり。
●電車の中や、コーヒー店で、よく、アレルギーの男女を見る(男が多い)。赤い顔をしてるので、すぐわかる。彼らは、常に、どこかを掻いている。たぶん、痒くて仕方がないのだろう。気の毒には思うが、そばにいる側からすると、気持ちのいいものではない。掻いた皮膚を丸めて周囲に飛ばすし、飛ばさないまでも周辺に皮膚は落ちエアコンで拡散される。こういうのは、あっちに行ってくれと思う。ま、しかし、見ていて、可哀相な気もする。


4月1日(日)

●新年度のはじまりである。きのうまで高校生だった娘が、まだしっくりこないスーツを着てる姿は、なかなか色っぽい。しかし本日は日曜、まだ会社ははじまっていないと思うのだが、本日からの出勤を強制する会社があるのか。
●神田→銀座あたりを、ぶらぶらした。いつもながら、横並びして道を塞ぐ一団は多い。いぜんは、同じ方向に歩くグループが前をふさいでるケースばかりだったが(後ろから来るワシに気づかないというケース)、最近は、前から来るグループ(つまりワシが来るのが見えている)にも多い。ぶつかりそうになっても道をあけない。仲間との位置が重要で(同一線上にいたい)、ワシが視野に入ってないのだが、何か今の人間は、欠損してるのではないか。そのまま行くとぶつかるので、ワシが身を小さくするが、相手は平然としている。傲慢とか、そういうことでなく、ワシの存在が気持ちに見えていないのである。社会訓練されていない無垢な動物、という感じなのだが、そんなんで生きていけるのだろうか。これからは思い切りぶつかってやろう。それのほうが、彼らのためになる気がする。



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