I.飯能ルーテル教会のホームページにアクセスしてくださって感謝いたします。私は、昨年2007年4月東京都足立区にある教会から転任して来た北沢忠蔵と申します。こちらに来て、飯能はとてもいい所だと感じています。飯能のどこがそんなに良いのかと尋ねられました。
a. まず、飯能の自然が素晴らしい。日本の美しい里山の原風景があっちこっちに残っています。私の住む双柳では庭に小鳥もやって来るし、蝶も飛び交っています。
b. 飯能のうどんとそばがおいしい。お店に3つ星、4つ星が付いていないかも知れませんが、どの店も独自の味を保ってやっています。
c. 人がやさしい。私はno carで、自転車と徒歩ですが、横断歩道で車が止まってくれたり、すれ違う見知らぬ人が挨拶してくれることがあります。
d.私の赴任した教会の人たちも皆良い人たちです。
e. そして、こちらに来てすぐ、私たちの教会の属する日本ルーテル教団の傘下にある聖望学園高校野球部が、甲子園春の選抜大会で準優勝したことです。
もっとありますが、これ位にします。
II. 住所と位置
教会 〒357-0033 飯能市八幡町20−9
電話042−972−5774
牧師館〒357-0021 飯能市双柳2−6
電話042−973−2670
III. 教会の集会
日曜日 礼拝 聖餐式
AM10:30〜11:40
木曜日 第1、第3木曜 聖書会
10:00〜11:30
*個人的な聖書の学びやご相談にどうぞおいで下さい。お待ちしています。前もって電話をしてくださると確実です。
IV. 飯能ルーテル教会が誕生したわけ
今から60数年前の1945年8月15日、日本は敗戦を迎えました。国土は焦土と化し、多くの人が精神的な支柱を失い、虚脱状態になりました。数年後の1949年、近くの米軍基地に駐留していた兵士の一人、ギルバート・シービング青年は、たまたま飯能にやって来て昭和薬局で薬を買い求めました。その店の主、神田邦武氏との親交が生まれ、それが縁となり、その二階で聖書研究会が始まったことが、飯能ルーテル教会誕生となりました。
シービング青年は、アメリカ、ミズリー派ルーテル教会の熱心な教会員でした。敗戦によって精神的支えや力を失っている日本の人々に、クリスチャンとして自分の出来ることをしたいと考え、故国のお母さんに自分の気持を伝え相談しました。息子の思いに応えてお母さんからお金が送られてきて、それを基に教会の建物が購入されました。1950年(本町一丁目)
けれども教会は建物だけでは成り立ちません。聖書を説き明かす宣教師か牧師が必要です。
その頃、中国で共産革命が起こり、伝道していた宣教師は国外追放となりました。アメリカに帰るルーテル教会の宣教師たちは、その途中、日本に寄りました。その一人、ポール・クライリング宣教師は大宮に住みましたが、飯能で教会が始まるということで、八高線に乗って飯能に通うことになりました。しかし、クライリング宣教師は日本語が出来ませんでした。日本人に英語を日本語に通訳してくれる人が必要でした。
しかし、神さまは、その数年前にクライリング宣教師の通訳をしてくれる人をすでに神奈川の方から飯能に呼んで置かれました。県立飯能高校の教師となった澤田英彦先生です。先生の教え子が、「わたしの学校に英語の出来る先生がいるよ」と教会に知らせたのです。
かくして、教会堂と宣教師と通訳者とそして求道者たちが神さまによって用意されて飯能ルーテル教会が誕生し、教会活動が開始されたのです。
翌年、双柳にあった「飯能実業高校」を、飯能教会も所属する日本ルーテル教団が購入し、「聖望学園」がスタートしました。キリスト教精神を基にしたミッションスクールとして高い理想と志を抱いての出発です。私には先人の信仰と意気軒昂な気概に心打たれるものがあります。初代校長はクライリング宣教師、二代目は澤田英彦先生でした。あれから50年がたちました。教会も学校も神さまの守りの中を歩んで今日を迎えております。
V.
北沢忠蔵牧師のプロフィール
1942年6月12日新潟県に生まれる。高校3年生の時、洗礼を受ける。中央大学、日本ルーテル教団神学院卒業。加茂ルーテル教会(現在の中越教会)、福島いずみルーテル教会、竹の塚ルーテル教会(28年間)を経て、2007年飯能ルーテル教会牧師就任。
趣味: 散歩、読書、図工(手で作ったり、描いたりすること)
好きな作家:
◎椎名燐三
---この人を通して、キリストの救いとはどんなものかを知った。虚無からの救いを得た。
◎遠藤周作 ---この人を通して、日本人にとってのイエスキリストという視点が与えられた。キリスト教の文化内開花。
◎アントニオ・デ・メロ(インド出身の神父)
著書 ---小鳥の歌、蛙の歌など多数
牧師としての喜び:
喜びは色んな人と出会って、人生の喜びや哀しみを分かち合うこと。キリストの福音をお話して心の救いが得られるよう働くこと。
教会は乗合バスのようなものだと思っています。バスには色んな人が乗って来ます。誰が乗っても構わないのです。運転手はイエスキリストです。確かな運転手キリストにまかせて、乗客はキリストに教えられながら互いに助け合いつつ、生き生きとした喜びある人生にしていきたい。
生きがいを捜している人、何のために生きるのかを考えている人、心の救いを求める人、愛や信じることに悩み、人間関係に傷ついている人、空しさからの救いと充実した人生を求めている人など、人生に共通の問題を一緒に考えたいと思います。
主イエスの言葉
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」 マタイによる福音書11章28節
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