作者はあとがきで、この評伝を寛と晶子に宛てたラブレターであるといい、
「私は寛と晶子を、こう考えるのが好きだっただけである」と書く。
寛は写真よりも生きて話しているほうがはるかに美しい男であったろうと言う。
そして、もし晶子と寛がすぐ会える近くに住んでいて
手紙のやりとりをする必要もなかったなら、
二人は恋に落ちなかったのではないか、とも書く。
二人の間に行き交った沢山の恋文は、
いやがうえにも恋心を燃え立たせる役目を果たしたに違いない。
堺という旧弊な町の老舗に生まれた晶子が、
自分を恋へ追いやっていく様は、胸が痛くなる。
もう親の家に帰ることはない、
と風呂敷包みを胸に京の宿に赴く晶子を誰も何もとどめることはできない。
そうしてまで飛び込んだ男の胸には、
瀧野という永遠の恋人が住んでいた・・・。
寛を愛して、沢山の傷を負って、
それでも晶子は幸福だという他はなかっただろう。
したいように、したのだから。

晶子は寛を愛したからこそ、見事に芸術家として開花した。
「君死に給ふことなかれ」の全文が掲載されているが、
戦時下あれだけの詩を発表した晶子の気概を思うと、
彼女は本物の芸術家でなくて何であろう。
勿論、非難轟々であったとはいえ、
それを赦した社会の風通しの良さも思わずにはいられないが。

寛という身勝手な子供のような男を愛してしまった晶子が、私は哀れでならない。
寛を見限った女たちは皆幸福になっている。
最初の信子、次の瀧野、皆それぞれに平穏な女の暮らしを手に入れている。
晶子だけは終生報われぬ恋心にもだえ続けた。
そして、後世にも輝く「歌」を残した。
やはり、幸福、といわざるを得ないだろう。
でも、私は晩年の晶子にもう一度「恋」をさせてあげたかった。
今度こそ報われる恋を。

男をも灰の中より拾いつる釘のたぐひに思ひなすこと

年を経てこんな歌を晶子は詠む。
与謝野晶子は、幸福であったのだろうか。

私は寛と最初に同棲した浅野信子が、
寛との間に子を産み、すぐに死なせ、
寛と別れて大学教育を受け女学校の先生となって
終生独り身で生きた事実に深く打たれた。
信子は女学校でも淡々と与謝野鉄幹の歌を講義し、
生徒にも周囲の人間にも寛とのことなど気取らせることはなかったと言う。
ひっそりと、しかし、しっかりと自立して、
幼児のように気ままな経済力のない男との結婚生活など
思い出すこともなく充足して暮らしたのではないかと思う。
例えその男にどれほどの才能があろうと、どれほど高名になろうと、 
信子は蝿がとまったほどにも思わなかったであろう。

信子と晶子、どちらが幸福だったか、
簡単に断じることはできないけれど、人間のあり方の不思議を思わずにはいられない。
そして同時にまた、芸術の苛烈さをも、思わないではいられないのだ。
それはとりもなおさず、作者の目がひたとその部分に注がれているからだと思う。
優れた評伝は、丁寧な取材に基づいた真実の入手と
それを組み立てる創作者としての力量がなくてはかなわない。
どんな立派な資料にも
晶子と寛の間に交わされた会話は載っていないだろう。
「千すじの黒髪」の中で交わされる二人の会話こそ、
「嘘で以ってしか語られない真実」なのだ。
読者は評伝にそれをこそ読みたいのではないか。

−2005.4.7−