うたかた


主人公は尼崎の若いチンピラです。
描かれるのは、市井の猥雑な背景の中の、無惨に清らかな恋心です。
うたかたにすぎない身の、うたかたならぬ恋心です。
チンピラの胸迫る切ない恋の相手は、お菓子のようにきれいな、どこの誰ともしれない、妖精のような女性です。
白い襟の大きなブラウスに、ふわりとしたフレアースカート、縁の広い麦わら帽子、襟にはてんとうむしのブローチ・・・恋は夏を舞台に始まります。
夏でなくてはならない理由がありました。
二人が初めて結ばれるのは、琵琶湖湖畔です。
チンピラのほうからではなく、彼女のほうが、泊まろうか、といいます。
地蔵盆の頃で、琵琶湖の湖畔の町で、小さなきれいな女の子が化粧をして盆踊りをしているのを、二人は眺めます。
その女の子があまりに美しく、恐いようだ、とチンピラは心深く思います。
あまりに幸福すぎて、チンピラは恐れているのです。
チンピラの恋は無惨に破れます。
その無惨さは、けれど、理想的な恋の破れ方だと私は思いました。
ひとすじの清らかなものは、こうして、誰にも容れられることなく破れてこそだと思います。
「どすべた」
チンピラは、最愛の女性に心からこういいます。
清らかなものを持つ人は、これほど辛らつで潔癖です。
恋愛小説の傑作中の傑作です。
この物語は、チンピラが「なべちゃんよ、もうこのごろは尼には来ないのかい?」と書き始められます。何やしらん、タイヘンなことになって、もう尼で飲んでいる暇の無くなった「なべちゃん」。
芥川賞受賞後、すぐの作品ですが、このスタイルもとても新鮮です。
これを読むと、恋愛小説を書こうという気が、足元からヘタヘタヘタと崩れ落ちます。