2004.2




心斎橋

大阪ミナミは私にとって懐かしい町です。
といっても、その懐かしさは他人のアルバムの中の
写真を見るような懐かしさなんですけれど。
夫の母は大阪の人、それもミナミに近い南森町の生まれ、育ちでした。
夫は母と一緒に心斎橋で買物したりお茶を飲んだりすることも多かったようで、
私も結婚してからよく連れていってもらいました。

私の師匠は、心斎橋の芝居茶屋のひとり息子で、
松竹座や中座の昔の話はよく聞かされました。
今の中村勘九郎のお父さん、勘三郎は、
中座の屋根に昇って自分が呼びよせておいた
ホームレスに屋根の上から物を撒いた、とか。
何か鬱屈したものがあったようでした。

でも、その中座も無くなって、夫の母のお気に入りで、
夫はここのフランスパンしか食べなかった「プランタン」も閉店してしまいました。

何でもいつまでも在る、と思っていた優しい時代は過ぎて
パチンコ屋とカラオケと、すぐに閉店するような安売りショップが増えました。
老舗は、それでも変わらぬ風情で、そこここに残っています。
本当に、残っている、という感じです。

下の画像はボンボンを売っている「長崎堂」。老舗らしいたたづまいです。
二階の喫茶室にオルゴールがあるのですが、大体はその部屋は予約でなかなか入れません。
磨きこんだ床に豊かなレースのカーテン、800円のケーキセットは
シンブラ(心斎橋をブラブラすること)疲れにはぴったりです。



-2004.2.27-


お雛祭ですよ

  

我家は女の子がいないので、私が自分用のミニ雛を家のあちこちに出しています。

↑は玄関のお飾りです。

立ち雛さんは結婚後すぐに買ったので、もう大ベテラン。

こんな顔のこんな色合いのミニ雛はもう見つからないなあ、なんて自画自賛してます。

田辺先生の色紙のお雛様も立ち雛さんでおんなじ、おんなじ♪

今週あたりから、そろそろ桃の花を飾ります。

我家の他のお雛様は、居間のテレビの上に陶器のうさぎのお雛様、

寝室には赤い座布団に金屏風のお内裏様(これがちっちゃーーい)。

電話の横に何故かキティ雛。

・・・・実は、毎年増えてるんですよね!!

ー2004・2・23−

ブルーベリー

今はスーパーでも生のブルーベリーが手に入りますね。
ベリー類が大好きなので、よく買いますが、季節柄最近は瓶詰めのものばかりでした。
甘くないシロップ煮のオレゴン産のビン詰が好きで、大きな瓶なのにすぐ空になります。
ヨーグルトに載せたり、レアチーズケーキに入れたり、
次男はでっかいスプーンですくってそのままワシワシと食べています。

空っぽになった瓶もなかなか素敵で、色々に使っています。

先日、スーパーで生のブルーベリーを見つけました。
マフィンを焼こうと買ってきたのに、忙しくて焼く時間がありません。
しなびてしまわないうちに、明日こそ焼かなくっちゃ。

京都の人形作家のお家を訪問した時、
1000坪もあるお庭にあらゆる花が咲いていて、それはそれは見事でした。
なかでも、私が一番羨ましかったのは季節はずれでしたが、
ブルーベリーとキーウィの木があったことでした。
自分の家でブルーベリーが獲れるなんて!!
後日、花屋さんで鉢植えのブルーベリーを買ってみましたが、
あっという間に枯れちゃいました。

マンション住まいはコンパクトで好きなんですけど、
ブルーベリーだけは諦めざるをえないのでしょうか。
いつか、オレゴンに行ってブルーベリー畑を見てみたいです♪

-2004.2.17-

閉鎖

もうひとつのホームページを閉鎖しました。書評中心のページでした。

もともと田辺聖子先生のファンサイトが

やりたくて始めたホームページ作りだったので、

ここを本格的に開いてからはちょっとお休みにしてました。

開設十ケ月で7000少しですから、ごく内輪でやってたんです。

カキコしてくれる人も殆ど知人ばかりでした。

おもしろくて夢中になってると、仕事に差し障る、

こんなことしてないで仕事しろ、といわれました。

仕事関係者ではない人にです。

あれは書くな、これは消せ、といわれて、

こちらのことを考えてくれているんだろうなと、言われるとおりにしてきました。

ウェブ上の常識についても指導してもらいました。

それでも、絶対カキコはしてやらない、などともいわれました。

今考えるとよくもそんなヤツを友達だなんて思ってたなあ、と不思議です。

私ってぼんやりです。

いじめられてたんじゃないですか!

で、閉鎖することにして、ちゃんとそのこともメッセージに書いたら、

何と、匿名でいやがらせのカキコがありました。

人を見下してたから閑古鳥が鳴いたんだと書いてありました。

はぁ?です。

その人は見下されてると思ってたんですね、私に。

自分のホームページで人を見下す人がいますか?

普通に書いてることが、その人の劣等感を刺激したんですねえ。

その人はあのホームページを覗いてはいたんですね。

何という哀れな精神生活でしょう。

でも、もう閉鎖します。

だって、あっちに来てくれてた人は何にも言わなくても

すぐにここを見つけて来てくれてるんですから。

こっちにもアラシが来たら、また闘います。

でも、どうしてそんな攻撃的なことをするんでしょう。

息子たちは、いじめられてきた人間がやることだといいますが。

ほんとにそうだとしても、私は許さないからね。

コソコソ匿名の陰で何腐ってるのかしら!

-2004.2.14-


指圧

今日は指圧の日だったんだけど、先生の手違いでダブルブッキング!
来週の火曜日に変更になりました。
私は指圧が無ければ生きていけないカラダになっています。
膝関節炎がイッパツで治ったのをきっかけに、
咳のひどい時や血圧にまで即効性があります。
誰にでも、というわけではないでしょうが、
私は相性がよかったんでしょう。
明るい素敵に元気な65才の先生は
絶対50そこそこにしかお見受けしません。
とても痛い指圧なんですが、
愉快な先生の話に笑いながら
イテテテテとやってもらっています。
そして、いつも不思議だなぁと思うんです。
押すだけなのに、どうして気分まで明るく、楽になるんだろうって。
指圧の帰りはいつも、とっても早足で鼻歌歌いながら歩いてます♪
−2004.2.7−


二月

小さい頃はしもやけのできる子でした。
好き嫌いが多く、というよりも、食べられる物が、
チーズと干し貝とゴマとプリンとシュークリームだけで、
ビタミンなんかが足りなかったんでしょう。
両手の小指とその下あたりがひどく腫れて、
二月頃にはひび割れて潰瘍状になりました。
鉛筆は何とか握れてもお習字の筆は大変でした。
ユベラというビタミン剤を飲んだりしましたっけ。
二月は両手に巻いた包帯の匂いを思い出します。
今日は節分。
しもやけができていた頃の我が家では、
近所の子供たちみんなをよんで豆まきをしました。
豆だけでなくキャンディやちっちゃなチョコレートの包みや、
それから顰蹙なことに、
五円玉や一円玉を混ぜてまくのです。
まくのはいつも父でした。
手当たり次第何でもひろう子、
チョコレートだけ狙う子、
お金以外は拾わない子、色々でした。
私は・・・ただただ、圧倒されて
いつも自分の年の数くらいの豆をひろうのがやっとでした。
キャンディもチョコレートも嫌い、
お金は当たると痛いから逃げてました。
もし今あんな豆まきをしたら、
きっと近所からクレームがつくんでしょうねぇ。
顰蹙の豆まきに参加した子供たちは、
小、中、高校の先生、商社マン、歯医者さん、なんかになっていますが。
二月は何故か、小学校中学年の子供みたいな月なんです、私には。
ー2004.2.3−