2004・1




田辺聖子さんの魅力

トップに掲げていますが、 
本好きに送る100の質問に答えてみて、
今更ながら田辺聖子さんの作品と出会えた幸福を思いました。
私は長女で一人息子のところに嫁いできました。
とってもがんばって主婦をしていました。
子供も大好き、料理も大好き、自分でも主婦を楽しんでいました。
結婚前はちょっとしたキャリアウーマンだったので、
家庭のことはどれも珍しく、やりがいがありました。
本を読むのが趣味でしたから、
子供が小さくてどこへもでかけられなくても
ちっとも困りませんでした。
短い時間にサッサと沢山読書をしました。
子供を通じて親しい友人もでき、私は楽しく暮らしていたのです。
そこへ、父と母が相次いで癌になりました。
私は当然、がんばって親の面倒をみました。
私がやらなくっちゃ、と歯をくいしばって乗り切ろうとしました。
誰にも弱みをみせず、泣き言をいわず。
そして、ある午後、
ふと田辺聖子さんのエッセイが目に止まったのです。
どんなに非常時でも
自分の日常を取り落としてはならない、
とそこには書いてありました。
自分の日常。
私はその時、目が醒めました。
気がつけば私は無理をしていたのです。
少しも自分を大切にしてやっていませんでした。
あなたは自分を失ってはいないか、
と田辺聖子という作家が話しかけてくれているような、そんな気がしました。
唐突ですが、私は愛されている、と思ったのです。
私と同じような立場の人間のことを、考えてくれている人がいる。
この人がこんなことを書けるのはどうしてなのか。
それが知りたくて、田辺聖子の本を片っ端から読みました。

私ひとりに語りかけられているようで、
実は沢山の人に呼びかけている、
にもかかわらず、やはり個別の胸に深く沈む言葉たち。
その根底には
人間への希望、慈しみ、畏れ、人が生きてあることのめでたさを謳う声音がありました。
他のどの作家にもない、深い愛情がそこにはありました。
衒わない、まっすぐな、そして、知的な賛歌を私は聴きました。
自分の心の暗い隙間
チラリとよぎる影、問答無用で押しこめていた叫びを、
私は大切に救い上げて生きねば、と思えたのです。
それをおろそかにしては、
本当に生きていることにはならないと。

そこから私は少し別のレールに乗りました。
ゆっくり私は走りだし、まだまだ駅は見えません。
でも、よかった。
田辺さんに出会えて、
私は私を生きることができています。
愛されていると知ることは、力になります。
手放しの賛歌は気恥ずかしいし、慎まねばと思っていたのですが、
100の質問に答えてみて、一度は書いてもいいのではないかと思いました。
田辺聖子先生、本当にありがとうございます。
ー2004・1・24−


1月17日

9年前のこの日、阪神淡路大震災がありました。

冬の早朝、まだ外は真っ暗でした。
大阪北部の我が家でも、南から北へかけて激しく揺れました。 
震度は3、時間にしてみればわずか何十秒のことでした。
窓の外をフラツシュのような光りが走ったのを憶えています。
真っ暗な部屋の中で何かの倒れる音がしました。
息子たちは、タンスの並んだ和室で寝ていた夫と私は、もう死んだと思ったそうです。
私たちも、狭い子供部屋で二段ベッドに寝ていた子供たちが無事だとは思いませんでした。
夫が飛び起きて子供部屋に走りました。
私も続きましたが、後ろから激しく突かれてゴンと頭を枕元の壁に打ちつけました。
子供たちが揃って無言のままリビングにいました。
「地震や・・・・」
誰かがいいました。
暗いリビングに食器棚が倒れているのがやっと見えます。
スリッパを履け、足元に気をつけろ、早く電気をと、てんでに気がついたことを言いました。
私はすぐドアを開けに走りました。
閉じ込められたら困ると思ったのです。
ガスの元栓を閉め、風呂桶と洗濯器に水を張りました。
白い食器棚は見事に裏返しになり、食器の破片があたりに散っています。
リビングの床には、点々と血のあとが。
誰か、怪我してない?と尋ねても誰も答えません。
余震がきます。最初の突発的な揺れよりもっと恐怖感がありました。
それでも、私たちは震源地は東京あたりだと思っていたのです。
まさか、この時間に何千人もの人が、それも神戸で亡くなっているなどとは思いもしませんでした。
テレビをつけると早朝の情報番組の女子アナが完全にベソをかいています。
生放送中のセットはユラユラ揺れて、誰も何もわからない状態でした。
ただ、大きな地震があったようです、と繰り返すばかりです。
そして。
やがて、あの地獄が画面に映されたのです。
煙がうっすらと立ち昇っています。
神戸のあちこちから。
それはすぐに赤い炎を見せはじめました。
「あかん、こんなん、あかん。神戸やのに。これ、神戸やんか」
私はテレビの画面に向かっていいました。
信じられませんでした。
悪い夢のようでした。
映画のセツトを見せられているようでした。
これなら、大阪の中心街も壊滅したと思いました。
どうしても、神戸という美しいおしゃれな街が被害の中心地だとは思えなかったのです。
神戸は私にとっては明るい幸福の街、楽しい想い出だけの街。
そこに悲劇が集中して起きるはずはないのです。

やがて、被害は明かになり、NHKのアナウンサーが泣きながら死亡者の名前を延々と読み上げました。
三宮も長田も、夙川も岡本も、どこもかしこも、潰れてしまったのです。
高速道路は倒れ、生きたまま人が潰され、焼かれました。
淀川を境に、東と西では天国と地獄だったのです。
それを私たちはテレビで見ていました。
すぐその向こうに本物の地獄があることなど嘘のように、
夜は明け、大阪の朝は冷えてはいましたが、穏やかでした。
こうして、あの1月17日は、始まったのです。

リビングの血は、私の足の裏からのものでした。
痛みは無く、スリッパが赤く染まるまで気がつきませんでした。

私たち親子は死なずにすみ、沢山の死を座して眺めているばかりだったのです。
私たちは、隣りの一人暮らしのおばあちゃんの手助けをする以外には、
全く何もしませんでした。
私は、そのことを忘れずにいたいと思っています。
何もできない私たちが生かされたという、そのことを。

−2004・1・16−

雨あがりのココア

Mちゃんと二人で、その人のお葬式にでかけました。
破顔大笑のご遺影の前に一升瓶が一本、ドンと置かれていましたっけ。
朝から雨で私たちは傘をさげていました。
私の大切な尊敬する文学者はその人の奥様で喪主。
輝く花のような声で、闊達に話し始められました。
ご焼香を終えて、私とMちゃんはゆっくり駅へと向かいました。
雨はあがっていて、空気がシンと冷たく、二人で駅の喫茶店に入りました。
コーヒー好きなのに、私は咄嗟にココアを注文していました。
小さな窓の外に冬の午後の静かな街並が雨に洗われてくっきりと見えました。
お喋りなはずの私たちは黙って、濡れた舗道を見ていました。
今見てきたこと、聞いてきた言葉は全て、
人間の経験できる一番美しいもののように思えました。  
運ばれてきたココアは仄かに甘く、おっとりと温かく、
まるで夢の中の飲み物のようでした。

孤独な夜のココア、というタイトルの作品を思い出したのはずっと後のことでした・・・・・。
−2004.1.14−


はじめまして♪



ボク、マハです。
ハワイ生まれで本当の名前は真八郎(マハロ)といいます。
ボクのママはここではUTAっていうんだそうですね。
一度皆さんにご挨拶なさいってママが言うからやってきました。
ボクはウチベンケイだとママはいいますが、
自分では慎重な性格と思っています。
ボクんちには他に沢山仲間がいますが、
ボクが一番オトナだと思います。
つい最近ウチに来たラスカルくんなんか、
ボクよりでっかいけど、ポッカーンとしてて、
すぐボクにシッポを踏まれてしまいます。
あとはウメキチくんという
すごーく大きな犬のおにいちゃんもいますが、
甘えん坊でいつもママのパソコンのそばを離れません。
それにひきかえ(こんな難しい言葉も知ってます!)
ボクは家中を仕切ってまわってるんです。
ベランダに来るスズメを追い払うのもボクの役目だし。
これからもママとボクをよろしくお願いするですよ、アローハッのマハロ♪

-2004.1.11-


目がつぶれる・・・

今朝のテレビで「・・・なことをすれば目がつぶれる」という表現が、問題になっていました。
もとは、縁起モノの海老を値切った主婦にむかって店員が言った
「ご祝儀モノを値切ったら目がつぶれまっせ」のひとことだったのですが、
子供連れだった主婦は「子供が怯えた」とテレビ局に投書してきたのです。
そこまで言わなくても、とも書いてきたようです。

目がつぶれる、指が曲がる、足が腫れる・・・・
そういう脅し方を、私たちは子供にも大人にもよくしてきました。

身体の不自由な人、障害を持った人には
不愉快にも差別的にもとれる物言いであるかもしれません。

でもなぁ・・・誰かが見ている、何かに顔向けならない、居心地が悪いという思いは大切なんじゃないかなぁ。

それと心意気。嗜める心意気やそれを甘受する懐の深さ。
そういうものも大切なんじゃないでしょうか?

大阪では買物の時、値切るというのはよくあることです。
でも、それにも田辺さんのおっしゃる人生の腕力が必要。
器量が要求されます。歌舞伎のかけ声と一緒。
タイミング、物言い、声の大小に留意しなければなりません。
自信がなければやらないこと。やがて自然にできるようになります。
それが腕力がついたということなんです。

若い主婦の子供が怯えたのは、母親が怯んだからですよ、きっと。
目がつぶれる、後生が悪い、という想いはとても大切なモノを含んでいるように私は思うのですが。
人生の、人間の、そこはかとないニュアンスを汲みとって見せてくれる
田辺作品をその若い主婦にお薦めしたくなりました♪

−2004・1・8−


あけましておめでとうございます♪

 

元旦の新聞、集英社の全面広告に田辺聖子さんの顔写真が!

この国の大人は本を読まなくなった、
だからコドモばかりの国になった、というコピーに田辺さんのサイン。

そう、日本の文化は確かに時代を遡り、
本を読むのは一握りの階層だった昔に戻ってしまったようです。

就学率は高く、文盲率は驚異的に低くなったにも拘らず、です。

本を読まない大人たちも、学校には行き、文字は読めるのに、
今日の食料を得ねば飢えて死ぬような危機が待ちうけているのではないのに。

この世の中には美しい言葉があり、心打つ物語があり、
それらを命賭けて差し出した先達がいたということを
誰にも教えてもらわなかった人たちが増えているのではないでしょうか?

人は醜く美しく、人生はかくも困難でまた救いに満ちたものであり、
生まれてきたことは汚濁にまみれることでもあり同時に高貴に輝くことでもあると、
文学は教えてくれます。

生きて出会う疑問や悩みの答えは書物の中に全て書かれていると私は信じています。
そして、田辺聖子さんの膨大な作品の中に必ず私もあなたもいるのです。
それが普遍というもの、芸術というものだと思います。

今年も、田辺聖子さんとともに、顔をあげて生きていきたいです。
愛しながら、笑いながら・・・・。
 
−2004・1・2−