人間嫌い

昭和47年作

田辺作品の中では暗い作品といってもいいかもしれない。
そこここに、笑える要素も人間のあっけらかんとした野放図も覗いてはいるが、
底から明るい話ではない。
しかし、読後感は悪くない。
何故なら、ヒロインも他の登場人物も決して言い訳をしない。
自分のしていること、置かれている位置、
扱われ方をよく知っている。
無意識ではない。
全て、それとわかってやっている。
わかっているなら、そんなことしなければいいのに。
誠にそのとおり。
どうせ、口先だけのチンピラに、
差しいれなんぞしてやっても無駄なことである。
おばはん、おおきに、等と言うのもその場限り。
実の息子とて薄情極まりない。
自分も他人の幸福を願ったりはしていない。
何が可愛いわけでもなく、何に憤るほどの熱もない。
人間なんぞ、嫌いである。
それなのに・・・。
主人公は少年院に入れられているチンピラに差しいれをしてやる。
別れた夫のもとに置いてきた息子の、同級生であるチンピラは
主人公の働く連れ込み宿に何度も相手を替えては
泊まりに来るようなヤツである。
障害事件を起こして鑑別所にいれられ、
面会にきてほしいと葉書をよこす。
主人公は会いに行く。そして、現金まで差しいれてやる。
人間など嫌いであるのに。
チンピラは何の挨拶もなしに、鑑別所を出て姿を消してしまう。
馬鹿なことなどしなければよかったのだ。
こうなることはわかっていたのに。
主人公は、馬鹿なことをしたと後悔しただろうか?
主人公の眉間に刻まれた皺は、後悔の故だろうか?
人間の範疇にいるものは、芯からの人間嫌いになれるはずがない。
この中年の、般若のような顔をしたひとりの女の中にも、
キリストはいると私は思う。
馬鹿なことはしないで生きる、という人間に
果たして聖なるものが見えるのだろうか?
愚や濁や悪の中に、人間の本質はある。勿論聖もそこにある。
そこにこそ、ある。
高い文学性に支えられた、
これもまた、清らかに美しい一品である。
蛇足だが、私は主人公がチンピラの働くスナックで
ホットケーキを食べる場面が印象的であったにもかかわらず
長い間オムライスだと勘違いしていた。
どちらにせよ、フォークやナイフをカチャカチャと皿に鳴らして
ひとり物食う人間の哀れが胸に迫るシーンではある。