子供のころの贅沢の記憶が、のちのちまで人間が生きる上の、

支えになるというのは、こういうことなのであろうか。

しかし私はこの頃、こう考えるようになった。

贅沢の記憶なのではない。

愛されたという、自信の記憶ではないか、と。

そんなにまでしてくれたという、オトナたちの愛を、

人間は大きくなっても心の支えにしているのではないだろうか。

子供の時に味わった公開や苦悩や挫折感などは、

オトナになってからの人生航路のある種の道しるべになるが

「愛された記憶」は、人を支える。

(私はこんなに愛されたのだ)

という記憶が、のちに人を救う。



(「星を撒く」より)