三月


忘れる、ということ



母の物忘れが顕著になってきました。


所謂認知症ではないのですが(月一度は約二時間、一人で電車でやってきますから)

何度も何度も同じことを話し、何度も何度も同じ質問をします。

耳も遠いので、答えるほうは結構疲れます。

私の夫が優しい言葉をかけてくれても、聞こえていないのは哀しいし

補聴器を買うこともすっかり忘れています。

忘れないようにとノートに書いても、それを見ることを忘れるのです。


「○○さん(夫の名前)は、元気でお勤めしてはる?」

と、何度も聞くのでノートに質問とその答を書いておきました。

今度同じことを尋ねたら、これを見せようと思ったのです。

そうすればさっき尋ねたということを思い出すかも、と。

尋ねたいことがあればまずノートを見るかも、と。


でも、五分後に同じことを尋ねられた時

私は「うん、元気よ」と同じことを答えていました。


もう、いいかなあ、と思うんですよ。

物忘れを反省したり認識させたり、しなくても。


何度も同じことを伝えて、そのたびに初めて聞いたように

「それは、よかった」

と、答える母は何度も何度も安堵しているではないか・・・・。


朝、母の苦手なヨーグルトに手作りの苺ジャムをかけて出すと

「これはおいしいわ」

と、喜んで食べてくれました。

翌朝、同じものを出すと、また、

「これおいしいねー」

と、初めて食べた、という顔です。


これでいいのかも、と思います。

何度も何度も同じことを尋ねられれば

その度に私は何度でも同じことを伝えよう、と思います。


あの、しっかり者の母が、とは思いますが

あの母は今この母になっていて、どちらも私の大切な母です。

苛立つ私の気持ちの底には、

まだまだ母に愛されたい、庇護されていたいという気持ちがあります。

甘えるのは、そろそろこのあたりで切り上げて、

私は母の今始まった新しい世界につきあっていくことにします。

何度も、何度も新しい幕の開く、何事も仄かで、何事も留まらず

それでいて、確かに豊かなその世界に。

2006.3.13