2006.12






 

バターケース

あってもなくてもいいもの、に心惹かれます。

ランチョンマット、小説、メモホルダー、詩、コーヒーフィルター容器、

シュガーポット、エッグスタンド、そしてバターケース。



ガラスのバターケースが壊れてしまいました。

入院中に冷蔵庫の中から出されて、テーブルの上に置かれているうちに

誰かが落としたのでしょう、半分に割れてしまいました。

まだ退院が許されず外泊で帰宅していた時には

誰も怪我がなくてよかった、バターを切ってケースに入れるなどという暮らしは

とても望めないので、冷蔵庫の中にあってもジャマになるだけと思いました。

退院して一年と少し、やっと紙の箱から出すバターに違和感を持つようになりました。

今度買う時は壊れないのにしようか、とも思い

それでも毎日の買い物でついつい忘れてしまって、無くても困らない、のでした。

友達にちょっとしたプレゼントをしたくて入った雑貨屋さんで

このバターケースが目に飛び込んできました。



木の蓋、四角だけれど角の丸い可愛い形、大きくなくて、どっしりしてて。

無くても全然困らなかったけれど、あると冷蔵庫を開ける度にホッとします。

バターの香りがあそこで守られていると。



今度は壊れないものを買おうと思っていたのに、

手にとったのはやはり落とせば壊れるものでした。

落とせば壊れる、だから、落とさないようにしましょう。

壊れることを恐れて好きなのに諦めることはしないで来た私です。

あってもなくてもいいもの、それだけに魅かれて生きているようにも思うのです。



−2006.12.13−




天知る地知る・・・

年末になると、子供の頃のことをよく思い出します。

クリスマスがあるせいでもあるのでしょうが

年末の行事は家族の暮らしと密接に繋がっているからかもしれません。

私は背の高い子供 でとても痩せていました。

少しでもふっくら見せようという親心からか、

ある冬、私は太い糸で編んだ流行のバルキーセーターなるものを着せられました。

赤地に灰色と白で雪の結晶が編みこまれているものでした。

それに母が木彫りの楕円形のペンダントを合わせて買ってくれました。

生成り色で大きくて、花の紋章のような透かし彫りが刻んでありました。

師走の買い物にウキウキとその格好で出かけて帰宅した時

ペンダントは見事に鎖だけになっていたのです。

叱られると思った私は、慌てて鎖を首から外して、知らんふりをしていました。



共働きで師走は特に忙しかった母は何も気づきませんでした。

もうその頃は身体を壊して寝たり起きたりだった祖母が

年末のある日、ポツンと言いました。

「なあ、悪いことしたらあかんで。

昔の人はよう言うたもんや。

天知る、地知る、我が身知る、てなぁ」

祖母が何を知っていたわけでもなく

ただ何気ない呟きだったのでしょうが

私は冷や汗が流れる思いでした。



我が身知る、というのが、とても怖かったのです。

天も地も、自分の外のことだけれど

内側にある目は、ごまかしようがないだけに

とてもとても恐ろしい厳格なものでした。



私は母にペンダントを見せました。

買ったばかりだったので叱られるかと思いきや

「あららら」と母はびっくりし

父は「ここの接着剤がええかげんやったんや、

もっとちゃんとひっつけなあかんがな」

と商品に怒るばかりで

私は全然叱られませんでした。



天が知っている

地も見ていた 何より私が何をしたか私が知っている



思えばこれは

その年が明けた三月に亡くなった祖母から受け取った

私の一生を貫く規範でした。



自分が何をしているか

それを見て見ぬふりはできない、自分だけは。



冬の良く晴れた空の下

ジングルベルが流れてくると

私はちょっと胸に手をあててしまうのです。


2006.12.5