2005.5


私へ



−2005.5.25−


西日の強い部屋

病室を移ってから、もう四十日がすぎました。
この病棟で一番いい個室だそうですが、西日が強いのです。
その前の三ヶ月はもう少し狭い個室でした。
窓の下は病院の玄関の駐車場で
その向こうには児童公園、銭湯もありました。
西日の強いこの部屋からは、宗教団体のシンボルタワーと
密集した建売住宅、それから中学校がみえます。
午後になると野球部の練習の声も聞こえます。
犬が鳴きます。

私はこの部屋をまだまだ出られそうにありません。
日頃は正面から受けたことのない強い西日を受けて
私は何かを学ばされているのでしょうか?

神サンの気まぐれ・・・田辺聖子さんの「田辺写真館の見た昭和」
昭和二十年六月一日の大阪大空襲で
田辺写真館は焼け落ちます。
その時は無事だった家族も、すぐに大黒柱の父親が欠けます。
・・・神サンの気まぐれ。

西日が強い、です。
けれど、それは明かりには違いありません。
−2005.5.19−


松葉杖

今、私は左足の大腿骨骨折で、松葉杖をついています。
荷物がある時、入浴にはまだ車椅子が必要ですが、
移動はもう殆ど松葉杖でできるようになりました。
コツコツと杖が廊下を叩く音は、
実は私には懐かしい音なのです。

私の祖父は、第一次大戦の傷痍軍人でした。
左足だったか、右足だったか、記憶が定かでないのですが、
祖父はどちらかを戦場で失っていました。
定かでないのは殆ど義足を使っていたからですが、松葉杖も使っていました。
祖父は地方の傷痍軍人会の会長を務め、国会に陳情にでかけたある時
国会議事堂の階段で転び、それから体調を崩しました。

コツコツと廊下を歩く祖父の松葉杖の音を
病弱な孫の私は寝床の中でよく聞きました。
規則正しく、硬く、何となく確信に満ちたその音を
私はいつも「おじいちゃんだ」と心楽しく聞いていました。
おじいちゃんは、わがままで人見知りの激しい初孫の私を
「ココ」と呼んで、目も鼻もなく可愛がってくれました。
松葉杖の音は、こよない味方が歩み寄ってきてくれる音なのでした。

コツコツと、今、自分の足音を聞いていると、C級戦犯として
公職を追放され、それでも懸命に傷痍軍人のために働き続けた
祖父の胸の裡に思いを馳せざるをえません。

祖父は私が三年生の六月四日、腹膜炎のために亡くなりました。
永年の友人で選挙の時には祖父が応援演説に駆けつけた代議士さんから
長い弔電がきました。
その人の名は清瀬一郎。極東裁判でA級戦犯の弁護を勤めた弁護士さんでした。
大変にハンサムな、寡黙な人であったと、子供心にも覚えています。

コツコツコツ、と松葉杖の音は、今も私のこよない味方の音に違いありません。

−2005.5.8−