卒園式

寒いような暖かいような季節、哀しいような嬉しいような

フシギな気分の中で、幼稚園を巣立っていく子供たち。

今の子供たちはやっぱり先生とのお別れが哀しくて泣くのでしょうか?

もう何十年も昔、私も涙をいっぱい溜めて、担任の先生に抱かれていました。

先生のほうがポロポロと涙を流して・・・。

私だって悲しかったのです、とても。

仲良し三人組の他の二人の机の上には、新しいクレパスが置かれていました。

彼女たちは皆勤賞を貰ったのです。

私は・・・貰えませんでした。

身体が弱くて沢山お休みしました。

でも、まさか卒園式に皆勤賞などというものが

用意されていたとは知りませんでした。

ほしかったんです、私、そのクレパスが。

私は貰えないとわかるとたちまち涙が湧いてきました。

素早くそれをみつけた先生が泣きながら私を抱きしめてくださいました。

「また遊びにきてね・・・・」

私は何もいわず、涙をためて、やがて、大声で泣き出しました。

貰い泣きする父兄や子供たち・・・・

ももぐみの卒園式は感動の涙で締めくくられました。

母は、帰り道で黙ってクレパスを買ってくれました。

いや、親ってたいしたもんです。

この季節になると、あんまり好きじゃなかった先生に抱かれて

ちょっと困りながら、心の中でクレパスほしーーいって泣いていた私を

思い出さずにはいられないのです。

−2005.3.25−


春のお菓子

私は小さい頃、極端な偏食でチーズと干した姫貝と煎りゴマ以外は

食べさせるのがとってもタイヘンだったそうです。

自分でも炊きたてのご飯の匂いが嫌いで、食事時になると憂鬱だった記憶があります。

甘いお菓子もチョコレートも大嫌い。

それなのに何故かシュークリームだけは大好きだったんです。

いただきもののシュークリームを十二個食べてケロリとしていたこともあります。

春になると何となく焼いてみたくなるのもシュークリームです。

普通のバニラ味のカスタードクリームが好きです。

シュー皮も今はやりのパリパリに固いパイみたいなのより、昔ながらのが好きです。

春はカスタードが食べたくなるのか、

もうひとついつも春に作るのが「トライフル」です。

これは残り物のスポンジケーキやクッキーを使って作る

イギリスのお菓子らしいのですが、

私はいつもトライフルのためにスポンジを焼きます。

市販のものを使ってもいいですね。

スポンジ、カスタード、果物、ホイップした生クリーム、

スポンジ、カスタード、果物・・・の順に重ねて冷蔵庫で冷やします。

それをさっくりとでっかいスプーンですくって器にとりわけていただきます。

あんまり綺麗に飾りつけないほうが、私は好きです。

苺やオレンジやキーウィや・・・果物は綺麗な色のものを選びますが、

一度フレッシュブルーベリーだけで作ったのもなかなか評判がよかったですよ。

春は愛らしいお菓子が似合いますね。

桜餅も大好き。関東風は長命寺系桜餅、関西風が道明寺系桜餅。

クレープに巻いてあるのが関東風、

お餅なのが関西風で、私は関西風が好き。

京都嵐山の琴きき茶屋、

渡月橋を渡ってすぐのお店の桜餅はピンク色ではありません。

餡が入らず白いお餅に甘い味がついているのと、

桜で包んでいない漉し餡まぶしのと二種類あります。

.........

三個ずつで千円。

おいしいけど、何だかいつも高いなーと思ってしまう私は

やっぱり大阪のおばちゃんですね♪

−2005.3.18−


かわいそう・・・?

私が事故にあったのは、隣のひとり暮らしのおばあさんの

お見舞いに行っての帰りでした。

雀のあしあとにも何度か書いたことがありますが

八十になって二度も骨折なさって

不自由なお暮らしぶりに私は同情していました。

せめて入院や退院という時にはお手伝いを、と思っていました。

それは決して間違った行為ではなかったと思います。

おばあさんのこれまでの人生についての話も細かく伺って

何という「かわいそうな」人生であったろうと同情していました。

だから、私にできる範囲でとお手伝いし始めたのですが、

それは相手にとってはどうだったでしょうか。

とても喜んでくださって、それはそれは感謝していただいて、

そして私は彼女の生活にとって無くてはならない「もの」になりました。

それは私が大怪我をしても、決して彼女の中で変換はできないのでした。

かわいそう、と思う心に上から見下ろしたというほど強くはなくても、

彼女を弱いものと見做す気持ちは確かに私にはありました。

私が大怪我をしても、彼女は一度見做された「弱者」としての位置から

動くことはできませんでした。

年齢的なことが多分にあると思いますし、性格的なこともあるとは思います。

人が人をかわいそうと思うのは、ある意味傲慢なことで、そのしっぺがえしを

私は受けているのかもしれません。

おばあさんのこれまでの人生も、もしかしたら、かわいそうなどではなく、

ひとり暮らしだからといって何かお手伝いなどと思うのは

余計なことだったかもしれません。

最初に手助けを申し出たのは、確かに私のほうからでした。

その時も、彼女は「お気の毒」ではなかったのかもしれません。

私などが手を出さなくても、何とかどうにか、なっていたのかもしれないのです。

かわいそう、とは、難しいことですね。

でも。

私はこれからも、誰かを「お気の毒」と思ってしまい、

「私にできる範囲で」手を出してしまうと思います。

その結果、相手に大きな期待を抱かせ、

人間技ではない何かを求められてしまうとしても・・・・。

−2005.3.14−


生まれること

子供たちが一つずつ年を重ねる1月の末、私は病院でした。

生まれて初めて、息子たちは母親のいない誕生日を迎えましたが、

何だかお互いにプレゼント交換はしたみたいです。

母親はしみじみベッドで二人が生まれた日のことを思い出していました。

一週間を超える入院は、出産以来の経験でしたから。


長男と次男は五年の開きはありますが同じ1月の2日違いで生まれてきました。

ひとり息子と長女の初めての子供として生まれてきた長男は、

それはもう、大騒動で迎えられました。

舅は初孫をひと目見るなり「神々しい赤ちゃんや」と。

微弱陣痛で吸引分娩だった長男はお内裏さまのように色白で

喘息性の気管支炎で小児科に通いづめで大きくなりました。

三年目に授かった子はどういうわけか流産してしまい、

その時ドクターに次の妊娠の可能性が少ないことをいわれました。

それから一年、妊娠を告げられて私は診察室で嬉し泣きしてしまいました。

次男は分娩室に入って二十分で産まれ、まっ赤な顔で大声で泣いて、

体重は三千九百グラムもありました。

初めて次男を抱いたのは五歳のお兄ちゃんでした。

次男は病気知らず、度胸満点、

競争大好き、キティちゃんそっくりの育てやすい子でした。

子供を授かったことが嬉しくてありがたくて、

ふたりの息子を私は抱きしめて抱きしめて育てました。

今、息子たちは病室から出ていく前に必ず私をハグします。


生まれてくること、それは生まれてきてくれることです。

この子たちにめぐり合えた不思議と幸福を思います。

−2005.3.13−


春の食卓

料理ができないことが、かなり、淋しいので

私の春の食卓をちょっと思い出してみました。


もう「かますご」は出ていますか?  

素焼きにして三杯酢につけておくのが我が家の食べ方です。

焼き立ての熱いところをジュッ、ジュッとつけていきます。

瀬戸内育ちの夫も私も、小さい頃から親しんできた味、

私の幼い頃は赤穂の親戚から

ボイルしたばかりのが大量に届いたものでした。

それから、菜の花。色よくゆがいて辛子醤油で和えます。

てんぷらも好き。

きぬさやも、春が一番おいしいですね。

大量に買って、せっせとスジをとり、

こまぎれ牛肉に薄く片栗粉をまぶしたのと一緒に炒めます。

味付けは塩コショウにオイスターソースで。

ほんの少しお砂糖を隠し味に入れるのがコツ。

どういうわけか、春になると作りたくなるのが、スペイン風オムレツ。

ジャガイモや人参や玉ねぎをたっぷりいれて、フライパン一杯に焼き上げます。

途中で別のフライパンにペコンと裏返してもう一回焼くのが私流。

それから、土筆。

野遊びのついでに摘んできたのを、

はかまをとってよく洗い、バター炒めにします。

これは父の大好物で、

春の土の香りを部屋一杯に家中ではかまとりをしました。

佃煮も母が甘味を利かせてよく作ってくれました。

お茶漬けにもおにぎりの中身にも

とてもおいしくて、子供の頃から大好きでした。

私の家族にはイマイチ不評でも、私には貴重な春の味です。

春のお魚は鯛。お刺身の他には、素焼きにして、鯛飯を作ります。

土鍋に昆布を敷いて、

炊き込みご飯と同じ水加減味加減のお米を用意し、

焼いた鯛を載せて炊き上げます。

きざみ生姜や木の芽などを炊き上がりに加えて、

鯛の身をほぐしご飯と混ぜていただきます。

子供が小さくて骨が心配な頃は、切り身で作ってました。

これから私たちも目が悪くなるので切り身がいいでしょうか。

でも、土鍋の蓋をとって食卓で鯛の身をほぐすのは、

春の贅沢という感じがして捨てがたいです。

わけぎと貝類の辛子酢味噌和え、蕗の葉の佃煮・・・

私の春の食卓が静かに通り過ぎていきます・・・。

−2005.3.9−


世界

世界って何だろ、と考えます。

国連や自然保護団体や平和団体や、そういう人たちに説かれる世界ではなく

この私が住む私の世界のことを。

怪我をするまで私の住んでいた世界は、沢山の世界と交差する世界

閉じられてはいない、何かに繋がっている世界でした。

繋がっているから、開かれているから、

私の世界は外からの光や風の影響を絶え間なく受けてきました。

今、私のいる世界は、しっかりと閉ざされています。

窓はあってもガラスが嵌っていて、

本物の風や光を正面から受けることはできません。  

今はそれを受けないで、私はこの閉じられた世界で

回復していかなければならないのです。

閉じているのには訳があって、今私は開かれた世界に

うまく適応していくことができません。


もっと簡単にいえば、私は怪我の前にしていた大半のことをしなくてもよくなっています。

そのかわり、イヤでも自分の身体に向き合わされて、

その不備の具合を知らされ、回復するための努力を要求されています。

社会的な役割からは殆ど降りて、ただ自分の肉体のみに向き合う暮らしです。

私の世界は今、とてもシンプルです。

周囲は好意と善意に満ちていて、思いやりや優しさに囲まれています。

私は前向きに、ひとつひとつ積み上げて、挫けず、

感謝とともに生きていくべきなのです。

これは・・・・人間的な暮らしでは、実は、ないのですね。

私は今、アナザーワールドにいるのでしょうか。

私は今、人生の余白にいるのでしょうか。


今朝、ロビーでそんなことを考えていると、病院の庭の小さな梅の木が

ほんのお愛想ほどの花をポツポツとつけているのが見えました。

それを見ていると、 私がいるところは、それがどこであろうと、

みんな私の世界、アナザーでも余白でもない、

リアルな真っ只中の私の人生、不遜にも私はそう思うのでした。



−2005.3.6−


兆し

少しずつ、少しずつ身体が元に戻りつつあるのが自分でもわかります。

まず、朝一番にコーヒーが飲みたいと思うようになりました。

自動販売機のではなく、インスタントですが

一杯ずつ自分で淹れて飲んでます。

そろそろレギュラーが欲しくなってきました。

テレビドラマが二時間、見られるようになりました。

パックをしなくちゃ、と思います。

鏡の汚れが気になったり、眉の手入れがしたくなったり。


ほんとにつまらないことから、少しずつ人間は回復していくのですね。

自分にとっては当たり前の、

省みることもなかった些細な生活習慣を手がかりに

人間は元へ戻ろうとするのですね。

私は、以前の暮らしをまた同じ質で

手に入れられるかどうか、それはわかりません。

でも、身体は懸命に「元に」戻ろうとしています。

がんばれ、私。


窓の外は明るい三月の空、春が兆しています。 

−2005.3.2−