2005.2

リハビリテーション

今、私の入院生活のメインはリハビリです。
二十日間ギブスの中に閉じ込められていた左足の膝関節はカチンコチンで、 
五十度くらいしか曲がりません。
ワープロを打つのに腰掛けているベッドは、
足を垂らすと床から10センチくらい離れています。
その状態で左足をブラブラさせるのはとても苦痛なんです。
膝が痛みます。
これが百二十度くらいになればエクセレントだそうです。
最低でも九十度にならなくては日常生活が不自由になります。
今までのリハビリと違って、硬い関節を柔らかくするのですから、痛いです。
リハビリの先生は大きな身体で色白眼鏡で、
お名前は豚マン屋さんとおんなじです。
三十二、三才ですが、何が感心するといって、
その言葉遣い、乱れることがありません。
これは訓練で身についたものではなく、お育ちがいいのだろうと思います。
お金持ちのボンボンというのではなく、
きっといいご家族にいい教育をされてきた人なんだなと思わせられます。
痛いリハビリの時は、痛い部分に患者の神経がいかないように
、先生は楽しい話をしてくださいます。
先生はハンガリーに二年間
海外青年協力隊の一員として参加してらっしゃいました。
ハンガリーの世界遺産の話から、
ハンガリーの物価、医療従事者の社会的地位の話、
鍾乳洞で不法出国者と間違えられた話、
かと思えば、阪神百貨店の日本一おいしいメロンパンの話、
先生の大きな身体の中にはおもしろい話がいっぱい詰まっています。
JICAの話も海外青年協力隊の話も、
私には初めて聞くことばかりで、
若い人たちは何と気軽に世
界に飛び出していくことだろうと感心してしまいました。
暗く重くなりがちなリハビリの時間が
私には楽しみな時間になりました。

ジャンヌダルクを火刑にしたことをローマ法王が謝り、
ジャンヌが聖女として復権したことも
「ジャンヌダルクのリハビリテーション」というのだそうです。
当然の権利を再び取り戻すこと、
それをしているのだと先生は穏やかに言われました。
私は時々先生が、誰かが私のために面白い話を
いっぱいつめて送り込んでくれた、
綿菓子の妖精のように思えてしまいます。

−2005.2.22−


「大怪我です」

1月24日、交通事故に遭いました。
自転車の後方をバスに引っ掛けられるというとんでもない事故で
左足の大腿部の骨を折ってしまいました。  
救急車で運ばれた病院の措置室で、穿いていたGパンを鋏で切り開かれ
絶叫するような痛みを伴うレントゲン撮影の後、
担当のドクターはレントゲン写真を私にも見せてくださり、
説明があって、まだ事態の呑み込めない夫に、 毅然とおっしゃいました。
「大怪我です」
それは何より私の胸に響きました。
人生で初めて、他人の言葉に粛然としたといったら笑われるでしょうか。
ドクターの言葉には毅然としたプロの決意があり、
微塵も曖昧な色合いはありませんでした。
単に夫に状況を告げるというのではなく、
だから、闘わねばならない、という凛然とした宣告がありました。
ここから、私は頭を切り替えて、この戦いに挑む決意ができました。
ドクターの声には、それほどの説得力があり、
万全の信頼をおける根本的な何かを私は受け取りました。
それから2リットルの消毒液を太い注射器に入れて、
傷口を洗う作業が行われました。これは麻酔は使いません。
骨が外に飛び出る骨折でしたから、
黴菌が入ると骨髄炎を起こすのです。
がんばって、とドクターは声をかけてくださり、
私も、先生もがんばってください、と言いました。
痛いですか、と何度も尋ねてくださり、
痛いけど、がんばります、と私は答えました。
大変なことになってしまった、どうなるのだろう、
という不安や後悔や曖昧な楽観や悲観はもう飛び散っていました。
今、ここにある、プロの仕事に協力しよう、と思いました。

それから後も辛いこと、痛いことは続きましたが、
私はこの時の「大怪我です」の一言に支えられてがんばってきました。
何よりドクターが、患者の私に向かって、 懇切丁寧に説明してくださり、
励ましていただく姿勢が、私を安心させました。
生き方はいつも、人の胸の底にしっかりと存在して、
何か事が起きたときにそれは隠しようもなく現れてくるのだと思います。
私はこんな事故に遭ったにも関わらず、大変ラッキーでした。
本物のドクターに出会いました。
プロに治療を受けているのだという安心感と、
人が人を助けるとはどういうことかをつぶさに見る毎日を得ました。
私は生涯、あの部屋に響いた「大怪我です」の言葉を忘れることはないでしょう。

−2005.2.16−

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