Yちゃんへ

それはないわ、Yちゃん。
死んだらあかんわ。
そんなんずるいわ。
手が出せへんやんか。

あんたとは一生戦っていくつもりでおったんやで、私。
あんたの人生観と私のそれとは相容れへんトコばっかりで
それでもどこか無視できひんトコがあったやんか。
挫折した優等生のあんたを、かなんなぁ、こいつと思いながらも
私は年賀状を出した。
何十年ぶりかの同窓会で再会した一昨年のことや。
あんたから年賀状は来なかったよなあ。
それ以来私も年賀状出さへなんだよ、ああ、怒ってたよ。
ちょっと軽蔑もしてたし、情けなかった。
あんなに朗らかで優秀やったあんたが、
ぼんやり遠くを眺めて、
なーーんにもしたいことなんかない、って言うたよね、
コップ酒一気にあおりながら。

それから、私を見て「あんたはええなぁ」って、
ちっとも羨ましそうではなく言うたよね。
どうせ私はあんたに比べたらアホやからね、
何も悟ることなんかできひんかったよ。

けどなぁ、それはないやろ。
死ぬなよなぁ。

何のための人生やった?
誰のために生きた?
親のいうなりやった、私には何もないって、
それがあんたの結論になってしもたやないの。
ここで死んだら高い能力も真面目さも、
ちっともあんたを救わなかったということが結論になる。
そんなこと言い捨てて死ぬなんて、私は許さへんからね。
尊敬してたって私は言うたし、一番会いたい友達やった、
これからも会おうねって私は言うたよね。
ありがとう、そうやね、 とあんたは他人事みたいに無表情やった。
私にそんな顔残したまま死ぬなんて、それはない。
それはないやろ、Yちゃん。

私と同じ名前やのに、大好きやったのに・・・・。

−2004.8.30−


高校時代

殆ど記憶がありません。

友達の名前も三人くらいしか思い出せません。そりゃずいぶん昔のことですが、中学や小学校、

大学のことはちゃんと憶えているんですけど・・・・。

オリンピックがあって、ちょうど修学旅行の時でした。
  
先生と生徒が恋愛して結婚しましたが、

先生はバツサンで、お相手は全員生徒でした。

進学校でしたが上から二番目の高校で東大を受ける人はいませんでした。

これで、全部です、カナシイ・・・。

驚いたことに、私、好きな男の子もいなかったんです、三年間。

松本清張が、というかその作品が好きで、それさえあれば満足の日々でした。

なりたいものもなく、誰かを特別好きだったわけでもなく、嫌いだったわけでもなく、

清張以外は何にも熱中せず、ぼーーっと暮らしていたのでしょう。

だって、記憶がないんだもん。

その高校の三年の時のクラス会がもうすぐあります。

私は女子四年制大学進学クラスというクラスで、

女の子ばっかり六十人もいたそうですが・・・

それもみーーんなクラス会通知葉書で知ったことです。

そうだったんだ、共学の高校だったのに三年の時は女子クラスだったんだ。

それにしても、私よ。

何故四年制大学進学クラスにいて、短大しか受けなかったの?

そのココロは? 挫折か?

憶えてなーーい、ほんとに、ほんとに、記憶がなーーい♪

−2004.8.25−


こども

私には息子が二人います。もう大きいです。すごく。 

今からウン十年前、まだ不妊治療も今ほどではなかった頃、

仲良しの友達夫婦に子供ができませんでした。

何組かの仲のいい家族と子供づれで遊びに行くことが多く、

友達は私んちの次男をとても可愛がってくれました。

遠慮のない友人が、そんな時彼女に尋ねました。

「検査はしたの?」って。

その時彼女は言いました。

「もし、検査してどちらかが決定的な欠陥を持ってたら、どうしたらいい?」

口ごもる私たちに彼女は続けて

「私は彼と一緒にいたい。

お互い、どうして子供ができないのかしらねって笑いながら一緒にいたいの。

どちらのせいなのか、そんなこと知りたくない」

彼女たちは今でも二人で仲良く暮らしています。

この夫婦の生き方に今なら批判があるかもしれない。

でも、子供を持つって結婚の決定的な要素ではないと思うのです。


とはいえ、子供が欲しくて医学的な治療を受けている人たちをバカにするつもりは全くありません。

欲しいもののために懸命の努力をするのは美しいことだと思います。

でも、どうしても子供を持つことのできない人たちに

私は友人の言った言葉を聞かせたいと思ってしまうのです。

持つものは持たないものの気持ちはわからない。

持たないものに持つものの気持ちはわからない。

ほんとに、そこで口を閉ざしてしまっていいのでしょうか。

持つもの、持たないものと線を引いたのは、

それはもう、ずっと昔の誰かの策略ではなかったのでしょうか?


背が低い、背が高い、その程度の違いと受け取りたいと思うのは、

ノーテンキの謗りを免れないのでしょうか・・・・・

−2004.8.20−


真夏旅行



海女さんが鳴らす口笛を磯笛といいます。

潜水から浮上して急激な呼気を避けるため、

口笛でゆーーっくり息を吐き出して肺への負担を減らすのだそうです。

海面を渡る細く鋭い磯笛は、キャリアウーマンの歌のように私には聞こえました。

また、海から船に上がった時、白い衣装はどうしても透けるのでしょう、

先にあがった同僚がすばやくバスタオルを巻いてあげる姿がとても印象的でした。

本来なら衆人環視の中で行われることのない作業なんだと、

海に生きてきた女の人たちの強さを思いました。


帰ってくると遠くアテネで、谷亮子さんが金メダルを獲得。

よかったなー、りょうこぉーと観客席から叫ぶ夫の谷佳知選手を見ていると、

夫婦連れで海に出ていたという昔の海女さんを連想しました。

夫が持っていてくれる命綱を頼りに海中でがんばる妻。

谷夫妻にも見えない命綱があったことでしょう。

私は、働く女の人が好きです。

そして、それを支える男の人は男のなかの男だと思います・・・・。

−2004.8.15−


リネンウォーター



のんびりこさんちで教えて貰ったリネンウォーターです。

但しネットで買ったのでメーカーは違いますが。

私の周囲の人は誰もその存在すら知らなかった、

アイロン用の香料、といってもごく微かな香りですが。

これをスプレーしてアイロンをかけるのです♪

のんびりこさんちに行くと、いつも、自分が見過ごしてきたこと、

忘れていたことに出会います。

さてさて、まだ未使用ですが、どーーんな香りなのか、ほんとに楽しみ♪

豊かってこういうことだと思います。

ちなみに、向かって左がラベンダー、右がレモンバーベナです。

−2004.8.10−


大人の幸福

  

出会ってからウン十年になる友達がいます。
お互いに、ほんの少女の頃から結婚、出産、子育てを経て
その間に二人とも仕事を持って、エールを送りながらやってきました。

今、その素晴らしい仕事で名前が知られるようになった彼女は、
とても多忙な日々を送っています。
それでも暇を縫ってはパリやニュージランドやと旅に出ては
きれいな絵葉書やかわいいおみやげを送ってくれます。

ご夫君がワイン通で、昔から私も猫に小判のお相伴にあずかっていました。
ところが、最近私の若い友人のご夫君も大変なワインマニアであることがわかり、
我が家も含めて三夫婦で集まってワインを飲もうという企画がもちあがりました。
京都に住む彼女の家でご夫君の手料理とともに
お互い自慢のワインを披露しあうという夢のような企画です。
我が家はただニコニコと参加するだけ。今回はその二回目。

フランスから持ち帰ってこられたばかりのワインは、まさに滋味。
かたや若い友人のご夫君ご持参のワインは馥郁たる香り。
どちらもブルゴーニュの赤で、
こんなワインを知ってしまったのはある意味不幸といえるほど素晴らしいものでした。
お料理は珍しいフランスの茸と鶏肉のクリーム煮にパスタ、
サラミソーセージ、サラダ、そして何種ものチーズ。

私はいつも果物を持参し、若い友人はお花と決まっています。
ワインも料理も素晴らしいのですが、みんながお喋り上手で、それが楽しいのです。
延々と数時間、話題は途切れることなく、
お名残惜しいですが、次は秋、と散会になりました。

さて、一夜あけて、みんな大人の顔で
それぞれの職場にそれなりの顔で立っていることでしょう。
おいしいね、楽しいね、と笑いあった時間が
その大人の顔を支えていてくれるのです。

今日は長崎原爆忌。

こんな時間を持つことなく殺されてしまった沢山の人に、
私は頭を垂れ、安らかに、そして、ありがとうと告げたいです。
大人になってよかった、大人になるまで生きていられて、
一緒に大人になれた友人がいて、よかったと心から思うのです・・・・。

−2004.8.9−




ベランダに出ると、遠くに虹の根っこが見えました。 

左手の山は生駒山です。

マンションばかりの味気ない風景ですが、時々こんなプレゼントがあります。

太い根っこですね。

きっと沢山の幸福が降りてきたのでしょう。


昔、恋人から手紙が来なくて哀しかった時、

空を見上げると完璧な虹がかかっていました。

咄嗟に私は「彼が幸福になりますように」と祈りました。

私の一番の願いは、手紙が来ますように、ではなかったことに、その時気がつきました。

虹を見るといつもその時の自分を思い出します。

あんなに人を好きだった私を羨ましく、そして、ちょっと誇りに思いながら。

−2004.8.3−


朝顔



昨年は朝顔が一輪も咲きませんでした。
夏の初めに知人に不幸があって、雨の多い気温の低い夏でした。
ベランダの鉢に芽を出した朝顔はツルばかり伸ばして
蕾はひとつもつけないまま秋になりました。

九月の末に、思い切ってこのページを立ち上げました。
ファンサイトというものはどうあるべきか、
自分なりに考え、お手本を見て
えい、やっ、と踏み切りました。

タイミング悪く夫や私に次々心労が降りかかり、
立ち上げる時期を間違えたかと焦りました。
でも、私は田辺聖子さんの作品が好き。
何よりその気持ちにひかれて続けることにしました。

そして、今年。
去年と同じベランダの鉢に大輪の朝顔が悠々と咲きました。
蕾も今年は沢山ついています。次々に開くでしょう。

アクセスが20000を越え、いいお友達が沢山できました。
ここもまた、幸福が溢れて形になった、そんなページにしたいです。

朝顔って、ほんとに何てステキなネーミングでしょう。

どんなに長い夜にもきっと朝は来る・・・その時に顔をあげて
私を見て、と朝顔は言っているようです・・・
−2004.8.2−


夏休み

八月になりました。
夏休み真っ最中の子どもたちを見ていると、
自分が子育てに夢中だった頃の八月の日々が思い出されます。

夏を子ども達と一緒に楽しもうというのが毎年の私の夏休みの課題でした。 
在宅ですが仕事をしていましたので、
子どもが家にいては邪魔になると思うことがとても嫌でした。
朝はラジオ体操を一緒にして、午前中子どもは勉強、私は家事。
お昼を済ませると子どもと一緒に自転車で市民プールに。
暖かいお蕎麦やおうどんをおやつに食べて帰ってくるとお昼寝。
夕方まで私は仕事。それからお買い物。
私も自由研究をしますし、工作の代わりに洋裁をします。
読書感想文は私も書きました。
自由研究は百円献立とかパンの作り方とか、そういうものが多かったですが。
そういえばきゅうりやトマトの栽培も自由研究でした。

子どもが少し大きくなって彼らなりの予定ができると、
私はちょっと実家の近くまで帰って幼年時代に住んだ家がどうなっているか、
その時遊んだ場所は今どうなってるか、などを写真に撮ってきたりしました。
何だかそういうことって「夏休み」にやりたくなるんですよね。

さて、今年は何をしましょうか?
このページを充実させることも私の夏休みの自由課題のひとつです。
最近アクセスが増えてきて、ちょっと責任も感じています。
夏休みの課題にここを訪れてくださる方もいらっしゃるでしょう。
よい夏休みにしましょうね。

もう、夏だからといって休まなくなっても、この季節、心のどこかに、
長い休暇の中にいるような気分が残っているのは私だけでしょうか?

−2004.8.1−