2004/7


中島らもさん

 

もう何年くらい前になるでしょうか。

らもさんはまだ吉川英治新人賞も貰っていらっしゃらなかった頃です。

ただ、関西のテレビには出てらしたように憶えています。

ある女性編集者が、溜息とともに「らもさんはステキ」とおっしゃったことがありました。

私は彼女と心斎橋を歩いていました。

彼女は女優さんのように綺麗で知的で、

スラリと背が高く、心斎橋の老舗の帽子屋さんで

ファンキーな帽子を買いました。

そして、ふと、「らもさんは・・・・」と呟いたのです。

それは心の奥からホロリと零れ出た本音、という感じがしました。

「恋人が、いらっしゃる・・」と彼女は付け足しました。

ほー、と私は答える言葉もなく、ただうなづいていました。

中島らもさんには、確かにそう言わせる「色気」がありました。


羅門光太郎という時代劇俳優からとったペンネームでしたが、

大阪では「私たちも」を「私らも」と言います。

その「らも」でもあるそうです。

才子でした。もっと作品を読みたかったです。

ご冥福を祈ります。


あの編集者はどこで誰と訃報を聞いたのか、

ひとりでなければいいが、と思います。

−2004.7.28−


ほんとに哀しいのは



人の心が自分から離れていくことは、確かに哀しいけれど

それが恋人であったりすれば、身を切られるように切ないけれど



ほんとに哀しいのは・・・・自分の心が人から離れていくこと。



あんなに楽しい時を過ごし、信頼し、愛し

同じ景色を美しいと言い合い、同じ本を読みあって

うなづきあって、手をとって・・・あんなに近しくいたのに。

自分の心の中に、もうその人の欠片すら見つけ出せない。



ほんとに哀しいのは・・・・

大切だったものをもう二度と大切とは思えない自分の移ろい。

愛されない自分よりも愛さない自分に出会った時。

−2004.7.22−


「徹子の部屋」に星野仙一さんが出演してらっしゃいました。
お母様と奥様を亡くされた話が中心でした。

お母様は阪神優勝の二日前に九十二才で、
奥様は名古屋ドーム完成の日の早暁、五十二才で亡くされています。
また、お父様は星野さんの生まれる二ヶ月前に亡くなったそうです。

女手ひとつで育てられた星野さんは、
お母様が亡くなられた話では笑いも出ていましたが、
白血病で七年間の闘病の末逝かれた奥様の話では
目に一杯の涙を溜めていらっしゃいました。
涙は零れそうで零れぬまま、やんちゃな闘将の左目に留まっていました。

母と死に別れることの覚悟はできていても、
妻に先立たれることの辛さは予想を超えたものだったのでしょう。

そして、星野仙一という男は、本当のフェミニストだと思いました。
彼は女としての妻の無念を真に理解していたと思います。
母親の死と妻の死を同時に語って、
妻の死に涙する男が日本に何人いるでしょう。
男は泣かない、だとか、 男の涙は女々しいだとか、 そういっている男たちに
星野さんの左目にしっかりと留まっていた涙を見せてやりたかったです。

早世は誠に残念ですが、星野仙一の妻であった女性は
女の幸福を味わいつくされたように思いました。

−2004.7.20−

朝食

朝ごはんって、なかなか融通が利かないと思われませんか?
  
外国旅行をすると、
それが一番実感できるのですが、
普段和朝食の母は随分辛いようです。
昼や夜は現地の食事で十分楽しんでいるのに、
朝はどうしてもお味噌汁とご飯と・・・と思うようですね。

それはあんまり年齢には関係ないようで
国内の朝食バイキングでも
普段和食の人は和食
洋食の人は洋食を選んでいるようです。
私も夫も洋食派なので、ホテルのコンチネンタルブレックファーストは大好き!

五年くらい前、山の上ホテルに泊まった時、遅い朝食で、
クロワッサンが一人前(二個)しか残っていなかったことがありました。
私が注文してしまうと後はもうバターロールかトーストしかありません。
私の後で隣の席の紳士もクロワッサンを注文なさいました。
品切れと告げられて残念そうに口ごもる紳士に
私は「一個ずつにしませんか?」と言ってみました。
朝ごはんって妥協できないところがあるからなぁ、と私も彼に同情したので。
彼は破顔一笑、「そうしていただけますか」と。

私とクロワッサンを分け合ったその紳士の息子さんは
今はとある政党の党首の席についていらっしゃいます。
彼の朝ごはんもクロワッサンでしょうか?
ちなみに現在の私はカロリーの点から、クロワッサンはもう食べませんが。

−2004.7.15−


膝痛

左の膝を痛めて約一ヶ月です。  
快方に向かってますが、まだ痛い!
原因は加齢による関節の変形ってよくあるヤツなんですが・・・。
靴が悪かったのかもと思ってます。いや、体重もね。

でも、ちょっとだけ、
身体の不自由な人の気持ちがわかりつつあります。
今はもうかなりよくなりましたが、
一時は杖か手押し車が必要なくらいでした。
それでも出かけなければならない用は沢山あって
電車にも乗ったし、人混みも歩きました。

電車で立っているのはとても辛いです。
やっぱり席は譲ってほしい。
でも、それが勝手な要求だという引け目もあるんですよ。
足が悪いのはこっちの事情だからね。

ひと目で足が不自由とわかる状態だった私に席を譲ってくれたり、
詰めてくれたり、エスカレーターや道で気遣いしてくれたのは、
断然、若い男の子でした。
最悪は五十、六十代のおじさん。
絶対、譲りませんし、
何の配慮もなく唯眺めるだけ。
眺めるといえば中年のおばさんは、じーーっと見ますね。
若い女の子に席を譲ってもらった経験は
今回だけでなく私は一度もありません。

そして、膝が痛いのよりも辛いのは、
健康な人と行動をともにするときに
相手の迷惑になるということですね。
相手もゆっくり歩かせてしまうのが、とても辛い。
身体の不自由さよりも、
社会的にそのことで負担をかけることが辛い。

どうしても開き直れない。
膝が悪いんだから、
と社会に何かを特別に要求していくことに抵抗がある。

電車で席を譲って、相手を助けたつもりになるのは、
あまりに考えが浅かったと思いました。
そのことで負担をかけているかもしれない。
さりげなく、速やかに、そして自分も痛みをもって・・・。

障害そのものよりも、
それを抱えて社会と対峙していかなければならないことのほうが
うんとタイヘンなのです。

今の社会は全き健康者のみが適応できるように
何もかもが作られているとしか思えません。

−2004.7.11−

たそがれ

たそがれは秋、だそうですが、
夏のたそがれもなかなかのもんです。

マンションの六階暮らしは空が近いです。
一日の仕事を終えて、さて、これから夕食の準備。
前にも書いた白ワインにブルーベリーシロップなんか入れた
我流亜流のカクテルで、夕空とカンパーイ!

好きな仕事とおいしい夕ごはん、少しのお酒。
そして、本棚には田辺聖子全集。

生きていくっていいことばっかりじゃないし
綺麗なものばっかり見て暮らすわけにはいかないけれど
カクテルを透かして見る空は宝石のようです。

私は沢山のものを与えられて生きているんだなぁと
気がつくたそがれ、静かで朗らかな夏のたそがれです。

−2004.7.8−


こんなの、いただきました♪



これ、右にクマちゃんがブランコに乗ってゆらゆら。

木の枝にはハッパが一枚、
そこにちっちゃな真珠が一粒ついてます。

私のことをよくご存知のあるグループからのいただきものです。

私はこんなかわいいものが大好きです。




このプレートにはブレスレット型の腕時計を入れて目の前の棚に置いています。

こんなの見つけたのはどなたかしら、とメンバーのお顔を思い浮かべて、ニコニコしてるところです。

こんなに自分の趣味にぴーーったりのモノいただくことは、そう何度もあるものではありません。

嬉しいので皆様にもお披露目。 何だか楽しい七月になりそうです♪

−2004.7.3−