遠州鉄道奥山線使用車両(未は未調査)

車両番号

改正後番号

形式

製造・配備年

廃車、転出年 自重

詳細

写真等リンク

1、蒸気機関車

1号 B1901 1 気賀開業時 昭和27年 6d 気賀開業時に浜松軽便鉄道により準備されたSL。製造は独コッペル。煙突の火の粉止めから煙突の先が広がる形状となり、「ラッキョ軽便」と呼ばれる。水タンクが台枠にある(?)「ボトムタンク式を採用」。B型。製造番号は、順番に6541、6544、6542  
2号 B1902  
3号 B1903  
4号 - 4 大正6年7月 昭和4年 7d 伊予鉄道より転入。頻繁に脱線するなどの欠陥があったため戦前に北海道の江当鉄道へ売却された。ホワイトへーブンローカー社製。  
5号 B1904 5 1922 奥山開業時 昭和28年 8.5d 奥山開通に伴い浜松鉄道により増備。1型と同じくラッキョ軽便と呼ばれる。標準的なサイドタンク式。製造はコッペル。B型。同型に天理軽便鉄道1,2,3、栃尾鉄道5、北勢軽便鉄道8,9,10がある。コッペル社製。  
6号 B1905 1923  
7号 - 7 製造年不明 5d 元11号。小型で非力だった。動輪と同型の従輪を追加し、軸配置はB1。  
8号 C1906 8 1911年製。昭和21年転入。 昭和39年 日本硫黄沼尻鉄道部C93型。日本硫黄より前は釜石製鉄所に所属していた。英バークレー社製。後にDC1901に改造。  
9号 C1907 9

1924年製。

もと国鉄松浦線ケ220型。C型。コッペル車製。元宇和島のケの220型ケ224。リンクは現在宇和島にあるレプリカ。製造番号は5826(?)  

11号

-

なし

製造年不明

7号へ改造

竣工図によると新居浜海兵隊より譲渡された日立製作所製B型SL。しかし、日本海軍に海兵隊は存在せず、一説には静浜海軍基地の車両であるとも。また、日立製作所にもこの機関車の製造記録がない。形態から協三工業製とも考えられるという(注)  

2、ガソリンカー

レカ1 レカ1 日車本店1926年製 昭和22年 9d 後のモハ1001〜1004によく似た側面に、正面はガソリンカーらしい2枚窓。機関はフォードA2型(30ps)2基。定員56人。昭和13年にキハ〜に改称。1,2は戦災廃車。  
レカ2
レカ3 モハ1003へ 「モハ1003の名義上の種車」とも記される事もあるが、前面改装と見ても不思議ではない。途中オハ51に改造か?
レカ4 レカ4 日車本店1930年製 昭和22年 レカ1型の増備車。乗務員室がないのが特徴。4は戦災廃車。エンジンはWaukesha社製(53ps)一基。
レカ5 モハ1004へ 事情はレカ3と同じでモハ1004の種車。途中オハ52に改造か?

3、ディーゼル機関車

DC1901

8号より改造

昭和39年

日本車両の協力で8号SL(C1906)より改造された。「遠州版蒙古の戦車」と呼ばれる事もあるが、動力逆転機は付いている。電車、軌道車化されていた奥山線では使用機会があまりなく、主に入れ換え用に使用されていた。廃線後、改軌の上西鹿島線での使用も考えられたが、他社との譲渡交渉のため計画は保留。結局交渉は決裂し解体された。  

4、気動車

キハ1801 キハ1801

昭和39年 ナニワ工機製。戦前のガソリンカーに良く似た形状です。この2両はさよなら運転にも使用され、譲渡されることなく生涯を終えました。書籍をめくると時々見られる解体作業中の写真が奥山線の終焉を象徴しているように感じます。
キハ1802

昭和39年
キハ1803 キハ1803

昭和29年

昭和39年 昭和29年汽車会社製。正面の大きな窓と特殊な台車が特徴。キハ1型より出力が低いといわれる。奥山線で使用されている写真は他の2形式に比べ少ない。廃線後、尾小屋鉄道に引き取られキハ3として活躍。この際にエンジンを強力なものに載せ変え、また連結器を自連から朝顔形へ交換した。市議会会派「新世紀浜松」より、里帰りが提案されているのはこの車両です。
キハ1804 キハ1804

昭和31年

昭和39年 近代的な前面2枚窓及びバス窓を持つ。廃線後早々に花巻電鉄から引き合いがあったため尾小屋鉄道から引き合いが来た時はすでに予約済みで、尾小屋は仕方なくキハ1803の方を持って行ったとか。花巻ではあまり使用されず花巻電鉄廃線時に解体されてしまいました。

5、電車

モハ1001 モハ1001

昭和25年

昭和39年

12d 昭和25年富士産業製の新製車。当初はモハ1,2を名乗った。電車はすべて途中750Vへ昇圧されている。全長9620_。定員は56名(着席定員22)。パンタグラフはPT13(?)型。
モハ1002
モハ1003 モハ1003 レカ3からオハ51を経て改造。当初2モーターであったが昭和26年に4モーターに改装されている。
モハ1004 レカ5からオハ52を経て改造。そのほかはモハ1003と同じである。

6、客車

浜松鉄道時代の番号 客車としての形式(製造時) 付随車としての形式 製造年 製造所 廃車年 定員 備考 参考リンク
ハ1 ハ1151 サハ1108 1914年 雨宮製作所 廃線時 50名 気賀開業時に導入された奥山線の主的存在です。サハ1108はさよなら運転にも使用されました。  
ハ2 ハ1152 サハ1109
ハ3 名古屋電車製作所   記録が見つかりません。戦災廃車か?  
ハ4
ハ6 ハ1154 1915年 名古屋電車製作所 廃線時 56名 最後まで客車でい続けた車両です。定員は40名(着席21)、自重4.28d。地元の荻丘小学校に保存されましたが、後に解体。
ハニ1 1915年 大日本軌道 32名 不明  
ハニ2 1921年 不明  
ハ7 ハ1155 サハ1112 1922年 雨宮製作所 廃線時 40名 奥山延伸時に増備された半流丸屋根の車両。ハ9は戦災廃車の可能性が高い。サハ1102はさよなら列車に使用されました。  
ハ8 サハ1101  
ハ9 1947年8月20日  
ハ10 サハ1102 廃線時
ハ11 ハ1153 サハ1110 1923年 日本車両 廃線時 50名  
ハ12 資料が見つかりません。ごめんなさい。  
  サハ1103 1948(転入) メーカー不明   60名 国鉄松浦線ケコハ470型480。Wルーフ。
  サハ1104     国鉄松浦線ケコハ488。丸屋根だがWルーフ並みに膨れている。
  サハ1105 ? 加藤製作所 1957年 赤穂鉄道ホロハ21。  
  サハ1106 日本車両 64名 赤穂鉄道ホハ30.
(サハ1107) 未成 赤穂鉄道ホハ31の導入を計画したが、実現しなかった。  
オハ51 - - - 日本車両 - - 戦後ガソリンカーのエンジンを撤去し仮に客車として使用していた時の形式。公式な記録には残っておらす、鉄道研究家武田彰氏による目撃証言のみ。オハ51は元レカ3、オハ52は元レカ5と見られる。後にモハ1003型に改造。  
オハ52 - - - - -  

7、貨車

浜松鉄道時代の形式 改正後形式 遠州鉄道の形式 製造年 製造所 廃車年 備考 リンク
ト1 ト1405 大正3 大日本軌道 1両は廃線時(他の3両は不明) ト1〜4は気賀開業時に導入された初期車で、遠鉄ト1405がこのうちどれに該当するかは不明。  
ト2  
ト3  
ト4  
ト5 ト1401 大正5年 大日本軌道 1両は廃線時(他の1両は不明) 遠鉄ト1401は形態から見てト5か6のどちらかと推定されるが、どちらかは不明。  
ト6  
ト7 ト1402 大正10年 大日本軌道 1両は廃線時(他の1両は不明) 遠鉄ト1402は形態から見てト7か8のどちらかと推定されるが、どちらかは不明。  
ト8  
ト9 ト3 ト1403 大正12 日本車両 廃線時  
ト10 ト5 ト1404    
ワ1   ワ1301 大正3 名古屋電車製作所 廃線時    
ワ2              
ワ21 ワ1302       元国鉄佐世保線ケワ235  
ワ22 ワ1303       同ケワ236  

 

戦災廃車について
戦災による被害のうち大破は、SL×1、ガソリンカー×3、客車×6、貨車×6、中破はSL×2、客車×1とされています。ガソリンカーはレカ1,2,4が該当するのですが、そのほかの種は特定できません。例えば蒸気機関車は大正13年の時点で6両在籍し(1〜6)、戦後は5両が残存(1〜3、5,6)し、1両(4)が転出しているので廃車は存在しないはずです。大破した1両が何なのか気になるところです。客車のうち戦災廃車と断言できるのはハ9のみ。遠鉄に記録のないものはハ3、4、12、ハニ1、2の5両で、特に前者3両は実在したという決定的な証拠は発見できませんでした。また、大正13年時点で客車在籍14両なので、欠番ハ5も実在した可能性があります。貨車はト1〜4の内の3両、5か6どちらか、7,8どちらか、そして遠鉄に記録のないワ2が該当すると考えられます。

注意:客車項目における「浜松鉄道時代の番号」の形式番号は、一部リンク先のページと一致しない場合があります。これはリンク先のページに表記されている番号は戦後の番号整理時のもので、本ページで扱うのは登場時の番号であるからです。

注意:大日本軌道工機部と雨宮製作所を混同して表記しています。気になる方は年代別に解釈して下さい。

参考文献:なつかしの軽便鉄道  ひくまの出版 、追憶の遠州鉄道奥山線 ねこパブリッシング、「軽便鉄道の発達  国連大学人間と社会の開発プログラム研究報告」 青木栄一、鉄道ピクトリアル 98年4月増刊号、今は昔 静岡なつかし鉄道 静岡新聞社 、ほか

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